2025年の年末に南カリフォルニアの「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」に参加した体験記。

 

ヴィパッサナー瞑想とは、

お釈迦様もしていた「物事をありのままに観察する」というインドの古い瞑想法だ。

そして、これを10日間かけて体験できる本格的な合宿コースがゴエンカ氏の伝える「ヴィパッサナー瞑想」のプログラムだ。

このセンターは世界中に270ヶ所あるそうだ。日本にも京都と千葉にある。

 

10日間のヴィパッサナー瞑想コースとは(Webサイトより)

心を浄化するための自己観察の特定のテクニックを教えるために設計された、集中的で、宿泊型の、無料の、寄付ベースのリトリート。参加者は、男女別に分かれて、毎日約10時間の瞑想を行うという厳格なスケジュールに従い、「高貴な沈黙」(他人と話したりコミュニケーションをとったりしない)を守り、深い精神の明晰さと平静さを育むことを目指します。 

10日間のヴィパッサナーコースの主な特徴:(Webサイトより)
このコースは、主にS・N・ゴエンカの伝統を受け継ぎ、ヴィパッサナー(洞察)瞑想を指導します。

1日は通常午前4時に起床、瞑想セッションは午後9時まで続きます。参加者は電子機器の使用を控え、読書、執筆、運動を控え、沈黙を保たなければなりません。
コースは食費と宿泊費を含め、完全に無料です。コース修了者からの自主的な寄付によって運営されています。
必須のグループセッションと、SN ゴエンカによる毎日の夕方のビデオ講演が含まれます。
これは厳しいメンタルトレーニング「ブートキャンプ」です。参加者は快適な服装、クッション、そして長時間座っていられる覚悟をお持ちください。

 

毎日のスケジュールはこんな感じだ。

 

4:00     起床

4:30-6:30    瞑想ホールか各自の部屋で瞑想 (自由参加)

6:30-8:00    カフェテリアで朝食

8:00-9:00    ホールで全員で瞑想

9:00-11:00  瞑想ホールか各自の部屋で瞑想 (自由参加)

11:00-13:00 カフェテリアで昼食

13:00-14:30 瞑想ホールか各自の部屋で瞑想 (自由参加)

14:30-15:30 ホールで全員で瞑想

15:30-17:00 瞑想ホールか各自の部屋で瞑想 (自由参加)

17:00-18:00 ティータイム

18:00-19:00 ホールで全員で瞑想

19:00-20:15 講話

20:15-21:00  ホールで全員で瞑想

22:00 就寝

 

ロサンジェルス空港からセンターまで車で3時間(260Km)ほど。このセンターでは、車を運転しない人を乗せてセンターまでカーシェアーをと呼びかけている。私もシェアーを考えたが、3時間も知らない人と英語で話すのが億劫で、自分で運転してセンターまで行った。センターまで遠すぎる(泣)。

 

これから合宿での体験を書いていく。

 

続く

 

 

詳しくはこちらで

 

 

 

 

2025年の年末。南カリフォルニアの砂漠地帯にある瞑想センター「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」の体験記。

 

この合宿は10日間と言われているが、実際には10泊11日、到着・出発日を含めると12日間だ。期間中、外界の刺激を完全に遮断し、自分の内面深くへ潜るために、以下のような厳格な規則がある。

 

1. 五つの戒律(シーラ)を守る 
 生き物を殺さない(小さな虫(蝿、蚊など)一匹も殺さないよう細心の注意を払う。)
 盗みを働かない
 一切の性的行為を行わない
 嘘をつかない(沈黙を守ることでこれも守らる)
 麻薬や酒などの毒物を摂取しない
 

2. 「聖なる沈黙(Noble Silence)」
  一切のコミュニケーションの禁止: 会話、目配せ、ジェスチャー、手書きのメモも禁止。
  例外: 宿泊などわからない事は世話役に、瞑想の質問は指導者にのみ、決められた時間に聞ける。
 

3. 外部との遮断(デジタルデトックス)
  デバイスの預け入れ: スマホ、タブレット、パソコンは初日に預ける。
  読み書きの禁止: 本、雑誌、日記、筆記用具も持ち込み禁止 。
 

4. 運動・娯楽の禁止
  激しい運動の禁止: ヨガやストレッチ、ジョギングなど禁止。決められたエリア内での散歩のみOK。
  音楽・ラジオの禁止: 楽器や音楽プレーヤーも禁止。
 

5. 食事と生活のルール
 完全菜食(ベジタリアン): 肉や魚、卵はなし(乳製品は含ある)。
 午後の断食: 11時の昼食が最後で、午後の食事なし。初めての参加者: 夕方にフルーツと飲み物。
 2回目以降(古い生徒): 飲み物のみ。
 男女の完全隔離: 夫婦で参加でも、期間中は男女接触はなし。

 

このコースの費用はすべて無料で寄付でなりたっている。
宿泊費や食費はもちろん、施設のメンテナンスや食事作り、掃除に至るまで、すべて過去の修了者たちの寄付とボランティアによって運営されている。ゴエンカ氏がこのシステムを導入しようとした際、周囲からは猛反対されたそうですが、今では世界中で見事に成功している。

 

なぜこれほどまでに厳しいルールが必要なのか?

それは、自分自身を真剣に見つめるためじゃないか?
私たちは普段、スマホや会話、動画などで、内面から湧き出る声を無意識にかき消している。外からの刺激が消えた時、初めて自分の頭がいかに騒がしく、周りに支配されているかに気づく。この経験で自分を見つめ直し、今での古い自分を脱ぎすてる準備ができたと思う。

 

私が瞑想を始めたのは、コロナ禍が始まる2、3年前から。


当時は頭の中が常にぐちゃぐちゃしていて、とにかく一度「無(真っ白)」になりたい、という思いで始めた。

最初は、お風呂の中で「1から10まで、気を逸らさずに数えられるか」という練習からスタートした。
「それくらい簡単でしょう」と思うかもしれないが、当時の私にはそれすらも、難しかった。

 

一ヶ月ほど経つ頃には、10、20、30と数字に集中できるようになり、その後はYouTubeの誘導瞑想を聴きながら、毎日20分〜30分ほど瞑想をするのが習慣になっていった。

 

近所で瞑想クラスを探していた時にみつけたのが、ゴエンカ氏の伝える「ヴィパッサナー瞑想」のプログラムだ。

ヴィパッサナー瞑想とは、お釈迦様もしていた「物事をありのままに観察する」というインドの古い瞑想法だ。

「ヴィッパサーナ瞑想をすることで、あらゆる問題が解決する事ができ、すべての苦しみから解放される」

そして、これを10日間かけて体験できる本格的な合宿コースを見つけた。

 

ただ、このコースのルールは非常に厳格。
「聖なる沈黙」が義務付けられており、開始から10日目の朝まで、参加者同士の会話はもちろん、目配せやジェスチャーを含めた一切のコミュニケーションが禁止され、電話やネットは当然使えず、それどころか書籍や筆記用具の持ち込みさえも許されない。

 

当時は母が病気で入退院を繰り返していたため、毎日連絡を取り合う必要があり、「今の自分には参加は無理だ」と諦めた。

 

しかし昨年、ふとヴィパッサナーのことを思い出し、「やはり挑戦したい」とコースに応募してみた。

だが、非常に人気があっていつもキャンセル待ちばかり。

その後、ついに念願が叶い、去年の冬、南カリフアの「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」で参加できた。

 

少し前の出来事だが、自分自身の記録として、そこで体験したことを綴っていこうと思う。

 

続く

 

 

 

 

昨日、YouTubeである番組を見て、心から素晴らしいと思う人がいたので、紹介したい。

 

【身寄りのない高齢者、誰が看取るのか】
入院や賃貸契約に必要な「身元保証」や、葬儀・遺品整理を代行する「死後事務」を請け負う村上さんに密着。制度の狭間で取り残される、身寄りのない高齢者の現実を見つめる。

 

私は普段こういう番組は見ない。みる前から、そこには解決策がない上、どうしようもない気分になるのがわかっているからだ。しかし、なぜか今回は最後まで見ていた。

 

番組中で、身銭を切ってまでお年寄りを助ける村上さんに、スタッフが問いかける。
「費用を負担してまで、なぜそこまで関わるのですか?」

 

請負人の男性、村上さんの答えは、

自分の親、特に父親の方が毒親で、何かをしてもらったことが、記憶にほとんどないのと、子供に対して無関心。

人の為に生きるとか、人に迷惑をかけないとか、そういう基本的なことを教わらず、自分のことばかり考えて生きてきた人生だったので、僕を必要としてくれる人がいるなら、嬉しい事だし、ありがたい事だし、突き詰めて考えてみると、結局自分の為みたいな。自分の足りないものを皆さんのおかげで埋めさせてもらっているみたいな所があるんじゃないかと思います。

 

人の為じゃない、自分の欠けた部分を埋めてもらっている。と話す村上さんの姿。

自分も時々、人に親切にする。人に親切にするとなんだか嬉しい気持ちが湧き上がる。

私も無意識で自分の足りない所を埋めてもらって、自分で満足していたのだろう。
人に親切にする真髄はこういう事なんだ。

 

村上さんみたいな菩薩のような人が増えれば、この世界はもっと穏やかで、過ごしやすい場所になるのだろう。

 

 

 

 

母が亡くなり、時々「般若心経」を唱えている。

そろそろ空で言えるようになり、ただ唱えるでなく意味を理解したらもっと心がこもるかなと思って調べてみた。

これは、仏教辞典というサイトから引用して、自分がわかりやすく手を加えた。

 

 

★★★★

観自在菩薩が、仏の智慧を完成する修行を深く行っていた時、人間の存在は全て「因縁(宇宙の法則)によって生じている」という真理を悟り、あらゆる苦しみから解き放たれた。


舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならない。この世界の形あるものは全て因縁によって生じており、そのために存在するのだ。受蘊(感じる働き)・想蘊(思考する働き)・行蘊(意思の働き)・識蘊(認識する働き)も同じく、因縁によって生じる。

舎利子よ、このようにすべての物事は因縁によって生じるというのが真実であり、生まれることも滅する事もなく、汚いこともきれいな事もなく、増える事も減ることもない。


このため、因縁で成り立つ世界には実体(色蘊)はなく、感じたり、想像したり、意志を働かせたり、認識することもない。目で見ることも、耳で聞くことも、香りを嗅ぐことも、味わうことも、触れることも、心で思い描くこともない。形あるもの、音や声、匂いや香り、味、触感、心の働きといったものもない。見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触れる・意識するという六識もない。

 

迷いはなく、同様に迷いが尽きることもない。老いも死もなく、また老いや死がなくなる事もない。苦しみ、苦しみの原因、悟り、悟りへの道という四つの真理もない。智慧もなく、また何かを得るという事もない。なぜなら、得るべきものがもともと存在しないからだ。

 

菩薩は仏の悟りを目指すことにより、心を覆うものが無くなる。心が覆われていないため、恐れは一切なく、あらゆる迷妄を捨て去り、最高無上の悟りへと至る。過去・現在・未来のすべての仏は、この智慧を完成する修行を行い、仏覚という最高無上の悟りを得たのである。

 

ゆえに知るべきである。「般若波羅蜜多」は偉大で計り知れない真言であり、無明煩悩(無知によって生じる悩み苦しみ)を取り除く真言である。最高無上の真言であり、この宇宙に比べるものがない真言である。それは一切の苦しみをなくし、偽りなく真実で、「智慧の完成」について説くものである。

 

ここに仏の真実の言葉を示そう。
『往け、往け、彼岸へ到れ。僧たちよ、彼岸に到り、仏の悟りを開け。』

これが般若心経である。