謎の彼女X (1)

植芝 理一
謎の彼女X 1 (1)
買うつもりはなかった、というか買いたくなかったのですけど 「ワクセイガール」 の放電映像さんの絵にやられてしまいました。(8/26にイラストがあります)
転校生の少女、唾液、パンツ、ハサミ、交際。とてもトリッキーな題材を並べ立てつつも、感情を具体的な化学変化のように表現して、少年と少女の関係を描いていきます。
主人公の少年たる私を、いくらウジウジしていようがお構いなく、次のステージへと可愛い少女が連れて行ってくれます。それはとても甘ったるくて生ぬるい感覚で、気持ち悪さと快感がない交ぜになってゾクゾクしてきます。
上手く言葉に出来ないのですが、できれば植芝理一の漫画はもう読みたくはありませんでした。初めて 「ディスコミュニケーション」 を読んだときの衝撃は鮮烈でした。こういうデフォルメと背景は初体験でしたし、その衝撃と当時の思春期の感情の揺れはとても波長が合っていて、それを思い出すのはちょっとした恐怖でした。
そして、私の中にまだ誰かに連れて行ってもらいたいなんて感情が残ってたらどうしよう、ということが一番怖かったんです。まるで成長していないようで。
そして、読み終わった今、これがしっかり残っているみたいなんですよね…。
最後の制服 (2)

袴田 めら
最後の制服 2 (2)
1巻の感想はこちらです。
1巻の感想をこのブログの方に書いていたのをすっかり忘れていました。相変わらず、よく意味の分からないことを書いていますな…。
2巻でも、女子校の寮を舞台にした少女たちの想いが様々と。一人一人が確固としたパーソナリティを持っているのですが、些細なことでそれは相手に蹂躙されてしまうんですね。
いともたやすく破壊されながらも確実に成長していく、たいへん瑞々しい物語です。ラストはなかなか衝撃的でしたね、まとめに入っているのかな。
彼女たちが持っているのは愛ではなく狂、愛しあっているのではなく狂いあっているんです。
ガウガウわー太2 (1)

梅川 和実
ガウガウわー太2 1 (1)
私は 「どうぶつ奇想天外」 のような番組が苦手で、動物を擬人化するんじゃない! とか、一番の珍獣は司会の黒い生き物だろうとかのたまっていたのですけど、そのくせに谷口ジローの 「犬を飼う」 ではさほど泣けずに、 「ガウガウわー太」 ではとことん泣かされてしまうのでした。
動物と人間が会話をすることが出来る。擬人化も良いところなんですが、ひたすらに動物たちは清く美しいものなんだとして描かれていくんですね。本当にひたすらですので、動物たちの健気さには素直に心打たれてしまいます。
善意の行動は正しく、物事を必ず幸せに導いていく。これもこの作品の世界観の根底には流れていて、あざとさももの凄いのですが、主人公の太助を、ペットはペットとして考えて一般的に行動させていくことで、善意を最後の手段のようにして巧く描いていっているんですね。良くバランスの考えられた作品なのではないか、と。
「ガウガウわー太2」 ではそんな太助も人間的に成長していってしまっているので、そういった世界観との対比も困難になっていくということで、ストーリーがまとめに入っていっているのも当然かなと思いました。
「ガウガウわー太」 は新潮社で打ち切りを食らった後、宙出版に移って再版を出した後に連載開始するはずがお流れになり、一迅社に移ってまたもや再販を出しながら今度は 「ガウガウわー太2」 として連載再開を果たすという、涙なしには語れない作品です。
そして、3つも同じシリーズを買わされてしまうこのシリーズのファンは、やっと続きが読める、なんで同じ漫画3つも持ってるんだろう、といろいろな涙を流すのでした…。
砂漠で溺れるわけにはいかない

ドン ウィンズロウ, Don Winslow, 東江 一紀
砂漠で溺れるわけにはいかない
「ストリート・キッズ」 の感想はこちらです。
「ウォータースライドをのぼれ」 の感想はこちらです。
探偵ニール・ケアリーの物語もついに完結です。日本では第一作の 「ストリート・キッズ」 が刊行されてからはるばる13年! まあ、世の中にはもっと気長に他のシリーズの続きを待っている読者もいますから、無事完結しただけでも良しとしましょうか…。
今作は後日談と云われているようにそれほどスケールの大きな話ではなく、このシリーズのテーマは何だったのかということを明確に打ち出してサッと終わっていったという感じでしたね。
で、そのテーマといえば、ニールにとっての家族の在り方、特に父性の発見と獲得です。ニールの持っている減らず口や、強気な部分や弱気な部分、他人に対しての過剰なまでのナイーブな心情、それらはすべて父親の不在が起因していることなんですね。
顔も知らない父親という存在、自分の中に確かに流れる父親の血、ニールがどのようにして決着をつけるのか、ここではあまり詳しくは書けませんけど、10年以上も父親代わりとして接してきたグレアムでさえ足りえない父親というものを無意識に渇望していくニールの姿そのものが、このシリーズの最大の読者を惹きつける魅力であるのでしょう。
そして忘れていけないのが、恒例の訳者・東江一紀のあとがきです。前作から1年で刊行できたことで今までよりもちょっと強気のあとがきなのが可笑しい。。てか、なんでホープ・ホワイトの日記みたいな口調のあとがき?! と突っ込みたいところはぐっと抑えて、確かに翻訳ミステリはずっと話題作もない状態でしたから出したくても出せない状態だったようですね。フロストシリーズも相当凍り付いたままですしね…。
なにはともあれ、このニール・ケアリーシリーズは東江一紀の翻訳あってのものですし、日本の読者はこのことに本当に感謝しなくてはいけませんよね。
本当にありがとう、13年間も待たせてくれて!
ニール・ケアリーシリーズを振り返ってみれば、それはちょっと甘くてちょっと苦い(←ママレード・ボーイじゃねーか!)
ニールはカレンなんかとは別れてさ、私と一緒にいればいいんじゃないかな(きゃっ、赤面!)
夏休みのこと
一週間ほど東京を離れていました。ずっと風邪気味だったり、座骨神経痛になったりとちょっと大変だったのですけど、いろいろあって楽しんできました。
佐世保の強烈な日差しは昔を思い出すような心地良さでしたし、なにより精霊流しが初体験で、それは凄まじいものでした。
夕方から途切れることなく爆竹は鳴り響き続け、続々と船が担がれて集まってくるのが精霊流しで、今は川に流すのは環境の問題でやらずに広場で燃やすそうです。
とにかく鳴り続ける爆竹が印象的で、それはさだまさしの 「精霊流し」 の雰囲気では全然無くて、あれを音楽にするならばヘビメタしかないという感じでした。
帰りの飛行機で爆睡中に、飛行機が落ちる夢を見ました。これはマジでビビった。。
一週間ぶりに東京に帰ってきて、翌日にすぐ3回目の 「時をかける少女」 を観にいく自分がですね、ああ、真性なんだなと再確認いたしました。何回見ても心に響いて泣ける映画なのですけどね…。