博士号取得大作戦! -presented by Mika- -8ページ目

産業医から連絡あり

先日書いた、

「産業医が何もしていなくてがっかり」という記事の続報。


あの日、実は、私は、看護師さんから

産業医が、α教授とのアポすら取っていなかったことを聞いて、

「α教授と会わなくても、メールなどでやりとりできると思いますので、産業医の先生にお願いしていただけませんか。

その結果は、私にもメールでご連絡をお願いいたします」

と、再度お願いしておいた。

アポを取っていません、で引き下がる訳にはいかなかったので、もう一押ししておいたのだ。



産業医の方はそれに反応したのか、

今日、間に立ってもらっている協力者の方を通じて、

「メールではなくて電話で話をしたいので、連絡ください」

という趣旨の連絡をくれた。

2時までは研究所内の医務室にいるので、とのこと。



しかし、考えた末、

今日、こちらから電話するのはやめることにした。

私は、協力者からこの連絡をもらっただけで、

背筋は凍りつき、息は浅くなり、じわっと涙ぐむ始末。


どんなに悪い連絡が来るのかと思うと、本当に怖かった。

さらに彼は、話を聞くつもりが全くなさそうな感じの漂う人で、

私はそういう人が、本当の本当に苦手なのだ。

こちらの身になってくれない人に、電話で話をして、

良くないことを言われた時に、取り乱さずにいる自信がない。



そのようなことを協力者の方に話したら、

その人は、医務室の看護士の方を通して、

産業医に連絡してくださった。

その結果、内容は後でメールで送ってもらえることになった。



メールでも、内容を知るのが怖いのは一緒だけれども、

メールは何度でも読み返せるし、自分の心の準備もできる。

耳で聞くのはもともと苦手だし、とりあえず今日はこれでいいや。




でも、どっと疲れた。



つらさを表現すること自体が辛いのに

結局、公的な機関内にある相談窓口に、

たすけをもとめるのは、ムダだとわかった。



私がいまお世話になっている(行ってないけど)

関東にある、とある研究所には、

「困ったことがあったら相談してください」と、

看板をかかげている組織が、みっつある。


一つは、「人事コンプライアンス室」。

一つは、「産業医」

そして、「労働組合」。


いずれも、研究室で働いている人たちが、

研究室の主催者などの人たちに、不当な扱いをされて、

苦しかったり、体調を崩してしまったりした時には

「こちらへご相談下さい」と、門戸を開いている場所だ。


労働組合は完全に研究所とは一線を画した機関だが、

あとの二つは、まぁ、研究所寄りの機関だといえるだろう。



私が心ならずもお世話になっている研究室にいる、

今まさに働いて、今まさに泣いている人たちは、

この研究室にはびこる、えも言われぬ苦しさに耐えかねて、

ついに先日、「人事コンプライアンス室」に相談した。


人事側は、初めは親身に話を聞いてくれるそぶりをしていたようだが、

最終的には、「そういうのはご自分たちで解決して下さい」と

突き放したような言葉を放って、それで終わった。



私は体調を崩しているので、「産業医」に相談した。

この研究所内で唯一、研究室主催者クラスに「直接意見を言える」立場の人だ。


産業医に会うために、私は不調を押して研究所内の医務室に出向き、

一度予約を取った上で、再度出直してやっと産業医に会った。

やっと会った産業医の先生は、こちらに対し

いかにも話を聞くつもりなんてなさそうな態度を向けてきて、

心から悲しくなったが、くじけずに現状を懸命に訴えた。

産業医はイヤそうな口ぶりながらも、最後には、

「では、β主任ではなく、あなたの指導教官であるα教授に対して、面談をします」と、はっきり私に約束してくれた。


あの約束から一ヶ月。今日、医務室に電話をかけてみたら

「産業医の先生は、多忙なので、α先生との面談の予定が取れないそうです」

との伝言を伝えられた。

面談の予定も作っていないらしい。


初めの面談の時、面談をお願いしたら次の日の朝にすぐ会えたのは、たまたま予定が空いていたということだったのか。

信じて待っていたのが、本当にバカみたいだ。



労働組合には、残念ながら誰も話をしに行っていない。

労働組合に入っていないから、という理由と、

労働組合に話して分かってもらえるような、

明確な言葉が見つからないから、という理由があるらしい。


確かに、アカハラ、セクハラの類ではない圧力なので、

説明ができないという気持ちはよく分かる。


先日、外国からきた研究員の方が、

通常ありえない理由で不当解雇させられそうになったが、

その人は「日本で問題を起こすと、ビザが出なくなって、

日本に来られなくなるかもしれない。それは困る」

と言って、労働組合に話をすることはしなかった。


私が給料をもらっているなら、真っ先に労働組合にかけ込むのだが、

私は学生で、給料をもらっていないので、

労働組合に話をしにいくことはできない。




本当に、むなしさが募る。

この状況を、誰が聞いても「それはマズイね」と

分かってくれるくらいに上手に説明できないと、

結局、どうにもならないのだ。


誰が聞いてもマズいようなことだけは、決してしないで、

じわじわと人を追いつめていくタイプの先生には、

いったいどう立ち向かえばいいのか。



そんな先生の性質をうまく表現し、人に分かってもらうために

ぴったりはまる言葉をずっと探し求めていたのだが、

昨日、やっとかなり近い言葉を見つけた。

「モラル・ハラスメント」という言葉だ。


http://www.morahara.com/index.html



説明を読めば読むほど、これが最も近い言葉だと確信してきている。

今度は、この言葉を使って、先生のことを説明してみよう。


研究室の他の人たちにも、この言葉を伝えたい。

きっと全員、「ああ、これか、これだよ!」って、

言ってくれるに違いないと思う。




コメントについて

いつもコメント下さってありがとうございます。

全部ありがたく読んでいます。

本当は一つ一つにお返事をしたいのですが、今、何をどうお返事したらいいのか全然分からなくて、それでそのままになっています。本当にごめんなさい。

コメントいただくのは本当に嬉しいです。ありがとうございます。


どうすりゃいいの

やはりさくらももこは天才だ。
もものかんづめを読み返し、以前立ち読みした神のちからっ子新聞を思い出して、改めてそう感じた。
いくら私があの時調子に乗っていたとはいえ、さくらももこに張り合おうとしてバカなエッセイを書いたりしてしかも偉そうに公開したりして、いまさらながら恥ずかしくて顔が燃えそうだ。
書いているネタはかなり似かよっている気はするが、もうなんというかあのドンドン迫ってくるような迫力には到底勝てない。全然ダメだ。

勝てなくても肉薄くらいはすると本気で思っていた私は、本当に本物のバカだった。


突然自信を無くしたワケは、とあるオンライン投稿サイトでエッセイの一部を公表したところ、評価が散々だったからである。
まだ投稿してから一日しか経っていない、と自分をなぐさめてみても、むなしさが募るばかりだ。
くだらん物を書いて一人で舞い上がって一人で落ち込んで、いったい私はなにをしているのか。
今はただ、自分の存在がひたすらむなしい。


なんつーかもはや自分がどういうキャラで生きていけばいいのか分からず、かなり迷走している気がする。
一昨日は授業初めのいきなりの自己紹介におののき、「気合いが足りなくて2ヶ月も夏休みを取っています」と口走ってしまった。
昨日は友達のHPに酔っぱらった勢いで妙なコメントを書いてしまった。
もう、このまま夏の暑さで蒸発して無くなってしまいたいのに、今日は暑くもないので蒸発もできない。悲しい。


このブログも、どういう風に続けていけばいいのか、もはや分からない。
ブログも人生も、完全に迷走気味だ。

久々に活動

今日は、以前受けたある先生の非公式授業( 以前の記事参照 )の第二回があるというので、行ってみた。
その先生の授業は、前回よりも初歩的な内容だったというのもあり、今回はだいぶ理解できたように思う。
授業の中休みに、先生に今の私の状況について少し話してみた。
先生は、「それじゃあしんどいですねぇ」といって、少しだけ同情してくれた。私は、そんな感じのこの年召した先生が、本当に大好きだ。



ところで先週の土曜日に、大学時代のサークルの同級生から携帯に電話があった。
大学時代は軽音楽のサークル仲間として同じバンドに所属していたりしたものの、今もなお普段から連絡を取り合っているような間柄ではなかったので少しだけびっくりしたが、電話に出てみると、ああなるほど、と思った。
彼の電話の用件は、「博士課程進学の是非について」だった。


彼は理系の修士号を取ってから社会に出て、SEとして会社勤めをしているのは私も誰かに聞いて知っていた。それでも最近、彼は自分の今後についてとても悩んでいたようで、それでサークルの誰かを通じて私が会社を辞めて博士課程に進学したことを聞いて、私に直接電話してきたのだろう、と、彼の最初の一言ですべてを理解した。
彼は電話の第一声で、「この間、大学の先生に会って、「君がその気なら進学先を紹介しようか」って言われたんだけど、実際、会社辞めて博士課程に行くのって、どんな感じ?」と聞いてきた。


私は間髪入れず、「お金の問題が一番厳しいね」と正直に伝えた。
事実、会社でそれなりに給料もらってた身から「無給料どころか金を払う立場である学生になる」というのは、お金の問題がいちばんキツい。
それまで一ヶ月に20万以上もらってたのに、一気に収入がゼロ円になるのだ。これが本当に一番キツい。
まずこれを彼に伝えた。

彼は、「あー、お金かぁ~」とつぶやいて、しばらく絶句した。


私は続いて、私が「旦那」という収入源(パトロン)を確保したので、進学に踏み切った、という事情を正直に伝えた。
もう一人私と同様に会社を捨てて博士課程に進学した男性についても触れ、「その彼は、今、奥さんに養ってもらっている」とこれまた事実をそのまま伝えた。
彼は、「う~ん」とうなって、考え込んでいる様子だった。


実は、今回電話をくれた同級生の彼が、いつかは「研究の世界に戻りたい」と言い出すだろうことは、ある程度予想していた。
彼は、会社の論理よりは学問の論理になじむタイプの性格の持ち主というか、学問に心惹かれるタイプであるというべきか、うまく言えないけれど、彼が修士で研究をやめて会社勤めをするなんてのは、どうにも納得がいかないとは思っていたのだ。
でも彼は、修士出で会社勤めをする道を選び、私もその時はそれでいいのだと思っていた。
それでも、やはりそのうちひずみが出てくるものなのだなぁと、妙に合点がいった。


しかし、言いにくいが、女性よりも男性の方が、会社を辞めてまで大学に戻るのは事情がキツくてなかなか状況が許さないのではないかと思う。
昔に比べればだいぶ男女の役割も変わったが、それでもなお、「男性は仕事を持って稼いで初めて一人前」という、世間の建前や無言の圧力が聞こえてくる気がするのだ。
正直に言って、私は自分が女性であるからこそ、それほどの壁もなくあっさりと会社を辞めて大学に戻るなんて芸当ができたのだと思っている。
私と同じ年の男性である彼が、今から会社を辞めて大学に戻って無収入になりたい、と言ったら、世間からいったいどういう風に受けとめられるのだろうか。


このあたりの事情も、彼に正直に全部伝えた。
キツイとはおもうけれども、これが世の常識なのだと、あえて伝えたかった。


もし彼が、「それでも学問の世界に戻りたい」というのであれば、私は精いっぱい応援をしたいと思う。
私が博士課程進学先を探すときに得た情報、知恵、博士課程に進学した時に得られる可能性のある給料等についてなどなど、私の持っている情報はすべて提供したいと思う。


これもまた彼に伝えたところで、私は電話を切った。
さて、彼はこれから、自分の将来に対していったいどういう判断を下すのだろうか。
楽しみでもあるし、心配でもある。彼からの追加連絡を、気長に待とうと思う。



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今日の晩酌

生ビール 中ジョッキ一杯

レモンサワー 一杯

ロングアイランドアイスティー 一杯

マッカラン12年 ロック


暴れぐあい: ☆☆☆☆☆

みんなが普通に研究生活しているのを見ると、自分が情けなくなります。


無題

どうして私が今、研究を完全に休んでいるのか、それについて何の説明もしていない。もしかしたら不可解に思われている方がいるかもしれないので、少し補足してみようと思う。

休んでいる理由はズバリ「抑うつ状態がひどくて研究どころではないため」である。

大学の先生(α教授)には「抑うつ状態につき休みが必要」との診断書を提出してある。

研究からまるっきり離れて休んでいるおかげで気分はかなり良くなり、今ではごはんをちゃんと作って食べたり、暇にあかせてくだらない文章を書いたりと、一応人間らしい生活ができている(家からはろくに出ていないが)。


ではなぜ、うつが酷くなっていたのか。

実はこのブログではあえて一切ふれていなかったのだが、β主任が実はとんでもない人物で、かなり酷い目に遭っていたためである。

研究室で同じ目に遭っている人にしか分からない、外には伝わりにくい辛さ。研究室の人は皆泣いているのに、研究室外の誰に話しても、辛さを分かってもらえない、そういう類の閉鎖的な辛さ。

その「話しても伝わらない」という事実、これこそが私にはあまりにも辛すぎて、私はここで本当のことを書くことが全く出来なかった。


研究生活はめちゃくちゃに破綻していたが、ここにはできるだけ楽しいことだけを選んで書くように心がけていた。

裏では、日々血を吐く思いで実験をしながらβ主任にも心を砕き、当たっては散り当たっては散りを繰り返して、かなり頑張ってはいたつもりだが、6月終わりの出来事をきっかけに、ついにぽっきりと折れてしまった。

この出来事も、その他と同じくブログにはまだ書いていない。ウラニッキが完成したら、あるいはここに掲示するかもしれないけれど、まだ分からない。


β主任の研究室を泣く泣く辞めていった何人もの人たちのように、私もこのまま辞めざるを得ないのかもしれないと、少しだけ思っている。



6月終わりの出来事が起きた同日、私は自分が自閉症高機能群なのではないかと疑いを持った(こちらだけをブログに書いた)。

その後、いろんな人にその件について相談してみたが、「あんたがそれならあたし/俺もそれだよ」と何人もの人が言ってくれた。なぐさめて、励ましてくれたのかもしれない。

その人達には申し訳ないが、先日診断結果が出て、やはり私は「アスペルガー症候群である」とのことだった。

やはりそうか、と思うと同時に、なんだかほっとした。


私は、私が本来の自分以上に明るく振る舞ったり、知識が豊富なように振る舞ったり、人の話の理解が早いように振る舞ったりするのは、もううんざりだと思った。

本当は、私はどうしようもなくバカで、常識が無くて、あんまり明るくなくて、ドジばっかりふんで、一人でちまちまと何かを作ったり、ぼけーっと空を見上げたりするのが好きなのだ。

知識をこれでもかというくらい吸収して人に披露するとか、早い頭の回転で一見賢そうなことを言うとか、そういうのは私は、本当はあまり好きではないし、得意でもない。

でも、明るい調子で何か知識を披露して、相手の反応に対して少しだけ予想外の反応を返すと、大抵の人は私と話すのを楽しんでくれて、喜んでくれるから、そうしていただけだ。

もちろん人を喜ばすのは大好きだから、私も好きこのんでそうしていたのだけれど、最近はどうもそれを完璧にこなそうとしてかなりの無理が生じていたようで、人と会って、一見楽しく話をした翌日は毎回疲れて寝込んでいた。

もう、そういう無理をするのはやめて、ほどほどにしようと思う。

私は自分の興味があることを除いては、もともとあまり話をすること自体が得意ではない。

それなのにペラペラと自分では話したくないことを無理やり話して、相手のよく分からない内容の話にしかしばれないように絶妙の相づちを打って、その結果明るい愉快な奴と思われて、とか、そういうことも、もうやめようと思う。


そういういわゆる「社交的な人間」に見える部分を削ってしまうと、いったい私に何が残るのかよく分からないし、怖いが、そういう自分に慣れてしまえば、きっとそういう生き方の方が楽に楽しく生きられると思う。



今まで無理していた部分をはぎ取ってしまうと、実は研究者になりたいと思っていた気持ちは、単なる見栄とか知識顕示欲でしかなかったのかもしれないと、むなしい気持ちになる。

教授になって有名になって人に認められなくたって、それはそれで楽しい人生が待っているのかもしれない。

でも、研究者の世界は私みたいな性質の人がわりと多くて、みんな正直で親切で悪い人はあんまりいなくてとても生きやすい社会だから、だから研究者になるのが一番向いているんだろうなぁと思っていたけれども、今、期せずしてとんでもない穴にはまりこんで抜け出せなくなっていることを考えると、もう私はダメかもしれないと思う。


今すぐ結論を出すことはせず、もう少しだけ考えてみようと思うけれど、かなり状況が厳しいことは確かな気がする。




「博士号取得は厳しいのは分かり切ってることだ、甘えんな!」ってお叱りがくるかも♪


本物の馬鹿

突然だが作家になることにした。2週間真剣に考えた結果、なぜかそういう結論に達した。

試しに何本か小説もどきやらエッセイもどきやらを書いてみたが、どれも予想以上にイケている。

教授になろうと決心したときは「これぞ私の天職」と思ったものだが、意識の向きをいったん作家方面に変えてしまうと、これ以上私にふさわしい職業はおそらくこの世にないだろうとまで思えてくるから不思議だ。


もうすでに売れっ子作家になる自分を想像してニヤけているが、本当に売れっ子作家になるためには作風が大事だ。

私はお手本として内田春菊とさくらももこを選び、どちらの作風がより私に合っているかを綿密に分析した。

この二人は見た目全く違うことを書いているように見えるが本質は一緒で、どちらも「人と少し違っている私」を題材にしている。

文庫本をそれぞれ3冊ずつ買って大真面目に検討したが決められなかったので、とりあえず両方やってみることにした。


内田春菊風とさくらももこ風、あくまでも私の解釈でしかないけれどその両方を織り込んだナニかを現在構想中。
もしかしたらここで公開するかもしれません。その時は、どうぞよろしくお願いします。

昨日

昨日、突然思い出した。

たくさんの人が、私を評価してくれていたことを、思い出した。


「いつか困ったときはうちにおいで」と言ってくれた、北海道の教授。

「佐藤さんっていう女性がいてね、すごいんだよ、君たちもがんばれ」と、今指導している学生に言っていた、元同じ研究室のポスドクの男性。

「うちの職員になる気はない?」と、二度も言ってくれた、派遣先3の係長。



そして今年の春、私と同じ運命を辿って博士課程に入った、

私と同じくらい馬鹿な奴との会話を思い出した。


「小学校の時の同級生の中で、俺ははっきりいってぶっちぎりのトップだった。日本にいる人口構成を一番反映してるのは、小学校の同級生だよな。だったら、ぜんぜん負ける気がしない。そう思わないか?」


「そうかもしれない、そうだね、負ける気はぜんぜんしないね」



そうかもしれない、私の武器は結局、この論理力だけなんだ。

世の中を渡って行くには他にも色々な技術が必要だけど、一つ誰にも負けない武器があれば、それで切り開いていけるんじゃないだろうか。



大学の時の友達に、

「なんでそんなに自分はダメだと思うわけ?客観的に見たらすごいことやってんじゃないの」

と言われ、

何度すごいと言われても、自分では全然すごいと思わないので、それでだよなぁ、とほんのり思ったことを思い出した。

あれから数年経って、やっとその言葉が体に染みこんできた気がする。

誰かが私を評価してくれている声が、やっと意味を持って聞こえるようになってきた。



もう一度だけ、頑張れるかもしれない。


無題

私にとって人生最大の衝撃の日から、もうこんなに経ったなんて、知らなかった。
もうきっとこのブログを更新することはないだろうと思っていたけど、尻切れトンボで終わらせるのもなんだか違う気がして、それでもう少しだけ書いてみることにした。




あれから、色々考えた。


もしかしたら、大学は、やめるかもしれない。
それでもいいと、今は思っている。



私には本当は何ができて、何ができないのかを色々考えた。
2週間掘り下げ続けて、結論が出た。
私にできることは、論理的に考えること、
断片情報を組み合わせて、新しく見えるものを組み上げること。
できないことは、感情を完全に排して考えること。


何かの原因で感情が揺さぶられた時に、
それをむりやり抑えようとすると、後で無理が生じることがわかった。
まぁこういう性質は、私が女である限り多少は仕方のないことなんだろうと思う。「女は感情の生き物」ってやつだ。
ただ、どうやら私は生まれつき他の人とは違う思考回路を持っていて、
そのおかげで、他の人と違うポイントで感情的になる。
それが問題だ。



いくら普段は論理的で、ユーモアがあったとしても、こういう性質は教授には向いていないのかもしれない。
いくら普段は論理的で、アイデア豊富で、思いやりがあるように見えたとしても、学生にしてみれば「何でこんなことで?」と思うことで教授が動揺して、それで感情的な反応を返したら、きっとみんな困ってしまうだろう。
少なくとも、今のままでは教授になるのは無理だ。



とはいえ、我ながら扱いにくかった性格の根本原因も分かったことだし、たぶんそのうちうまい対処法が見つかるだろうとも思う。
問題の本質さえつかんでしまえば、解決するのは得意だから。
でもその結果、もう一度研究者を目指そうとするかどうかは、分からない気がする。
性格の一部を隠したり、カバーしたりすることができて、それでもし研究者になったとしても、それが自分にとって無理のあることなら、そこまで無理しなくてももっと気楽に楽しく生きる方法がきっとあるはずだから。




もうしばらくだけ立ち止まって、考えてみよう。





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自閉症かどうかの診断の日が、3週間後に迫っている。
確定診断を受けることにどのくらい意味があるかは分からないが、まずは現象を客観的に証明することが大事だろう。
とにかく今は人生の昼休み。もうすこしだけ、じっくりじっとしていよう。

暑い。

今日も、うだるような暑さでしたね。

梅雨はいったいどこへ行ってしまったんでしょう。

こないだ、外国の方に「日本では、6月は雨ばっかり降っていると聞いていたけど、全然降らないじゃないか」と言われました。同感だけどちょっとくやしかったので、「私が小学生の頃は毎日毎日雨ばっかり降っていたんだけどねぇ」と言っておきました。


ところで私は、ものすごく暑がりで汗っかきなので、夏は苦しい季節です。

だいたい6月中旬頃からTシャツ一枚で過ごすことが多くなるのですが、7月になるとそれでも暑くて、袖のない服(ノースリーブ、タンクトップ)を着るようになります。

本当はキャミソール一枚で過ごしたいところなのですが、研究室には男性がたくさんいるし、あんまり「モロ肌見せ」するのも良くないですよねぇ。

ぐっとこらえて、タンクトップまでで止めてます。

(ん?あんまり変わらない?)


実験室の中は、25℃で空調管理がされているのでとても快適なのですが、

一歩外に出ると、汗が顔からどばぁっと噴き出してくるので、化粧してると全部どろどろにはがれます。

化粧は諦めて、せめてウオータープルーフの日焼け止めを塗るのですが、皮膚からしみ出してくる水分に対しては果たして効果があるのかどうか。

せっせとハンカチで汗をふいて、せっせと経口水分補給して、せっせと日焼け止めを塗りたくる今日この頃。



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今日の晩酌

・アサヒスーパードライ 缶ビール

ちょっとだけ飲みました。暑い日はやっぱりビールでしょ。