最近、出来るだけポリティカルなコメントは避けようとしている。
色々と思うことはあるが、私が、ここで、言うべき事でもないと思っているからだ。
しかし、思う所あって、今日は敢えて少しだけ政治的な話を絡めることにする。
古くから、ほとんどの戦争は、当時の庶民たちにしてみたら悲劇以外の何物でもなかった。
しかし、思う所あって、今日は敢えて少しだけ政治的な話を絡めることにする。
古くから、ほとんどの戦争は、当時の庶民たちにしてみたら悲劇以外の何物でもなかった。
しかし、当事者意識が薄まるにつれ、いつの間にか戦争を引き起こした大量虐殺者たちの物語は、施政者たちに都合の良い下らない英雄譚に形を変えて来た。
戦国時代の話などはその典型である。
しかし、まだ記憶や記録に触れやすく、少し想像力を駆使すれば、当時の痛みがまだ生々しく感じられそうな第2次大戦においてすらそうである。
情けない事に、当事者の痛みを強制的に隠し、施政者が歴史の業を背負わないで済ますための馬鹿みたいな英雄譚のなんと多い事か。
自然災害もそうだ。
やはり、多くの伝承に残っているはずの情報はいつの間にか現実感と当事者意識が消失してしまっている事が多いようだ。
これはやはり施政者たちの責任回避のご都合主義と、時間的空間的な移行に伴う当事者意識の喪失によるものと考えて良い。
例え、それが施政者の意図した物にせよ、単に彼らが無能であるにせよである。
そう、どちらにも共通して言える事は、過去の事象は時間の経過とともに風化するという事だ。
記憶から消えてしまう事もあれば、残るにしても、違うものに形を変えてしまう事もある。
なぜこのような話をするかというと、この程、安倍内閣は「一定の節目を超えた」として、震災以来、毎年3月11日に行われてきた会見を止めるという政府の方針を発表したからである。
たった6年である。
しかも、被災地において、復興など未だ半ばにも至っておらず、現地にいる人々や避難している人々の間では、未だ様々な痛みと苦しみが存在している現況においてである。
それも、遠い異国の話などではなく、首都から新幹線で数時間の距離で今現在起こっている出来事を尻目に、国家のすべてに責任を負うべき施政者たちは、早くも「節目」という適当なご都合主事により、極めて冷酷な形式主義を発動させようとしているのだ。
前述したとおり、記憶は風化する。
日本の政治文化は痛みを意図的に風化させる、あるいは風化を待つ文化である。
歴史を通した責任を負わず、負おうとする努力の必要性すらも考えず、自然に、あるいは強制的に風化させようとする。
戦争にせよ、災害にせよ、本来ならばその時の施政者の追うべき業を、そして果たし続けるべき責任を歴史の中に置いて来ようとする。
そうした風化の過程において、悲劇でさえ、格好良い英雄譚や、更にはメロドラマに変わって、あるいは変えられてしまう。
時に完全に末梢されることさえある。
時に完全に末梢されることさえある。
風化させてはならない物は、当事者意識を維持するための強い意思をもって風化させないための努力を継続しなくてはならない。
戦争にせよ、自然災害にせよ、その他の記憶と伝承に値する出来事にせよ、それは必要だろう。
これは草の根的にではなく、国家レベルの責務としても、強い意思をもって行うべき事ではないかと思う。
こうした事象の記憶を風化させる方向に国家が動いているとしたら、それは施政者たちの慢心であり、自らの保身を図るための責任回避の結果であり、国家としての欺瞞と脆弱さを露呈してしまっている事になる。
東日本大震災の痛みは絶対に風化させてはならない。
戦争の記憶などと同様に、国民的、国家的な最大の努力をもって、その痛みを記憶に留めなくてはならない。
戦争の記憶などと同様に、国民的、国家的な最大の努力をもって、その痛みを記憶に留めなくてはならない。