Useless Monologue

Useless Monologue

小動物獣医師(フリッパー動物病院@神奈川県逗子市)による日々の雑感覚書。

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今や日本で知らない人はいないと思われる村田諒太選手であるが、初めての世界戦でアッサン・ヌダム・ヌジカム(主催者発表ではアッサン・エンダムとなっているが、アフリカ独特のNで始まる名前なのでエンダムという呼び方は明らかにおかしい。だが、便宜上、以下はエンダムと書く)に判定に敗れてしまった。
メディアの反応を見ると、不当だと言う意見が多いようだ。
だが、本当にそうだろうか?
 
個人的には、ジャッジの見方によってはこの結果でもおかしくはないと思ってしまった。
理由は、ボクシングは強そうな者を決めるケンカではなく、あくまでも客観的に勝敗を決めるスポーツだからである。
 
何が言いたいかと言うと、ボクシングの勝ちパターンの「KO勝ち」は明らかにダメージの結果なのだが、「判定勝ち」はダメージだけを判定する訳ではないのだ。
 
村田のパンチ力は、村田を知ってる人には分かるだろう。
相手の眼をみれば怯えているのも、警戒しているのも分かるだろう。
だが、主観抜きでダメージを判断するには、そんな要素は関係ない。
どれだけ攻撃力や手数を削ぎ落とすかである。
 
そのためには、エンダムというボクサーはタフ過ぎるのだ。
シンプルに手数と、その当たり判定で考えたとき、エンダムは負けていないどころか、上回っていた。
ダウンラウンドを考慮しても、である。
この試合を通して、自分がずっと気になっていたのはこの点につきる。
 
村田のパンチは有効だったと思う。
だが、それはあまりにも少なすぎた。
(相も変わらず)愚鈍な印象すら受けた。
どんなに圧力を掛けていても、手を出さずに狙っているだけでは何もしていないのと同じなのだ。
逆に押されていても、軽く手を出して当たれば、世界ではヒットポイントにしてもらえる。
 
私は常にいくつかの可能性を考えて、開きの可能性を考えて採点をつけるようにしている。
この試合、村田贔屓でみれば、つまり相手のダメージを推測しつつ判定すれば、117対110で村田なのだが、シンプルにヒットポイントゲームとしてみると、112対114でエンダムだ。
この数字の間なら、どのような判定もあり得たと考える。
この辺の様々な判定の可能性まで考えて戦略を立てる事は、ボクシングをするものなら、特に世界でボクシングをしようと考えているなら必須だろう。
 
村田本人はスポーツマンらしく、実に潔いコメントを残している。
だが、彼を取り巻く陣営が今回の判定を不当だと考え、硬いブロックとパンチの重さに頼っただけの愚鈍な試合運びを猛省しない限り、世界で確実に勝つことは難しいだろう。
 
また、見る者や業界も、様々な可能性を考えられず、単視野的かつ主観的に「不当」などと言ってるうちは、何人世界チャンピオンを出しても、残念ながら、日本のボクシングはいつまでも成熟する事は無いだろう。む
 
確かに、村田は日本人離れした強さを持っている。
だが、世界レベルで言えば、今は二流である。
今のままでは、ゴロフキンはもちろん、レミューや、下の階級のカネロ、ララ、チャーロあたりにも勝てる気がしない。
是非、より洗練させたボクシングを身に着け、再起して欲しい。
 

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既にホムペの方でもお知らせしてありますが、院内で犬の伝染病(ジステンパーウイルス、アデノウイルス、パルボウイルスの3種類/疾病としては4種類)の抗体価が十分か否かを判定する事が出来るようになりました。

 

このように、血液を試薬に反応させ、それに検査用ストリップを漬ける。
これを何回か繰り返すと…

ストリップの先端に丸いグレーのしるしが現れる。

それを判定スケールの色と比較し、

基準の色よりも濃く出ていればOK!
この子の場合、3つとも防御抗体が十分に維持出来ていました!

 

 

おそらく、最近の傾向から、混合ワクチンの接種を毎年行うべきか、2~3年に一度に減らすべきか迷っていらっしゃる方も多いのではないかと思います。

実は獣医側にもその傾向があり、どれくらいの頻度で接種をすすめるかは、獣医師の今の考え方によって様々です。

統計的には今現在、約87%の動物病院(当院も含めて)で毎年の接種をすすめているようです。

 

集団レベルで考えると、ワクチンというのは正義です。

歴史的に見ても、天然痘のように伝染病を根絶したり、日本の狂犬病のように国内から駆逐したり。

人類が伝染病と闘ってきた長い歴史を振り返ると、ワクチンの功績は絶大なものが有ります。

しかし、その背景には必ず副作用の問題がつきまといます。

 

現在のように、社会の安全と同様に個体の安全も大切に考える必要がある時代においては、社会と個のバランスについて敏感でいなければならないでしょう。

 

そこで、どのような間隔で接種するかを考えるとき、その国や地域における感染症の発生状況に加え、集団免疫の状態や個体レベルでの免疫状態をバランス良く考慮していく必要があります。

 

集団免疫を考えると、一部の特殊な伝染病を除けば約70%が防衛ラインと言われています。

つまり、ある伝染病に対して、集団全体の約7割が有効な抗体価を維持していれば、その集団内での拡散は起らないということになります。

これは人のインフルエンザでも、犬の狂犬病でも同じ割合。

 

しかし、日本における犬の混合ワクチンの接種率はそんな割合に達しておらず、(データによって異なりますが)大体3~4割と言われています。

つまり日本の犬のワクチン接種率を考えると、犬社会の集団防御は破綻していると考えなければなりません。

(ただし、接種率と、抗体価維持率はイコールではないので、本当はそんな単純ではありませんが、便宜上このように解釈してます。)

 

少し前に東京に接する某県の一都市で犬のパルボウイルスのパンデミックな発生がありましたが、これなどはその例と言えるでしょう。

 

 

次に個体免疫に関して。

某研究機関のデータによると、所謂犬のコアワクチンに含まれるジステンパーウイルス、パルボウイルス、アデノウイルス1型、2型の4種についてみてみると、接種1年後に4種ともで防御抗体価が維持できていた割合は約90%。

それが、2年経過すると75%になり、3年経つと6割に下がります。

つまり、犬混合ワクチンを注射をして1年経過して2年を迎えるまでに、約25%の個体において、何れかの防御抗体価が維持できていない事になります。

 

飼育頭数の全体の7割がワクチン抗体価が維持できていれば、2年経って75%でも、3年経って60%でも構わないです。

しかし、上記の通り、国内の集団免疫レベルは高くはありませんので、数字的にみると、例え数年のうちにワクチンを接種している子でも、その一部危険性は無くなりません。

 

いくら世界小動物獣医師会がそのガイドラインで「コアワクチンは3年に一回でいいよ」と言っても、日本の獣医師たちがなかなか素直には肯首できずにいるのにはこのような理由も大きいのではないでしょうか。

 

しばしばワクチンによる収益が減る云々が理由のように言われたりしますが、自分たちの行為で動物に危害が及べば、それが全て自分たちに帰ってきてしまい、ワクチンによる売り上げなど簡単に飛んでしまう事くらいはどんなにアホな獣医師でも分かっています(多分…)。

 

実際は、どのような接種プログラムが動物にとってより安全なのかを、理論と現場の状況をすり合わせながら真剣に考えている(迷っている?悩んでいる?)時期というのが正しいように思えます。

趨勢が大きく変化するには、時間はもちろん、それに加えてもう少し大きなブレイクスルー要因が必要でしょう。

 

 

ここで、抗体価検査の話に戻ります。ようやく(笑

病院で簡単に、かつ手が届きやすい費用で抗体検査が出来るということは、こうした現場(飼主様も獣医師も含めて)の迷いに対する一筋の光明となるように思います。

ワクチネーションが必要か否かを個体レベルではっきりと知る事が出来るので、その結果を踏まえて選択すれば誤らずに済みますので。
 

もちろん、抗体検査をした結果、抗体価が低くなっていればワクチンの接種もする必要がありますので、多少割高にはなります。

しかし、より少ないリスクでワンちゃんの健康管理をしてあげられる事を考えれば、気にならない程度なのではないでしょうか。
(ここに料金を書いてしまうと、何故か一部からクレームが来るので書けません。お手数ですが、料金は直接当院にお問い合わせ下さい。)


伝染病予防の重要性は理解しているものの、毎年の接種には疑問を感じているという方は、是非ご相談下さい。


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最近、出来るだけポリティカルなコメントは避けようとしている。
色々と思うことはあるが、私が、ここで、言うべき事でもないと思っているからだ。
しかし、思う所あって、今日は敢えて少しだけ政治的な話を絡めることにする。

古くから、ほとんどの戦争は、当時の庶民たちにしてみたら悲劇以外の何物でもなかった。
しかし、当事者意識が薄まるにつれ、いつの間にか戦争を引き起こした大量虐殺者たちの物語は、施政者たちに都合の良い下らない英雄譚に形を変えて来た。
戦国時代の話などはその典型である。
しかし、まだ記憶や記録に触れやすく、少し想像力を駆使すれば、当時の痛みがまだ生々しく感じられそうな第2次大戦においてすらそうである。
情けない事に、当事者の痛みを強制的に隠し、施政者が歴史の業を背負わないで済ますための馬鹿みたいな英雄譚のなんと多い事か。
 
自然災害もそうだ。
やはり、多くの伝承に残っているはずの情報はいつの間にか現実感と当事者意識が消失してしまっている事が多いようだ。
これはやはり施政者たちの責任回避のご都合主義と、時間的空間的な移行に伴う当事者意識の喪失によるものと考えて良い。
例え、それが施政者の意図した物にせよ、単に彼らが無能であるにせよである。
 
そう、どちらにも共通して言える事は、過去の事象は時間の経過とともに風化するという事だ。
記憶から消えてしまう事もあれば、残るにしても、違うものに形を変えてしまう事もある。
 
 
なぜこのような話をするかというと、この程、安倍内閣は「一定の節目を超えた」として、震災以来、毎年3月11日に行われてきた会見を止めるという政府の方針を発表したからである。
 
たった6年である。
しかも、被災地において、復興など未だ半ばにも至っておらず、現地にいる人々や避難している人々の間では、未だ様々な痛みと苦しみが存在している現況においてである。
それも、遠い異国の話などではなく、首都から新幹線で数時間の距離で今現在起こっている出来事を尻目に、国家のすべてに責任を負うべき施政者たちは、早くも「節目」という適当なご都合主事により、極めて冷酷な形式主義を発動させようとしているのだ。
 
前述したとおり、記憶は風化する。
日本の政治文化は痛みを意図的に風化させる、あるいは風化を待つ文化である。
歴史を通した責任を負わず、負おうとする努力の必要性すらも考えず、自然に、あるいは強制的に風化させようとする。
戦争にせよ、災害にせよ、本来ならばその時の施政者の追うべき業を、そして果たし続けるべき責任を歴史の中に置いて来ようとする。
 
 
そうした風化の過程において、悲劇でさえ、格好良い英雄譚や、更にはメロドラマに変わって、あるいは変えられてしまう。
時に完全に末梢されることさえある。
 
風化させてはならない物は、当事者意識を維持するための強い意思をもって風化させないための努力を継続しなくてはならない。
戦争にせよ、自然災害にせよ、その他の記憶と伝承に値する出来事にせよ、それは必要だろう。
これは草の根的にではなく、国家レベルの責務としても、強い意思をもって行うべき事ではないかと思う。
 
こうした事象の記憶を風化させる方向に国家が動いているとしたら、それは施政者たちの慢心であり、自らの保身を図るための責任回避の結果であり、国家としての欺瞞と脆弱さを露呈してしまっている事になる。
 
東日本大震災の痛みは絶対に風化させてはならない。
戦争の記憶などと同様に、国民的、国家的な最大の努力をもって、その痛みを記憶に留めなくてはならない。

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巷説されている通り、小沢健二の新譜が発売された。
最後のシングルから約19年、最後のアルバムからは約11年の時を経ている。




詩的な世界で生命のポジティヴィティーを表した隠れた名盤「犬は吠えるがキャラバンはすすむ」、日常の中で否応が無しに溢れ出すラブソングを見事に紡ぎ出した不朽の名作「LIFE」、心境や生活の変化から突然発売中止となった「甘夏組曲(仮名)」(ライブで一部披露されたのみ…)、世界をより俯瞰した位置からジャズで奏で、それ以前との分断を静かに示した「球体の奏でる音楽」、自分と世界をオブラートで包み込み、達観したかのように幻想的な再構築を見せた「Eclectic」、削ぎ落とせるモノは全て削ぎ落とし、確実に必要と思われる音のみで語ろうとしたインストアルバム「毎日の環境学」…。
こうした流れを経て、どれだけ遠い世界を小沢健二は歩いているのだろうと思っていた。ずっと考えていた。

しかし、この新譜が示すのが、彼の現在であり、彼の日常から紡いだ世界なのだとすると、随分と遠回りして生命や生活という原点に戻ってきたのだなと思わざるを得ない。

いや、ひょっとすると、背伸びばかりして格好を付けていた小沢健二は、ようやく自然な状態で過去の小沢健二が語っていた世界にたどり着いたのかも知れない。
現実感を伴ったソフトランディングという形で。
そんな感慨を抱かせる一枚だ。

敢えて曲や全体の良し悪しは語るまい。
逆に、そんな事はどうでもいいのだ。
自分もまた、そのような現在を自然体で楽しめるようになっている一人なのだから。
今はただ、今の小沢健二を自然に受け止めよう。


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動物が発熱し、その症状が長期に渡っていると、多くの飼い主さんたちがおそらく、
「うちの子、何かしつこい感染症に掛かったかな?」
と思われるのではないでしょうか。
 
確かに感染症による発熱は少なくありません。
人のデータによると、感染症による発熱は全体の約30~40%との事ですが、動物でもほぼ同様の割合で、感染症が原因不明の発熱を引き起こしていると言われます。
犬の場合、心内膜炎、腎盂腎炎、前立腺炎、子宮蓄膿症、膿胸などが、猫では、猫エイズ、白血病ウイルス、伝染性腹膜炎などが原因としてしばしばみられます。
 
しかし、3~4割という事は、残りの6~7割は感染症ではないという事になりますよね。
では感染症以外に何が原因になるのでしょうか?
 
 
その前に、発熱がどのように起こるか概略を説明しなければなりません。
まず、発熱するためには、最初の引き金となる「発熱因子」が無くてはなりません。
これが、体内の免疫系を刺激してサイトカイン類を放出すると、それらが脳内の血管内皮に作用してプロスタグランジン類を合成します。
プロスタグランジンは脳の温度中枢のセットポイントを上昇させます。
そして、それにより交感神経系、運動神経系が活性化され、末梢の体温が上昇します。
ということは、発熱因子があれば、感染症では無くても発熱は起こるという事になります。
 
この発熱因子の放出を刺激する物の一つに免疫複合体が挙げられます。
これは免疫介在性疾患の多くで形成されます。
例えば、多発性関節炎、関節リウマチ、全身性紅斑性狼瘡(エリテマトーデス)などの自己免疫疾患がしつこい発熱を引き起こす事は少なくありません。
 
もう一つ考えられるのは新生物、つまり腫瘍です。
高齢の子に多い疾患ですが、動物の寿命が伸びている昨今では重要な原因と考えねばなりません。
 
最後にもう一つ、薬剤の影響も考慮すべきでしょう。
薬の中には、それ自体が発熱因子として働き、熱を誘発するものが有ります。
これは原因として除外しやすいため、発熱が見られた場合、今現在使用している薬剤の副作用に発熱があるか否かは最初に確認しておかねばなりません。
 
このように多様な原因を抱えていますので、発熱が続く場合、様々な検査をそれ相応の時間と費用を掛けて行うことになってしまいます。
血液検査やレントゲン、超音波検査などはもちろんの事、リンパ節検査、糞便検査、尿検査、神経学的検査などを実施し、関節に腫脹や疼痛があれば、関節穿刺、抗核抗体、リウマチ因子の検査などを加えるべきでしょう。
場合によっては骨髄検査や各種生検を実施する必要もあります。
 
 
発熱の原因は多様です。
原因追求するためには、しっかりと本腰を入れる必要が有ります。
ただし、しっかりと筋道を立てて追求して行けば、原因不明の発熱の多くは明らかになってくれるものです(※)。
 
長期に渡り慢性的な発熱が続き、解熱剤で誤魔化し続けたり、感染症と決めつけて抗生物質の投与しかしていないようなケースを診ることがあります。
こうした場合、一度、診断の基本に立ち返ってみてもよいのではないでしょうか。
 
※もちろん、全てが解明されるワケではありません。どんなにしっかり検査しても約5~15%は原因不明の発熱としか仮診断出来ないといいます。

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今日はある虫の話をさせていただく。
私の業務とは直接は関係無い上、個人的には虫を見て可愛いとは思わない。
今まで飼ったことがあるのは、カブトムシやクワガタくらいである。
(余談だが、食べたことがあるのはイナゴくらいである。)
だが、彼らとて同じ生命であり、実は生物学的には興味がそそられる。
この複雑な心理をご理解いただくのは中々難しいのだが、興味があるというのは決して好きという感情だけでは解決できないものである事をご理解いただければ、少しは分かっていただけるのではなかろうか。
 
マルハナバチというハチをご存知だろうか?
クマバチに似たハチで、ずんぐりした体型に比較的小さな翅が生えており、空を飛んでるのが不思議な体型をした昆虫である(実はこうしたバランスの悪そうな昆虫は他にもいくらか存在する)。
 
実際、このハチは航空力学的には飛べないと断定せざるを得ないバランスであるそうで、過去には「理論上飛べないはずなのに、実際は飛んでいる奇跡の虫」と考えられ、「飛べると信じているから、一生懸命翅を動かして、実際に飛べている」などと言われていた。
そして、自信を持つこと、諦めないこと、前向きになることの大切さを理解させるために、しばしば引き合いに出された昆虫なのだ。
 
そのようなスピリチュアルな意味合いで人類に貢献してきたマルハナバチではあるが、現在では科学的知見もアップデートされ、理論上飛べないとは考えられていない。
当然である。
だって実際に飛べているのだから。
そして、飛べているだけではなく、アクロバット的な飛行もするし、某国の作る飛行機オスプレイなんかより余程上手に空中静止が出来たりする。
当然、そこには何らかの飛べる仕組みがあるのだ。
それが科学的な考え方。
 
実は昆虫の空を飛ぶシステムは、航空力学では説明出来ない。
飛行機が空に浮き上がる原理は、翼の下面の気圧より上面の気圧が小さくする事により上下の圧較差を作り、それにより浮き上がるという物。
しかし、昆虫の飛び方をイメージしていただきたい。
飛行機や滑空する際の鳥などと違い、昆虫は忙しく翅を羽ばたかせているのだ。
この際に何が重要となってくるかというと、流体の粘度なのだ。
 
流体のような眼に見えない物に粘度があるということ自体、あまり想像に容易ではないだろうが、実はこの粘度、身体の大きな物体にはあまり影響しない。
つまり身体の大きな飛行機はほとんど粘度の影響を受けずにいるが、昆虫のような小さな飛翔物体は大きく影響を受ける。
 
簡単に言ってしまえば、飛行機がサラッとした流体の中に浮かんでいるのに対し、昆虫は流体の海のようなところに浮かんでいるような感じである。
そしてその海の中で翅を上下したり、回転したりする事で、渦を作ったり、渦を掴んだりしつつ、その渦のエネルギーを上昇する力に変換している。
そしてそれにより、航空力学では説明が出来なかった、プラスの力を得ることができている。
 
航空力学の専門家に飛べないはずだと言われたマルハナバチも、このようにして空を飛ぶのに十分といえる飛翔力を得ているのだ。
 
この事は二つの意味で示唆的である。
 
ひとつは説明のつかない未知の事象に対する物事の考え方。
スピリチュアルな話の材料にしていた一部の人々が科学的な思考が出来ていないという事を愚弄したいわけではなく、むしろ逆である。
もちろん科学的思考は重要である。
だが、専門家ではない人々が未知の事象を前にした時に、どのような態度で物事を把握し、取り込み、消化し、自らに取り込んでいくかという事を考える時、自らのポジティビティとして活かそうとする姿勢は非常に好ましく思うのだ。
そして、それが科学的に解明された時に、それまでの自らの無知を恥じるのではなく、真摯に事実に向き合い、新たな知見として別角度から自らのポジティビティに変換すれば良いだけの話である。
 
もう一つは結果的に「飛翔」という同じ事実のように見えているとしても、そこに至るまでのプロセスは様々だということ。
結果的にみて、飛行機にしろ、コウモリにしろ、鳥にしろ、昆虫にしろ、空を飛んでいる。
そして、その背後には結果しか見ていない者からは想像も出来ないような、個性であり、独創性であり、工夫であり、鋭意努力であり、そしてそれぞれにたゆまぬ歴史の積み重ねがある。
どれが良くてどれが駄目という事ではない。
何れのその理屈も過程も素晴らしい。
 
物事を評価する際に、結果を一列に並べて評価しなければならない場面はある。
私も経営者なので、そういう事はしばしばある。
しかし、その時少し心に余裕を持ち、その結果に至ったそれぞれの努力の積み重ねにしっかりと目を配り、それぞれの個性や持ち味で評価できるような、そうした余裕を保ちたい。
そうすることで、数字などでは計り知れない懐の深さや、双方の関係や信頼の盤石さが、評価する方にも、評価される方にも生まれるように思う。
 
たかがハチの話で考え過ぎだろうか?

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診療の際に動物を眼の前にして、最も気をつけていることの一つは、医療者として診療対象に対して如何にフェアさを保ちつつ接する事が出来るかという事だ。

 

この両者の関係はもちろん平等な関係とはなり得ない事は誰しも直感的に分かると思われるが、だからと言って相互の対等さは無効であるということにはならない。

 

医療現場において、医療を与える側と医療を受ける側という関係は、医療というものを物体に対する技能的な作業としてみてしまうと、その交通は一方向的に流れざるを得ず、それにより両者の間のアンフェアさは明瞭となってしまう。

言葉の通じない動物を相手にする獣医療の場合、その傾向は尚更明確であろう。

 

しかし、医療にせよ獣医療にせよ、その扱っている対象は単なる物体ではない。

また我々が供給するものは単なる知識や技術ではない。

我々は決して命のエンジニアなどではないのだ。

 

生命という未だ真理の定まらぬ存在を扱う対象として認識し、それに対して未だ不完全ともいえる知識や技術を介して向き合っている以上、その態度は常に謙虚かつ慎重、そしてある意味留保的であるべきであろう。

 

ましてや、その個体に固有の性質があり、背景にある生活があり、社会があり、飼い主の価値観があり、動物と飼い主の間の関係性があり、そして獣医療や獣医師に対して求める物が各々で違ってくる以上は、その対象には自然科学的な視線のみならず、人文科学的な思考も用いて接する必要があるのではなかろうか。

そしてそれにより初めて、相互の対等性が担保されるのではなかろうか。

 

考え続け、未だ正解にはたどり着かないが、そんな事を考えつつ日々の診療をしている。


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1月12日(木)は獣医師会の行事のため、午後は休診とさせていただきます。

継続の内服薬、フード、サプリメント類はお出しできますが、病院は閉まっていますので、必ず事前にご連絡下さい。

お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします。


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2016年もあと一日と一寸。

一年間、大変お世話になりました。

 

色々あって無茶な減量をしたり、これまた色々あり過ぎて突然ボウズになったり、ある決断から久しぶりのスタッフの入れ替わりがあったり、起伏の激しい一年でしたが、それなりに楽しくかつ幸せに感じられてるのは、心を支えて下さる人々がおり、尚且つ、自分の好きな事を生業にできているからだと思います。

 

これはつまり、頼って下さるクライアントの皆様、軽快かつ真摯に対応して下さる取引先の営業の方々、慕ってくれる友人連中、のおかげです。

心より感謝いたします。

 

私のようなマイペースな人間でも、必要として下さる方が一人でもいて下さる限り、粉骨砕身、獣医道を邁進して行くつもりです。

よろしくお願いいたします。

 

ブログをなかなか更新できず、申し訳ございません。

年明けは、また少し書き始めようかと思っていますので、あまり期待しない程度でお待ちください。

 

さて、当院の年末年始の予定ですが、

2016年12月31日(土)~2017年1月4日(水)の間、休診とさせていただきます。

 

このところ電通以上の過労状態が続いておりましたので(開業獣医なんて誰でもそんな状態ですよね…皆さん頑張りましょうね!)、年末年始でしっかりと(?)休養をとらせていただきます。

よろしくお願いいたします。

 

皆様、素敵な新年をお迎えください。

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