遠回り 〜小沢健二「流動体について」を聴いて〜 | Useless Monologue

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小動物獣医師(フリッパー動物病院@神奈川県逗子市)による日々の雑感覚書。

巷説されている通り、小沢健二の新譜が発売された。
最後のシングルから約19年、最後のアルバムからは約11年の時を経ている。




詩的な世界で生命のポジティヴィティーを表した隠れた名盤「犬は吠えるがキャラバンはすすむ」、日常の中で否応が無しに溢れ出すラブソングを見事に紡ぎ出した不朽の名作「LIFE」、心境や生活の変化から突然発売中止となった「甘夏組曲(仮名)」(ライブで一部披露されたのみ…)、世界をより俯瞰した位置からジャズで奏で、それ以前との分断を静かに示した「球体の奏でる音楽」、自分と世界をオブラートで包み込み、達観したかのように幻想的な再構築を見せた「Eclectic」、削ぎ落とせるモノは全て削ぎ落とし、確実に必要と思われる音のみで語ろうとしたインストアルバム「毎日の環境学」…。
こうした流れを経て、どれだけ遠い世界を小沢健二は歩いているのだろうと思っていた。ずっと考えていた。

しかし、この新譜が示すのが、彼の現在であり、彼の日常から紡いだ世界なのだとすると、随分と遠回りして生命や生活という原点に戻ってきたのだなと思わざるを得ない。

いや、ひょっとすると、背伸びばかりして格好を付けていた小沢健二は、ようやく自然な状態で過去の小沢健二が語っていた世界にたどり着いたのかも知れない。
現実感を伴ったソフトランディングという形で。
そんな感慨を抱かせる一枚だ。

敢えて曲や全体の良し悪しは語るまい。
逆に、そんな事はどうでもいいのだ。
自分もまた、そのような現在を自然体で楽しめるようになっている一人なのだから。
今はただ、今の小沢健二を自然に受け止めよう。