こんにちは。あさのちづこです。
お誕生日の日は、ホンマルラジオ大阪にて
本気の想いを本音で語ってきました。
今年の初め、パーソナリティの薫さんに
ラジオ出演を提案していただいたとき、
家族でインフルエンザにかかっていた私は、
「体調が戻ったら是非お願いします!」と
二つ返事で快諾させてもらいました。
ところが、一向に体調が元に戻らず、そのうちだんだんと心が引っ張られていきました。
気づけば家族に心配される程に、すっかり気持ちが落ちていて、私はまさかこんなに心が落ちるなんてことは、もう起こらないはずだと思っていたので、すっかり動揺してしまいました。
こんなはずない!私はもうすっかり乗り越えたはずなのに。
なんで、またこんなことになるの?
自分を責めるように、自分自身に問うていました。
ふと、私は何も変わってないことに気づきました。
自分の心の状態を「こんなはずない!」と否定し続けた結果、何年もうつの深い闇の中で苦しむことになったのに、結局また同じことをしようとしていると。
今度こそ、もう
自分の心の声を無視するのはやめよう
そう思いました。
これまで、深い軽いに関わらず、うつ状態やそう状態を何度も繰り返し経験してきた私は、そういった自分の中の乱れたバランスを整える為に、有効な事を体感として心得てきたので、それに従うことにしました。
一つ目は
・本当にしないといけない事以外は、一旦全部手放す
具体的には
●栄養を摂ること
●休息すること
●心を満たすこと
以外のことを、一旦やめました。
ありがたい事に、私にとっては、仕事も家事もそれをやめたところで、死に関わることでもなかったので、それも休み休み行うことにしました。
家事をやめることは、確かに家族には迷惑がかかるけど、そもそも元々完璧にできていたわけでもなかったので、所詮程度の問題かと割り切ってしまいました。
大樹は「そんな事よりも、ちづが楽に過ごしてくれている事の方が、よっぽど嬉しいから」、荒れ果てたキッチンを見ても驚いた顔一つせず、黙々と片付けをしてくれました。
クライアントさんにも、正直に自分の状態を話すと、誰もそれを咎めることはありませんでした。むしろ、みな「ちづさん、ゆっくりしなきゃ!」と私のことを逆に気遣ってくださいました。
この時、私は心のどこかにあった「心身の健康のプロなのに、心身のバランスを崩してはいけない」という思いが、単なる思い上がりに過ぎないことに気づき、その考えを棄てました。
ー 誰だって、心身のバランスが崩れることはある。
プロはそれをどう乗り越えていくかを他の人より少し多く知っているだけ ー
二つ目は
・自然に還る
私たちは、そもそも宇宙という大自然の中に生まれた生き物。
自然から切り離された中で、心を十分に癒やし、満たそうとすること、健康を手に入れようとすることはとても不自然であり、そもそも無理のある考え方だということを知りました。
人や自然から隔離された暗い病棟の中で、ただ与えられた薬を呑み続けても、自分自身が癒されることなど、少なくとも私には起こり得なかったのです。
あれは、例えていうなら自分というコップから溢れ出す水の如く、抑えきれなくなった感情を、一旦鎮めるためにあるもの。
氾濫が鎮まったら、コップに溜まった水は
自分自身で出していくことが大切で、それは残念ながら、病院を含め他の誰にも代わってあげることができない事なのです。
自然に還ることは、まさにコップに溜まった水を自分自身で出す為にできることの一つでした。
休みの日は家族と共に、とにかく自然と一体になれる場所に行き、新鮮な空気を吸い、太陽の光を浴び、鳥のさえずりを聴き、流れ行く雲や空の景色をただぼーっと眺めていました。
自分は自然から切り離された存在ではなく、そもそも自然の一部であるということを体で感じ、そのことを思い出していました。
そうすると、目の前の自然と同じように、私という存在も、ただありのままに存在しているだけに過ぎないということに、全身で気づき始めるのです。
頭の中にぐるぐると回り続ける思考は、そもそも私そのものではない事に気付いた時、私はコップの中の水をそっと自分の外に流し出すことができました。
三つ目は
・身体と感情が動くことに挑戦してみる
死に直面したとき、死ぬという事は物質面における全てが止まってしまう事だと感じました。
瓦礫の中で、息が耐えそうになりながら、もがいていた苦しみも
それまでの家族との何気ない会話も
楽しみにしていたゴールデンウィークのプランも
私の中を流れている血液も、心臓の拍動も、死ぬという事は、それらが全てストップしてしまうこと。
死ぬこと=止まること
だとすると、
生きているということは、動いているということ。
身体も、感情も、動くのは生きているからこそ
で、この動くという経験こそが、今確かに生きているこの人生を、より味わい深いものへと変えてくれる。
ネガティブな感情さえも、生きているからこそ味わえる喜びであることを知りました。
大樹は、私の身体と感情が動くことに、とことん付き合ってくれました。
原っぱが広がる公園でサッカーをした時は、
大樹めがけて、渾身の力を込めてボールを蹴りました。
ボロボロに折れた方の脚をこんな風に使うことなど、もう何年もなかったけど、思いのほかパワーが出たことに驚きました。
たいくんの寝かしつけを母にお願いし、2人で卓球をしに出かけたときは
「絶対大樹に勝つ!」と、意味もなく闘争心が湧き上がり、大汗を流しながら、目の前のピンポン玉に意識を集中していました。
ピンポン玉が私と大樹の間を行き来する度、私と大樹の心が一つになって、最後は同時に「これくらいにしといたろか!」と言い放ち、2人で笑いながら家路に着きました。
心の中のモヤモヤは、汗と笑いと共にすっかり流れ出し、心地よい疲労感と大樹の何気ない優しさが、私の心を満たしてくれていました。
この他にも、もう少しいろいろと知恵があるのですが、こうして少しずつ少しずつ、もう一度浮上したくなる日まで、ただひたすら自分を癒し続けたのです。
そしてもうすっかり自分を偽ることなく、ありのままを話せる自分に還っていた私は、記念すべきお誕生日の日に薫さんに逢いにいくことにしたのです。
前置きがとっても長くなりましたが、そんなこんなでのラジオです。
こんな事を書いたのは、ラジオの中で「今、少し生きづらさを感じている人にメッセージはありますか?」と聞かれたとき、あまり多くを語れなかったからです。
お世辞にもおしゃべりが上手だとは言えない私ですか、上っ面の言葉ではなく、薫さんと私の言葉の奥にあるエネルギー(言霊)を感じ取ってもらえると嬉しいです。
またこの投稿をシェアしていただけると、とっても嬉しいです!よろしくお願いいたします💕
↓こちらをクリックして私の声を聴いてください✨
今日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございます😊💕
こちらの講演会は、満席となりました。お申込みいただいた皆さま、お逢いできることを楽しみにしています。
またこの案内をシェアしてくださった皆さま、本当にありがとうございました😊