昭和から平成初期にかけて起きた日本のバブルとは何かを知るためには参考になる本だ。
同時に永野健二著「バブル・日本迷走の原点」(新潮社)も一緒に読むと、より1980年からバブル崩壊までの日本経済の歴史が良くわかる。
平成入社の人達はバブルを実体験として知らない。
しかし、又、どこかでバブルは起きる。
戦争と同じで人間は過去の反省を何十年もすると忘れてしまう。
さて、國重惇史氏のこの本の感想に話を戻そう。
実は、今から10年程前に、武富士の創業者、故武井保雄氏の追悼集を当社でお手伝いする時に國重氏に私は会っている。
当時は楽天の副社長の肩書であったと記憶しているが、終わった人の追悼集を作って何の意味があるのか的な事を言われたのを覚えている。
大手銀行のサラリーマン重役経験者にありがちな利益にならない話には非常に冷たい人だなと感じた。
義理・人情とは対極にいる人だと思っていた國重氏がどんな本を書かれたのかと思い、今回読んで見た。
結論から言うと、こうした内容を本にすべきではない。
理由は全て一対一の信頼関係の中で会話したものであり、後日こうした形で世に出すことを前提に相手も話をしていない。
当然のことながら前後に色々な状況もあり会話もあるはず。
断片的な國重氏のメモだけで70名近くの登場人物を評するのは、あまりに一方的であり國重氏の人間性を疑う。
特に亡くなられた方もおり、反論したくても反論できない状況での、こうした出版はいかがなものかと私は思う。
イトマン事件も國重氏がいたからこのようにうまくいったという話でも何でもない。
限られた日本の国土の中での土地を担保とした銀行と事業会社の関係が1980年代のバブルを生んだのだ。
企業所有の土地は、簿外の時価資産として蓄積され担保力を増していく。
又、事業会社による含み益に銀行は金を貸し、株高と土地高を更に加速させたのである。
バブル当時、私も野村證券の一番の稼ぎ頭として月に6億円以上の手数料を上げていたが、それは野村のシナリオの「ウォーターフロント開発の話」であり、まさに会社の価値を収益でなく、Qレシオという含み資産までも計算した形で価値を算出し、高株価を作り出していた。
又、金銭信託を活用し、特金・ファントラをリスクのないオフバランス商品として、どんどん増やしていったのも当時の会計処理の盲点を突いていた。
1985年のプラザ合意後の円高に耐える経済構造を作るために低金利政策は続き、財テクによる株高・土地高が生まれたのである。
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