断片の集積 -28ページ目

断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

今日は書きたいことがたくさんあったのに、エストニア人の女に延々とモノポリーに付き合わされた結果、すべて忘れた。


ほんとは覚えているけれど、今日は活動開始がものすごく早かったし、明日は今日以上に早起きしなければならないので、今日は覚え書き程度で、いつか時間があって覚えていたらちゃんと書く。


ひとつ。設計課題は去年までと敷地が全く異なっている。


ふたつ。リスボンでは理不尽なことはしばしば起こる。でも親切な人も同様にたくさんいる。どんなことがあっても広い心をもって、かりかりせずに生きなければならない。なんせここは寛容の都市リスボンなのだから。


みっつ。良い建築を見ると、わくわくして、いやなことなどすべて忘れてしまう。特に、今日はぼくにとってある意味原点ともいえる建築を見たので、テンションがものすごく上がっていた。良い建築や、良い絵画、良い音楽やよい小説は人の心を揺さぶり、同時に落ち着けることができる。


これが今日の覚え書きです。詳しくはまた。でも明日はパーティーだから、無理かもしれない。やはり今日の感情は今日のうちに綴るのがベストですね。でも、寝ます。もう深夜の3:45で、明日は6;45起きなので。明日こそは無事にバスカードができますように。

今日はじめてコエーリョにあった。親切だった。基本的に僕らがポルトガルでとらなければならない授業は設計スタジオだけで、その他のものもとってよいというので、オプションでデッサンの授業をとろうかというくらいである。設計については明日と明後日でコエーリョと共にスタジオをまわって、どのスタジオをとるかを決めればよいとのこと。まあ希望が通るのかはわからないが。


今は本当に純粋に設計ができることがうれしい。大学院になって以来、まともに設計をしていない(時間の合間を縫ってコンペに出したりはしていたが、完全に消化不良)し、日本にいたときに直面していた煩わしい研究室・その他の雑務もない。素直に設計に取り組めることが本当にうれしい。早く設計したくてうずうずしている。詳細図面だって書くよ!


この気持ちが、日本に帰る時も続いていたら、「設計楽しいな」って強く思いながら日本に向かうとしたら、それは今後のぼくの進む道を大きく決定づける気がする。逆に設計に疲弊して日本に帰るとしたら … その後僕はどうするのだろう。


まあ、先のことはよい。まずスタジオを決め、週末のパーティーを思いっきり楽しんで、「はやく設計したい」ってわくわくしながら来週を迎えよう。それが第一だ。


今日はポルトガル語の動詞の活用、疑問詩、接続詞、所有詩、指示詞を紙にまとめ、ベッドの上に貼った。本当にこんなに主体的に言語を学んでいるのは初めてだ。

急遽、コエーリョとのミーティングが明日に変わったので、今日は3人でベレン地区に行ってきた。ジェロニモス修道院やベレンの塔、発見のモニュメントなどを見て回った。どこも入場料がとられるのだけれど、学生だとただというのが素晴らしい。それに加えて、なぜか今日はバスもただという奇跡的な日。


どこもよかったけれど、ジェロニモス修道院は素晴らしかった。圧倒的。でも、ベレンは完全に観光地化していて、観光客がたくさんいて、それは残念だったけど。ブログを書いていていつも思うことなのだけれど、(古いカテドラルにのみ当てはまるのだけれど)空間が圧倒的すぎると、ただ、もう圧倒的で、言葉ではすごいとしか表現できない。あのすごい空間を表現する言葉を僕は持っていない。ひとつだけ言えることは、中世や近世のヨーロッパに、もしも僕が住んでいたら、間違いなくキリスト教を信じていただろうということ。だって、あの空間を当時の世において体験したら、「神は存在する」って思うでしょう。

その後、さんざん本屋で遊んで、スーパーで肉を買って帰ってきた。そして、カレー風味のうまいスープとパンをたらふく食べ、ペソアの詩集を訳す。ペソアの詩自体がたぶん難しいから、ポルトガル語を訳せても、うまく詩的に理解するのは難しい。 でも少しずつポルトガル語の文の構造がわかってきた。ポルトガルに来てからこんなこと言ってて良いのだろうかともちょっと思うけど。そんなの留学が決まった時点で、日本で覚えてこいよって話だよね。でももう仕方がない。今からが勝負だ。でも、こんなに主体的に外国語を学ぼうとしているのは初めてだと思う。その事実は素晴らしいと思うんだけど…だれも認めてくれないよね?笑

そうそう、今日、別の大学のいっこ下の友達から大学院に受かったて言ううれしいメールが届いた。本当によかった。すごいなあって素直に思う。彼女は設計という道にベクトルが決まりつつあるようだ。僕はどうしようか、と悩む。設計をやっていきたい気持ちもあるし、設計をやるならやっぱり、とりあえずアトリエに就職だと思うけど(ゼネコン設計部ってのはどうもねえ)、小さな世界の中でやっていてよいのかってのはある。あと、アトリエで頑張っていけるのかってのもある。やがては愛する誰かを養っていく必要性も生まれてくるんだろうしね。まあ最終的には自分を信じて、自分のやりたいことをやるしかないよね。なあなあにはなりたくない。もうどうしようもなくなるまではいろんなことにこだわっていきたいもの。

とりあえず、明日何が待っているのだろう。遠い未来も大事だけれど、その未来を決めることになるかもしれない、目先の一つ一つのことにベストを尽くしてこなしていこう!

あと、深夜に寮のポルトガル人と楽しい話をした。パーティーにも誘われた。いいことがたくさんおきますように。

ベレンの写真(ほとんどジェロニモス修道院だけど)を載せておく。本当に圧倒的だ。あと、感覚的にはベレンはもう海です。潮の満ち引きもあるし。だから発見のモニュメントや船の監視のためのベレンの塔がそこにあるんでしょう。今日は日が沈んでからも暖かいほどで、日中はものすごい太陽光でした。


断片の集積

断片の集積

断片の集積

断片の集積

ポルトの写真を残しておきます。



断片の集積

アズレージョで覆われた美しいカルモ教会。ポルトについて最初に見た教会。きれい。



断片の集積

ポルトの町並みを教会の塔の上から。ポルトで最大(?たぶん)のカテドラルと対岸に修道院が見えている。



断片の集積

ポルト、夕暮れの水際。夕日に染まる空が美しい。



断片の集積

カーサ・ダ・ムジカ


断片の集積

でかい。


ほかにもたくさんよい写真があったけれど、ポルトらしい写真を残しておく。あとで見返したときに、ポルト行ったなぁ~ よかったよなぁ~ って思い返せることが大事だから。そして、自分にとって特別な写真は、ここには載せたくはないし  自分の中にとどめておきたいから。 あまのじゃくだよね。良いものは、「ねえねえ、この写真良くない?」って素直に載せればよいのに。


今日は、ふらふらと適当に過ごした。と言っても結構歩いたのだけれど。 ステーキを作って米を炊いて食ったり、スペイン土産のワインを飲んだりした。みんなであーだこーだ言いながら料理を作るのは楽しい。僕のつたない料理技術でも何とかやっていけそう。


それから、これがメイントピックなんだけれど、本屋でペソアの詩集を買った。吉田修一の「7月24日通り」によってペソアのことを知って以来、ずっと読みたいと思っていたのだが、日本ではうまい具合に手に入らず、読まずじまいだった。そして、リスボンにきて買った。ポルトガル語の上達のために頑張って原語でペソアを読もうと買ってみたのだけれど、まあ、わからないよね笑  辞書と文法集を片手に格闘してみたけれど、難しい。来年、日本に帰るまでには必ず読めるようにしなくては。できれば3冊くらい読破してから帰りたいなぁ。頑張らなくては。


明日はコエーリョに初めて会う。徐々に僕らのこれからの生活の形が見えてくるのだろう。


今日はシロップが流れている。「昨日より今日が素晴らしい日なんて わかってる そんなこと当たり前のことさ」 すごく良いよね。「ただ何かいいなって空気があって 一度にそんな 幸せなんか 手に入るなんて思っていない 遠回りしていこう」  院試のときにずっとこの歌を心の支えにして、口ずさみながら頑張っていたな。 昨日より今日は素晴らしいのだから、ちょっとずつ成長していけばいいんだから、大丈夫だからって自分に言い聞かせていた。 留学中もつらい局面に出会ったら、この曲を心の中で歌って頑張っていこうと思った。


できることなら、日本から完全に切り放されて、日本の曲も忘れていたいけれどね。

授業が始まる前にということで、一泊でポルトまで行ってきた。


今、帰ってきたのだけれど、夢みたいだった。あっという間に過ぎてしまった。帰りのバスの中、眠りに落ちて、目が覚めた時、まだ行きのバスの中で、やけにリアルなポルトの夢を見たのかと感じた。それくらいあっという間に行って帰ってきてしまった。でも隣に、親切でスタイルの良い、美しい女の子はいなかった。行きのバスではその子が隣で、美しさよりも何よりも、優しさに心打たれていた。ポルトの旅はいいものになるぞという予感をさせてくれた。


ポルトでは一日目に、幾つものカテドラルや街並みを散策した。ひとつ、装飾がものすごい、息をのむカテドラルがあった。サン・フランシスコ教会というのだけれど、内部がターリャ・ドウラーダ(金泥木彫)という装飾で埋め尽くされていた。これは組積造の構造の表面を覆うように木彫がなされており、そのほとんどの部分が金色に塗られているというもの。ポルトガルの繁栄の象徴を見たようだった。本当に恐ろしいまでの装飾だったけれど、決して装飾過多という嫌な印象は受けなかった。金色が時を経て抑えられた色になっていたからだと思う。その教会に「写真も撮るな、ビデオも禁止、触らないで、ただあなたの目だけを使って、見て、感じてください」と書いてあった(英語で)。本当にその通りだと思う。写真を撮れると、つい、写真を撮ってしまうけれど、写真じゃ本当の色や、その時感じたものは伝えられない。旅行をして、写真を撮ることが目的になってしまってはつまらないと思う。だから、僕は写真には凝らない。ただ記録程度に撮るだけだ。記録程度には取る理由は、あとから見返して、思い出す作業(特に建築ではおさまりとかディーテイルがどうなっているかとかは何度も見返す必要がある)も重要だと思っているからである。 いずれにしろ、この教会の装飾はその場に行かなければ感じられない。でも、その空間に入った瞬間に圧倒されるのは確かだ。ポルトを訪れた時は(その機会はこれから何度かあると思う)何度だって、ここに行って感じなければ。ポルトガルの富と、キリストの偉大さ、構想した作者の想像力と実現させた技術者の努力を。


夜は水辺をふらふらして、バールみたいなところでワインと魚のリゾットみたいなものを安く食べ、老夫婦が経営しているホテルへ。三つ星で割と良い部屋で、二人部屋一泊たったの35ユーロ。やすい! でも交渉すれば30になったと思われるけど。このホテルは日本人旅行者の大半が持っていると思われる有名ガイドブックに載っている。


今日はコールハース(OMA)設計のカーサ・ダ・ムジカとシザの近代美術館、集合住宅に行った。すべての場所でいろいろな発見があった。特にカーサ~は面白かった。解けきれてない部分もあったと思うけれど、斜めの面が生み出す面白さ、空間のつながりの気持ちよさと気持ち悪さ、ちょっとしたガラスの手すりを用いることでの、空間の締め方など、気になるポイントがいくつかあった。シザの美術館は期待していた分、ちょっと大味で残念だったかな。ただ、階段の取り方について、図面で見るとおさまってないように見えるんだろうけれど、こういう空間が存在していても全然嫌じゃないし、むしろ気持ちいいなっていうポイントを発見できたのは収穫だった。展示する美術作品のためということを考えるとどうなのかわからないが、やはり建築に着目してみていると、空間の質がいろいろ変化していく建築のほうが面白い。今まで見た美術館の中で一番良かったのはスティーブン・ホールのキアズマか谷口吉生の豊田市美術館だろう。この二つにはもう一度行きたい。模型とか作ってみて研究してから行きたいね、空間のつながりがどうなっているのか。やっぱり、図面という二次元じゃわからないものが出てくるから実際の建築は面白い。図面見て、あまりに簡単に空間が読めてしまうのはやはり面白くないよね(そういう建築でもいい建築がたくさんあるのも事実だけど)。

集合住宅もよかったけれど、中は見られないから、特に書くことはないか。階段の薄さとかぐらいかな。


寮に戻ってきて、スペイン旅行をしていたもう一人の留学仲間と合流し、一緒にペンネを作って食べた。衝撃の告白も聞いた。そして、今こっちに来て初めて洗濯もした(パンツとかはちょくちょくシャワーで洗っていたけど)。


もうすぐ深夜の2時になる。ハナレグミが「そして僕は途方に暮れる」と歌っている。切なくて優しくて人恋しくなる歌、声。


日本にインターンに来ていて友達になった親切なフランス人にメールの返信をしなくてはと思っていたのにまだできていない。ポルトから帰ってきたら、本当に親切で心強いメールが届いていたからメールしなきゃなのに。

本当にいろんな人に支えられている。