断片の集積 -29ページ目

断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

二日前にUPしようとした写真が載せられる!


フォトショで画質を落としたら何とかなった。


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サン・ジョルジェ城から見た、日暮れ前の夕刻の景色



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リスボンの小道。これはサン・ジョルジェ城に向かう丘の中腹で発見。ここはアルファマ地区で、震災を逃れた地域。ここまでが一昨日。



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ダークサイド オブ リスボン 落書きはすごく多い。落書きの向こうにジブリ(魔女の宅急便)みたいな景色が広がる。



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The Lisbon  part 1



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The Lisbon  part2 リスボンってイメージはまさにこんな感じだよね。


ここいらは昨日撮った写真から。他にも載せたいのがいっぱいあるけど、とりあえずこれで。リスボンはいい街です。ほんとに。でも、地図で見るよりちっちゃいよ笑

昨日は日本人大使館に行き、簡単な手続きを済ませ、その後、リスボンの市街地をぶらぶらと歩いた。


いくつかの教会に入り、1755年のリスボン大震災により構造だけが残ったカテドラル(カルモ教会)を見、エッフェルの作だという唐突に存在するエレベータを見、気の向くままにあまり人の行かなそうな、やばそうなところに侵入してみたりした。あっという間に午後5時を過ぎ、いくつかの教会には入ることができなかった。リスボンの午後5時は日本でいう午後3時くらいの明るさであり、感覚である。


その後は早めに寮の近くに戻り、ショッピングセンターやスーパーを探索。ショッピングセンターでは得るものは何もなかったが、スーパーは清潔で物も豊富であった。このスーパーで食料を買い込み、ハムとチーズをトッピングさせたトマトソースのスパゲッティーを寮で作った。これがリスボンでの記念すべき初自炊。日本において、僕は実家住まいで、一緒にいる友達は一人暮らしなので必然的に彼が作ることになるかと思っていたのだが、なぜか僕が作ることに。彼はあまり自炊をしないらしい。久しぶりの料理だったけれど、それなりにうまくできたと思う(彼もうまいと言ってくれた)。 夕食時にキッチンにいたら、かなり多くの人との出会いがあった。また、彼らはテレビでベンフィカの試合を見ており、僕らも食事をとりながら見ることに。ベンフィカはヌーノゴメスの活躍で勝ったけれど、試合内容はそんなに良くなかったと思う。それからスタジアムが割と空席があったのも気になった。早くサッカー好きの友達を作って、ぜひ何度もスタジアムに足を運びたいと思う。


今日は大学に行った。空港に迎えに来てくれた子からメールが来たから。 行ってみると、ほかの留学生もたくさん集まっており、学生が留学生に対して校舎を案内するという程度のものであった。建築の校舎はそんなにでかくないけれど、授業が始まってみないと何とも分からないというのが実情。そこで出会ったパリジャンと仲良くなり、今日パーティーをしようということに。電話番号を教えて、メールをしてくれるというのに全然連絡がない。あまりに来ないから、不安になってこっちからメールしたのにまだ何もない。もうすぐ夜9時になるというのに。どういうことだよ?これから連絡が来るのか、何もなく今日が終わるのかさえ分からない。別れる前に、大体何時くらいか聞けばよかった。ないならないで全然かまわないけど、さすがに予定が立たないからね。

どうなることやら。


そういえば、留学前に髪をものすごく短く切った。これは美容師の陰謀による笑 メキシコから帰国した日に美容院に行って、留学するから10ヶ月くらい来られないと言ったら、気づいた時にはかつてない短さになっていた。短いのは似合わないから嫌いなのに(高校だか中学だかのときに別の美容師の陰謀によって実証済み)。でも、前に短くされた時よりは、今回の人のほうが上手くてなんとかなっとる気がする。 あと、ひとつ美容師の彼に感謝しなければならないことは、髪が短いのはものすごく楽だということ。ドライヤーすらいらないし、石けんで体と一体で一気に洗ってしまっても特に問題はない。こんな風になるとは思いもよらず、買って持ってきたドライヤーは、ドライヤーを持ってくることなど考えなかったという髪の長い友達が使っている。結構うまく回っている。うまくいっている。


その友達と、昨晩、好きな画家や写真家、描かれた女の中でおれはこれが一番好き!みたいな話を延々とした。すごく楽しかった。友達は一人の女に一筋だったけど(誰のどの絵かは教えん笑)、僕はモディリアーニやらアングルやらルノワールやらベルニーニやら誰が描いたのか忘れたけどマグダラのマリアの絵やら会田誠やらいろいろ持ち出して一人に決められなかった笑


あと角田純の話もした。初めてブログっぽい使い方するけれど、角田純はめっちゃ良いです。もしこの文章を読んでる人いたら、角田純 検索してみてください。


まだパリジャンから連絡は来ない。

今日はじめにしたことは、大学事務局のようなところに行っての寮入居の手続きであった。


なかなか大変であった。まず場所が分からない。バスで行ったのだが、降りる場所が分からない。運転手に無理やり下ろされた(様に感じた)駅は、もちろん事務局の近くだったのだが、バスを降りても、事務局がどこにあるのか、そもそも近くにあるのかすらわからなかった。


何度も人に聞いてようやくたどり着け、1時間近く順番を待って、入寮手続きを済ませることができた。15日以降(月の半分以降)の入居だったので今月分の寮費は通常の半額でよいとのこと。しかし、一度に複数月分払うという選択肢は提示されぬまま、「これからは毎月1~8日の間に払いに来てね」と言われる。大学が忙しくなってきたら面倒だろうな。まあいいさ。


その後、バスでリスボンの中心部、コメルシオ広場へ。海まで眺望がすーうっと抜けることを期待していたのだけれど、大規模工事中で広場の半分はふさがれていて、海には出られなかった。まあいいさ。


中心部の繁華街で遅めの昼食をとり、ロシオ広場(ダンスパーティーが開かれていた)、フィゲイラ広場を抜け、サン・ジョルジェ城を目指して坂を登る。途中見つけた中国物品点で即席めんや醤油、味噌、ソース、わさびなどが売っているのを発見する。


ここからひたすら城に向かって坂を登って行ったのだけれど、なんとなくの方向だけ見定めて、あとは面白そうな小道をひたすらに上った。この道中が今日のハイライトだったかな。めちゃくちゃ疲れたけれど。ほんとにスタジオジブリのような景色や、思いがけない光景に出合って、本当に楽しかった。


サン・ジョルジェ城からの眺めもまた素晴らしかった。リスボンの街を一望することができた。サンセットに染まるリスボンの街が特に必見と書いてあったのだけれど、これはちょっと残念。夕刻の空は綺麗だったけれど、赤瓦の屋根に光がリフレクトすることもなく、街に特に大きな変化もなかった。まあいいさ。


残念さを上回るリスボンという街の素晴らしさ。いろんなことをこの街から吸収していかなければ。ポルトガル語も勉強したいなあ。本当にそう思う。そうしたら何倍も楽しいだろうから。


そういえば、昼はものすごい紫外線であっついのに、夜はさらにもう一枚着たいぐらいの肌寒さ。恐るべきリスボンの気候。夕飯は串焼きとパンとチーズとワイン。少し高かったけれど大満足のうまさとボリューム。


帰ってきて、僕らは二人ともくたくたに疲れきっていた。それだけ充実しているということ。


画像を何枚かUPしようと思ったのだがうまくいかない。昔、バイトでアメブロ更新の作業をしていた時もうまくいかなかった。なんでなんだろう?疲れたから画像のUPは今日はもう諦める。まあいいさ。いいよね。

昨日の夜は参っていた。すべきことがたくさんあったのに加え、10ヶ月間もの長期間、家から離れるということに対する不安が大きくのしかかっていたからだ。


自分でもびっくりしていた。何度もひとりで海外を旅行していたし、割とあっさりと旅立てるかと思っていたけれど、やはり旅行と留学はそこに対する気持ちのあり方が全然違う。


メキシコでのWSから帰国して、次の日に二級建築士の製図の試験を受け、その2日後にポルトガルへという超ハードスケジュール。人は大変だとかすごいとか言うけれど、こうやって息もつかぬ間に日本を出たのは正解だったと思う。日本にいれば居るほど、そして旅立ちの日が近づけば近づくほど、期待よりも不安がどんどん膨らんで僕は押しつぶされたと思う。たった3日でもかなり参っていたのだから。


心が弱っているときに優しくされると本当に泣いてしまいそうになる。具体例はいろいろあるけれど、いつも以上に愛犬が俺に懐いていたこと。そして、家を出る時、普段はそんなことはないのに、ハウスに入れられたあと何かを感じてさんざん鳴いていたこと。あいつと10ヵ月会えないのはさみしい。あいつにとっては70ヵ月分もあるんだしね。


空港に行くまでの道中での友達からの優しいメールや、チェックインカウンターのお姉さんの親切な対応(スーツケースを制限の22kg以内に収めようと、昨晩どれだけ苦労したことか。結果22kgより少し重かったけれど見逃してくれ、留学ですか?何を勉強なさっているのですか?と優しく話しかけてくれた。機内持ち込みだって普通に考えれば制限を超えてたもの。本が10冊くらい入っている鞄をポシェットとみなしてくれたし。)によって、そして両親の笑顔によって、僕の心は変な風になっていて、うまく着地点を見つけられないまま飛行機に乗り込んだ。

乗ってすぐ出された機内食はほとんど食べることができなかった。弱い心のせいで。


機内食が出されてから30分程度で僕は深い深い眠りに落ちた。今までの疲れが全部眠りに転化したようだった。次に目が覚めたのは、朝食となる機内食が出たときで、その機内食から一時間もたたぬうちにパリ、シャルル・ド・ゴールに到着した。たぶん10時間くらいぶっ通しで寝ていたんだと思う。眠りから覚めると、つきものがとれたように弱い心はいなくなり、機内食もすべて平らげることができた。


そして、乗継を経てリスボンに到着。空港では3人の女の子が僕ら(僕は、友達である一人の留学仲間と一緒にリスボンに到着した)の名前を掲げていてくれ、すぐに落ちあうことができた。これも昨日の深夜4時くらいに意を決してコエーリョ先生にメールし、僕のメールのあまりの必死さにびっくりした(のかどうかはわからないが)先生が驚くべきスピードで返信をくれたからこそである。それまで連絡を怠っていた僕が悪いのだけれど、コエーリョから本当にすぐ、びっくりするくらいすぐ(先輩からコエーリョは返信に3日はかかると聞かされていた)メールが返ってきたこと、その優しさもまた、昨日の夜、僕の心がおかしくなっていたことの一つの原因である。


彼女らは車で僕らを寮まで送ってくれ、到着が夜遅かったにもかかわらず、僕らは寮に無事、入居することができた。親切心に心打たれる。本当にありがとう。ちなみに、メキシコ帰りのぼくの感覚としては、リスボンは車の流れが遅い。全体的に。まあ、メキシコが異常なのだとは思うが。


さて、その後、コンビニを求めて友達と二人で夜の街を歩き回ったのだが、コンビニがそもそも見当たらず、てっぺんを回った街で、空いている店を探すのも同様に難しく、運よく空いていたマクドナルドで空腹を満たして寮に戻ってきた。


あの深い眠りを経てからは、昨日の弱い心がどこへ行ったのやら、あれもしたい、これもしたい、これからどんなに楽しい生活が始まるのだろうか、という勝手な期待が心を満たしている。


心は本当に勝手だけれど、ずっとプラスの感情のまま過ごしていければよいと思う。極端なことを言えば、日本のことなんて忘れてしまうくらい。


気づけば深夜4時。もう眠らなくては。

留学にあたりブログを開設することにしました。


これは、非常に私的に、ただただ思ったことを書き連ね、あとで自分で読み返して、記憶を取り戻すためのものです。


その上で、個人的な日記ではなくブログという形態をとったのは、読んでくれる人がいれば頑張って続けられるかもしれない、という気持ちと、僕と凄く親しい人でも、このブログのことをずっと知らぬまま過ごす人もいれば、僕のことを全く知らないのに、たまたまこのブログに出会ってしまう人もいるという、おかしな偶然性というか、僕自身とこのブログは一体でありながら、パラレルに全く違う場所にいて、違った出会いをするような、そんな二面的な面白さがあると思ったからです。


最初に書いたとおり、これは本当にごくごく個人的な日記のようなものです。しかし、ブログである以上、公共の目に触れるのでひとつの約束をしようと思います。


それは、単純なことなのですが、他人に迷惑はかけないということです。他人のパーソナルな情報や写真を当人の許可なく載せることはしません。僕はそれをされて、非常に残念な気持ちになったことがあります。だから、そういうことはしないと誓います。


それでも迷惑をかけてしまうことがあるかもしれないけれど。


僕は出発日前日の今日もたくさんの人に迷惑をかけました。それでも、みな、全然そんなことは気にしてなくて、僕を力強い言葉で送り出してくれました。たくさんの愛によって支えられているんだと心から感じます。あなた方と離れるのはつらいけれど、あなた方に負けないくらい成長できるように頑張ります。本当にありがとう。


では、行ってきます。