断片の集積 -24ページ目

断片の集積

日々の断片を記憶に残すために集積する



主にポルトガルでの生活について

正直言ってブログを書くのが面倒な時もある。ネットの接続は悪いし、まがりなりにも誰かが読んでいると思うと適当なことはかけないし。

しかし、そもそもこのブログは日記のようなつもりで始めたのだから、些細なことでも思った事をそっと残しておかなくてはならない。書くべきことがたくさんあったなと思って書きだしても、結局そのほとんどは些細なことで、忘れてしまっていて、思い出すことができない。そんなに短期間で忘れてしまうようなことなら、わざわざ留めておかなくてもよいではないかとあなたは思うかもしれない。もちろんそれも一理ある。本当に大事なものなら記憶から抜け落ちないだろうと。しかし、そういったくだらないささいなささいな感情や気付きこそあとで見返したときにこの留学中の記憶を取り戻す重要なエレメントになるような気がするのである。だから、これからは本当に些細なことでさえも書きとめていきたいと誓うのである。そう考えるとtwitterを考えた人はすごい。そして、twitterをやる意味が今まで僕にはわからなかったけれど、みんな自分の記憶をとどめておくために、日記にするほどでもないちょっとした感情や気づきを留めているのかなと思ったらtwitterも面白いのかなと思った。でも、それに時間をとられるのはどうなんだろうとも思う。ブログを書くのも実は結構時間をとられている。すべきこと、大事なことは何なのかをうまく見極め、強い心で判断していかなければならない。


さて、今までのはほんのささいな呟きみたいなこと。そしてこれから書くこともたいしてそれと変わらない。


まずひとつ。友達がスタジオで日本人の建築家の思考、デザインプロセスについてプレゼンしなければならないということで、何人かの現代日本人建築家をピックアップして、彼らの思考の日本独自なところって何だろうという話をしていたのだけれど、そこで出て来たのが「手がかりとしての建築」というキーワード。日本の最近の建築家は建築を作ることで何かの「きっかけ」を与えようとしている、その「きっかけ」を作るということがテーマになっているのではないかという話。「きっかけ」=「手がかり」である。一番顕著な例は青木さんだろう。青木さんの「遊園地」「原っぱ」「野原」というたとえが一番わかりやすい。ここではこれをしろ、あそこではあれをしろというのがはっきりしている空間(遊園地)でもなく、ユニバーサルな、ただのホワイトキューブだけ作って「ここでは何だってできます、あとはご自由に」という空間(野原)でもなく、できることもできないこともあるけれど、うまく利用することで、面白いことができるような、可能性をもった、使う人をインスパイアさせる空間(原っぱ)を作ろうとしている。そして、その空間を作るうえで、たくさんの思考とたくさんのスタディがなされているにもかかわらず、あたかもそこには恣意性が介在せず、ささいなことでふっと生まれたかのようなふりをしている。

空間から、「ここはこういう風に使ってほしいのね」っていう意志が見えてしまったら、それは原っぱ的な空間ではなくなってしまうから、そういうふりをするのは仕方ないとは思うのだけれど、恣意性にこれほどこだわる意味ってあるのだろうか。この恣意性っていう部分も結構昔から個人的には気になっているところである。(青木さんはそんなに恣意性にこだわってはいない。でも、「自ずとそうなった」みたいに青木さんがいくつかの作品の解説で書いていたと思うのだけれど、その時の「自ずと」っていうのが「コンテクストを読んだ結果」というのではなくて、もっと、コンテクストとかコンセプトとかとは違った次元で、ほんとにふっと自然に何かが生まれて、それをそんなに悩まずに推し進めていった結果出来た、「自ずとできた作品」と言っているように感じる。これは恣意性が介在していないという主張とは多少違うけれど、、考えすぎていないことの主張というか、そのデザインは僕の意志というよりは、ふっと降りてきたものに従っただけだということを主張しているように感じるのだ。)

もうひとつ話題に上ったのは千葉さんのWEEKEND HOUSE ALLEY。こちらは三谷さんとの対談で千葉さん自身が「小道は、軸線上に大島があるというふうに、恣意的に位置を決めるようなことはしていません」と述べている。この建築で千葉さんがやりたかったことは、「“恣意的に”全ての道の価値を等価にする」ということなのではないかと僕は感じた。千葉事務所のHPの図面では巧妙に隠されている、大きなスケールの中でプランを見ると、意外と小道が周りのコンテクストとを引用していることが分かり、友達とコンテクストを手がかりにして小道を引くのではなく、もっと無作為な小道が新たな手がかりを作り出していた方が面白かったのではないかという話をした。いずれにしても、これも小道によって小さな街を作り、そこに機能を限定しない空間を配することで新たなきっかけを作りだそうとしている。そして、そのうえで、この小さな街が建築家の恣意性によってではなく、あたかも自ずと集落ができたかのような説明をしている。この、新たな街というきっかけを作る時に千葉さんが考えたこと(考えたであろうと僕が勝手に想像したこと)で、面白いなあと思うところは、もし、一つの小道が海に浮かぶ大島と山を結ぶような何かしらの象徴性をもってしまったら、その軸が優位性を持ち、そうなると街にもヒエラルキーが生まれ、ALLEYという建築から純粋な空間としての手掛かりが失われてしまうということ。だから、すべての小道は等価でなければならず、小道は象徴性をもってはいけないということ。すべての道が等価であるという考え方が日本的で面白いなあと感じたのです。


さて、で、恣意性の話なのだけれど、僕は、建築においても都市においても恣意性は介在してよいと思っている。恣意性の介在しない建築や都市なんて存在しないし、建築家が線を引いた瞬間に恣意性は存在する。しかし、その恣意性ってのがあまりにも強すぎたり、自分勝手だったりすると、それはちょっと違うよねっていう気持ちになる。卒業設計でも「恣意的にデザインされた住宅群でありながらも、そこがあたかも集落のような、恣意性をあまり感じさせない住宅群を作ることができないか」と考えていた。だからこそ、あえて、かなりの広範囲にかなりの量の建築をルールやパターンによらず設計してみたのだ。それは良いとして、ここで難しいのは、恣意性ってのはなんなのかということである。もちろん、恣意性というのは建築家の意志のことであって、これはどんな建築にも存在する(たとえ、パターンやアルゴリズムを用いていたとしても、どんなパターンを用い、どんなプログラムを採用するかは人の意志による。それから、まず僕の考え方の前提として、ルールやパターン、アルゴリズムに頼るより、人の意志によってコンテクストを読んでいった方が絶対に都市に対して素直な良い建築ができるだろうっていう確信みたいなものがある。たとえ、コンピュータの技術が進歩してもである。コンピューターはうまく使いこなさなければならないし、コンピュータが出した、目に見えない確固たる情報(たとえば風の流れとかエネルギー消費とか)を理由づけにデザインを決定してはいけないと思っている)から別によいのだけれど、恣意性を隠す方法と言うか、許容できる恣意性みたいなことを考えたときに、この千葉さんの言葉がやけに引っかかったのだ。先にも少し書いたが、僕はその恣意性を隠す方法の一つがコンテクストを読み、従うという方法だと思っている。しかし、この千葉さんがALLEY行った方法と言うのは、周りの道路や街区、海や山というコンテクストを読むという方法で、それは良いのだけれど、千葉さんが恣意性と言っている大島に向かって軸を引くというのも一つのコンテクストの読み方なのではないか。となると、コンテクストを読み、それに従ったとしても、その読み方次第では強い恣意性が生まれることもあるということになる。それは受け入れがたいほどの恣意性となって表れるのだろうか?確かに、一つの強い軸を引くということはそこにある種の権力や設計者の意志を発生させることになる。しかし、その軸の先にあるものが一つの島であっても、それはそこまでの強い象徴性や軸性を持ちうるのであろうか。


ちょっとこんがらがってきたからもうやめるが、今やっている課題がモニュメントについて考える課題なので、反動でもう一度、恣意性の排除ということについて考えてみたくなったのだ。


ふたつめ。今やっている課題はベレンにおけるモニュメントエレメントを取り上げて、それらの現在におけるモニュメント性や歴史、周りとの関係性などについて分析するという課題なのであるが、僕らのグループが考えなければならないエレメントが、内陸部にある王宮と川岸にあるバロック広場をつなぐ道なのである。王宮と広場はモニュメント性を今でも持つが、この道は現代ではモニュメント性をもっていないと思う。それは本来この道は王宮の正面入り口がアイストップになり、そこに向かうためだけの、終わりのある道であったのだが、王宮がフランスの襲来や革命による王制の終結などにより1/3しか完成しなかったため、道の終わりには何もなく、道の周りにはそもそもは王を守るために出来た軍事施設がたくさん集まっているため、道に面するファサードが壁ばかりで歩いていてなんの面白みもないのだ。で、先生に今日、「本来なら王宮という終わりがあるはずだった。もし、王宮が完成していたらこの道はモニュメンタルだったと思う」という話をしたら、それはおもしろいといって、「道と言う要素は変化しなくとも周りの要素が変化することで道はモニュメンタルにもそうでないものにもなりうる、道ってのはそういうものだ」「王さまだって、ただの人間であるが、帽子をかぶってマントをはおってきらびやかな椅子に座ることでモニュメンタルな存在になっているのだ」と言われた。この道の話はさっきの千葉さんの話とつながる。道という存在の興味深さは、そこがどこかとどこかをつなぐことによって成り立っているということであろう。道は何かと何かをつなぐ為に生まれる。しかし、道がなければ街は生まれない。それはおいておいて、王さまの比喩の話を聞いているときに、卒論を書いているときの装飾の話をすごく鮮明に思い出した。装飾はただ飾り立てるためにあるのではない、何かを(ほとんどすべては権力を)象徴するために存在するのだという話。中世の戦場において相手の顔ではなく、装飾を見て狙いを定めて銃を撃ったという話。そんな話を思い出した。


今日は本当に散文的でまとまりがない文章になった。でもこういうことがきっと何かを生み出す。まとまっていなくても留めておけば次に何かがひらめくきっかけを作れる。


それから、日本人の笑い方って欧米人と違うなあって今日感じた。日本人が笑っているとなんかわかる。


最後に千葉さんと青木さんの話はぜんぜん情報ない中で記憶を頼りに書いたものだから間違っているかもしれないけれど、僕はそう感じているということで。もし適当なことを書いていたらすみません。

こちらにきて、英語でプレゼンをしているのだが、プレゼンの仕方が大きく変わったと思う。日本にいるときは言い方は悪いけれど、正直に言って、自分の言いたいことを言い切れればそれでいいというプレゼンの仕方だった。でも、こちらに来て、僕の言いたいことちゃんと伝わってる?というプレゼンの仕方になった。相手の顔を頻繁に見て、顔を確認しながらしゃべるようになった。これは時間がかかってしまうし、しゃべり方もゆっくりになってしまって良くない面もあると思うけれど、こんなに「ちゃんと伝える・伝わる」ということに意識的になったのは初めてだと思う。そういう気持ちを日本にいるときからもっと持っていなければならなかったと痛感する。相手に正確に伝わっているということがこんなにも重要だとは思っていなかった。言葉が足りなくても伝わっているときもあるし、うまくしゃべれたつもりでも、正確に伝わっていない時もある。難しい。

それから、僕は卒計から本格的に街並みというものについて考えるようになったと思うけれど、街並みについて考えるということは、建築を立面的に考えるということかもしれないと思う。最初建築を始めたときは、まず平面的に考えていた。その後、平面と断面を同時に3次元的に考えられるような訓練をして、空間のことを必死で考えた。そして、その時は立面は内部空間の結果として生ずるもの、断面の延長くらいに考えていた。しかし、街並みのことを考えるようになって、もっと立面に重きを置かなければならないと思うようになった。そして、それと同時に、内部と立面が切り離されていてもよいのではないかと考えるようになった。これはヨーロッパを旅するようになってから少しずつ思っていたことであるが、留学して、結構強く思うようになったことである。外観は街並み調和していて、内部に入ったら、外からは想像できない空間が広がっているということがしばしばある。そういうのが面白いし、ハッとさせられることが多い。ヨーロッパの街区構成を見ていると、装飾が重要であったことが理解できる。

こんな風に人の考え方は変わっていく。考え方だけではなく、見た目やしゃべり方も変わっていく。それは、良いことなのか、それとも切ないことなのか。


昨日、youtubeで伽奈のテレビ初出演という動画を見ていた。友達と好きな芸能人の話になり、僕が伽奈と言ったら誰も知らなかったので、紹介するためにyoutubeで検索した。そうしたら、僕も見たことのない、テレビ初出演の映像が出て来たのだ。伽奈を知ったのは大学2年の時だったと思う。製図室に落ちていた雑誌をぱらぱらと眺めていたらやけに好みのモデルがいて、ちょっと絵にかきたいなあと思ってその雑誌をもらって帰ったのが始まり。その時は名前も知らなかったし、結局絵を描くこともなく、その雑誌は捨ててしまった。その後、バインのFLYのPV、DOSEの修羅のPVと立て続けに「この人素敵だな」と思ったけれど、その時はまだそれらの人が同じ人だってつながっていなかったし、バインのPVにそんなに有名な人が出るわけないだろって思ってたから特に調べたりもしなかった。でも、ウォータリングのCMを見たときに「この人めっちゃ好きだ、そして俺はこの人どっかで見たことある」と感じて、すぐに「FLYのPV」だって気づく。そしてwikiで検索してすべてがつながる。

テレビ初出演の加奈はやっぱりとても素敵で、そのすれていない感じや、少しなまったしゃべり方や、恥ずかしそうな、自信なさそうな仕草がとてもよくて、そういう部分が変わらなければ良いのにと思う。しかし、これからさらに活躍していったら、そういう部分が失われていくのはむしろ自然で普通のことなのだろう。

村上春樹の文章は変わっていくことへの不安や恐れ、変わらないでいることへの憧憬にあふれていると思う。そして、そこを乗り越えていくことがテーマになっているように思う。変わっていくことっていうのは何かを損なうことと同義なのだろうか。何かを損なわずして何かを得ることはできないのだろうか。そんなことを考えていた。

人は誰でも時間とともに変化していく。それは人だけでなくパイナップルですら同じである。東君平の僕の好きな話の一つにパイナップルを酒につける話がある。友達がパイナップルをくれて、こんなにたくさん食べきれないというと、パイナップル酒にすればおいしく食べられるし、長持ちすると教えてくれる。やってみると、パイナップル酒を作るのは確かに簡単だし楽しい。しかし、ある時思う。パイナップルはパイナップルのまま食べてやればよかったと。一つの旅行でうそみたいに変わってしまった友達がいた。このパイナップルも酒につけるという単純な一つの作業によってうそみたいに変わってしまったと。今手元に本がないから間違っているかもしれないけれど、大筋はそんな感じだったと記憶している。僕は常に変わりたいという気持ち、変わらなきゃいけないという観念とともに、変わりたくないという強い気持ちも持ち合わせている。人はみな誰もそうなのかもしれないけれど、二つの矛盾する強い気持ちを抱えながら生きている。この留学という大きく変わるであろう人生のポイントにおいてそんなことを思う。でもこれを書いていて今ふと思ったのだが、意外と自分自身は変わりたいと思っているのかもしれない。そして、身勝手に、周りの景色や周りの人たちが変わっていくことに対して寂しさを感じているのかもしれない。高校の頃は早く大人になりたかったけれど、今はもっともっと子供でいたいというか、正確にはモラトリアムでいたい。まだまだ僕にはいろんなことに対して悩む時間が必要だ。


たとえば小学校の時のクラスメイトに会ったら、僕は彼らに対してどんな感情を抱くのだろう。そして彼らは僕に対してどんな感情を抱くのだろうか。彼らが僕が今ポルトガルにいることを誰一人として想像していないように、僕の全く想像の及ばない範囲に彼らもまた存在しているのだろう。そしてそういった様々なものを積み上げて、それらを持ち寄って再会したときに、「変ったね」と言われたくはない。なぜかは分からないけれど、そう思う。僕という一本の太い軸は常にぶれずに存在していて、その周りに様々な要素が付属していて欲しい。そんな風に思う。


最後にまた伽奈の話。伽奈にしてもNICOにしてもそうだけれど、初めて知った時はまだ本当に駆け出しだったのに、気がついたらめちゃくちゃ大きな存在になっている自分と歳の近い人が増えてきた。そういう人たちを見ると本当にすごいなと敬服するとともに、自分はなんてちっぽけで、彼らに比べ意思も、目的も、努力も全然足りてない微小なものしか持ちえていないように感じてしまう。しかし、ネガティブになることなく、彼らの活躍を励みにして、僕もまた頑張っていかなくては。なんか、変な張り合いだけど、誰にも負けたくないし、刃向かっていたいし。


さあ、明日からまた気合いを入れなおして作業だ! できる限りのことをする。努力をしすぎるということはない。

そうそう、で、言いたかったことは、伽奈もNICOもずっと応援し続けます。NICOの新曲とニューアルバム初回盤で誰か買っといてくれないかなぁ笑。FOO FIGHTERSのベストも笑。

昨日はいくつかの本を読んだり、フットサルをしたりしてだらだらと過ごしていたのだけれど、月曜である今日、僕のスタジオは授業もないし、せっかくだから行くかということでまさかのオビトスへ。なんとここ4日間で3日目の小旅行。楽しいですねこれは。こんな幸せ味わってて良いのか。そのうちしっぺ返しが来るのだろう。それは決してしっぺ返しではなく、別の意味での充実なんだろうけれどね。


オビトスはナザレよりもさらにさらに小さな街。一周1.4kmの城壁に囲まれた街。遠くから見ると小さな丘一つ分を古い城壁が囲んでいるのが見えるだけである。その中にこんな宝石のような街が存在していることはちょっと想像できない。ここはゴート人の支配から解放されて100年程度で、王女にプレゼントされた街なので、大きな発展もなく、中世のままの形を残しているとのこと。ここは本当にきれいな街。そして、城壁の上を歩けるので、住宅のプライベートな部分や、グランドレベルにいたらわからないような中庭の取り方、住戸の組み入り方がわかって面白い。

残念な面は、完全に観光地化していて、レストランはどこも高いし、みやげ物屋ばかりが通りには並ぶということであるが、同時に、目抜き通りの一本裏道は観光客が全く歩いておらずひっそりとしており、二階のベランダからジャックラッセルテリアが物珍しげにじっとこっちを見ていたりするから不思議だ。

そうそう、ポルトガルに来てから一番の数の日本人団体観光客に遭遇した。まさかリスボンでもなくポルトでもなくこんな小さな街で会うとはね。まあ、小さい街だからこそ、時間があってしまったら逃げることはできないのだけれど。阪急ツーリストとつけた彼らの関西弁のパワフルさには正直ちょっと引いた。彼らは朝11時過ぎにはどこかに消えていった。街にいるときから感じていたのだけれど、何をそんなに急いでいるの?と思った。僕の考え方もポルトガル人に近づいて来たのだろうか?


この街は本当に小さい街だけれどいくつかの教会があり、そのうちのメイン教会であるサンタ・マリア教会はかなり良かった。光の入り方、規模、3廊式ロマネスク、アズレージョなど。ここで長い間僕らはスケッチをしていて帰るのが少し遅れてしまった。スケッチしたい景色ってそんなにあるわけではないのだけれど、ここは描くのが楽しくて楽しくてたまらなかった。


断片の集積
オビトスの町並み。ほんとに小さな宝石みたいな町です。帰ってきて、今日授業だった友達に写真を見せたら「ちょっときれいすぎる」と感想を述べてくれた。確かにそうなんだけれど、そのきれいすぎるくらい綺麗ってのが、ここオビトスだから成立しているような、そんな雰囲気はあると思う。僕はそう感じていた。綺麗すぎるくらい綺麗な街なんてそうそうないじゃない、しかもそれがすっと腑に落ちる街なんて。僕はこの街が好きです。ただずっとここで暮らすとなるとそれはちょっときついかなって思うけれど。やっぱりこれが観光の街の観光の街たるゆえんなのかもしれない。


断片の集積
生活感がないわけではない。鮮やかな花が生命力を誇示し、色とりどりの洗濯物が風に揺れる。でもそれらが生活感を示すというよりも、それらですら絵画の一部のようで、美しい景色を形作っているように感じるのだ。


断片の集積
教会の前の、洞のような建築の中にあった、現代的な彫刻。これが何なのかわからなかったけれど、とても美しかった。


断片の集積
サンタ・マリア教会。ここはすべてがよかった。描くのが楽しかった。アプスの宗教画とその構成をスケッチするという行為は西洋美術史の勉強を実地でしているようであった。本当に何時間でもいられた。アズレージョと絵画による壁面の構成の仕方や光の取り方も素晴らしい。


断片の集積
やっぱり宝石みたい。その表現が一番正しいと思う。


間違えなく充実した日々を送っている。それからオビドス名物のシェリー酒をお土産に買ってきて、食後にみんなで飲んだ。食後にちびちびと飲むのにちょうどよい甘くて、アルコール度数の強いおいしいお酒である。

明日から現実に戻されるのだろうか。でもその現実って言うのが敷地がベレンであるっていう非現実。

つくづく幸せな時を過ごしているなと実感する。ありがとうございます。頑張ってたくさんのことを身につけて、もちろんたくさん遊んで、健康に過ごしまっせ。

もう一昨日になるのだけれど、エヴォラに続きナザレへと二日連続で旅行してきた。

課題に若干の不安はあるものの、今すべきことが分からないのなら(特にないのなら)部屋で悶々としていないで旅立とうというわけである。本当はオビドスに行きたかったのであるが、休日はバスのアクセスが悪いということで、オビドスをいつかの平日に委ね、ナザレへ。ナザレを選択した理由は、地図で見ると細長い街区と細長い道が海外線と垂直に連なっており、その空間を体感してみたかったからである。


結果、ナザレはビーチがメインのリゾート地であるということがわかった。思ったよりもこじんまりとした街で、思ったよりも道幅が広かったことと、地図には現れない小さな海岸線と平行の道が細かく存在していたことで、街区と道の細長さも予想していたような面白い空間を生み出してはいなかった。しかし、街を見下ろせる丘の上にのぼり、そこにあった広場と教会の関係、教会を覆い尽くしていたアズレージョ、さらに西側に行ったところにあった灯台のような、要塞のような何か、日本では考えられない一人前5匹も出され、完食したイワシの炭火焼、そしてビーチで眺めた寄せては返す波は、ゆったりとした時間をもたらし、寛容な心を取り戻すことができた。友達と、こんなビーチのそばに生まれていたら建築家なんて目指さなかったという話をしていた。適当に観光客相手に商売をして、愛犬とともにサーフィンでもしながら、彼女と夕日でも見ながら、ゆったりと過ごしていただろうって。

それから僕はまたも沖縄のことを思い出していた。細長い道に面する細長い街区は片側が表、片側が裏になっているのだけれど(両方が道に対して表になることができないほど細長い街区なのだ)、その裏側の開いた窓から、オジサンたちがセザンヌの絵画のようにパイプをくゆらせトランプをしているのを見たときに、急にまた沖縄のみさきの近くの集落のことを思い出したんだ。そうしてみると、美しい海岸線やゆったりとした時の流れがやけに沖縄とリンクした。日本に帰って最初に行くべき場所は沖縄なのかもってなんだか今そう感じている。


断片の集積
丘の上から全体を把握することができる小さな街。


断片の集積
人々はビーチで遊ぶ。水に入るというよりもサッカーやバレーをし、寝転がって太陽の日差しを浴びている。

もう10月半ばであるが、日中の日差しは水に入りたくさせるような強さで僕らを射す。水着を持ってこなかったことを後悔した。


断片の集積
想像以上に道は広い。もっともっとすべてが細かかったらおもしろいのに。車なんて入れないくらい。

でも全ての道の先に海が見えているっていうのはかなり心地いい。


断片の集積
海岸線から見た街区割。立面と言うよりは断面と言った趣で街区が現われている。街区と道の関係性の面白さを一番感じたたのはその空間を体験していた時よりもこの立面を見ていた時であった。


断片の集積
美しい海。水が本当にきれいだし、沖縄の海よりも海岸にごみが少ない。韓国や中国から流れ着くゴミ、そして日本人観光客が捨てるゴミ。沖縄の海を損なっている。あんなにきれいなビーチならゴミを捨てる気なんて起きないし、むしろゴミを拾おうって気持ちに俺はなる。事実沖縄に行ったとき、目につくゴミを拾いながら海岸線を歩いた。

ナザレの海は砂浜の部分がとても広い。だから自ずとビーチサッカーをやる流れにもなる。それから、波は結構高かった。


自然の揺らぎは心を癒やすということを実感した。波が寄せては返していくのと、夜、薪の炎が揺らいでいるのはいつまで見ていても見あきることがない。

建築とは関係のないところで、ゆったりとした時間を味わえたナザレの旅。

今日友達といろいろな話をしていたのだけれど、その中で流れに身を任せてみることの重要性みたいな話が出た。間違っていることにはそれは違うと主張しなければならないし、俺はそんな事しに来たんじゃないってキレてみることも大事だと思う。そして、そうやって主張していく方が流れに身を任せているよりも、世界を変える力というか、周りに対して、エネルギーを放出することができるとは思う。でも、僕らはとりあえず今、何も知らない異国にいて、まだわかってきたことよりもわからないことの方が多いこの状況で、日本の感覚で物事を主張していくより、とりあえずこちらのやり方に身を任せて、いろんなことに首を突っ込んでいた方が楽しくなる可能性が多くなると思いませんか。とりあえず、そう信じて、自分のすべきことをしながら状況が把握できるのを待とう。たとえその結果取り返しのつかないこととなっても。

現在、スタジオがそんな感じなのです。今後どうすればよいのかがよく見えていないし、分析するにしても最終的にどこにたどり着くのか、どういう目的をもってやれば良いのかが把握できていないし、知らなかった話が急に出てきて、本当に話が急すぎて意味が分からないし。


話が急と言えば今日エヴォラに行った。本当に唐突に。授業中にクラスメイトに、今日エヴォラに行くぞと言われた。喜んで行くよって答えて彼の車でエヴォラへ。そいつの彼女がエヴォラ大学を去年卒業したらしく、その卒業証書をとりに行くため。4人を乗せた車は150km/hオーヴァーでスピードあげてエヴォラへ。そうそう、その道中で初めて4月25日橋を渡った。夕方はいつもすごい渋滞だけれど、時間が正午ちょい前ということで、たいした渋滞もなくすいすい進む。橋の上から改めてベレンの遠さを実感。リスボン全体を見渡すことによってわかることも多い。


エヴォラに着いて、まず昼食をとる。エヴォラで一番うまいというレストランへ。クラスメイトも2年間エヴォラ大に通ったのちテクニコに来たとのことで二人ともエヴォラのことはよく知っている。街を歩いていた時、ここに住んでいたんだとか、住んでた時に改修作業をずっとしていたけれど、きれいに完成したねとか懐かしそうに話している姿がとても素敵だった。エヴォラの旧市街地(城壁内)に住んでいたなんてうらやましいな。エヴォラはもちろん観光地化されているけれど、そこまで規模も大きくないし、観光客も多くないし、住民の生活が感じられて好感のもてる街だった。

そうそう、それでレストランではミゲッシュ?とかいう名前の食べたことのない食べ物を食べた。うまかったよ、かなり。でも、こんな食べ物日本にはないなあ。パンをほぐして、野菜やら肉やらでとったスープと野菜を混ぜてぐちゃぐちゃにして、また形作って、ちょっと焼いた感じ? 彼らの説明ではそうだった。

おいしくって、量もたくさんあるその店の料理を、いくつか頼んで4人でシェアし、すごい満足感を得て、一人10ユーロ。あの量で10ユーロはすごい。さすが、エヴォラいちばんの店。もうひとつそれなりにうまくて、ガイドブックとかにも載っている店があるらしいのだけれど、高すぎてだれも行かないと言っていた。


昼食を終え、観光。僕らのために町を案内してくれる。イスラムの要素が入っているから、面白い街並みが形成されているのだなと感じる。いわゆる観光スポットというのはあまりないけれど、街を歩いているだけで楽しい。彼女が5時にはリスボンに戻らなければということで、あまり時間がなかったが、一人で行ったら街を歩くだけで何時間でも楽しめると思う。


最後に、中心部に別れを告げ、念願のシザのキンタ・ダ・マラゲイラへ。本当によかった。どうして一人の建築家がこれだけの広い範囲を一人で設計しているのにいやな感じならないのだろうか。集落みたいだったもの。

考えたことは、昔の技術でも作れるようなスケールでつくられているということ。もちろん実際にはコンクリートブロックの構造体なのだけれど、近代にならなければ作ることができないような高さではないし、長いスパンを飛ばしているところもない。小さいスケールを積み重ねて、集合体が出来上がっている。それから、マテリアルが本物だということ。日本のように変なイミテーションの素材ではないし、使っていけば、いい具合に汚れていき、汚れたら住民の手で塗りなおすことができる素材であるということ。また城壁内の町並みから抽出したデザイン要素をしっかりと組みこんでいるということ。白い壁や、ところどころアクセントとして塗られる黄色、道路名を示す看板や番地を示すタイルなど。そして、やっぱりスケールも旧市街のスケールと似ている。一つ一つの住宅のプランにはいくつかのパターンがあり、それらを組み合わせて住宅群ができていると思うのだが、それらを感じさせない外観。窓枠が違ったり、黄色いアクセントが塗られていたり、斜面に建っているので、少しずつ高さが変わっていたり。それらの要素によって、そこが計画された都市ではなくて、集落のような感覚をもたらしている。そういう話を友達としていたら、やはりガルダイアに行かなきゃといわれる。彼はずっとガルダイアに行きたいと言っているのだけれど、僕は危ない気がしてあまり乗りきれていない。でもせっかくの機会だから、そういうことになったら、流れに身を任せて、首を突っ込んでみよう。だって、危ないよって言って安全な暖かい部屋の中にいるより、そっちの方が断然面白そうじゃん。 流れに身を任せるってやっぱり大事。


断片の集積

断片の集積

旧市街の住宅の壁のレイヤとシザのキンタ・ダ・マラゲイラのそれ。何となく似ているよね、やはり。光が強くて、割と低い位置から太陽が差し込むから影の落ち方が美しい。こっちは日差しが強いから日影が本当に大事になる。設計するにあたって、日影の空間をどのように作っていくか、そしてそれをどのように美しく見せるかということはとっても大事だと感じる。

エヴォラにはあと2回ぐらいは行くだろうな。唐突だったし、時間が短かったけれど本当に楽しかった。ありがとう。そうそう、そういえばその彼女の友達がこのシザの住宅群の中に住んでいるということで連絡をとってくれたのだけれど、あいにく外出中だった。残念。  でも、二人とも本当にありがとう。とても親切だし。すごく楽しかったです。