もう一昨日になるのだけれど、エヴォラに続きナザレへと二日連続で旅行してきた。
課題に若干の不安はあるものの、今すべきことが分からないのなら(特にないのなら)部屋で悶々としていないで旅立とうというわけである。本当はオビドスに行きたかったのであるが、休日はバスのアクセスが悪いということで、オビドスをいつかの平日に委ね、ナザレへ。ナザレを選択した理由は、地図で見ると細長い街区と細長い道が海外線と垂直に連なっており、その空間を体感してみたかったからである。
結果、ナザレはビーチがメインのリゾート地であるということがわかった。思ったよりもこじんまりとした街で、思ったよりも道幅が広かったことと、地図には現れない小さな海岸線と平行の道が細かく存在していたことで、街区と道の細長さも予想していたような面白い空間を生み出してはいなかった。しかし、街を見下ろせる丘の上にのぼり、そこにあった広場と教会の関係、教会を覆い尽くしていたアズレージョ、さらに西側に行ったところにあった灯台のような、要塞のような何か、日本では考えられない一人前5匹も出され、完食したイワシの炭火焼、そしてビーチで眺めた寄せては返す波は、ゆったりとした時間をもたらし、寛容な心を取り戻すことができた。友達と、こんなビーチのそばに生まれていたら建築家なんて目指さなかったという話をしていた。適当に観光客相手に商売をして、愛犬とともにサーフィンでもしながら、彼女と夕日でも見ながら、ゆったりと過ごしていただろうって。
それから僕はまたも沖縄のことを思い出していた。細長い道に面する細長い街区は片側が表、片側が裏になっているのだけれど(両方が道に対して表になることができないほど細長い街区なのだ)、その裏側の開いた窓から、オジサンたちがセザンヌの絵画のようにパイプをくゆらせトランプをしているのを見たときに、急にまた沖縄のみさきの近くの集落のことを思い出したんだ。そうしてみると、美しい海岸線やゆったりとした時の流れがやけに沖縄とリンクした。日本に帰って最初に行くべき場所は沖縄なのかもってなんだか今そう感じている。
人々はビーチで遊ぶ。水に入るというよりもサッカーやバレーをし、寝転がって太陽の日差しを浴びている。
もう10月半ばであるが、日中の日差しは水に入りたくさせるような強さで僕らを射す。水着を持ってこなかったことを後悔した。
想像以上に道は広い。もっともっとすべてが細かかったらおもしろいのに。車なんて入れないくらい。
でも全ての道の先に海が見えているっていうのはかなり心地いい。
海岸線から見た街区割。立面と言うよりは断面と言った趣で街区が現われている。街区と道の関係性の面白さを一番感じたたのはその空間を体験していた時よりもこの立面を見ていた時であった。
美しい海。水が本当にきれいだし、沖縄の海よりも海岸にごみが少ない。韓国や中国から流れ着くゴミ、そして日本人観光客が捨てるゴミ。沖縄の海を損なっている。あんなにきれいなビーチならゴミを捨てる気なんて起きないし、むしろゴミを拾おうって気持ちに俺はなる。事実沖縄に行ったとき、目につくゴミを拾いながら海岸線を歩いた。
ナザレの海は砂浜の部分がとても広い。だから自ずとビーチサッカーをやる流れにもなる。それから、波は結構高かった。
自然の揺らぎは心を癒やすということを実感した。波が寄せては返していくのと、夜、薪の炎が揺らいでいるのはいつまで見ていても見あきることがない。
建築とは関係のないところで、ゆったりとした時間を味わえたナザレの旅。
