変わっていくということ。 | 断片の集積

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主にポルトガルでの生活について

こちらにきて、英語でプレゼンをしているのだが、プレゼンの仕方が大きく変わったと思う。日本にいるときは言い方は悪いけれど、正直に言って、自分の言いたいことを言い切れればそれでいいというプレゼンの仕方だった。でも、こちらに来て、僕の言いたいことちゃんと伝わってる?というプレゼンの仕方になった。相手の顔を頻繁に見て、顔を確認しながらしゃべるようになった。これは時間がかかってしまうし、しゃべり方もゆっくりになってしまって良くない面もあると思うけれど、こんなに「ちゃんと伝える・伝わる」ということに意識的になったのは初めてだと思う。そういう気持ちを日本にいるときからもっと持っていなければならなかったと痛感する。相手に正確に伝わっているということがこんなにも重要だとは思っていなかった。言葉が足りなくても伝わっているときもあるし、うまくしゃべれたつもりでも、正確に伝わっていない時もある。難しい。

それから、僕は卒計から本格的に街並みというものについて考えるようになったと思うけれど、街並みについて考えるということは、建築を立面的に考えるということかもしれないと思う。最初建築を始めたときは、まず平面的に考えていた。その後、平面と断面を同時に3次元的に考えられるような訓練をして、空間のことを必死で考えた。そして、その時は立面は内部空間の結果として生ずるもの、断面の延長くらいに考えていた。しかし、街並みのことを考えるようになって、もっと立面に重きを置かなければならないと思うようになった。そして、それと同時に、内部と立面が切り離されていてもよいのではないかと考えるようになった。これはヨーロッパを旅するようになってから少しずつ思っていたことであるが、留学して、結構強く思うようになったことである。外観は街並み調和していて、内部に入ったら、外からは想像できない空間が広がっているということがしばしばある。そういうのが面白いし、ハッとさせられることが多い。ヨーロッパの街区構成を見ていると、装飾が重要であったことが理解できる。

こんな風に人の考え方は変わっていく。考え方だけではなく、見た目やしゃべり方も変わっていく。それは、良いことなのか、それとも切ないことなのか。


昨日、youtubeで伽奈のテレビ初出演という動画を見ていた。友達と好きな芸能人の話になり、僕が伽奈と言ったら誰も知らなかったので、紹介するためにyoutubeで検索した。そうしたら、僕も見たことのない、テレビ初出演の映像が出て来たのだ。伽奈を知ったのは大学2年の時だったと思う。製図室に落ちていた雑誌をぱらぱらと眺めていたらやけに好みのモデルがいて、ちょっと絵にかきたいなあと思ってその雑誌をもらって帰ったのが始まり。その時は名前も知らなかったし、結局絵を描くこともなく、その雑誌は捨ててしまった。その後、バインのFLYのPV、DOSEの修羅のPVと立て続けに「この人素敵だな」と思ったけれど、その時はまだそれらの人が同じ人だってつながっていなかったし、バインのPVにそんなに有名な人が出るわけないだろって思ってたから特に調べたりもしなかった。でも、ウォータリングのCMを見たときに「この人めっちゃ好きだ、そして俺はこの人どっかで見たことある」と感じて、すぐに「FLYのPV」だって気づく。そしてwikiで検索してすべてがつながる。

テレビ初出演の加奈はやっぱりとても素敵で、そのすれていない感じや、少しなまったしゃべり方や、恥ずかしそうな、自信なさそうな仕草がとてもよくて、そういう部分が変わらなければ良いのにと思う。しかし、これからさらに活躍していったら、そういう部分が失われていくのはむしろ自然で普通のことなのだろう。

村上春樹の文章は変わっていくことへの不安や恐れ、変わらないでいることへの憧憬にあふれていると思う。そして、そこを乗り越えていくことがテーマになっているように思う。変わっていくことっていうのは何かを損なうことと同義なのだろうか。何かを損なわずして何かを得ることはできないのだろうか。そんなことを考えていた。

人は誰でも時間とともに変化していく。それは人だけでなくパイナップルですら同じである。東君平の僕の好きな話の一つにパイナップルを酒につける話がある。友達がパイナップルをくれて、こんなにたくさん食べきれないというと、パイナップル酒にすればおいしく食べられるし、長持ちすると教えてくれる。やってみると、パイナップル酒を作るのは確かに簡単だし楽しい。しかし、ある時思う。パイナップルはパイナップルのまま食べてやればよかったと。一つの旅行でうそみたいに変わってしまった友達がいた。このパイナップルも酒につけるという単純な一つの作業によってうそみたいに変わってしまったと。今手元に本がないから間違っているかもしれないけれど、大筋はそんな感じだったと記憶している。僕は常に変わりたいという気持ち、変わらなきゃいけないという観念とともに、変わりたくないという強い気持ちも持ち合わせている。人はみな誰もそうなのかもしれないけれど、二つの矛盾する強い気持ちを抱えながら生きている。この留学という大きく変わるであろう人生のポイントにおいてそんなことを思う。でもこれを書いていて今ふと思ったのだが、意外と自分自身は変わりたいと思っているのかもしれない。そして、身勝手に、周りの景色や周りの人たちが変わっていくことに対して寂しさを感じているのかもしれない。高校の頃は早く大人になりたかったけれど、今はもっともっと子供でいたいというか、正確にはモラトリアムでいたい。まだまだ僕にはいろんなことに対して悩む時間が必要だ。


たとえば小学校の時のクラスメイトに会ったら、僕は彼らに対してどんな感情を抱くのだろう。そして彼らは僕に対してどんな感情を抱くのだろうか。彼らが僕が今ポルトガルにいることを誰一人として想像していないように、僕の全く想像の及ばない範囲に彼らもまた存在しているのだろう。そしてそういった様々なものを積み上げて、それらを持ち寄って再会したときに、「変ったね」と言われたくはない。なぜかは分からないけれど、そう思う。僕という一本の太い軸は常にぶれずに存在していて、その周りに様々な要素が付属していて欲しい。そんな風に思う。


最後にまた伽奈の話。伽奈にしてもNICOにしてもそうだけれど、初めて知った時はまだ本当に駆け出しだったのに、気がついたらめちゃくちゃ大きな存在になっている自分と歳の近い人が増えてきた。そういう人たちを見ると本当にすごいなと敬服するとともに、自分はなんてちっぽけで、彼らに比べ意思も、目的も、努力も全然足りてない微小なものしか持ちえていないように感じてしまう。しかし、ネガティブになることなく、彼らの活躍を励みにして、僕もまた頑張っていかなくては。なんか、変な張り合いだけど、誰にも負けたくないし、刃向かっていたいし。


さあ、明日からまた気合いを入れなおして作業だ! できる限りのことをする。努力をしすぎるということはない。

そうそう、で、言いたかったことは、伽奈もNICOもずっと応援し続けます。NICOの新曲とニューアルバム初回盤で誰か買っといてくれないかなぁ笑。FOO FIGHTERSのベストも笑。