Live with Max. -29ページ目

Live with Max.

世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。

 今日は、会員様からいただいたトレーニングに関するご質問をネタに。

『なんで降ろす時は、挙げる時よりもゆっくりにするんですか?』

 昔からたまにいただくご質問ではありますが、やや小難しい説明になるので、だいたいは『そのほうがトレーニングの効果が高まるんですよ』という程度にとどめていましたが、実際の理由について大雑把ですが、まとめてみたいと思います。


 筋肉を発達させるために、トレーニングではポジティブ(負荷を挙げる)よりもネガティブ(降ろす)の局面の方が大事だということは基本中の基本。

 ネガティブの局面には筋肉の発達にかかわる成長因子の発現や衛星細胞を刺激する効果が大きく(特にストレッチ種目)、力学的な刺激もポジティブより強くなるからです。つまり、

☆ネガティブの方がより強い力を発揮する

 ということです。


 しかし実際にトレーニングをしてみると、キツイと感じるのはネガティブよりもポジティブですよね。そこで判断すると誤解しやすいのですが、筋肉には

☆全か無の法則

というのがあります。

 筋繊維は100%の力を発揮するか、『0%』まったく力を発揮しないかの2つしかありません。

 例えば、アームカールでMAXの80%のあたる負荷をかけたとします。この時、全ての筋繊維が80%の力を発揮するのではなく、8割の筋繊維が全力を出し、残りの2割は何もせず休んでいる状態だということです。

 ということは、筋繊維の動員数でみるとネガティブではポジティブよりも少ないということになります(ポジティブと同じ数の筋繊維が働いていたら降ろせない)。少ない筋繊維で同じ重さをコントロールするわけですから、個々の筋繊維にかかる負担はより強くなる。

 筋繊維の動員数はネガティブの方が少ないので、ポジティブより楽に感じるが、筋肉の中をみると、ネガティブではポジティブの時よりもキツイことをさせられている(強い刺激)、というわけです。


 だからネガティブはゆっくりが大事。重さに逆らいブレーキをかけるように降ろすことで、動員される筋繊維の数は減って、より強い負荷がかかる。ブレーキをかけないと動員される筋繊維の数も減るし、刺激も減るということになってしまう。種目や部位にもよるけど、3~4秒かけて降ろすというのが一般的。

 そして100%の力で頑張っていた筋繊維が力尽きて、それまで休んでいた筋繊維が代わりに仕事をし始める。これが繰り返されることで、まんべんなく刺激を与えることになるので、筋肉の緊張時間やセット数なども必要となってくる(ちなみに、ゆっくりとした動作でも、重い負荷を扱うことで速筋繊維は動員される)。


 というのがレップテンポの基本的な考え方。もちろん継続的な発達のために刺激の変化は欠かせないので、ネガティブはコントロールを崩さない範囲で速めにおろして、できるだけ重いウェイトを扱うことを重視したりする時もあります。どっちかというとそっちの方が精神的には充実感があるので、偏ってしまいがちなのですが、目的が筋肉を発達させることならば、ネチネチと効かせるトレーニングというのも大切。

 今思い出しましたが、アーノルド・シュワルツネッガーの腕について、『アーノルドは周囲のビルダーよりもずっと軽いダンベルで、ゆっくりとした動作であの腕を作り上げた』なんて話をアイアンマンで何度か読んだりしたこともありました。


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 僕が愛読しているとある月刊誌にこんな対談が掲載されていた。岩井虔氏(PHP研究所客員・元専務)と上田勝氏(兵庫経営塾代表)が松下幸之助氏から学んだ心得という内容だった。


~以下引用~

岩井「…もう一つ申し上げたいのが、『質問の手を挙げたら昇格』というお話です。ある時、幸之助さんは『わしは創業期から従業員によう話をしたもんや。その後で時間があれば"なんぞ質問ないか"と聞くようにしていた。そしてパッと手の上がる従業員の名前を覚えておく』と言われました。『覚えてどうなさるんですか』と聞くと『昇格』とおっしゃったんです」

上田「手を挙げただけで?」

~引用終わり~

 その理由についても続けて書かれていたが、この「名前を覚えておく」というところに目が止まった。もし従業員がそのことを知っていたら常にしっかり問題意識を持って話を聞くようになるのではないだろうか。だけどそれを知らなくても、そうやってその場で質問や意見を発言できるチャンスを逃さない人間であることが重要なポイントになるのではないだろうか。そんなふうに感じたんですね。

 そして自分の過去にそれを当てはめて考えると、一番最初に思い浮かんだのが、学校で先生に質問する時のことだった。僕は質問したいことがあっても、その時は黙って、講義や授業が終わってから黒板を消している先生に質問したり、後から職員室に行って個別で教えてもらったりすることが普通だった。

 なぜそうだったのかというと、当時はそんなこと考えていなかったが、今になって正直に思い返すと、授業中に質問をしないのではなく、できなかった、といのが正確だろう。自分が目立つことへの抵抗というか恥ずかしさであったり、『この程度のことで今質問したら悪いから』とか、そんな気持ちだったと思う。

 でも今考えると、そっちの方が自分の見栄え、周囲からどう見られるかを過剰に意識しているだけの「ええ恰好しい」じゃないか?そんな時もあったのではないかという気がする。
 ただ、いずれにせよ、その場で質問をする『勇気』がなかったということには違いない。その勇気が持てないということは、時には無自覚に自分の中の問題意識を低下させている可能性もあると思うんですね。なぜなら、そのつもりはなくても、周囲の目を気にして自分に必要なことを後から質問しようと思ったりすることが、なんか緩いのかも知れないし、疑問に感じたことをまとめられないこと自体も、自分を成長させるチャンスを逃すことに繋がりかねないから。

 だいたいそういう人は、わたざわざ「質問タイム」が準備されていても後から聞こうとするのではないでしょうか(まさに以前の僕のことですがσ(^_^;)) そんなことをしていた自分を振り返ると、そっちのほうがいやらしい奴だなぁと思ってしまいます。

 今、自分を成長させるチャンスだということを認識しているだけでなく、それを行動で示せるかどうか。それができない人間は、あと一歩、一瞬遅すぎてそのチャンスを逃していくことになり、さらに逃したことにも気づかずに過ごすことになるのではないだろうか。そんな気がした。
 と、偉そうなことを書いてみましたが、問題意識とうい点では、疑問や自分の意見を素早く頭の中で整理しようとする努力というか意識が足りていない、習慣にはなっていなく、どちらかというと必要性に迫られてそうなっている時の方が多いなぁという反省の方が僕は多いです。

 そして、今、このブログを書きながら思ったこと。質問の手を挙げることの、もう1つの意味。それは自分を成長させる一瞬のチャンス、その巡り合せに感謝しているかいないか、幸せだと感じているかいないかという差にもなるのではないだろうかということ。

 そして自分が疑問に思ったことは、誰かの役に立つことも非常に多いのではないだろうか。自分と同じ疑問だったり、誰かの疑問を聞いて自分の中で答えを自然と考えはじめていたり、そこからまたあらたな気づきや疑問が生まれてきたり。意識していないだけで、そういうことが繰り返し、繰り返し行われているはず。

 だから手を挙げる『勇気』は、自分がその場にいる巡り合せに幸せを感じることでもあり、その幸せを周囲にも分け与えることでもある。『質問の手を挙げたら昇格』とは、そういう人間が集まることで会社のより大きな発展と従業員の幸せがあり、たくさんの社会への貢献がなされる。恥じることを避ける人間からではない。そんな意味があるのではないだろうか。

 今一歩勇気が出ないときには、そのことを思い出すようようにしてみたい。



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久々にトレーニングのお話。

 トレーニング方法は考えたら終わりが無いほどだけど、アイソメトリックを行っているトレーニーってどれほどいるだるか。日本語で等尺性運動といって筋肉の長さが変わらない収縮状態のこと。

 空気イスとか、胸の前で両手の平を合わせて押すなど、動いてないんだけど力は入り続けている状態。ブルーワーカーっていまもあるんですかね?アイソメトリックといえば僕のなかではブルーワーカー。たしか小学校1、2年生の頃、父が買って家にあったのを買ってに使ってトレーニングしていたのを思い出します。

 実は左の腕を痛めてしまい1ヶ月半ほど腕のトレーニングはアイソメトリックや加圧、スロトレといった内容でリアクションを防いだりしながらだと無理なくできる状態でした。それを見ていたお客様からアイソメトリックって効果あるのかどうかを質問されたので、ネタにしてみようかなと思い。

 やっぱりトレーニングは重いウェイトを挙げたり降ろしたりという、醍醐味とでもいいましょうか。そこが好きでもあるので、黙って動かないアイソメトリックは地味で何となくつまらない感じです。僕の周りでそれをしている人もいません。

 しかしそうかといってトレーニング効果が低いのかと言えば、やり方によってはなかなか侮れないなぁと、最近自分で試しながら感じています。


アイソメトリックを行う場合に忘れてはならないのは、動かく関節の角度を細かく分けて行うこと。一つの角度だけで力を入れ続けていてもあまり意味がない。

 僕がやっているのはアームカールだけですが、肘の屈曲角度を6つにアイソメトリックをおこない、出来るだけまんべんなく刺激を与えるようします。だいたい8~10秒くらいでキープできなくなるくらいの重さを使い、それぞれの角度を立て続けに行います。

 そして大事なのが、関節の角度が変われば当然ながらクロスブリッジの接触面積が変わり発揮できる筋力も変わっていくので、重量も変化させる必要がある。

 なので、普段やり慣れているトレーニングに比べるとちょっと手間はかかるが、たまにやってみるとなかなか面白いし、普段とは違う刺激が加わっている感触も十分にある。後半になってくると『くっ、くっ、くっ・・・』と言いいながら踏ん張ってます。

 ヘビーデューティーではポジティブフェイラーに達してから最大コントラクトポジションでアイソメトリック、そしてパートナーにネガティブをやってもらうなんてのもあったような気がする。そんな使い方もある。


 ちなみにこれはあくまでボディビル的トレーニングで筋肉へ深い刺激を与える場合の話で、アイソメトリックが強くなることが、何かの動作パフォーマンス向上にに強い相関があるかどうか分かりません(その逆は確実にあるでしょうが)。他のトレーニング方法には劣ると思います。

 動作については、コーディネーショントレーニングというものがあるように、関わる運動単位の【数・どれほどの強い収縮を行わせるか・活動のタイミング】といった神経機能の働きも重要だからです。

 上述したやり方はマシンやケーブルなんかでやると、やりやすいですね。刺激を変えて追い込みたいという人は、たまにやってみるのもお勧めです。僕は意外と『追い込めている感』がありますよ。


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LINEのタイムラインの最新投稿。
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Dr.スランプ泉ちゃんがまめに更新してますよ~
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次回の投稿は
『ゲオスタッフ史上初の◯◯』の予定らしい。誰が登場するのかなぁ。

まだ登録されていない方は、館内掲示をご覧下さい( ´ ▽ ` )ノ
先日、他店舗の社員と『謙虚な姿勢とは』という言葉について参加者全員で考える場面があった。

 謙虚な姿勢を保つというのは、そうありたいと思う一方で、じゃぁ常にそれを意識してそうなるようにしているかというと、僕の場合はそんなことを自分から考えて日々を送っていることなんてないかもなぁと感じながら周囲の話を聞いていた。

 その日の夜に、改めて謙虚という言葉の意味を調べると『控え目で、つつましいこと。へりくだって、 すなおに相手の意見などを受け入れること。』とある。この意味の一語ずつにじっくりと目をやると、やっぱりとてもじゃないが、僕はそういったことを意識しているなんていえない。。。

 じゃ謙虚の反対はということ、『横柄』『傲慢』という言葉がでてくる。自分を悪く思いたいないという気持もあるだろうが、『傲慢』な気持を持ってしまって後悔し、反省する時はあるから、謙虚でなくとも、その反対にはならないよう気をつけることぐらいは辛うじて意識できているだろうか。

 そこでまた、じゃ傲慢になっている時というのはどんな時だろうか?と考えてみた。そのことを自分なりに反省する時ってのは、人に対して腹を立ててしまった時や、無視するとはいかないまでも相手の言動を受け止めて、それに応えようとしなかった時など。

 なぜ自分がそんな風に傲慢になってしまう時があるのかを考えてみると、例えば仕事でも、何かに対して自分なりに真剣に努力をしていることがあって、それを同じように取り組もうとしてくれない人に対してつい腹を立てたりしてしまう、なんてことも以前は多かったように感じる。

 そうやって相手を批判する気持を持ってしまっているようじゃ、とてもじゃないが謙虚に生きていくことなど難しいのかも知れない。今はなんとなくそんなことぐらいは考えられる(あくまで僕なりの考え方です)。

 上記の僕の例でいうと、自分が何かに対して真剣に努力していると自負出来るくらい頑張るところまではいいけど、同じように取り組んでくれない人に腹を立てるところが余計。黙って自分がやるべきことに一生懸命取り組み続けること。それが謙虚な姿勢の1つではないだろうか。

 と、ここまで考えた時に、とんでもなく大きなことに気づいたかのように僕はハッとした。じゃぁ誰かが真剣に取り組んでいることを、同じように僕も真剣に取り組んでいるか?逆の立場で自分を観た時はどうなんだろう?自分がやるべきだと思っていることにエネルギーを注ぐことではなく、仕事においては全体で取り組んでいることや、自分が与えられた役割を一生懸命果たそうとしているか?

 自分が大事だと思って力を注ぎたいと思っていることは、自分が『いいなぁ』思い描いていることとは異なることもあるのではないだろうか。いや、もしかしたらそっちの方が多いかも知れない。だからといってそこに手を抜くことこそ正に傲慢というもののような気がしてきた。自分では抜いていないつもりでも、周囲の人間はそんなの一瞬で見抜く。

 『与えられた役割』『周囲に求められること』を精一杯果たそうとすることで、自然と傲慢さをなくしていけるのかも知れない。謙虚な姿勢が身についていくのかも知れない。そうしているうちに自分が『やりたい』『やるべきだ』『いいなぁ』と思っていたことでなくても周囲から評価される結果がでたり能力が認められるようになっていけば、それが自信にも繋がっていくだけでなく、新しい道も拓けてくる。

 自分が重視していることを、相手に理解してもらいたいと思う前に、自分が今与えられた役割を精一杯果たしていくことは、謙虚でありながら、自信を身に付け、自分が気づかなかった才能や能力を開花させるきっかけにもなるかも知れない。

 与えられた役割や環境をへりくだって受け入れ、精一杯頑張ってみる。今の自分はまだまだそれをしていく余地が大きいのではないだろうか。これは『当たり前のようで、やっているつもりのようで、できていないこと』だな。理想論などと思わずに、謙虚に受け入れてみたい。

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投稿写真

アメリカへ行ってきた方に、お願いしてウェイトリフティングシューズを買ってきてもらった(^o^)/

これをスクワット専用に。楽しみだなぁ。試しに軽く履いたが、やっぱり床との密着感と安定感がスゴイ!
脚の日が待ち遠しい!


 先日のスペシャルオリンピックスについてブログへ、たくさんのご反響をいただきました。記事の一番したにあるFBの『いいね』の数も、FBへも投稿したブログの中ではダントツの過去最高数になった(FBへの投稿はしたりしなかったり、気まぐれです)。

 僕はスペシャルオリンピックスというものを先日初めて知ったばかりだし、知的障害者をボランティアでサポートした経験もないから、『現実』については正直分からない。長山選手のように競技レベルを高めることだけではなく、周囲とうまく接していけるようになるための手段の1つとして競技を続ける大人もいるだろうし、まずは仲間と一緒に運動に親しみ楽しむことから、という子供もいるだろうし、様々だと思う。


 ただ僕はテレビを見ていて、長山選手の受け答えやお父さんの話の内容を聞き、人物そのものに惹かれた。そして長山選手に次の大会でも頑張って欲しいなと思うと同時にスペシャルオリンピックスというものを知った。そしてその応援したいという気持からスペシャルオリンピックスをここでご紹介した。

 今、この僕の気持の流れを振り返ってみると

 テレビで長山選手を知った→すごいなぁと思い、経歴やコメントを聞いて競技だけではなく、人間的にも更に惹き付けられた→頑張ってほしい、応援したいと思った→スペシャルオリンピックスについて知った→僕のように知らない人がいたら、ぜひ知って欲しいなと思いブログに書いた→たくさんのご反響をいただいた

ということになる。

 小学生の時にはじめたバドミントンを、以来ずっと続けてきた。そして今世界の頂点に立ち、また次回の大会に向けて努力している。その結果や過程を知る人が増え、エールを送る人が増え、スペシャルオリンピックスと日本でその活動を支える組織を知る人や、それに対する支援も増えていってくれるのではないだろうか。

 長山選手が一生懸命取り組むことで、それを応援する人や仲間の輪がどんどん広がっていっているのだと思う。僕がテレビたでみたのは長山選手だったが、もちろん他にもそういうアスリートはたくさんいる。

 僕は自分が知らずのうちにその輪の中に入っていたことに気づき、改めてこう思った。理解してくれる人や支援がないからやり続けるのは難しいと思うのではなく、まずは自分が一生懸命取り組むことで必ずそれを認めてくれる人が現れ、その輪は広がっていくものだと。もし今、自分の取り組んでいることに孤独感を感じてい人がいるなら、ぜひそう信じてほしいと僕は思うのです。その姿を応援してくれる人は必ずいます。

 しかし、長山選手のその姿勢はもちろんだけど、世界の頂点に立てるような実力もあったからで、努力だけではなく結果がだせたからこそではないか?と考えてしまう人もいるかも知れない。もちろん確かにそれはあると思う。

 だけど僕はこう思う。結果が出せなくたっていいじゃないか。1人でやり続けたっていいじゃないか。努力を続けても、その努力が必ずしも結果に結びつかないこともあるじゃないか。その想いは誤解されて届かないことだってある。
 これは何も何かを成し遂げようと取り組む時だけではない。人間関係においても同じことがいえる。たくさんの出来事があって、色んな人がいて、意図せず間違った努力をしてしまったり、誤解されてしまったり、良かれと思ってしたことが裏目にでてしまったり。

 でも僕らはその一時においてのみ生きているわけではなく、人生は長い。だから、そんな時こそ自分の性根や志しが試されているのではないだろうか。大きな輪にならなくとも、結果が出せなくても、誤解され、認めてもらえない時は誰でもある。
 それでもいい。それでも諦めずに目の前の小さな一歩を進むために一生懸命取り組む。そのことが尊いのだと思う。たとえ大きな輪を作ることが出来なくても、そんな生き方を志していくこと自体が人生に大きな意味をもたらしてくれると僕は信じたい。

 そう考えるならば、悩みや苦しみを手放し、穏やかな心で、そして勇気を持っていけるはず。幼い頃から障害を持ちながらも、今もなお一生懸命努力を続け、競技では世界の頂点にも立ち、大きな輪を作った長山選手。たとえそんな大きなことはできないと感じたとしても、そこからその勇気を僕は与えてもらったのです。

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 先日、肋間部を痛めてしまい、整形外科へ行き、そのあと薬局へ行った時に、そこのテレビに何となく視線を向けると、すごい真剣な視線でバドミントンの試合をしている男子選手になぜか目が止まった。軽快かつ鋭い足運びから、瞬間的に全身をムチのように使う強烈なジャンピングスマッシュに見入った。

 テレビのボリュームが小さかったので、僕は思わず立ち上がってテレビに近づきナレーションに聞き入った。バドミントンをしていたのは長山諒太選手。1歳半の時に自閉症と診断されたのこと。

 そしてそこで初めて聞いた『スペシャルオリンピックス』という言葉。番組を見終わってすぐに長山選手とスペシャルオリンピックスについての検索をしていた。

スペシャルオリンピックスホームページより引用
『スペシャルオリンピックスの使命は、知的障害のある人たちに年間を通じて、オリンピック競技種目に準じたさまざまなスポーツトレーニングと競技の場を提供し、参加したアスリートが健康を増進し、勇気をふるい、喜びを感じ、家族や他のアスリートそして地域の人々と、才能や技能そして友情を分かち合う機会を継続的に提供することです。』

 パラリンピックは知っているが、知的障害を持つ方と接する機会がない僕は全くこのことを知らなかった。

 長山選手は2011年アテネで行われたスペシャルオリンピックスのバドミントン競技で世界の頂点に立っている。どうりで凄い動きなわけだ。発育障害が運動機能にどのように影響するかについて僕は全く知識はないが、長山選手の身体能力の高さに僕は驚くしかなかった。障害にも程度はあるだろうが、並大抵ではない努力を継続してきたのだろうと感じた。

 ここで僕が引きこまれた長山選手のプレーの詳細を書きたいところなのだが、それ以上に僕が深く考えさせられたのは、長山選手と、父親である長山成生さんの話だった。

 スポーツを通して様々な感情を周囲の人と共有できることの素晴らしさを経験していることも、もちろんだと思うが、長山選手は自分が自閉症であっても、バドミントンを続けることによって周囲の人と良い人間関係を築いていくことに役立っているという。

 競技レベルとしては世界の頂点を極めた一方で、自分の症状を克服する目的であることまで意識して取り組んでいるということだ。放送を見終えた後、僕はそんな長山選手にすっかり心を奪われたといっていいくらい惹き付けられた。

 そして父親である長山成生さんはこう言っていた。
『以前は、うちの子はここまでのことしか出来ないという線をついつい引いてしまっていた』だが長山選手を育てながらそういった考えを持つことをやめ、『大きく成長できるきっかけを作ってあげていきたい』と考えるようになったのだという。

それを聞いて僕はテレビの前で、ゆっくり頷きながら思わずうなった。

 知的であろうと、身体的であろうと、障害があることを知ってしまうと、以前の長山選手のお父さんのように、『ついつい』どこまでできるかを勝手に線引きしてしまいがちになるのではないだろうか。

『これだけできれば十分だ。』
『これ以上は難しいだろう』
『そこまで求めたら楽しくできないだろう』

 そういった方のスポーツに携わるとしたら、僕もそんなふうに考えて接してしまうだろうという気がした。しかし長山選手のお父さんのように『大きく成長できるきっかけを作ってあげたい』と考えを変えるならば、大事なのは『経験すること』に他ならない。

 つまり『どこまでできるか?』ということではなく、『どうやったらそれができるか?』ということを一緒になって考えていくこと。それが、成長できるきっかけ作り。長山選手のお父さんはそんなふうに考え方を改めてきたのではないかと僕は思うのです。

そなんことを考えていると、ふとあることを思い出した。

『日本一大切にしたい会社』でも有名になった日本理化学工業の話。黒板に字を書くチョークでトップシェアを持つことで知られる優良企業。しかし有名なのはそれだけではない、従業員の7割以上が知的障害者であること。

 障害者の雇用をはじめてから、同社の大山会長の方針に反発する声もあがったという。知的障害者へ仕事を教えることは非常に大変だという理由からだ。

しかし大山会長は
『今あるやり方を彼らにあてはめようとするから彼らにはできないのだ。そうではなく、彼らができるやり方をみんなで考えてくれ』という。

つまり『どうやったらできるか?』
 そしてそれを考え続けることによって画期的な工程が生み出され、重度の障害者でも社会の役に立って働くことができることを実証されてきた。

 そして同社で働く健常者に対しては、『彼の能力がここまでしかないから、この仕事はできないのだと思うようでは、当社の社員としての責任を果たしたことにはなりません。どのようにすればその人の理解力に合わせて仕事ができるようになるのか、それを考えるのが社員の仕事です』とも言っている。

 人(障害の程度)によって、『できること』や『結果が異なる』ということではなく、やり方は違えど、決められた仕事で同じ結果になるようにするということだ。

長山選手のお父さんの言葉である、『成長できるきっかけを作ってあげる』ために『ここまでしかできないという線を引く』ことをやめる。そして大山会長の言葉。僕にはこの2つが見事に重なっているように感じた。

 重度障害を持つ人達が、福祉施設ではなく、一般の企業で働き、社会の役に立ち必要とされるようになった。そして生きる手段を自らの努力で得られるようになり。長山選手はスポーツを通じて競技成績の向上や周囲と様々な気持を共有する喜びだけでなく、周囲との人間関係を自ら築いていくために役立つものとしてバドミントンを続けている。
 僕が今、このような知的障害を持つ人と、それを支える人たちから得た気付きがどのようなものかをぜひお伝えしたいと思い今回のブログにさせていただきました。

 成長していくためには、経験をしてその結果を自分が知るということが大切だ。人間は大事にされることが幸せなのではない。健常者も障害者もそれは変わらないのではないだろうか。大山会長と長山選手のお父さんの言葉を整理しながら、あらためてそんなことを思ったのでした。

 ご紹介したスペシャルオリンピックスは1万1千人を超えるボランティアによって支えられており、また個人や企業の寄付や支援によって運営されているようです。長山選手のように世界の頂点を極めるだけでなく、自分自身を克服していくためにも参加し続けているアスリートが増えていってくれるのならば、そしてそこにエールを送る人達が増えていってくれるのなら、これが『素晴らしい!』と言わずしてなんであろう。僕はそう思う。

 ご共感いただけた方は、ぜひホームページをご覧いただけたらと思う。活動の詳細や参加しているアスリート、個人でどのような支援ができるかなどが分かります。FB経由でご覧の方はシェアしていただければ嬉しい限りです。

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 昨日はタムさん不在のため、高村がBSを代行しましたが、ちょっとした違いだとはいえ、やっぱり普段はやっていないことをやるのって、それなりに緊張するものだろう。

 で、僕らが心配することの1つが『間違わないように』ということだと思うんですね。昨日もレッスン前に練習しながらそんな心配をしているところに僕は無意識にこんな言葉をかけていた。

『間違わないようにしようとすることが、間違いなんだよ』

 何で間違うのがダメなのかといえば、当然ながら参加して下さったお客様に申し訳ないというのもありますが、間違ったことに対して『自分が嫌な気持になってしまう』ということもあるんですね。そんなことを2人で話していて、とっさに出たのが『間違わないようにすることが、間違い』という言葉だった。

 仕事でミスをすることは当然無い方がいいし、うまくいっていることは精神衛生的にも良いものですよね。仕事以外でもいえることですが。しかしだからといって『間違ったらどうしよう』『ミスしないように気をつけなきゃ』という意識が一番にくるのは、どうなんだろう?僕自身が普段思っていることを、逆に聞く立場になって耳にしたことでそんなことを考え始めた。

 間違わないように、失敗しないようにと気をつけていたにも関わらず、その為に準備や練習をしてきたにも関わらずミスってしまった時、あなたならどんな気持になりますか?

 僕の想像ですが、おそらく多くの人が『あ~やってしまたぁ』という感じで、さきほど出てきた『自分が嫌な気持になってしまう』状態になると思うんですね(もちろん大して準備や練習をしていないのに悔しがるのは変な話ですが)。その時の心理状態としては明らかに後ろ向きですよね。


『その失敗から何かを学ぼう』というのは限りなくゼロに近く、ただ悔しがったり、落ち込んだりすることに時間を費やすだけに終わり、そのことを意識するのはまた同じ失敗をしてしまった時、なんてことになったりしやすいものではないでしょうか。

 なぜそうなるのかといえば、何かを成功させようとしたり、チャレンジする時ほど、間違いや失敗というのは必ず起こりえることなのに、それを『してはいけない』と考えることによって、それが『悪いこと』だという認識になってしまうからじゃないだろうか。

 そうなると、失敗から学ぶことよりも、自分を責めたり失敗そのものへの嫌気が強くなってしまったりという状態に陥ってしまう。でもそれでは、本来の目的や求めていた成果に近づいていくことに大して、逆に悪影響を及ぼすことにもなりかない。正反対の結果になってしまう。

 だから、『失敗や間違いを犯さないように、というのが間違い』という気がしたんですね。もちろんそういう気持を持つのがダメだというわけではなくて、そこに意識を奪われ、それが一番にならないようにしよう、ということです。


 とはいえ、失敗や間違いは誰でもしたくはないし、そういう不安をゼロにできる人って稀だと思います。だから、そんなことを考えないようにするなんて無理だと僕は思うんですね。だから、一番に求めるものが『失敗やミスをしないこと』ではないならば、『失敗しないようにしよう』ばかりをついつい考えてしまっている時に

『失敗や間違いを犯さないことが一番の目的なのか』
『つまずかずに進むことが、求める結果なのか』

 せめて、そう自問してみることで、失敗や間違いよりも、本来の目的や自分が得たいと思っている結果である、『自分にとって一番大切なこと』に気持を向け直すことぐらいはできるのではないでしょうか。少しでも後ろ向きな不安がやわらぎ、勇気がでてくるのであれば、まずはそれだけでもいいじゃないか。

 失敗や間違いを犯した自分を責めるだけの非生産的な時間を減らせれば尚よいだろうが、『自分が大切にしたいことを、ほんとうに意識して大切にしているだろうか。』そんなことを深々と考えさせられたのでした。

 よく、『やってはいけない◯◯』とか『致命的◯◯の習慣』とか、やっていはいけないことのリストを作り上げているのを見たりしますが、そこにエネルギーを注ぐことに僕は少し違和感を感じる。『幸せになるための7つの習慣』と『不幸を呼ぶ7つの習慣』があったとしたら。幸せになる方法と、やったら不幸になってしまう避けるべき習慣と、どちらを知りたいでしょうか。どちらにより多くのエネルギーをつぎ込みたいでしょうか。

 どちらもあってもいいと思いますが、避けるべきことばかりにフォーカスしてしまうのは、非生産的だと、僕はそんなふうに感じてしまうのです。

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