【スペシャルオリンピックス】 | Live with Max.

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世の中のあらゆることは、人間関係に行きつく。
そんな視点でいろんなことを考えながら書いています。

 先日、肋間部を痛めてしまい、整形外科へ行き、そのあと薬局へ行った時に、そこのテレビに何となく視線を向けると、すごい真剣な視線でバドミントンの試合をしている男子選手になぜか目が止まった。軽快かつ鋭い足運びから、瞬間的に全身をムチのように使う強烈なジャンピングスマッシュに見入った。

 テレビのボリュームが小さかったので、僕は思わず立ち上がってテレビに近づきナレーションに聞き入った。バドミントンをしていたのは長山諒太選手。1歳半の時に自閉症と診断されたのこと。

 そしてそこで初めて聞いた『スペシャルオリンピックス』という言葉。番組を見終わってすぐに長山選手とスペシャルオリンピックスについての検索をしていた。

スペシャルオリンピックスホームページより引用
『スペシャルオリンピックスの使命は、知的障害のある人たちに年間を通じて、オリンピック競技種目に準じたさまざまなスポーツトレーニングと競技の場を提供し、参加したアスリートが健康を増進し、勇気をふるい、喜びを感じ、家族や他のアスリートそして地域の人々と、才能や技能そして友情を分かち合う機会を継続的に提供することです。』

 パラリンピックは知っているが、知的障害を持つ方と接する機会がない僕は全くこのことを知らなかった。

 長山選手は2011年アテネで行われたスペシャルオリンピックスのバドミントン競技で世界の頂点に立っている。どうりで凄い動きなわけだ。発育障害が運動機能にどのように影響するかについて僕は全く知識はないが、長山選手の身体能力の高さに僕は驚くしかなかった。障害にも程度はあるだろうが、並大抵ではない努力を継続してきたのだろうと感じた。

 ここで僕が引きこまれた長山選手のプレーの詳細を書きたいところなのだが、それ以上に僕が深く考えさせられたのは、長山選手と、父親である長山成生さんの話だった。

 スポーツを通して様々な感情を周囲の人と共有できることの素晴らしさを経験していることも、もちろんだと思うが、長山選手は自分が自閉症であっても、バドミントンを続けることによって周囲の人と良い人間関係を築いていくことに役立っているという。

 競技レベルとしては世界の頂点を極めた一方で、自分の症状を克服する目的であることまで意識して取り組んでいるということだ。放送を見終えた後、僕はそんな長山選手にすっかり心を奪われたといっていいくらい惹き付けられた。

 そして父親である長山成生さんはこう言っていた。
『以前は、うちの子はここまでのことしか出来ないという線をついつい引いてしまっていた』だが長山選手を育てながらそういった考えを持つことをやめ、『大きく成長できるきっかけを作ってあげていきたい』と考えるようになったのだという。

それを聞いて僕はテレビの前で、ゆっくり頷きながら思わずうなった。

 知的であろうと、身体的であろうと、障害があることを知ってしまうと、以前の長山選手のお父さんのように、『ついつい』どこまでできるかを勝手に線引きしてしまいがちになるのではないだろうか。

『これだけできれば十分だ。』
『これ以上は難しいだろう』
『そこまで求めたら楽しくできないだろう』

 そういった方のスポーツに携わるとしたら、僕もそんなふうに考えて接してしまうだろうという気がした。しかし長山選手のお父さんのように『大きく成長できるきっかけを作ってあげたい』と考えを変えるならば、大事なのは『経験すること』に他ならない。

 つまり『どこまでできるか?』ということではなく、『どうやったらそれができるか?』ということを一緒になって考えていくこと。それが、成長できるきっかけ作り。長山選手のお父さんはそんなふうに考え方を改めてきたのではないかと僕は思うのです。

そなんことを考えていると、ふとあることを思い出した。

『日本一大切にしたい会社』でも有名になった日本理化学工業の話。黒板に字を書くチョークでトップシェアを持つことで知られる優良企業。しかし有名なのはそれだけではない、従業員の7割以上が知的障害者であること。

 障害者の雇用をはじめてから、同社の大山会長の方針に反発する声もあがったという。知的障害者へ仕事を教えることは非常に大変だという理由からだ。

しかし大山会長は
『今あるやり方を彼らにあてはめようとするから彼らにはできないのだ。そうではなく、彼らができるやり方をみんなで考えてくれ』という。

つまり『どうやったらできるか?』
 そしてそれを考え続けることによって画期的な工程が生み出され、重度の障害者でも社会の役に立って働くことができることを実証されてきた。

 そして同社で働く健常者に対しては、『彼の能力がここまでしかないから、この仕事はできないのだと思うようでは、当社の社員としての責任を果たしたことにはなりません。どのようにすればその人の理解力に合わせて仕事ができるようになるのか、それを考えるのが社員の仕事です』とも言っている。

 人(障害の程度)によって、『できること』や『結果が異なる』ということではなく、やり方は違えど、決められた仕事で同じ結果になるようにするということだ。

長山選手のお父さんの言葉である、『成長できるきっかけを作ってあげる』ために『ここまでしかできないという線を引く』ことをやめる。そして大山会長の言葉。僕にはこの2つが見事に重なっているように感じた。

 重度障害を持つ人達が、福祉施設ではなく、一般の企業で働き、社会の役に立ち必要とされるようになった。そして生きる手段を自らの努力で得られるようになり。長山選手はスポーツを通じて競技成績の向上や周囲と様々な気持を共有する喜びだけでなく、周囲との人間関係を自ら築いていくために役立つものとしてバドミントンを続けている。
 僕が今、このような知的障害を持つ人と、それを支える人たちから得た気付きがどのようなものかをぜひお伝えしたいと思い今回のブログにさせていただきました。

 成長していくためには、経験をしてその結果を自分が知るということが大切だ。人間は大事にされることが幸せなのではない。健常者も障害者もそれは変わらないのではないだろうか。大山会長と長山選手のお父さんの言葉を整理しながら、あらためてそんなことを思ったのでした。

 ご紹介したスペシャルオリンピックスは1万1千人を超えるボランティアによって支えられており、また個人や企業の寄付や支援によって運営されているようです。長山選手のように世界の頂点を極めるだけでなく、自分自身を克服していくためにも参加し続けているアスリートが増えていってくれるのならば、そしてそこにエールを送る人達が増えていってくれるのなら、これが『素晴らしい!』と言わずしてなんであろう。僕はそう思う。

 ご共感いただけた方は、ぜひホームページをご覧いただけたらと思う。活動の詳細や参加しているアスリート、個人でどのような支援ができるかなどが分かります。FB経由でご覧の方はシェアしていただければ嬉しい限りです。

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