先日のスペシャルオリンピックスについてブログへ、たくさんのご反響をいただきました。記事の一番したにあるFBの『いいね』の数も、FBへも投稿したブログの中ではダントツの過去最高数になった(FBへの投稿はしたりしなかったり、気まぐれです)。
僕はスペシャルオリンピックスというものを先日初めて知ったばかりだし、知的障害者をボランティアでサポートした経験もないから、『現実』については正直分からない。長山選手のように競技レベルを高めることだけではなく、周囲とうまく接していけるようになるための手段の1つとして競技を続ける大人もいるだろうし、まずは仲間と一緒に運動に親しみ楽しむことから、という子供もいるだろうし、様々だと思う。
ただ僕はテレビを見ていて、長山選手の受け答えやお父さんの話の内容を聞き、人物そのものに惹かれた。そして長山選手に次の大会でも頑張って欲しいなと思うと同時にスペシャルオリンピックスというものを知った。そしてその応援したいという気持からスペシャルオリンピックスをここでご紹介した。
今、この僕の気持の流れを振り返ってみると
テレビで長山選手を知った→すごいなぁと思い、経歴やコメントを聞いて競技だけではなく、人間的にも更に惹き付けられた→頑張ってほしい、応援したいと思った→スペシャルオリンピックスについて知った→僕のように知らない人がいたら、ぜひ知って欲しいなと思いブログに書いた→たくさんのご反響をいただいた
ということになる。
小学生の時にはじめたバドミントンを、以来ずっと続けてきた。そして今世界の頂点に立ち、また次回の大会に向けて努力している。その結果や過程を知る人が増え、エールを送る人が増え、スペシャルオリンピックスと日本でその活動を支える組織を知る人や、それに対する支援も増えていってくれるのではないだろうか。
長山選手が一生懸命取り組むことで、それを応援する人や仲間の輪がどんどん広がっていっているのだと思う。僕がテレビたでみたのは長山選手だったが、もちろん他にもそういうアスリートはたくさんいる。
僕は自分が知らずのうちにその輪の中に入っていたことに気づき、改めてこう思った。理解してくれる人や支援がないからやり続けるのは難しいと思うのではなく、まずは自分が一生懸命取り組むことで必ずそれを認めてくれる人が現れ、その輪は広がっていくものだと。もし今、自分の取り組んでいることに孤独感を感じてい人がいるなら、ぜひそう信じてほしいと僕は思うのです。その姿を応援してくれる人は必ずいます。
しかし、長山選手のその姿勢はもちろんだけど、世界の頂点に立てるような実力もあったからで、努力だけではなく結果がだせたからこそではないか?と考えてしまう人もいるかも知れない。もちろん確かにそれはあると思う。
だけど僕はこう思う。結果が出せなくたっていいじゃないか。1人でやり続けたっていいじゃないか。努力を続けても、その努力が必ずしも結果に結びつかないこともあるじゃないか。その想いは誤解されて届かないことだってある。
これは何も何かを成し遂げようと取り組む時だけではない。人間関係においても同じことがいえる。たくさんの出来事があって、色んな人がいて、意図せず間違った努力をしてしまったり、誤解されてしまったり、良かれと思ってしたことが裏目にでてしまったり。
でも僕らはその一時においてのみ生きているわけではなく、人生は長い。だから、そんな時こそ自分の性根や志しが試されているのではないだろうか。大きな輪にならなくとも、結果が出せなくても、誤解され、認めてもらえない時は誰でもある。
それでもいい。それでも諦めずに目の前の小さな一歩を進むために一生懸命取り組む。そのことが尊いのだと思う。たとえ大きな輪を作ることが出来なくても、そんな生き方を志していくこと自体が人生に大きな意味をもたらしてくれると僕は信じたい。
そう考えるならば、悩みや苦しみを手放し、穏やかな心で、そして勇気を持っていけるはず。幼い頃から障害を持ちながらも、今もなお一生懸命努力を続け、競技では世界の頂点にも立ち、大きな輪を作った長山選手。たとえそんな大きなことはできないと感じたとしても、そこからその勇気を僕は与えてもらったのです。
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