さよなら、牧場さん
永住するつもりでこの牧場を買ったのですが、事情で牧場を去らねばならなくなりました。家族のメンバーがそこからは遠いある大学に関係することになったのです。
それまでに前回の日本語を忘れた日本人の話 に出て来た、三頭のアンガス牛は大きくなって売却してしまって、既にいませんでしたけれど、その代わりにミルクの美味しいというジャージー種の子牛を一頭、ノースキャロライナ州まで、はるばる買いに行って牧草地に放していました。
しかし牧場での失敗はいくつかあったのですが、これもまた失敗でした。とてもきれいな牛で美味しいミルクを期待していたのですが、。
あのヤギの追跡で登場した、なだらかに下って行く牧草地の下の方で草を食べているのを上にいる私が呼ぶと、声を聞きつけてサッと私の方を見るや、喜んでドタバタと重い体のせいで地響きを立てながら私のところまで駆け上がって来るのです。来れば大きな頭を、掻いてくれと突き出してくる。
子牛で来て以来、自分の周囲に仲間の牛を見ることも無く育ってしまったせいか、仲間の牛にではなく、人に馴れすぎてしまったのかも知れません。そのせいか以下のような予想外の事が起こってしまいました。
ミルクを出すためには子を産まねばなりませんので、近くにいる肉牛のアンガスで間に合わせようと交配につれて行ったのですが、同じ牛を怖がってしまうのです。
長い間、人間ばかりを見て育ったせいなのかも知れません。嫌がって相手をよせつけないのです。見たことも無い真黒な大きなアンガスに驚いてしまったのかもしれません。もう少し小型の同じジャージー種ならば結果が違っていたかも知れないのです。仕方なく連れ戻しました。近くでジャージー種の牛がいるのを見たことがないので、他に手段がありません。
ある時、ミルクが出ない牛でも乳房を絞っていると、だんだん、出るようになることもある、と聞いて、ヨシと喜んで試して見た。牛とは言え、断りもなしに大切なところをギュウと掴んでは失礼なのですが、仕方がありません。それでも初めのうちは意外に牛は何も分からずに静かにしていた。
ところが、そのうちに“何だ、何するんだ、図に乗って、、。”という構図になってしまって、これも失敗。とうとうおいしいミルクは飲めないままで、その不幸はいまだに続いていて、ジャージーのミルクは残念ながら飲んだことが一度も無いのです。
さて、引越しの時になって、この牛は交配を頼んだ牧場に子牛の買値の三分の一以下の値段で売却してしまう結果となりました。トホホの取引でしたが、引越しもしなければならず、その時間も限られていて、仕方のないこととあきらめるしかありませんでした。
牧場を生活手段にはしていなかったのですけど、それでも引越しとなると結構、牧場関連の道具類などの売却などがありました。
牧場を売却する時に、この牧場を初めに紹介してくれた不動産屋さんに売却することになりました。売却を頼んだ不動産屋さん自身が買い取るというのです。不動産屋さんにとっては良い取引だったのだと思います。その際、トラクターや、その備品などを牧場につけて売却してくれないかとの提案もあったのですけど、勿論、NGです。
当時、牧場を買った時の値段よりも売る頃の値段の方が上がっていたのです。けれど、売値は買値と同じ値段で売りました。だから即売だったのかと思います。
最後なので、牧場の全周囲にあたる境界を急ぎ足で歩きました。いろいろな思い出が、ここではまだ書いていない多くの思い出がある牧場でした。全周囲を歩くのは、その時を含めて二回目です。一時間以上もかかってしまい、夏に急いで歩いたこともあり終わる頃には汗が流れ落ちるくらいで終わったのです。そして、それが最後のさよならでした。
その後、ほぼ20年近くの間、そこを再び訪れる機会を持つことはありませんでした。
ところが、カナダへ来てから、十数年ですけど、数年前、あのアンガスの子牛を買ったことがある、あのアメリカ人から訪問しに来てくれないかと度々言われて、思うところもあり、夏にアメリカへ車で出かけることになりました。
そのついでに、牧場についても、その後を見るために寄って見たのです。その牧場は変わってはいましたけれど、ありました。その続きは次に書きます。
下は自家製手乗り文鳥です


































