19歳の女性が森で子オオカミと出会い、動物好きの彼女はその子オオカミと仲良しになったのです。ところが女性に大変な事故が起こったのです。このおかげで女性は五年もの間、植物人間のようになっていたのです。その後、奇跡的な回復をするのですけど、女性の記憶が全て失われてしまっていたのです。

そして、ある時その子オオカミと再会することになるのですが、女性はその子オオカミを認識できません。

 

子オオカミの方は女性を識別し、その前で長い、長い遠吠えをするのですが、女性の意識のレベルではそれが分かりません。

けれど、女性の心の深部ではそのオオカミを識別できていたようです。

この詳細は私の以下のサイトに投稿しています。良ければ見て下さい。

http://scenehill.ca/ クリックでサイトに行きます。

巨大な犬

 


見た目にはアメリカンピットブルのように見えます。ピットブルはその噛む力は犬の中でも相当なものです。

 

頭の大きさから想像しても、この犬に咬まれたら、ハイ、それまで。


牛並みで、吠え声もワンワンではなくて、モー。


体が重すぎて足にテープ?

 

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2017年5月16日

 

親切なアメリカの警官との出会い


 

 

アメリカの牧場に引っ越して、直ぐの頃だったと思う。


前に書いたヤギを積んだ小型のトラックの荷台程の大きさのトレーラーに干し草を一杯積んで家に帰ろうとしていた時、車の通りもほとんどない道であったけれど、トレーラーのタイヤがパンクしてしまった。干し草を積みすぎたようだった。

 

ところが、トレーラーのスペアタイヤがよりによってはずしてあって無い。トレーラーを置いたままにして、家に帰って戻った。


道にトレーラーを置くのは違法であるはずと思って、嫌な予感はしていた。

案の定、トレーラーに戻って見ると、そばにパトカーが止まっていて、例の赤い緊急ランプがクルクルと回っている。警官がパトカーの外に出ていてトレーラーをチェックしている。


アー、アー、罰金かな?と覚悟して車から降りて警官の傍へ行く。済みませんでした、トレーラーがパンクして、スペアタイヤをとりに行っていました。と告げた。


警官曰く、そう思った。何か手伝うことは無いか、と言う意味に私の貧弱な英語の耳は聞き取った。

ところが、この私の答えはどこかがおかしかったようだった。おそらくは、その警官の親切心を示す、非常に丁寧な表現になったのを聞き間違えた上に、そ質問の形で示された警官の申し出に対する私の答えまでが逆になっていたのだろうと後で想像した。


警官は分かったと答えて、私に手伝う気になっている。自分の不注意で起こったことなのに、勤務中の警官にまで手伝わせる訳にはいかない。慌てて、いえいえ、と制止したのですけど、いかんせん、こういう場合に、丁寧な英語がすらすら出てくればいいのですが、悲しいことに出来ない。相手の親切な心に答えるに十分な表現がわからない。

親切な警官が立ち去った後で、貧弱な英語力のおかげで、自分の感謝の気持ちが半分も伝わってはいなかっただろう、と残念な思いが今だに残っているのです。


警察官も市民の一人で、他の人と同じように、社会の中で、自分の役割を果たしている。しかし、困った時は警察官を超えて、人と人の助け合いというところなのでしょう。

 

ヤギの木登り

 

 


ヤギは悪魔?

ヤギの餌として、牧場の草の外に、穀物の餌を買いに行きました。そこのレジ係の女性が聞くのです。


“なぜ、ヤギを飼うのかって。返答にちょっと困りました。

 

しかし、こちらが答える前にその女性が続けたのです。その女性の知っている小学校の校長先生がやはりヤギを飼っていて、


その先生が言うには、ヤギは悪魔だ(devil),と言っていたそうです。


これを聞いて驚きましたし、半信半疑。しかし、彼女は何も知らないであろう私に良かれと思って忠告してくれたのです。

 

ヤギのトラブルメーカー

一口で言えば、私のヤギはトラブルメーカーの問題児でした。


しかし心を打たれたこともありました。彼女が売主と別れる時のことです。

小型トラックの荷台程のトレーラーに彼女を載せ、つないでいよいよ帰る時のことです。売主は道に出て、私達が帰って行くのを見送っていました。

走りながら、室内のルームミラーで荷台を見ると、見送っている売主の方へ顔を向けて、ヤギもジッと離れて行く売主を見ていたのです。

ヤギも売主との別れを車の上で感じ取っていたのだと思います。今でも、その時の光景をよく思い出してしまいます。


ギのお転婆ぶり

しかし、その後の彼女のお転婆ぶりには参りました。牧草地のフェンスも何度も簡単に飛び越えてやりたい放題、


二十数本もあるリンゴの木からリンゴをむしり取っては食べ放題の散らかし放題。果樹の皮ははがす、その他の暴れは一通り残さずやりました。


ヤギの子供の誕生

ただ、売主もその可能性については言っていましたが、既にお腹に子供が出来ていて、しばらくすると子供を三頭生みました。

けれどそのうち一頭の面倒をどうしても嫌がって、いろいろこちらも努力したのですが、残念ながら、とうとう死にました。子供は二頭です。


ヤギの売却

後で、その子供と親をあるヤギ牧場に結局、売却したのです。


ところで、このヤギの乳を初めて飲んでみた。初めの印象では、さほど牛乳と変わらないと思った。

しかし牧草地の雑草を食べ始めるにつれて、その味に癖が出て来て、嫌になった。

それで犬や猫にあげるようになったのです。貰った方は大喜び。そのおかげかアライグマと戦った犬や、あの狩りの手練れの猫毛並みが抜群につやつやと光り輝いて来た。この効果はすごかったです。

 

ヤギの木登り

さて、トラブルメーカーのヤギさんですが、木登りをしている画像が下です。私の牧場では木登りまでは見ませんでしたけれど、ヤギのお転婆ぶりはこんな調子であったと思います。

 

 

自家製手乗り文鳥


下は初めての自家製手乗り文鳥


 

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アメリカへ来た最初の年のことです。

 

主要街路には家々が両側に並んで建っていますが、その家々の後ろ側にも裏通りがあったりします。

私は散歩するには表通りよりも、その裏通りの方が良くて、そこを散歩の道にしていたのです。

アメリカは車社会なので、一般的に歩行者は少ないのですが、裏道ともなるとなおさらになります。


ある時、その裏通りを歩いて行くと、ある家の裏庭に繋がれていた茶色のド~ベルマンピンシャが私に激しく吠え掛かって来た。

ド~ベルマンは以前、日本でも飼っていたこともあり、多少の親近感はあった。それで、私がその犬を見ながら犬に愛想笑いをしていた可能性もあったかも知れない。


こう言う訳は、この犬の飼い主は私が通り過ぎた後に、犬を放したのです。意図的に放したとしか思えない。放せば、私に犬が向かってくることは明らかなのにです。なのに、敢えて放した。故意ならば、これは犯罪行為です。


思うに、裏道を歩いている上、東洋人でもあるし、恐らくは不法移民に違いないと思ったかも知れない。なら、少々、咬まれても警察に届けることも出来ないだろうと予想した。

加えて、あいつは可愛い家のド~ベルマンが吠えているのに

馬鹿にするかのようにニヤニヤしてた。それならお灸をすえてやろう、。まぁ、そんなところではないかと思います。


通り過ぎてしばらくすると、背後でド~ベルマンの怒った吠え声が聞こえて来た。見ると、先ほどのド~ベルマンがもう私めがけて突進して来ている。

困ったことになった、相手は犬の中でも強敵だ。けれど逃げる暇は無い。逃げても逃げ切れるものではないし、逃げれば相手を勢いづけるだけ。

お母さん、助けて、と思う暇もなかった。私も犬は好きなので、その辺の犬の反応はある程度、知っているつもりだ。


とにかく、 手を幾分広げて中腰にして、犬に対峙した。

こちらも否応なしに戦闘態勢。とにかく首輪をつかまえねばと咄嗟に思った。押えて腹を蹴り上げるか、そんなところです。  いよいよというところで、私も体が前に出たと思います。


ところが、犬の突進にまるで動かない私に、寸前で犬が二の足を踏んだのです。一瞬、止まって私を窺った。土壇場で犬が弱気を見せたのが分かった。

それであべこべに犬を脅かすように、前に出た。それで決まった。一歩出た途端に、犬が横を向いた。

こうなればこちらの勝。今度は犬が逃げるのを私が追いかけた。
犬が繋がれていた裏庭に逃げ込むまで追いかけた。裏庭の中で吠えている。

私が歩き出すと、また出て来て吠える。脅かすとまた犬は逃げ込む。もうド~ベルマンでは無くなっていた。

私が以前、飼っていたあの暴れん坊のド~ベルマンだったなら、このようにはいかなかっただろうと思う。 


私をおそらくは不法移民と見たその飼い主も、私に追いかけられて自分の犬が逃げ帰って来たことに気が付いたと思う。人に犬をけしかけて放すなんて、日本であれば、そのままにしてはいけないところなのですけど、そこは来たばかりのアメリカであったし、怪我も無かったので、その犯罪をそれ以上、追及はしませんでした。


それにしてもいきなり、アメリカ人にこんな事をされるとはとんだ出だしでした。

 

下は自家製手乗り文鳥

 

 

 

 

前回のブログの最後の方で、文が途中で切れたままになっていたのを気付かずに投稿してしまいました。済みませんでした。


 

 


私があの牧場から遠い市に引っ越してからの話です。

ある小学校五年生ぐらいの女の子がいました。

隣の隣に住んでいた子で、人懐っこく私の家にも遊びに来たりしていたのです。


その子のお母さんは大学院生で獣医師を目指しているとのことでした。


その子がある日、遠くに止まっているパトカーから出たり入ったりしています。アレッと思って見ていると、

驚くことにその女の子の手には手錠がかけられているのです。
 

手錠をかけられたまま車から出たりして、警官と受け答えをしているようなのです。見ていると、お母さんもパトカーに入り込んで話をしているようです。何があったのだろうか。


この結果を最後までは見ませんでしたけれど、、小学生の女の子に手錠では可哀想ですね。

ある夜、ハイウエーでのこと。車の室内ミラーを見ると、パトカーが後ろからランプをピカピカと点滅しながら後ろを走っています。

しかしスピード違反ではなく、その反対なのです。


当時乗っていた車はカローラの中古でエンジンをふかしすぎてオイル漏れになるのを気にしていたので、制限速度を十キロほど下回って走っていた。

窓を開けると警官に飲んでいるのか、と聞かれた。速度が遅いからです。いえ、と答える。

しかし警官は助手席の下から、後ろのシートの下とか、いろいろ探します。麻薬があるか、あるいは他の物を探しているようなのです。


免許証を見せてくれと言う。それはダッシュボードに入れてある。私がいきなりそれを取り出すのはちょっと危険だ。

なぜなら人気の無い夜でもあったし、私がそこから銃でもとりだすと勘違いされても困る。

アメリカでは銃を持っている人が多いので警官の方も用心しているはず。

それで聞いた。免許証はそのダッシュボードに入っているから、取り出してもいいかと、。

勿論、と答えが返って来た。幸い、もう少しスピードを出して走るようにと言われただけで済んだ。警官も安全の為に言ったのでしょう。


仕方なしに指示の通り、スピードをあげて走ったが、案の定、帰ってからまもなくオイルがエンジンカバーガスケットから滲んでいるのが分かった。

高速の長距離の為、エンジン内の上昇した圧力がガスケットに過大な負荷をかけたからと思う。ガスケットにも寿命が来ていたのかも知れません。

これで今回は終わりですが、

次回では、散歩をしている時にド~ベルマン ピンシャ―が私の後ろから突進して来た。

これは飼い主が意図的に放したのでしょう。次回はこの時の出来事を書きたいと思っています。

 

自家製手乗り文鳥

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 





 

ロスアンゼルスでの話です。
 

前回で登場したホテルは建物そのものは何階かの大きなホテルでしたが、古い年代ものの大きな建物ですから、以前はそれなりの格調ある建物であったという印象でした。おそらくあのビリーザキッドも銀行強盗へ出かける途中、ここに立ち寄ったことが無いとは言えない。


下はビリーザキッド

持っているライフルの長さから見ると小柄なアメリカ人のようです。

 

 

 

このホテルでは宿泊日数を一週間単位で初めは決めたのですが、結局、その後も引き続きここで滞在することになり、ひと月分ということで割安の宿泊代になったのです。


宿泊代は安くて良かったのですが、部屋の窓も開いたままで閉まらない。

しかしロスアンゼルスは暖かいので、夜に窓ぐらい開いていたって特別に困ることはなかった。

それに私のいた部屋は四階ぐらいの高いところだったので、スパイダーマンでもない限り、壁をよじ登って窓から入ろうという危険を冒す人はいない。入ったところで東洋人が一人いるだけです。


ある夜、何時ごろだったかは覚えていないけれど、ドンドン、ドンドンと響くような音が睡眠中の頭に聞こえて来た。眠くてしようがない時に、邪魔されているように、遠くから聞こえてくるような感じがした。

うるさいな、何だこの音はと、とうとう目がさめた。
しかしその音源は遠くからでは無かった。それどころか、窓の上空にヘリコプターが静止して浮かんでいる。

実際は離れていたのかも知れないけれど、相手が大きいので近くに見えたのだろう。ヘリコプターのお腹をこれほど、真近くで見たことはなかった。まるで殿さまバッタのお腹みたいだ。


その大きな殿さまがこちらを見ているようだったけれど、音ばかり大きくてちっとも動かない。何か故障でもして、上空から降りて来たのだろうか? 
その時は、まさか犯人捜しのヘリコプターが自分と対峙しているとは思わなかった。先ほどの大きな音はヘリコプターの羽が回転するエンジンの音だった。

 


向こうもこちらを見ているかも知れないけれど、こちらも訳もわからず、何事なんだと寝ぼけ眼で見ていた。恐らく、互いに見合っていたのだろう。

そのうちお見合いは終わりに近づいて、こちらがいつまでも見ているのに腹を立てたか、向こうから強いサーチライトが飛んで来て、部屋中を明るく照らし出した。

けれどあまりにガランガランと何も無い部屋だ。せっかくの強いライトも照らしがいもないだろう。私の顔を照らしたかと思うと、部屋にあるたった一つのスーツケースを照らしてはしばし眺めているようだった。

そのうち何だ、、これだけか、というように上昇して飛び去ってしまった。
何と言う態度だ、、礼儀をわきまえないヘリコプターだ、と感じながら、また眠りに入ったのです。


しかし、あれは警察のヘリコプターで、何かの犯人でも捜していたのでしょう。それにしてもホテルの窓にまでヘリコプターが近寄って探すとは犯人は相当なものです。

 


ところで、少し話がそれますが、、。

私の狭い個人的な印象ですけど、警察官と国境検問所にいる移民局職員はあまり感じが良くない。しかしこの方々の権威は北米では大きいのです。

良い人もいて、バージニア州で出会った警察官は心やさしい人でした。思うに、一般的には、北米の警察官に比べれば、日本の警察官の市民に対する態度はとてもおだやかであると思います。民主国家の警察官にふさわしいと感じます。

次回は印象に残ったアメリカの警察官の話をします。

 

自家製手乗り文鳥

 

 

アメリカで、男が持ち物をひったくろうと私の背後にいた

 

 

 

私が牧場に住み始める4年か5年前に、一度、カリフォルニア州のロスアンゼルスにひと月ほど行っていたことがあります。一応はアメリカ行きの準備のつもりでした。当時は現在のようにインターネットなどもありませんでしたので、私には確かな情報を得る手段がほとんど得られない状態だったのです。

 
旅行店を通したツアーのような旅行では無かったので、ホテルの予約も無い状態で出かけたのです。おまけにロスアンゼルスに着いたのは夜という不都合な時間でした。おそらく格安の航空券のせいでそんな時間帯の到着になったのかも知れません。


空港から通りに出ると、たくさんのネオンがまばゆかったのが印象的だった。タクシ―に乗り、近くにある値段の手ごろなホテルに行ってくれるように頼んで、そこで一泊。


翌日、まずひと月近く滞在する場所を探さねばならないので、不動産屋さんを探さなくてはと住宅地を歩いた。ところがスーツケースをガラガラ引っ張りながら、行けども行けども、住宅ばかり。歩いても歩いても不動産屋さんは一軒も出てこない。日本の感覚では一軒くらい現れても良さそうに、と思いながら歩いた。


車社会のアメリカで、住宅街をスーツケースをガラガラと引きながら歩きまわる東洋人。今ならめったには見ない光景であると思いますが、その時には何もおかしいとは思わなかった。


住宅街をガラガラ歩いていると、普通、住宅街ではあまり見かけない、食料品店があった。その前を通り過ぎようとした時に、中から日本語が聞こえて来た。日本人経営かな、と中に入って行っていろいろ聞いてみた。


その店主がダメダメ、不動産屋さんなんて、ここらには一軒も無いから、繁華街に行かないとダメという。いろいろ聞かれてひと月の部屋貸は難しいが、とにかく聞いて見たらどうかと繁華街の交差点まで車で乗せてくれて、そこで降ろされた。

そこからまた、不動産屋さん探しが始まった。けれど、いくら歩いても見つからない。途中、食事をしたりして休んだけれど見つからない。最後はその日の夕方になってしまった。それでも見つからない。日本とは全く違う。今は便利で、私がアメリカからカナダへ来るときにはオンラインでアメリカにいながら、とりあえずのカナダの部屋を予約できた。今なら、そのような便利さもあったけれど、あの当時は大変だった。


不動産はとりあえず、あきらめて歩いて行くと、道を挟んで、左右に向かい合って、大きいが古びたホテルが二軒あった。今夜の宿泊にしなくてはと思い、どちらにしようかと考えた。左の方が古びた感じで他方は左よりも新しい感じがした。古びている分、値段もおそらくその分、安いだろうと左に決めた。

入って行くと、受付から近いテーブルで白人の老人たちがトランプゲームをしていた。皆がジロッと私を見たが、それだけだった。私が受付の人と宿泊の条件などを話している最中に後ろから、黒人の男性が入って来た。

私と同様に、部屋があるかと聞いている。ところが受付の人が何か言った。何を言ったのかは正確には聞き取れなかったが、どうもどこか違う場所を教えているようだった。

しかし話の後に外へ出て行く黒人男性を追うテーブルの白人男性達の顔つきが凄かった、、そう私には感じられた。後でそれとなく分かったことだが、私が迷った反対側のホテルでは黒人がよく出入りしているようだったから、ホテルもその時点で、通りを挟んで白人と黒人とで別になっていたのかも知れない。勿論、その事実を確認したわけではないけれど、、。


しかし現在のアメリカではそこまでの差別は無いと信じている。なぜなら、一般的に、アメリカ人は理想にそって生きようとしているし、それに外れるような人種差別を嫌っている、と私は感じている。

黒人差別と声高に言う人もいるけれども、アメリカでは医者、大学教授、法律家などの指導的分野においても、黒人も白人に混ざって大勢働いている。それが移民国家アメリカの良いところだと思っている。カナダではもっとこの差別に対する姿勢はさらに厳しい。

 


通りを歩いていた時です。たまたま立ち止まって振り向いたのです。特別な理由があった訳でも無かったのですけど、何の気なしに振り向いたのです。


ところが、私の背後にそれこそピタリとくっつきそうになるくらいに一人の男が両手を胸の高さくらいにバランスをとるかのように動かしながら私の動きの中にチャンスをうかがっている様子だったのです。その瞬間、私のバッグを狙っていたとは思いました。おそらく私の手からひったくろうと機会を狙っていたのだと思います。


しかし第一に頭に浮かんだのはこの男性との争いよりも後の警察ざた。アメリカまで来て警察沙汰は避けたい。それで何も知らない、素知らぬ顔をしながら忘れ物でもしたかのように来た道を引き返したのです。

幸い、相手もそれ以上は追っては来ませんでした。それとなく振り返ると、元の場所に立ったまま、こちらを睨み付けていただけで、それ以上はしかけては来ませんでした。争いになれば、血を見ることになるのは目に見えていますので、そうなれば後に警察沙汰が待っているだけです。アメリカへ出かけて、喧嘩のお土産は持って帰れないのです。

 

自家製手乗り文鳥

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牧場を去ってから、ほぼ二十年近くが経っていた。

 

牧場に来た初めの頃に、あるアメリカ人からアンガス牛の子牛を譲り受けたのですが、その彼がアメリカへ遊びに来れないかと、ことあるごとに言って来ていたのです。

 

そして、私が牧場を去ってからの月日が過ぎる間に、日本語を忘れてしまった彼の日本人の奥さんは亡くなっていた。そして広い牧場に彼は一人で住んでいた。

 

 

 

もともと彼には子供が娘さんと息子さんの二人がいた。けれど私が初めて彼の家に行った時には息子さんは、理由は聞いていないが、自らその命を絶ってしまっていた。

 

だから部屋にある、彼の学生の時の写真しか見ていない。娘さんには一度、見かけたことがあったぐらいだ。

 

蓋を開けて見れば、誰にとっても、それなりの波乱は人生の常なのかも知れないけれど、この牧場主の人生は波乱のように思えた。私がカナダへ来た後、彼は心臓発作で倒れ、入院していた時期もあった。

 

しかしそれだけでは無かった。結婚された娘さんが癌になってしまい、おまけに足までがおかしくなり、その頃はまともに歩けなくなってしまったと聞いていたのです。

 

その彼が度々、アメリカへ来ないかとしきりに言うので、彼の体調でも悪いのかと気になっていた。

 

と言うのも、別の人の話ですけど、カナダへ来て数年経った頃に、牧場に引っ越す前からの知り合いであった、あるご夫婦がバージニア州からカナダまで車ではるばる来られたことがあったのです。

 

このご夫婦も奥さんは日本人、ご主人はアメリカ人でしたけれど、ご主人には心臓に先天的な持病があったらしいのです。カナダへ来た当時、遠い奥さんの故郷の日本へ行ったり、その他、その時は友達を訪ねている、と言っていました。

 

ところが、カナダから帰った数か月後、そのご主人が亡くっなったとの連絡があったのです。この知らせには驚いたのですけど、また考えさせられもしました。

 

こんなことがあったので、今回はどうしてもアメリカへ行かなくてはという気持ちで準備をしたのです。

 

早朝に急いでカナダとアメリカの国境に向かう。国境までは一時間ちょっとだ。アメリカとカナダの国境にかかる橋の上から、もの凄い水しぶきをあげているナイアガラの滝を右に見ながらアメリカ側の国境検問所へ向かう。

 

 

パスポートを見せ、友人に会いに行くと目的を言ってアメリカ側に入る。その検問所を過ぎるとニューヨーク州の北部。

 

 

 

 

そこから少しの休憩をのぞいて、GPSを頼りに、ひたすらハイウエーを一直線に制限ぎりぎりのフルスピードで南へ、南へと下る。途中で一泊して、翌日もまた走って、やっと昼頃に着きました。

 

 

見知っている彼の牧場がだんだん近づいて来た。牧場の様子に少しも変わりがないように思えた。けれど、かってはたくさんいたアンガス牛が広い牧草地に一頭も見えない。

 

後で聞いて見たが、自分の牛はもういない、そして牧場は人に貸している、と言っていた。借主の牛はどこか違う牧草地にいるそうだ。

 

彼は元気ではいたけれど、あの大柄のアメリカ人がひとまわり小さく見える程、痩せてしまっていた。顔色も白っぽく生気のない感じがした。ある程度、行く前から覚悟はしていたけれども、寂しい気がした。

 

三日の間、たくさんの思い出話しで笑ったり、外に出ては、その牧場のあちこちの思い出を訪ねたり、牛のいない空っぽの牧草地をフェンス越しから見つめては、あのアンガス牛の大きな種オスが彼を見つけてゆっくりと近づいてくるのを思い出したりしていた。

 

しかし目の前の牧草地には、かっての種オスも他の牛も今はない。ただ青々とした牧草が夏の強い日差しの中に広がっているだけだった。

 

そして、とうとう別れの時が来た。衰えた彼を一人残して去るのは辛い思いだ。

しかし別れというものはどこでだって、こういうものなのだろう。

 

家から外に出て、最後のハグをしながらも互いに、もう何も言わなかった。彼はただ去るときに、さよならと一言、言った。私はそれに黙ってうなずいた。

 

その後、一年ぐらいしてからだったろうか、娘さんから彼が亡くなったと知らせが届いた。その知らせの紙をただ意味も無く、長い事見ていた。

 

帰途の途中に、かっての私の牧場に寄ってみた。昔のままに夏の日差しから周りの緑の木立が牧場の白い家を守っていた。そしてその家は時の経過にもかかわらず、思いの外、生き生きとしていた。今は誰が住んでいるのだろうか。

 

けれど牧草地は大きく変わっていた。あの野犬が逃走していった牧草地の森側のそばには製材所のような工場が建っていた。その牧草地の後ろにある森から材木を切り出しているようで、切り出した材木が積み上げてあるのが見えていた。木を切る機械の音が大きく牧草地に響いている。

 

買主はひょとすると、私が住んでいた家のある場所とその牧草地とを分割して売却したのかも知れない。

その製材所の近くには真新しい綺麗な白い家も新しく建っていた。そこにはきっとその製材所関係の誰かが住んでいるのかも知れない。

 

私が有刺鉄線で作った、その牧草地を囲っていたフェンスはもう無かった。フェンスが無くては牧草地としての役割は果たせない。

 

そして、この先さらに家々が建ち並ぶようになれば、その牧草地もいずれは消え去ってしまうしかないだろう。

 

ヤギの追跡で登場した家の背後にあって、緩やかに下っていく牧草地は道路からは良くは見えないので、どうなっているかは分からなかった。道路から見た左側の牧草地に変わりはなかったし、その牧草地の家に一番近い場所にあって、私が土を肥沃にと心がけて、大量の腐葉土を混ぜた菜園は後に来た人がそのまま使っているようだった。

 

その頃には引っ越してしまっていた、あのスイカを持って来てくれていたアメリカ人の牧場の前にも行ってみた。そこも見た限りでは変化はなかった。よく見ると、私とそのアメリカ人とで張り巡らした有刺鉄線のフェンスの一部が壊れずにいまだに残っているのが見えた。

下は私の自家製手乗り文鳥です。飛ばずに、おとなしくしてくれました。