アメリカで、男が持ち物をひったくろうと私の背後にいた
私が牧場に住み始める4年か5年前に、一度、カリフォルニア州のロスアンゼルスにひと月ほど行っていたことがあります。一応はアメリカ行きの準備のつもりでした。当時は現在のようにインターネットなどもありませんでしたので、私には確かな情報を得る手段がほとんど得られない状態だったのです。
旅行店を通したツアーのような旅行では無かったので、ホテルの予約も無い状態で出かけたのです。おまけにロスアンゼルスに着いたのは夜という不都合な時間でした。おそらく格安の航空券のせいでそんな時間帯の到着になったのかも知れません。
空港から通りに出ると、たくさんのネオンがまばゆかったのが印象的だった。タクシ―に乗り、近くにある値段の手ごろなホテルに行ってくれるように頼んで、そこで一泊。
翌日、まずひと月近く滞在する場所を探さねばならないので、不動産屋さんを探さなくてはと住宅地を歩いた。ところがスーツケースをガラガラ引っ張りながら、行けども行けども、住宅ばかり。歩いても歩いても不動産屋さんは一軒も出てこない。日本の感覚では一軒くらい現れても良さそうに、と思いながら歩いた。
車社会のアメリカで、住宅街をスーツケースをガラガラと引きながら歩きまわる東洋人。今ならめったには見ない光景であると思いますが、その時には何もおかしいとは思わなかった。
住宅街をガラガラ歩いていると、普通、住宅街ではあまり見かけない、食料品店があった。その前を通り過ぎようとした時に、中から日本語が聞こえて来た。日本人経営かな、と中に入って行っていろいろ聞いてみた。
その店主がダメダメ、不動産屋さんなんて、ここらには一軒も無いから、繁華街に行かないとダメという。いろいろ聞かれてひと月の部屋貸は難しいが、とにかく聞いて見たらどうかと繁華街の交差点まで車で乗せてくれて、そこで降ろされた。
そこからまた、不動産屋さん探しが始まった。けれど、いくら歩いても見つからない。途中、食事をしたりして休んだけれど見つからない。最後はその日の夕方になってしまった。それでも見つからない。日本とは全く違う。今は便利で、私がアメリカからカナダへ来るときにはオンラインでアメリカにいながら、とりあえずのカナダの部屋を予約できた。今なら、そのような便利さもあったけれど、あの当時は大変だった。
不動産はとりあえず、あきらめて歩いて行くと、道を挟んで、左右に向かい合って、大きいが古びたホテルが二軒あった。今夜の宿泊にしなくてはと思い、どちらにしようかと考えた。左の方が古びた感じで他方は左よりも新しい感じがした。古びている分、値段もおそらくその分、安いだろうと左に決めた。
入って行くと、受付から近いテーブルで白人の老人たちがトランプゲームをしていた。皆がジロッと私を見たが、それだけだった。私が受付の人と宿泊の条件などを話している最中に後ろから、黒人の男性が入って来た。
私と同様に、部屋があるかと聞いている。ところが受付の人が何か言った。何を言ったのかは正確には聞き取れなかったが、どうもどこか違う場所を教えているようだった。
しかし話の後に外へ出て行く黒人男性を追うテーブルの白人男性達の顔つきが凄かった、、そう私には感じられた。後でそれとなく分かったことだが、私が迷った反対側のホテルでは黒人がよく出入りしているようだったから、ホテルもその時点で、通りを挟んで白人と黒人とで別になっていたのかも知れない。勿論、その事実を確認したわけではないけれど、、。
しかし現在のアメリカではそこまでの差別は無いと信じている。なぜなら、一般的に、アメリカ人は理想にそって生きようとしているし、それに外れるような人種差別を嫌っている、と私は感じている。
黒人差別と声高に言う人もいるけれども、アメリカでは医者、大学教授、法律家などの指導的分野においても、黒人も白人に混ざって大勢働いている。それが移民国家アメリカの良いところだと思っている。カナダではもっとこの差別に対する姿勢はさらに厳しい。
通りを歩いていた時です。たまたま立ち止まって振り向いたのです。特別な理由があった訳でも無かったのですけど、何の気なしに振り向いたのです。
ところが、私の背後にそれこそピタリとくっつきそうになるくらいに一人の男が両手を胸の高さくらいにバランスをとるかのように動かしながら私の動きの中にチャンスをうかがっている様子だったのです。その瞬間、私のバッグを狙っていたとは思いました。おそらく私の手からひったくろうと機会を狙っていたのだと思います。
しかし第一に頭に浮かんだのはこの男性との争いよりも後の警察ざた。アメリカまで来て警察沙汰は避けたい。それで何も知らない、素知らぬ顔をしながら忘れ物でもしたかのように来た道を引き返したのです。
幸い、相手もそれ以上は追っては来ませんでした。それとなく振り返ると、元の場所に立ったまま、こちらを睨み付けていただけで、それ以上はしかけては来ませんでした。争いになれば、血を見ることになるのは目に見えていますので、そうなれば後に警察沙汰が待っているだけです。アメリカへ出かけて、喧嘩のお土産は持って帰れないのです。
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