牧場を去ってから、ほぼ二十年近くが経っていた。
牧場に来た初めの頃に、あるアメリカ人からアンガス牛の子牛を譲り受けたのですが、その彼がアメリカへ遊びに来れないかと、ことあるごとに言って来ていたのです。
そして、私が牧場を去ってからの月日が過ぎる間に、日本語を忘れてしまった彼の日本人の奥さんは亡くなっていた。そして広い牧場に彼は一人で住んでいた。
もともと彼には子供が娘さんと息子さんの二人がいた。けれど私が初めて彼の家に行った時には息子さんは、理由は聞いていないが、自らその命を絶ってしまっていた。
だから部屋にある、彼の学生の時の写真しか見ていない。娘さんには一度、見かけたことがあったぐらいだ。
蓋を開けて見れば、誰にとっても、それなりの波乱は人生の常なのかも知れないけれど、この牧場主の人生は波乱のように思えた。私がカナダへ来た後、彼は心臓発作で倒れ、入院していた時期もあった。
しかしそれだけでは無かった。結婚された娘さんが癌になってしまい、おまけに足までがおかしくなり、その頃はまともに歩けなくなってしまったと聞いていたのです。
その彼が度々、アメリカへ来ないかとしきりに言うので、彼の体調でも悪いのかと気になっていた。
と言うのも、別の人の話ですけど、カナダへ来て数年経った頃に、牧場に引っ越す前からの知り合いであった、あるご夫婦がバージニア州からカナダまで車ではるばる来られたことがあったのです。
このご夫婦も奥さんは日本人、ご主人はアメリカ人でしたけれど、ご主人には心臓に先天的な持病があったらしいのです。カナダへ来た当時、遠い奥さんの故郷の日本へ行ったり、その他、その時は友達を訪ねている、と言っていました。
ところが、カナダから帰った数か月後、そのご主人が亡くっなったとの連絡があったのです。この知らせには驚いたのですけど、また考えさせられもしました。
こんなことがあったので、今回はどうしてもアメリカへ行かなくてはという気持ちで準備をしたのです。
早朝に急いでカナダとアメリカの国境に向かう。国境までは一時間ちょっとだ。アメリカとカナダの国境にかかる橋の上から、もの凄い水しぶきをあげているナイアガラの滝を右に見ながらアメリカ側の国境検問所へ向かう。
パスポートを見せ、友人に会いに行くと目的を言ってアメリカ側に入る。その検問所を過ぎるとニューヨーク州の北部。
そこから少しの休憩をのぞいて、GPSを頼りに、ひたすらハイウエーを一直線に制限ぎりぎりのフルスピードで南へ、南へと下る。途中で一泊して、翌日もまた走って、やっと昼頃に着きました。
見知っている彼の牧場がだんだん近づいて来た。牧場の様子に少しも変わりがないように思えた。けれど、かってはたくさんいたアンガス牛が広い牧草地に一頭も見えない。
後で聞いて見たが、自分の牛はもういない、そして牧場は人に貸している、と言っていた。借主の牛はどこか違う牧草地にいるそうだ。
彼は元気ではいたけれど、あの大柄のアメリカ人がひとまわり小さく見える程、痩せてしまっていた。顔色も白っぽく生気のない感じがした。ある程度、行く前から覚悟はしていたけれども、寂しい気がした。
三日の間、たくさんの思い出話しで笑ったり、外に出ては、その牧場のあちこちの思い出を訪ねたり、牛のいない空っぽの牧草地をフェンス越しから見つめては、あのアンガス牛の大きな種オスが彼を見つけてゆっくりと近づいてくるのを思い出したりしていた。
しかし目の前の牧草地には、かっての種オスも他の牛も今はない。ただ青々とした牧草が夏の強い日差しの中に広がっているだけだった。
そして、とうとう別れの時が来た。衰えた彼を一人残して去るのは辛い思いだ。
しかし別れというものはどこでだって、こういうものなのだろう。
家から外に出て、最後のハグをしながらも互いに、もう何も言わなかった。彼はただ去るときに、さよならと一言、言った。私はそれに黙ってうなずいた。
その後、一年ぐらいしてからだったろうか、娘さんから彼が亡くなったと知らせが届いた。その知らせの紙をただ意味も無く、長い事見ていた。
帰途の途中に、かっての私の牧場に寄ってみた。昔のままに夏の日差しから周りの緑の木立が牧場の白い家を守っていた。そしてその家は時の経過にもかかわらず、思いの外、生き生きとしていた。今は誰が住んでいるのだろうか。
けれど牧草地は大きく変わっていた。あの野犬が逃走していった牧草地の森側のそばには製材所のような工場が建っていた。その牧草地の後ろにある森から材木を切り出しているようで、切り出した材木が積み上げてあるのが見えていた。木を切る機械の音が大きく牧草地に響いている。
買主はひょとすると、私が住んでいた家のある場所とその牧草地とを分割して売却したのかも知れない。
その製材所の近くには真新しい綺麗な白い家も新しく建っていた。そこにはきっとその製材所関係の誰かが住んでいるのかも知れない。
私が有刺鉄線で作った、その牧草地を囲っていたフェンスはもう無かった。フェンスが無くては牧草地としての役割は果たせない。
そして、この先さらに家々が建ち並ぶようになれば、その牧草地もいずれは消え去ってしまうしかないだろう。
ヤギの追跡で登場した家の背後にあって、緩やかに下っていく牧草地は道路からは良くは見えないので、どうなっているかは分からなかった。道路から見た左側の牧草地に変わりはなかったし、その牧草地の家に一番近い場所にあって、私が土を肥沃にと心がけて、大量の腐葉土を混ぜた菜園は後に来た人がそのまま使っているようだった。
その頃には引っ越してしまっていた、あのスイカを持って来てくれていたアメリカ人の牧場の前にも行ってみた。そこも見た限りでは変化はなかった。よく見ると、私とそのアメリカ人とで張り巡らした有刺鉄線のフェンスの一部が壊れずにいまだに残っているのが見えた。
下は私の自家製手乗り文鳥です。飛ばずに、おとなしくしてくれました。



