遠い夏に想いを -82ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 今年の2月、新宿の床屋に行った時、30代の若い理髪師が髪を切ってくれました。


「髪が太くて硬いですね」
「太くて硬いから白髪になったのかな。若い頃、床屋で女性の理髪師に髪を切って貰ってる時に、ハサミがバラバラになり、『お客さんの髪、硬すぎるから』って言われたことがあるよ」


「お客さん、お若く見えますね」

彼は私の歳を10歳くらいさば読んで若くみたらしい。

「お世辞がうまいね。それより10歳くらいは歳とっているよ」


 自分では年取ったと思うけど、若い頃から若く見られてきた。男性は若いときは余り若く見られると、昔は何かと見下され、損をしたものです。歳をとってからも、元気だと思われ厄介な仕事を押し付けられたりするから、嫌なものですね。


「お客さん、クラス会か同窓会に出たことがありますか?」
 突然訊いてきた。
「中学も高校も地方だからないよ」
「同窓会に出たら、みんな変わっていて誰が誰だか判らないて、親父が言ってましたよ」


 今年の4月に高校の在京卒業生から同窓会を開くと通知が来ました。高校卒業以来出たことが無いので、思い切って出てみることにしました。


北高  当時はこの写真のように立派な校舎ではありません。入学して最初に登校した校舎は北海道庁立札幌高等女学校という植物園の裏にあった女子の学校で、若くして亡くなった姉が卒業した学校でした。ひどくオンボロの校舎で、遅刻しそうになると教室の窓から飛び込んだ記憶があります。今は建て替えられて市立中央幼稚園になっているらしい。


 それで、街の北側に急いで作った安普請の新校舎で、校舎の西側は牛が放牧されている長閑な農場で、匂いが漂ってきていました。


 大学を出てからも付き合いがあった数人の卒業生以外は、男女とも誰が誰だか全然判りません。高校時代の私は無口で大人しいタイプだったと思うし、むしろ中学時代の方が活発だった記憶があります。中学時代から一緒だった友人の記憶も同じでしたから。


 むしろ小学校や中学校の方が楽しい思い出が多い。子供の減少で母校が消えていく。私の小学校は札幌の時計台の南側にありました。明治時代に建てられた校舎で、室内運動場で飛び跳ねると、床がトランポリンみたいに揺れました。小学時代は活発で、野球、卓球、スピードスケート、鉄棒などをやり、学校代表でスキーの選手にも選ばれたりしました。今は跡地に市役所が建てられ、小学校はありません。


時計台

 それに隣にあって公民館として使われていた豊平館も南の方に移設されています。その後に市民音楽ホールが建てられました。実家はお菓子屋で時計台の斜め前にありました。二階の窓から時計台の時計が見えましたから、2分前に家を飛び出しでも学校に間に合う距離でした。


豊平館

 中学は札幌の豊平川のそばにあり、西の円山公園から三越前を通って市電が走り、東の終点が中学校前でした。私は電車には乗らずに家まで歩いたものです。靴底が減って、靴屋さんで修理してもらうと、「すごいね、歩き方がいいんだ、踵が平らに磨り減っているし」と言われた記憶が蘇ります。


 市立中学ながら当時珍しくモデルスクールに指定されており、週5日制で木曜日が休みでした。クラスも授業毎に移動するシステムだったと思います。明るく自由な雰囲気で、活気に満ちた中学でした。ヴァイオリンを始めたのも中学に入って直ぐでした。その後この校舎は札幌東高になり、今はありません。跡地に市民ギャラリーが建っているようです。


 小学校も中学校も無くなり、記憶の中に残るだけ。今は児童の減少で小中学校の廃校や統合が当たり前ですから、皆さんも同じでしょうか?



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 東京都に住んでいながら、何かと川崎市が近いので、小さなクリニックなど多摩川を越えて隣の川崎に行くことが多いです。もう生活圏ですね。今日は東京と川崎のはずれの地域のお話なので、勝手なお願いですが、それ以外の地域の方で感心がなければ、スルーして頂いて結構です。


 登戸の周辺は川崎と言っても多摩区ですから川崎のイメージがない。その昔、石油会社に勤めていた頃は一時期川崎の製油所に勤務していました。臨海工業地帯の川崎の扇町にありましたから、四日市と並んで公害で最悪だった記憶があります。街をうろついている犬も埃と煤煙と悪臭が漂う道でよたよたと今にも倒れそうでした。


 腰が痛い時は多摩区の読売ランドの整形外科に、鼻の調子が悪いときには川を渡って2つ目の向ヶ丘遊園駅、ヴァイオリンを習いに登戸に行ってました。


 小田急の向ヶ丘遊園駅は昔のままです。乗り換え駅ではないのに急行が停まります。今では急行が停まる必要もないと思うのですが。小田急が複々線になる以前は各駅停車の始発駅にもなっていました。小田急では大切にされてる駅なのでしょう。


 ホームは昔のまま古いですが4番線まであります
ホーム

 多摩川を越えると突然山坂が多い地形になります。向ヶ丘遊園駅前から丘の上の向ヶ丘遊園までモノレールが2001年まで運転していました。ディズニーランドなどにおされて人が集まらなくなった為でしょう。昔はよく子供を連れて遊びに行ったものです。富士急ハイランドのミニ版といったところですか。ジェットコースターや大観覧車がありましたが、結局、遊園地は閉鎖されました。


 南口は昔のままで、メーンの出入り口になっています。前の通りは商店街です
南口  

 モノレールの小さな駅舎があった場所は今は自転車置き場に
旧モノレール
 遊園地が閉鎖されてから「バラ園」になった時に訪れました
遊園


 南口の右側には隣の生田駅まで広がる広大な生田緑地があります。向ヶ丘遊園もこの緑地の一部なのです。

生田  

 北口の方が古くからの駅舎らしく立派です
北口  

 耳鼻科は駅の北側に建った新しいビルの二階にあります。若い先生ですが、設備は揃っています。義理の弟が通院していて、いい感じだからと奨められたのが理由です。

 このビルの2階に耳鼻科医院が入っています
ビル
 登戸は立派な駅に変貌したが、この駅は高架でないので、立派な地下通路があります
地下道

 

 昔から鼻の調子が悪く、今回は目を強くつぶると鼻の付け根に鈍痛がありました。これまで耳鼻科は東中野、調布、雪谷、成城、狛江、新宿など6~7箇所くらい病院を変えてきました。変えた理由は様々ですが。


 レントゲンを撮って見せて貰いましたが、きれいで心配ないと言われました。以前成城学園前駅からバスで行く大きな病院でCTを撮って貰った時は影が若干出ていました。
「今はきれいだから、花粉症ではないの?」
「この歳になるまで花粉症には縁が無いし.。そういえば、4年前の今頃にも同じ症状で、遂に花粉症になったかなって」
「そりゃ、クシャミや鼻水や咳がでるんでしょう。歳とってから花粉症になる人が結構いるからね」


 今まで耳鼻科で貰ったことのない粉末点鼻薬など3週間分処方してもらいました。本当に花粉症なのかな?良くなるといいのですが。



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 庭といっても猫の額より狭いから、花壇と言うべきかも知れません。我が家では以前からブルーベリーの木を一本植えていますが、去年からどうも収穫量が減ってきました。去年の収穫量は一昨年の30%ほど少ない300グラムほどしかありませんでした。

ブルーベリー02


 去年から気がついていたのですが、朝起きて外を見ると、時々ブルーベリーの花のところに小鳥がいました。でも、余り気にしていませんでした。

ブルーベリー01

 今年も花が咲く時期になりました。2・3日前から小鳥が朝にやって来るように。

ブルーベリー04

ブルーベリー03

「蜜を吸っているのからしら?」
「いや、蜜を吸う小鳥って、ハチドリくらいだよね。日本にはいないよ」
「食べているのか、受粉を助けているのか、そこが問題ね」
「去年はとれた量が少なかったし、食べているとしか思えないな」

 そこで調べてみました。ブルーベリーの花を食べる鳥がいることが分かりました。
「ヒヨドリだって、食べるのは。今年も収穫量がまた減るね」
「ブルーベリーの実は余り食べないようだけど、ホームセンターでネットを買ってこようよ」


庭

 桜や梅などが被害にあうらしいのですが、小さい花でもジャスミンなどには目もくれません。 

 鳥がブルーベリーの花をついばむ動画を発見したので載せてみます。



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 4月初めに桜が終ったかと思ったら、もうハナミズキが咲き始める季節になりました。時の経つのは早いですね。ハナミズキは4月下旬から5月にかけて花を咲かせます。


 ハナミズキはもともと日本の木ではありません。1912年に東京からアメリカのワシントンDCに染井吉野の桜が日米友好の印として贈られました。このワシントンの桜は日本でも有名ですが、百年以上も前って驚かされます。その返礼として、1915年アメリカから北米原産のハナミズキが贈られて来たのが始まりだそうです。


ハナミズキ01

 4月に入って天気予報が全く当たりません。予報では昼まで晴れ、午後から強風と雨でしたが、今日は絵画教室が市庁舎であり、帰り道は街路樹のハナミズキの花が晴天の中で美しく咲き始めていました。

ハナミズキ02
ハンミズキ03

 3月に咲く白い木蓮に梅や桜が続き、更につつじやアジサイが咲きます。こう考えるとアッと言う間に夏になってしまいます。光陰矢の如しどころか、弾丸の如しですね。



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 遠い昔に住んでいたアメリカのミネソタ州には、フィンランドにある6万もの湖には及びませんが約1万ほどの湖がありあす。友人の家は小さな湖の砂浜に面していました。好天に恵まれた暖かい春の陽射しのなか、砂浜に何気なく咲いている花々を描いた思い出の絵です。


砂丘


 下のストラップはアメリカの自動車の保険会社からもらったもので、当時乗っていた自動車のナンバープレートでミネソタの標語の10,000 LAKESが記されています。

プレート

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