遠い夏に想いを -79ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 以前書いたブルーベリーの花がヒヨドリに啄ばまれるって記事(15/04/18)を載せましたが、荒らされたのは二日間だけでしたので、被害は小さかったようですけど。


ヒヨドリ

 ブル-ベリーの花がどんどん色ついてきて、順次紫色になり、既に30粒くらいは収穫しました。ブルーベリーの花が実になっていくのって、面白いというか、不思議な変化ですね。花が散って実がなるって思っていたのですが、どうも花がそのまま実に変形していくみたいです。ヒヨドリが狙うのが解るような気がします。


ブルーベリー2
ブルーベリー


 2年前は400グラム(約400粒)取れましたが、去年はヒヨドリの被害が始まり、350グラム(約350粒)に減りました。さて今年は更に少ないかな。


 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

チラシ  今日は父の日。昼から昭和大学のオーケストラの定期演奏会。以前妻のノッコがチェロパートでトラに呼ばれていましたが、腰を圧迫骨折して以来参加していません。でも、指揮者の方と十年以上の知り合いで、定期演奏会の度に案内があり、聴きに行きました。今日のプログラムはマーラーの交響曲1番とビゼーのカルメン組曲でした。


 初めて昭和大の定期に行ったのが昔の杉並公会堂で、聴衆者も舞台の上で演奏する学生の方が多いんではないかと思えるほどガラガラで、演奏も決して上手とはいえませんでした。今では素晴らしいの一言に尽きるほどに上達しました。何せ医学部に来る様な学生は裕福な家庭が多く、子供の頃から楽器を習っているからです。数年前の定期ではあるコンクールで受賞したという学部の女子学生がブルッフのヴァイオリン協奏曲を演奏しました。素晴らしい演奏でしたが、結局医師の道を選んだらしい。


 今週は音楽三昧で、先日の日曜日は青葉台のフィリアホールで弦楽合奏。


 月曜日は四ツ谷の紀尾井ホールでイスラエル・カルテットでした。義理の姉が無料チケットを新聞で応募して、当たったらしく、突然のお呼びでした。妻が鎌倉に友人と出かける予定があった為に、代わりに私が同行しました。紀尾井ホールは久しぶりで、二年半前に来日したフランスのジェラール・プーレのヴァイオリン・リサイタル以来です。ジェラールの父もヴァイオリニストで身体の弱ったドビッシーに助言を与えて、ヴァイオリンソナタを完成させ、二人で初演したそうです。


プログラム

 イスラエル・カルテットは若手ですが、素晴らしい四重奏を聴かせてくれました。以前、ロンドンのウィッグモアー・ホールでの彼らの演奏をNHKのBSで見た記憶があります。


 月曜日のプログラムはモーツアルトの14番の四重奏曲(ハイドンセット最初の曲)、スメタナの「我が生涯」とシューベルの「死と乙女」ですが、特にディナミークが素晴らしく、抜群のアンサンブルでモーツアルトのト長調の曲は躍動感溢れ、聴いていて心が躍り出さんばかりで、すっかり魅了されました。


 全員が素晴らしいのですが、チェロは特に美しく、シューベルトの2楽章のピチカットの後に主題を奏でる時の素晴らしさは、聴いていて涙が出そうなくらいの演奏でした。


 弦楽奏者は圧倒的にユダヤ系が多いです。世界中に散らばっているユダヤ系の有名弦楽奏者が名演奏を聴かせてくれます。名前を挙げれば限がないので、止めますが、戦時中ドイツがユダヤ人弦楽奏者を追放してしまい、ドイツ人のヴァイオリン奏者はクーレンカップしか残っていませんでした。


 昭和大学の演奏会が終わって、父の日のためのレストランに急ぎました。今までは父の日どころか母の日も、何もしていないのですが、今年から母の日も父の日も子供たちのプレゼントでなく我々自らがやることにしました。


 狛江のママパスタというジローの店に姉妹義兄弟が集まり、わいわい話に花を咲かせるという趣向。ここは値段も手ごろで懐の心配がないのがいい。楽しい父の日でしたよ。


mamapasta


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 先日の日曜日に田園都市線の青葉台にあるフィリアホールでおこなわれた横浜のアマチュア弦楽合奏団の演奏会に行ってきました。昔、別の弦楽合奏団で一緒に弾いていた仲間の男性がこの合奏団のメンバーに加わっています。


フィリアホール

 なかなか上手な合奏団で、指揮者の代わりに元N響のヴァイオリニストが樂団を率いています。ニールセンと芥川と武満とスークのプログラムでした。フィリアホールは関東でも響きの素晴らしい小ホールの一つです。


 演奏会が終わり、2階の通路を通って青葉台の駅に行きました。通路を渡って直ぐのところに懐かしい名前のカフェがありました。「アントニオ」です。


アントニオ青葉台

コヒー

 このアントニオには古い思い出があります。その昔、ずっと昔というか、東京に本格的なイタリアンレストランが、私の記憶では三軒だけでした。銀座の6丁目だと思う、裏通りに「イタリー亭」という大衆的なレストランがありました。残り二軒は、六本木の交差店付近にあった「キャンテイ」と「アントニオ」でした。外苑東通りにあるキャンティは高級レストランといことで店も立派で食事代もすごく高くて、有名人が出入りしていました。


 六本木の地下鉄駅近くのアントニオは庶民的で3軒の中では店の作りが当時の日本のレストランって感じでした。一階の薄暗い店内には4人がけのテーブルが7席か8席あったと思います。ところが、ところが出てくる料理は絶品というほどに素晴らしかった。戦後に始めた店です。店主はイタリア人のカンチェーミ・アントニオさんというイタリア海軍のコック長をしてた人で、小柄で親しみの持てる料理人でした。(( 尚、下のアントニオのホームページをクリックすると昔のレストランの白黒写真が見られます。home page: http://antonio-minamiaoyama.spiral-place.com/about ))

 
 私たちはよくこの店を訪れたものです。ナポリタンなどの日本製パスタ料理を出す店はあったようですが、本格的なイタリアンを出すこの店が大好きでした。ほうれん草を詰めたカネロネは絶品でした。今ではカネロネをだすイタリアンの店は皆無でしょう。


 私は外資系の会社に転職していました。ある時米国本社の担当事業部長のEさんが来日しました。私が面倒をみることになり、イタリア料理が食べたいというので、店構えはさほど立派でないけどアントニオって店があるからと連れて行きました。味はブオーノ、ブオーノですっかり彼の気に入りました。彼は以前にイタリア支社に駐在していたこともあり、イタリア通でした。


 その内、日本支社に専務格で転勤してしてきました。外資系ですから株主比率で名目上の社長は日本人で、彼が実質上会社を切り盛りしてました。社内の上級外人社員は彼がアントニオを美味しいくて値段もリーゾナブルと薦めるので、みなこの店にやってくるようになりました。


 ある時Eさんの奥さんが後から日本に移ってきました。Eさんと奥さんのLさんを連れて4人でアントニオに行きました。
すると、突然彼がピッツアを食べたいといいだしました。
「ピッツアはあるかい?」
すると、カンチェーミさん、
「ここではピッツアはない、渋谷の代官山のヒルサイドテラスに倅がピッツア店を開いたから、そっちで食べられるよ」

六本木の店で時々息子さんの姿を見かけていました。なかなかのハンサムボーイです。


 そこでタクシーを拾って六本木から代官山まで急ぎました。当時代官山には新しい建物は現在でもあるヒルサイドテラスくらいしかありませんでした。明るく洒落た店で、ピッツアも大変に美味しくって、Eさんが喜んでいた記憶があります。ただ、代官山の店はまだパパ・アントニオとしてあるようです。


 その後も何度か六本木の店に行きました。主人のカンチェーミさんが亡くなり、店はたたんでしまいました。暫く経って元の店から246通りを渋谷の方に下って行ったところに息子さんがアントニオを再開したというので、Eさん夫妻と4人で出かけました。店は遥かに立派になりましたが、当時の料理はお父さんが作る料理には残念ながら程遠かったと思います。


 19年前に南青山の店が開店した後に訪れた時の写真
南青山店


 これはいたし方のないことで、話は変りますが、私たちは豪徳寺のあるレストランによく出かけたものです。丁度、バブル期の頃だったから、値段は高かった記憶があります。ある日行ったら、突然料理の盛り付けも味も変わってました。
「シェフが変わったのですか?」
「ええ、今までのシェフは独立すると辞めました」


 一年ほど前に、よくブログに遊びに来てくれていた女性がアントニオで素晴らしい夕食をいただきましたって綴っていました。


 腕が上がって様変わりしたのだろうか。いまはお孫さんたちがレストランで活躍しているという。今度南青山のアントニオに行って見てきなきゃね。今では他に四ツ谷や横浜にも店があるそうです。


 長い話にお付き合いくださり、ありがとうございました。



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 一列になって多摩川の水面を静か進んで行くカルガモの親子です。向かいの川崎側は流れが激しいですが、こちら側は静まり返っていて、カルガモの親子が水面に影となってゆっくり進んでいます。急流の浅瀬には魚を狙って色々な水鳥がいます。どこの川にもいるカルガモですが、朝日を浴びて静かに水面を泳いでいる姿は何とも可愛らしく水彩画にしてみました。


カルガモ01


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 前回に引き続き蝶の話で申し訳ありません。


 今朝8時頃朝食をてべていたら、ガラス越しに黒くてヒラヒラ動く影が見えました。


 慌てて庭へ降りる戸のカーテンをそっと開けると、そこにはカラスアゲハという黒い蝶がランタナの花から蜜を吸っています。待ちに待った黒い蝶です。


黒あげは01

 3~4年前に庭の掃除をしている時、過ってカラスアゲハの幼虫を潰してしまいました。それ以来黒い蝶は近所に飛んでいるのに、こちらには来なくなりました。


黒あげは02
 ランタナは繁殖力が強いので、切っても切っても次から次と花を咲かせ、秋まで花が咲いています。ですからその間、白や黄や茶や黒など色々な蝶が来るので楽しみです。


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