先日の日曜日に田園都市線の青葉台にあるフィリアホールでおこなわれた横浜のアマチュア弦楽合奏団の演奏会に行ってきました。昔、別の弦楽合奏団で一緒に弾いていた仲間の男性がこの合奏団のメンバーに加わっています。
なかなか上手な合奏団で、指揮者の代わりに元N響のヴァイオリニストが樂団を率いています。ニールセンと芥川と武満とスークのプログラムでした。フィリアホールは関東でも響きの素晴らしい小ホールの一つです。
演奏会が終わり、2階の通路を通って青葉台の駅に行きました。通路を渡って直ぐのところに懐かしい名前のカフェがありました。「アントニオ」です。
このアントニオには古い思い出があります。その昔、ずっと昔というか、東京に本格的なイタリアンレストランが、私の記憶では三軒だけでした。銀座の6丁目だと思う、裏通りに「イタリー亭」という大衆的なレストランがありました。残り二軒は、六本木の交差店付近にあった「キャンテイ」と「アントニオ」でした。外苑東通りにあるキャンティは高級レストランといことで店も立派で食事代もすごく高くて、有名人が出入りしていました。
六本木の地下鉄駅近くのアントニオは庶民的で3軒の中では店の作りが当時の日本のレストランって感じでした。一階の薄暗い店内には4人がけのテーブルが7席か8席あったと思います。ところが、ところが出てくる料理は絶品というほどに素晴らしかった。戦後に始めた店です。店主はイタリア人のカンチェーミ・アントニオさんというイタリア海軍のコック長をしてた人で、小柄で親しみの持てる料理人でした。(( 尚、下のアントニオのホームページをクリックすると昔のレストランの白黒写真が見られます。home page: http://antonio-minamiaoyama.spiral-place.com/about
))
私たちはよくこの店を訪れたものです。ナポリタンなどの日本製パスタ料理を出す店はあったようですが、本格的なイタリアンを出すこの店が大好きでした。ほうれん草を詰めたカネロネは絶品でした。今ではカネロネをだすイタリアンの店は皆無でしょう。
私は外資系の会社に転職していました。ある時米国本社の担当事業部長のEさんが来日しました。私が面倒をみることになり、イタリア料理が食べたいというので、店構えはさほど立派でないけどアントニオって店があるからと連れて行きました。味はブオーノ、ブオーノですっかり彼の気に入りました。彼は以前にイタリア支社に駐在していたこともあり、イタリア通でした。
その内、日本支社に専務格で転勤してしてきました。外資系ですから株主比率で名目上の社長は日本人で、彼が実質上会社を切り盛りしてました。社内の上級外人社員は彼がアントニオを美味しいくて値段もリーゾナブルと薦めるので、みなこの店にやってくるようになりました。
ある時Eさんの奥さんが後から日本に移ってきました。Eさんと奥さんのLさんを連れて4人でアントニオに行きました。
すると、突然彼がピッツアを食べたいといいだしました。
「ピッツアはあるかい?」
すると、カンチェーミさん、
「ここではピッツアはない、渋谷の代官山のヒルサイドテラスに倅がピッツア店を開いたから、そっちで食べられるよ」
六本木の店で時々息子さんの姿を見かけていました。なかなかのハンサムボーイです。
そこでタクシーを拾って六本木から代官山まで急ぎました。当時代官山には新しい建物は現在でもあるヒルサイドテラスくらいしかありませんでした。明るく洒落た店で、ピッツアも大変に美味しくって、Eさんが喜んでいた記憶があります。ただ、代官山の店はまだパパ・アントニオとしてあるようです。
その後も何度か六本木の店に行きました。主人のカンチェーミさんが亡くなり、店はたたんでしまいました。暫く経って元の店から246通りを渋谷の方に下って行ったところに息子さんがアントニオを再開したというので、Eさん夫妻と4人で出かけました。店は遥かに立派になりましたが、当時の料理はお父さんが作る料理には残念ながら程遠かったと思います。
これはいたし方のないことで、話は変りますが、私たちは豪徳寺のあるレストランによく出かけたものです。丁度、バブル期の頃だったから、値段は高かった記憶があります。ある日行ったら、突然料理の盛り付けも味も変わってました。
「シェフが変わったのですか?」
「ええ、今までのシェフは独立すると辞めました」
一年ほど前に、よくブログに遊びに来てくれていた女性がアントニオで素晴らしい夕食をいただきましたって綴っていました。
腕が上がって様変わりしたのだろうか。いまはお孫さんたちがレストランで活躍しているという。今度南青山のアントニオに行って見てきなきゃね。今では他に四ツ谷や横浜にも店があるそうです。
長い話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ