遠い夏に想いを -63ページ目

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 暑いですね。もう夏、と言っても、まだ5月です。猫の額みたいな小さな庭ですが、もう夏も近いし花を植え替えなきゃと思ってます。季節ものですから殆ど鉢植えですが。


 ペチュニアは日本では時期が過ぎようとしています。イギリスの窓辺の花と言えば代表格はぺチニアですね。イギリスは緯度が高いので寒い国です。私はペチュニア派です。我が家にはピンクと赤がないのが残念です。


 イギリスはケンブリッジの校舎の窓辺
イギリス



 我が家のペチュニア
ペチュニア01

ペチュニア02

 ロンドンではペチュニアは7月・8月に満開になる花で、どこの家の窓辺にも鉢植えで咲いています。日本では5月の上旬には花屋さんでも見かけなくなります。


 我が家のゼラニューム。年に幾度も咲くので結構年間を通じて楽しめますね。。
ゼラニューム


 ヨーロッパの他の国ではゼラニュームが真っ赤な花を咲かせています。花にも流行りすたれがあるのか、子供の頃よく見かけたダリアなど見かけなくなりましたし、赤い可憐な花を咲かせるサルビアも花屋さんでも殆ど見かけなくなりました。奥方は熱狂的ゼラニューム派です。


 パンジーとビオラ。冬の花ですからもう終わりですね。
パンジー

ビオラ



 白いミニバラも今が盛りです。

ミニバラ  


 黄色のランタンはまだ咲かない。咲くと蝶々が次から次へとやって来てくれる。そろそろ春の花から夏の花へ植え替えないとと思う今日この頃です。


 白と紫のランタナが咲き始めました。
ランタナ01

ランタン02



 昔からある名残りのジャスミンも終わりです。
ジャスミン



 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ

 GWもあっという間に過ぎようとしています。今日はこどもの日。近くの家の庭にはこいのぼりが五月晴の空に泳いでいます。最近は大型のこいのぼりは余り見かけなくなりましたね。


こいのぼり

 親戚一同はGWだといのに何もすることもなく、何処へ行く当てもない。連休くらい集まらないのかって文句だらけなので、久し振りに集まって食事をすることにした。


 前にも言ったが、狛江には碌なレストランがない。ネットで調べてもラーメン屋ばかりだ。去年の夏行ったプティ・クーという店に電話をかけたら、連休ですでに満員ですと断られてしまった。仕方がないので1年前に行ったイタリアンのループという店で昼食をとることにした。


偽

 食事は子供の日と5月8日の母の日と10日ばかり早いが私達の結婚記念日を祝うことが大義名分となった。


親戚

 「今日、結婚記念日なの?」
 「今度の日曜日だけどもね。少し早いけど」
 「へえ、何度目?」
 「余り昔で、何年目か数えられないよ。最近ボケているからボッケリーノ、彼女はボッケリーナ。二人合わせてボッケリーニさ」
 「あっはっは、そうだね」と笑うだけだった。


室内  食事は普通の定食屋さんのメニューと変わらない。いろいろのメニューから私は鳥料理とコーヒーとケーキ。思た以上に美味しかった。ピアノもあり月一にコンサートとかライブをやってるという洒落た店なのに、日頃、夜でも二組くらいしか入っていなくて寂しいレストランなのだ。これだけしっかりした味なら、これからもちょくちょく来ることにしようと思う。




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 大型連休(NHK的な言い方?)なのに、何もすることも、何処へ行くあてもないので、ブログはまた絵になって終いました。空想散歩でどうでしょうか。と言う訳でイタリアへ飛びましょう。


 イタリアに最初に行った時はヴェネツイア、フィレンツェ、ローマと回りましたが、遠い遠い昔です。3度目はミラノから北イタリアを一周してきました。

 
pitti
raffaero ピッティ美術館への入り口。裏には広大な庭園が。マリー・ド・メディシスが故郷のこの庭をもとにパリのリュクサンブール庭園を作ったと言われています。










ピッティ庭  

  上の写真はピッテイ宮の庭園


 フィレンツェを流れるアルノ川に架かるポンテ・ヴェッキオを渡ってすくのピッティ宮には素晴らしい美術館があります。ルネッサンスの名画が並んでいますが、その中ではラファエロの 『小椅子の聖母』 がとても美しいです。


ピッティ


  これは2度目に訪れた時のことです。ピッティ宮の裏庭を登って、街を一望できる素敵な高台に立つ女性を描いたものです。遠くにサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂と市街地が、更にトスカナの丘陵地帯が紫色に霞んで望まれます。




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 当時のパリは偏見の渦巻く街であった。明治以来日本人はフランスに勝手に片思いし続けていたのかも知れない。アメリカのミネソタから来たので特にそう思ったのかも。いずれにしろヨーロッパは程度の差こそあれ同じようなものだった。


 当時は海外旅行が自由化になったばかりで、一旅行で海外に持ち出せるのは500ドル。航空券は事前に国内で往復切符を変えるから、現地で使う分が50ドルであった。


 自由化後の最初のツアー客は大半が農協さんの農家のグループ。今では信じられないかも知れないが、農家の皆さん裕福だっんですね。当時1ドル/360円の固定相場制だったが、丁度変動相場制になり200円くらいだった。500ドルで10万円くらい。物の値段は3~4倍に、大卒の初任給は当時の5倍近い。日本からの団体旅行者の行動様式にヨーロッパ人は好奇の目を持っていたようだ。


 10万円は今の価値で30万円以上でしょう。しかし欧米での実際の価値は6~7万円くらいだった。


 パリの日本食堂は2~3軒あったと思う。それもラーン屋で、食べたことのある日本人の話だと、我々には高くて食べられそうになかった。


 お金がないからパりのカフェでも殆ど入らない。当時、大学の仏文科の妻の同窓生がフランス人の女性と結婚してパリに住んでいた。ある時、そのTさんから、サンジェルマンのドゥー・マゴーで会いましょうって話があり、先にドゥー・マゴーに行って待っていた。


 ドゥー・マゴーの裏手にフローラがあり、このカフェにかってサルトルやブーボワールがたむろしていた。そんなことはどうでもよく、私は精神的に落ち込んでいた。


pari cafe

 テラス席に座ると目の前にサン・ジェルマン・デ・プレ教会が聳えている。6世紀に建てられたこの教会はパリ最古のロマネスク様式で、一度中に入ったが今ではよく覚えていない。


サンジェルマン教会

 ただこの教会を見上げながら呟いたのを覚えている、「パリなんって大嫌いだ!」。若かったし、カルチャーの溝を埋められない自分を呪ったのかも知れないし、かなり病んでいたんですね。



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 関東のさくらの時期は終わりましたが、北の国々ではまだこれからでしょう。日本は南北に長いので、沖縄では1月にさくらの花が咲き、5月には北海道で満開になります。今年は10日ばかり早いそうですが。


  私は札幌生まれです。子供の時、5月の桜が咲く頃に、一番上の姉が今でいうアナフラキーショックで突然亡くなりました。前日に花見に円山公園へ行こうと父が言っていたのです。円山公園や札幌神社(今は北海道神宮というらしい)によく行きました。5月の中旬には公園と神社の桜が満開でした。春の陽射しにピンク色に染まった桜は見事でした。さくらが大好きで、時々姉の面影と桜の景色を思い出します。


さくらの絵

さくら


 この絵は札幌の桜ではありません。近くの多摩川の二ケ領のさくらです。若いお母さんと小さな女お子が橋を渡り切ろとする瞬間です。微笑ましい光景なので描いてみました。グアッシュ(不透明水彩)と水彩で描きました。今年のさくらは一段と美しかったですね。


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