当時のパリは偏見の渦巻く街であった。明治以来日本人はフランスに勝手に片思いし続けていたのかも知れない。アメリカのミネソタから来たので特にそう思ったのかも。いずれにしろヨーロッパは程度の差こそあれ同じようなものだった。
当時は海外旅行が自由化になったばかりで、一旅行で海外に持ち出せるのは500ドル。航空券は事前に国内で往復切符を変えるから、現地で使う分が50ドルであった。
自由化後の最初のツアー客は大半が農協さんの農家のグループ。今では信じられないかも知れないが、農家の皆さん裕福だっんですね。当時1ドル/360円の固定相場制だったが、丁度変動相場制になり200円くらいだった。500ドルで10万円くらい。物の値段は3~4倍に、大卒の初任給は当時の5倍近い。日本からの団体旅行者の行動様式にヨーロッパ人は好奇の目を持っていたようだ。
10万円は今の価値で30万円以上でしょう。しかし欧米での実際の価値は6~7万円くらいだった。
パリの日本食堂は2~3軒あったと思う。それもラーン屋で、食べたことのある日本人の話だと、我々には高くて食べられそうになかった。
お金がないからパりのカフェでも殆ど入らない。当時、大学の仏文科の妻の同窓生がフランス人の女性と結婚してパリに住んでいた。ある時、そのTさんから、サンジェルマンのドゥー・マゴーで会いましょうって話があり、先にドゥー・マゴーに行って待っていた。
ドゥー・マゴーの裏手にフローラがあり、このカフェにかってサルトルやブーボワールがたむろしていた。そんなことはどうでもよく、私は精神的に落ち込んでいた。
テラス席に座ると目の前にサン・ジェルマン・デ・プレ教会が聳えている。6世紀に建てられたこの教会はパリ最古のロマネスク様式で、一度中に入ったが今ではよく覚えていない。
ただこの教会を見上げながら呟いたのを覚えている、「パリなんって大嫌いだ!」。若かったし、カルチャーの溝を埋められない自分を呪ったのかも知れないし、かなり病んでいたんですね。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページにもどうぞ