訪れる者、追われる者。~ 神仏分離令 と 廃仏毀釈は、仏教界の近代化?
江戸時代まで寺院は、地域文化の中心にありました。
僧侶は仏教の布教や葬礼を行うとともに、集落、地域の住民の支援を行ってきました。
子供たちの教育。
生活相談。
ときには医者の役割を担い、病人に薬を与えたりしていました。
神仏習合により多くの神社では、社僧と呼ばれる僧侶を抱えていました。
他の寺院と同様に民衆の世話を担当していました。
つまり信仰の場とともに、地域社会において、なくてはならないシステムでした。
ところが明治維新後、西洋のすすんだ文明が日本に入ってきました。
このため僧侶がもつ知識は、古く不要と思われました。
神職たちも神社の社僧はいらないと声をあげはじめました。
これにより新政府は、神道と仏教の分離が目的に、
慶応4年(1868)に「神仏分離令」を、
明治3年(1870)の詔書「大教宣布」などの政策を発しました。
これにもとづき神社がもつ仏像、仏具が破棄されました。
社僧は職を失い、還俗することになります。
このありさまをみた民衆は「仏教は時代遅れだ」と声をあげたのでした。
政府は仏教排斥を意図していませんでしたが、結果として民衆による廃仏毀釈運動を引き起こしたのでした。
新しい時代の到来は、近代的な学校制度、技術や学問をもたらしました。
これまで地域の文化の中心であった寺院の役割が失われたのでした。
廃仏毀釈により破壊された寺院が多い中、有力な寺院は信仰の場、檀家の葬式の場として存続できました。
廃仏毀釈の嵐がおさまった明治5年(1872)、政府は僧侶の肉食、妻帯禁止を解く法令をだしました。
これは政府が寺院に対し国家管理と保護を放棄する意向を示したものでした。
これまでの文化を”古いもの”として押し流してしまったのですね。
激しい時代だったのでしょうね。
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受難☆興福寺の五重塔! 四条隆平の企み ~ 神仏習合と、神仏分離と廃仏毀釈
それが神仏習合と、神仏分離と廃仏毀釈です。
聖徳太子が唱えた神仏習合。
これに対し、神仏分離とは神社と寺院とを明確に区別させることでした。
つまり神道と仏教、神と仏を明確にすることでした。
ヒトの都合で神様と仏さまをくっつけたり、離したりするのですね。
神仏分離の思想自体は江戸時代中期からありました。
明治のはじめに、政府は公式に神仏分離令(正式には神仏判然令)を出しました。
ところが何を取り違えたのか、全国各地で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動がおこりました。
全国各地の寺院や仏具の破壊が行なわれたのです。
ことに奈良では春日社と興福寺が一体となっていましたので、神仏分離令の影響は大きかったと伝えられています。
それにかぶせて廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。
寺は打ち壊され、仏像や釣り鐘が失われたりしました。
普段、崇拝を集めている社寺仏閣。
不思議でならないのは、何故このような混乱が起こったのでしょうね。
当時の民衆はナニガシかの不満を抱いていたのでしょうか。
仏教、神道と異なる宗教を信じている人がやったのでしょうか。
その理由は「訪れる者、追われる者。 」を参考ください。
当時の奈良の県令「四条隆平」は、激しい「廃仏家」でした。
明治4年(1871)、奈良の鹿を有害獣として射殺を許可しました。
春日神社の神鹿保護の訴えで鹿の殺傷禁止区域が設定される明治23年まで続いたそうです。
さて奈良公園に訪れると立派な興福寺の五重塔をがそびえています。
四条隆平なる人物、この五重塔を壊さんと企みます。
15両ものの大金をつぎ込み購入。
塔の頂上に網をかけ万力で引き倒そうと試みました。
しかし長い歴史の風雪に耐えた堅牢な塔は、どうにか持ちこたえました。
次に塔の下に柴を積み、火をかけようと計画したのでした。
塔を焼く布令をだしたところ周辺住民の大反対を受けます。
塔が大事というよりも、類焼を恐れたとのことでした。
計画は頓挫し、おかげで興福寺の五重塔は現在も健在で拝むことができるのでした。
「訪れる者、追われる者 」へつづく。
>社寺王国奈良県の苦難。廃仏毀釈~平城遷都1200年祭までの長い道のり
>奈良県が消えた時代(1) ~奈良は大阪府に属していた!?
>奈良県が消えた時代(2) ~大阪府から独立。そして観光振興へ
当時の人たちは、どんな思いだったのでしょうね。
火事がこわかっただけ?ほんとう?
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奈良県の苦難。廃仏毀釈~平城遷都1200年祭までの長い道のり
実は、100年前にも「平城遷都1200年祭」が開催されていました。
世間(よのなか)を常なきものと今ぞ知る
平城(なら)の都うつろふ見れば
(万葉集)
「世の中が無情なものと今こそ知った。
奈良の都のさびれるをみて」
これは、天平12年(740)10月、聖武天皇が平城京と決別した後、
荒廃した奈良の都・平城京を嘆いた歌でした。
710年の平城京遷都から、今年・2010年は、1300年になります。
これを祝い、奈良の平城宮跡で平城遷都1300年が開催されました。
ちょど100年前、明治43年(1910)にも、平城遷都1200年祭
が開催されたのでした。
前回、奈良県は、大阪府に吸収され、苦難の運動の後、独立を成し遂げた
ことについて掲載しました。
その後、平城遷都1200年祭が開催されるにいたるまで、また、苦難が待ち受けていたのでした。
慶応4年(1868)神仏分離令を端を発し、廃仏毀釈
とよばれる民間の運動が引き起こされたのでした。
これにより全国で、
神仏習合の廃止、
仏事の禁止、
仏教施設の破壊
・・・などという大混乱がくりひろげられたのでした。
それは社寺王国奈良をも大きく揺るがしたのでした。
興福寺は一時廃寺となるなど各社寺とも、困窮状態で観光にあたいするものではなかったのです。
明治維新。
新政府樹立による政策が、日本全土、ひいてはこの奈良県に、激しい混乱をまねいたのでした。
それは、冒頭にあげた歌のような有様といえるでしょう。
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