受難☆興福寺の五重塔! 四条隆平の企み ~ 神仏習合と、神仏分離と廃仏毀釈 | 奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ

受難☆興福寺の五重塔! 四条隆平の企み ~ 神仏習合と、神仏分離と廃仏毀釈

奈良の歴史を語るときに欠かせない、そして不可思議な問題があります。


それが神仏習合と、神仏分離廃仏毀釈です。


聖徳太子が唱えた神仏習合

これに対し、神仏分離とは神社と寺院とを明確に区別させることでした。
つまり神道と仏教、神と仏を明確にすることでした。

ヒトの都合で神様と仏さまをくっつけたり、離したりするのですね。

神仏分離の思想自体は江戸時代中期からありました。
明治のはじめに、政府は公式に神仏分離令(正式には神仏判然令)を出しました。

ところが何を取り違えたのか、全国各地で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動がおこりました。
全国各地の寺院や仏具の破壊が行なわれたのです。

ことに奈良では春日社と興福寺が一体となっていましたので、神仏分離令の影響は大きかったと伝えられています。
それにかぶせて廃仏毀釈の嵐が吹き荒れました。
寺は打ち壊され、仏像や釣り鐘が失われたりしました。

普段、崇拝を集めている社寺仏閣。
不思議でならないのは、何故このような混乱が起こったのでしょうね。
当時の民衆はナニガシかの不満を抱いていたのでしょうか。
仏教、神道と異なる宗教を信じている人がやったのでしょうか。

その理由は
訪れる者、追われる者。 」を参考ください。


当時の奈良の県令「四条隆平」は、激しい「廃仏家」でした。
明治4年(1871)、奈良の鹿を有害獣として射殺を許可しました。
春日神社の神鹿保護の訴えで鹿の殺傷禁止区域が設定される明治23年まで続いたそうです。

さて奈良公園に訪れると立派な興福寺の五重塔をがそびえています。

フラップ・フラッパーのコタエ-興福寺 五重塔


四条隆平なる人物、この五重塔を壊さんと企みます。

15両ものの大金をつぎ込み購入。
塔の頂上に網をかけ万力で引き倒そうと試みました。
しかし長い歴史の風雪に耐えた堅牢な塔は、どうにか持ちこたえました。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-興福寺 五重塔 奈良

次に塔の下に柴を積み、火をかけようと計画したのでした。
塔を焼く布令をだしたところ周辺住民の大反対を受けます。
塔が大事というよりも、類焼を恐れたとのことでした。

フラップ・フラッパーのコタエ-興福寺 五重塔


計画は頓挫し、おかげで興福寺の五重塔は現在も健在で拝むことができるのでした。

訪れる者、追われる者 」へつづく。


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奈良県が消えた時代(1) ~奈良は大阪府に属していた!?
奈良県が消えた時代(2) ~大阪府から独立。そして観光振興へ




廃仏毀釈のおそろしい事例でした。
当時の人たちは、どんな思いだったのでしょうね。
火事がこわかっただけ?ほんとう?
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