奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ -15ページ目

ことわざ「元の黙阿弥」のは、奈良なのです。 ~ 筒井順昭と黙阿弥 【真書太閤記 天正軍記】

もとの黙阿弥

この言葉は、現在では「物事が振り出しに戻る」という意味で用いられますね。

戦国の梟雄・松永弾正久秀が、大和の筒井城に攻め入らんとしていたときのことです。

天文19年(1550)。
城主・筒井順昭(つついじゅんしょう)は、重い病気に臥せていました。

もはや寿命尽きると察した順昭は、松永弾正久秀を警戒し、家臣たちに自身の死を隠すようにと命じました。

そして奈良市角振町の盲目の琴の師匠・黙阿弥(もくあみ)を影武者にたてるようにと命じました。

この頃、
順昭はまだ28歳。
嫡子の藤勝(ふじかつ)は、わずか2歳。
後の筒井順慶でした。

順昭亡きあと、喪を秘し、黙阿弥を招き入れ、主君のごとくかしずいたのでした。

それから3年後、順昭の死を公表しました。

5歳となった藤勝が筒井家を継ぎます。

黙阿弥は、その功績により多くの褒美を下され、角振町へと戻ったのでした。

これにより、何事によらず元へ返ることを、「元の黙阿弥」といういいならわしとなりました。







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>「奈良・大和 王道の武将筒井順慶 」
  その1「宿敵襲来!
  その2「大仏炎上!
  その3「親友との決別!

戦国の梟雄・松永久秀の墓

奈良の大仏炎上と再興

アメブロ退会の被害にあっていました。

いやー、あせりましたあせる


25日にアメブロにログインしようとしたら、

このIDは退会扱いとなっています

と返ってくるばかり。

別のブログ(アメブロ)では、ちゃーんとログインできたのですがね。

アメブロでは、規約に抵触するブロガーのブログを告知もなく閉鎖してしまうといううわさを以前からきいていたので、

まさか、自分がその目にあったのかと思ったものです。

しかし、ブログ自体は閲覧できるのですね。

これはおかしいとおもって、アメブロスタッフブログを確認。
(別のブログで。)

24日の晩から、第三者による不正なアクセスがあり、IDを削除されたとのことでした。

記事をはじめとする諸々のデータには被害はないとのことでした。



星聖夜にとんでもないクリスマスプレゼントをくらってしまいましたね。


怖いので、パスワードは、変えときますかね。

みなさんも、お気をつけくださいね~。





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戦国のメリークリスマス 松永久秀 ~ 日本で最初にクリスマスの日を休暇にした人

今夜はクリスマス・イブですね。

いかがおすごしでしょうか?



さて・・・

天文18年(1549)。

キリスト教がフランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられました。

その後、日本で最初にクリスマスの日を休暇にした人がいます。



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それが、戦国の梟雄「
松永久秀」でした。

奈良に縁が深い武将の一人です。


悪行の数々を行いました、



第13代将軍・足利義輝暗殺、
東大寺大仏殿焼失の首謀者と言われています。

一方で、連歌や茶道に長けた教養人である面も持ち合わせていました。


奈良は大和攻略の橋頭保とした
信貴山城の近郊では、善政を行った名君としても親しまれていたそうです。

永禄9年(1566)。


大阪・堺で三好三人衆と争っていた時です。


松永久秀は、窮地の打開策として降誕祭(クリスマス)を理由に休戦を申し立てたそうです。


両陣営にはキリシタン武士が多くいたので、堺の商人を仲介に実現したとのことです。


民衆が使っていた会合所を借りて降誕祭の夜には、一同が介しクリスマスパーティをしたとのことです。



メリークリスマス。ミスター・ヒ・サ・ヒ・デキラキラ


・・・ってとこですかね。(^_^;)






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嗚呼、栄枯盛衰 足利義昭 と 興福寺

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  その2「大仏炎上!
  その3「親友との決別!

戦国の梟雄・松永久秀の墓