ことわざ「元の黙阿弥」のは、奈良なのです。 ~ 筒井順昭と黙阿弥 【真書太閤記 天正軍記】
「もとの黙阿弥」
この言葉は、現在では「物事が振り出しに戻る」という意味で用いられますね。
戦国の梟雄・松永弾正久秀が、大和の筒井城に攻め入らんとしていたときのことです。
天文19年(1550)。
城主・筒井順昭(つついじゅんしょう)は、重い病気に臥せていました。
もはや寿命尽きると察した順昭は、松永弾正久秀を警戒し、家臣たちに自身の死を隠すようにと命じました。
そして奈良市角振町の盲目の琴の師匠・黙阿弥(もくあみ)を影武者にたてるようにと命じました。
この頃、順昭はまだ28歳。
嫡子の藤勝(ふじかつ)は、わずか2歳。
後の筒井順慶でした。
順昭亡きあと、喪を秘し、黙阿弥を招き入れ、主君のごとくかしずいたのでした。
それから3年後、順昭の死を公表しました。
5歳となった藤勝が筒井家を継ぎます。
黙阿弥は、その功績により多くの褒美を下され、角振町へと戻ったのでした。
これにより、何事によらず元へ返ることを、「元の黙阿弥」といういいならわしとなりました。
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>「奈良・大和 王道の武将、筒井順慶 」
その1「宿敵襲来!」
その2「大仏炎上!」
その3「親友との決別!」
>戦国の梟雄・松永久秀の墓
>奈良の大仏炎上と再興
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もはや寿命尽きると察した順昭は、松永弾正久秀を警戒し、家臣たちに自身の死を隠すようにと命じました。
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この頃、順昭はまだ28歳。
嫡子の藤勝(ふじかつ)は、わずか2歳。
後の筒井順慶でした。
順昭亡きあと、喪を秘し、黙阿弥を招き入れ、主君のごとくかしずいたのでした。
それから3年後、順昭の死を公表しました。
5歳となった藤勝が筒井家を継ぎます。
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