神武東征の果て・・・ 神武東征 異聞 【奈良・大和王国縁起】 桜井市 三輪
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奈良が何故、日本最古の都たるものになったか。
海のない山に囲われた盆地から、何故、大和朝廷が発生したのか。
古事記をひもとけば・・・
初代・天皇である神武天皇はなぜ、
外交で栄えた九州を後にし、艱難辛苦の旅をつづけ東征を行ったのか。
(奈良誕生秘話 ~王国の鉄。 ~【奈良・大和王国縁起】 より抜粋。)
神武天皇ことイワレヒコは、
天照大神の命を受けて、葦原中国(地上)を平定するため天孫降臨したニニギの孫です。
都に適した土地を求め、古代日本は、日向国の高千穂(九州は宮崎県日向市美々津※)から兄のイツセと船で東へと出兵しました。
いわゆる、神武東征です。
北九州、そして瀬戸内海の各地を平定し、一行は、大阪は、難波の地・白肩津(シロカタノツ)に上陸します。
そこで、ナガスネビコという強敵の抵抗にあいます。
ナガスネビコは、イツセの軍に、雨のように矢をふらせます。
たけるイツセに対し、呪いをこめたナガスネビコの矢が放たれます。
矢は、イツセの腕を貫きます。
イツセの負傷により、イワレビコの軍は大敗を喫します。
海上へ逃げ延びた一行でしたが、イツセは衰弱し、やがて亡くなります。
悲嘆にくれたイワレビコでありましたが、
「日の神の御子でありながら、日に向かい戦ったことが敗因であろう」
そう言い残したイツセの言葉に従い、一行の船を和歌山は、熊野へとむけました。
ここから日を背に戦う旅となります。
深山幽谷、熊野の山々という難攻の地をイワレビコの軍は進みます。
→【詳細 】
(神武東征 玉置神社の由来~奈良吉野紀行(2) より抜粋。)
この神武天皇の東征伝をコミックにしたのが、こちら。
ここに、神武天皇の神武東征で、おもしろい解釈をされていました。
神武(イワレヒコ)の軍は、ナガスネヒコの手を逃れ、熊野を上陸。
宇陀に至ったところから、その調子を一変させ「皇軍」はにわかに精強になる。
盆地とそのまつろわぬ一族を征伐するのです。
しかし、果たして、神武の軍はそれほど強かったのだろうか。
事実は、異なり、彼らは強大な征服者ではなく、侵入者ではなかったのではないだろうか。
神武の一行が実は招かれた客であった仮説がうかがえる。
それは、三輪の姫との「婚姻」という儀式のため、三輪の王ニギハヤヒに招かれた客であった。
彼らを招く三輪の一族が、彼らに内応し、盆地で合流した。
三輪の意向に従わない、ナガスネヒコをはじめとする豪族に対し、最強の軍となり東征の伝説を成したのではないだろうか。
と・・・
三輪山の麓。
大神神社より進むこと狭井神社を更にすすむ、
古道「山の辺の道」の道端、狭井河の側にあります、
「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」があります。
神武(イワレヒコ)と、三輪の姫イケスヨリヒメ(作中ではミトシと称される。)の皇居となった場所です。
もうひとつ、ここで重要になってくるのが、ニギハヤヒの存在です。
これは、先に紹介した「神武 」より以前に販売された「ナムジ 」に描かれています。
この本の表紙は、オオドシ。
同じく出雲の英雄、スサノオの息子です。
またの名を、オオモノヌシ。後に”ニギハヤヒ”と名をあらためます。
誰であろう、三輪山の神、オオモノヌシです。
つづく。
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大神神社への電車でのアクセスは、こちら。
三輪山 、大神神社 歩く、アクセス情報 【JR桜井線 三輪駅】
大神神社の駐車場情報は、こちら
三輪、大神神社の過去の記事
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三輪素麺 卜定祭
大神神社の正月
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勤労感謝の日と新嘗祭と農林産物品評会
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十津川村玉置神社 ~奈良イベント10月をふりかえって(1)
十津川村玉置神社 ~奈良イベント10月をふりかえって(2)
(1)玉置神社におとずれました。
吉野郡は大峰山系の南端に位置する玉置山へ真夜中に車を走らせました。
皺のような山の崖道を通りぬけ、なんとか翌朝到着。
訪れる人を選ぶという強烈な神社に、無事に選ばれた瞬間です。
(2)神武東征 玉置神社の由来
玉置神社と神武天皇の伝説について語っています。
(3)神代杉と遭遇 玉置神社
神々しい姿の神木「神代杉」と遭遇。
(4)そして蒼天に月のぼる玉置神社
あこがれの玉置神社に参拝です。疲労困憊したね。
(5)1000年物語 大杉 そして玉置山山頂へ
玉置山を散策です。県下一大きい1000年杉「大杉」とご対面です。
奈良が何故、日本最古の都たるものになったか。
海のない山に囲われた盆地から、何故、大和朝廷が発生したのか。
古事記をひもとけば・・・
初代・天皇である神武天皇はなぜ、
外交で栄えた九州を後にし、艱難辛苦の旅をつづけ東征を行ったのか。
(奈良誕生秘話 ~王国の鉄。 ~【奈良・大和王国縁起】 より抜粋。)
神武天皇ことイワレヒコは、
天照大神の命を受けて、葦原中国(地上)を平定するため天孫降臨したニニギの孫です。
都に適した土地を求め、古代日本は、日向国の高千穂(九州は宮崎県日向市美々津※)から兄のイツセと船で東へと出兵しました。
いわゆる、神武東征です。
北九州、そして瀬戸内海の各地を平定し、一行は、大阪は、難波の地・白肩津(シロカタノツ)に上陸します。
そこで、ナガスネビコという強敵の抵抗にあいます。
ナガスネビコは、イツセの軍に、雨のように矢をふらせます。
たけるイツセに対し、呪いをこめたナガスネビコの矢が放たれます。
矢は、イツセの腕を貫きます。
イツセの負傷により、イワレビコの軍は大敗を喫します。
海上へ逃げ延びた一行でしたが、イツセは衰弱し、やがて亡くなります。
悲嘆にくれたイワレビコでありましたが、
「日の神の御子でありながら、日に向かい戦ったことが敗因であろう」
そう言い残したイツセの言葉に従い、一行の船を和歌山は、熊野へとむけました。
ここから日を背に戦う旅となります。
深山幽谷、熊野の山々という難攻の地をイワレビコの軍は進みます。
→【詳細 】
(神武東征 玉置神社の由来~奈良吉野紀行(2) より抜粋。)
この神武天皇の東征伝をコミックにしたのが、こちら。
- 神武―古事記巻之二 (1)
- (中公文庫―コミック版)/安彦 良和
- ¥580
- Amazon.co.jp
ここに、神武天皇の神武東征で、おもしろい解釈をされていました。
神武(イワレヒコ)の軍は、ナガスネヒコの手を逃れ、熊野を上陸。
宇陀に至ったところから、その調子を一変させ「皇軍」はにわかに精強になる。
盆地とそのまつろわぬ一族を征伐するのです。
しかし、果たして、神武の軍はそれほど強かったのだろうか。
事実は、異なり、彼らは強大な征服者ではなく、侵入者ではなかったのではないだろうか。
神武の一行が実は招かれた客であった仮説がうかがえる。
それは、三輪の姫との「婚姻」という儀式のため、三輪の王ニギハヤヒに招かれた客であった。
彼らを招く三輪の一族が、彼らに内応し、盆地で合流した。
三輪の意向に従わない、ナガスネヒコをはじめとする豪族に対し、最強の軍となり東征の伝説を成したのではないだろうか。
と・・・
三輪山の麓。
大神神社より進むこと狭井神社を更にすすむ、
古道「山の辺の道」の道端、狭井河の側にあります、
「神武天皇聖跡狭井河之上顕彰碑」があります。
神武(イワレヒコ)と、三輪の姫イケスヨリヒメ(作中ではミトシと称される。)の皇居となった場所です。
もうひとつ、ここで重要になってくるのが、ニギハヤヒの存在です。
これは、先に紹介した「神武 」より以前に販売された「ナムジ 」に描かれています。
- ナムジ―大国主 (3)
- (中公文庫―コミック版)/安彦 良和
- ¥720
- Amazon.co.jp
この本の表紙は、オオドシ。
同じく出雲の英雄、スサノオの息子です。
またの名を、オオモノヌシ。後に”ニギハヤヒ”と名をあらためます。
誰であろう、三輪山の神、オオモノヌシです。
つづく。
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大神神社への電車でのアクセスは、こちら。三輪山 、大神神社 歩く、アクセス情報 【JR桜井線 三輪駅】
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(1)玉置神社におとずれました。
吉野郡は大峰山系の南端に位置する玉置山へ真夜中に車を走らせました。
皺のような山の崖道を通りぬけ、なんとか翌朝到着。
訪れる人を選ぶという強烈な神社に、無事に選ばれた瞬間です。
(2)神武東征 玉置神社の由来
玉置神社と神武天皇の伝説について語っています。
(3)神代杉と遭遇 玉置神社
神々しい姿の神木「神代杉」と遭遇。
(4)そして蒼天に月のぼる玉置神社
あこがれの玉置神社に参拝です。疲労困憊したね。
(5)1000年物語 大杉 そして玉置山山頂へ
玉置山を散策です。県下一大きい1000年杉「大杉」とご対面です。