五目紙物店「寅屋」 -4ページ目

第77回『続、日本に帰る時』

進む前方の廃屋の前で、
多くの日本の兵隊さん達が、
何かを叫びつつ、
大きく背伸びをしつつ、
手を我々に向かい降る。
我々も負けじと振り落とされぬ様、
手を振り答える。
かつては中国兵と戦い優位に立ったが、
戦い敗れて、
この悲惨さ。
我々以上に故郷が恋しいだろう。

大きく凹凸の悪路を走り、
トラックは止まる。
見渡す数個の家が立つ。
荷物を降ろして、
道路の両側に梱包を解いて、
中身を点検しやすく並べる。
待てど検査官姿を見せず。
天気は良し。
広げた蒲団で昼寝と洒落込む者も居る。
想いは敗戦以来の様々。
数少ない、
目の前に有る持ち帰りの品々。
人伝に聞くと、
日本銀行で軍票の、
九十五万円を持参すると、
日本に帰ると受け取れる。
三万円び小切手を切ってくれると聞き、
早速、小切手と交換する。
噂では三万円もあれば、
都市でも家の二、三軒は買えるとの事。
これだけあれば当分は生活出来るだろう。
手持ちの千円を途中で、
途中で使い果たしても安心との想い。

私は戦争中は皆の注意も聞かず、
坊主頭で過ごす。
坊主頭は日本人のシンボル。
何時、
街を歩き襲われるかも知れず。
だが、
敗戦で気分も変わり伸ばす。
散発屋に行くと、
散発しながら、
手の足の爪を切り耳掃除、
マッサージもしてくれて、
終わるとコーヒー、煙草が出る。
私は煙草は吸わなぬ、
お菓子が出る。
安い街頭での散髪。
まず髪を剃ると汚い雑巾の様な布で、
つるりと撫ぜて終わり。

上海の正月は、
日本程賑やかでないが、
秋の月見の折りは日本の盆と、
正月の賑わい、
先祖の仏前を飾り、
溜まった一年の支払いも兼ねる。
毎日の生活の衛生の観念の大きな違い。
汚いの言葉はあるが、
溜まり水で米を研ぐ、
直ぐ横でオムツを洗う神経の持ち主。
判断に迷う。
お国が違うと様々な違いが目立つ。
それに笑顔を絶やさず、
親しみ安い。
最低の貧乏人は何一つ無い状態。
でも生活をしている。
私も上海に来て早くも七年近く生活をする。
敗戦で祖国に追い返され、
無銭世界一周は夢と消え去る。
無一文に等しい。
これからの人生、
凶と出るか吉と出るかお楽しみ。
目の前の少ない持ち物を寂しく眺める。
不用の中国紙幣を集めて、
検査の前に、
日本に持ち帰っても使用出来ませんと、
手渡す。
ていの良い賄賂。
検査が始まる見て回るだけ、
それでも相当に没収されている。
誰かに頼まれた品々であろうか。
直ちに梱包する。
梱包が終わると独身者のみ残り、
トラックに積み込む作業。
総数、
八千個余り。
トラックに積み込み投げ挙げるが、
減る様子もない。
積み上げて山なす荷物を締めるロープにしがみ尽き、
大きくトラックは跳ね上がり下がる。

凹凸道の両側を背嚢ならぬ、
小さな袋を背負い、
両側を疲れきった足取りで、
延々と日本の兵隊サンが続く。
第一線で死力を尽くして戦い、
利有らず敗戦で、
祖国に帰る隊列か。
気力も使い果たしたのか、
トラックを見上げる者もない。
休止であろうか、
前より倒れ込むように座り込み動こうともせぬ。
戦争で酷使され果ては使い捨て。
我々も蓄積した財産を放棄して、
今、
祖国に帰る途中です、
と心で話を掛けつつ、
揺れる上よりお別れをする。
桟橋に着く。
直ちに引き揚げ船の甲板に、
積み上げの作業に酷使される。
作業終わり歩み板を渡り、
甲板に出る。
周囲二段の蚕棚宜しく長く、
上下幅少ない長い箱が並ぶ。
梯子段を下りて船室に入る。
むっ、
とする程の人。
息で気分も悪くなる。

引き揚げ船、
栄宝丸八千トン余りの貨物船。
船内は板の上に、
半分腐っる悪臭放つ筵が敷いている。

先発して船に乗り込む所帯主達、
雑談しながら口先でご苦労さん。
我々の座る場所も無い。
皆を立たせて各班とも話し合い。
リュック、
待ち帰りの品々を積み上げて、
境界線としてお互い譲り合い座るが、
人数多くて座れない。
その間、
所帯主達手も出さずボンヤリ。
つっ立つ。
張り倒したい気分を押さえて、
何とか密着状態でも座れた。
夕飯にしようと各自弁当を広げる。
各自、
それぞれに工夫して嵩張らぬ食事を広げる。
言葉も無く食事は終了する。
雑談も無く寝ようと横になるが、
狭くて横にも成れず、
一騒動を繰り返し、
お互い交互に横に成り、
人の足を抱えて横になる。

第76回『日本に帰る時』

2月下旬頃、
待ちに待った日本に変えれる風説が流れる。
日本人の生活態度が一変する。
一月以来、
天候悪く小雨が降る中を、
買い物に走るが、
何をどれだけ持って帰れるのやら、
日毎に変更の噂が流れる。
あらゆる物の新品は持ち帰りは禁止。
日本人目当てに物価は上昇する。
反物、毛糸類の持ち帰りは禁止らしい。
と買い物帰りの者の話。
私も白の毛糸を買い求めて、
編み方を習い太い編み針で編む、
出来上がりは問わぬ毛糸の持ち帰り。

あらゆる商品の新品の持ち帰りは禁止なので、
皆は下着を買い、
水に着けて絞り、
そのまま乾かして古着に混ぜる。
皆は知恵を出し合い、
一品でも多くと話し合う。
内地は何もかも不足と噂が流れる。

持ち帰り品。
金銀宝石、掛け軸、書画、骨董類の、
持ち帰りは禁止する。
違反者発見の場合は、
同乗船全員の持ち帰り荷物を没収する厳しい内容。
重量は一人三十キロ以内とする。
蒲団は上下一枚を一組とする。

棉綿の蒲団は重量がある。
絹布団を探す。
軽くて数多く持ち帰りたい。
着物も冬のオーヴァも、
冬の様々の着る物と思うが重量が嵩む。

毎日持ち帰りの品を梱包しては、
重量を計り、
思案投げ首を繰り返す。
蒲団袋の重さにも悩む。
子供に大人の靴下を何足も履かせ試したとか。
毎日苦慮を繰り返す。
一番心配な持ち帰り金額は、
一人日本円の千円を最高とする。

第一陣の引き揚げ船が、
上海の岸壁を離れる。
もう間違いなく祖国に帰れる。
第二陣が手を振り元気に租界を出て行くが、
夕刻近く、
首を項垂れてしょぼしょぼと、
手ぶらで全員が租界に帰る。
一人の隠し持った宝石が発見されて、
全員の持ち帰り品を没収されて、
手ぶらで全員が租界に追い返された。
小さな宝石、
何処にでも隠せると安心していたが、
持ち帰り品の全部を、
道に広げて検査をされたとか…。
残る皆の同情を集めて、
持ち帰りたくとも持ち帰れない品々の寄付で、
次の引き揚げ船で祖国に向かう。
身体検査迄されたとか聞き、
再度の梱包のし直し。

第三便で、
ここへお世話をしてくれた友達が、
元気に帰る。

突然、
私は高熱に冒される。
四十度。
体温計の狂いだろうと買いに来るが、
熱は依然として四十度を繰り返す。
清原サン、
医者を探して連れて来るが、
その医者も帰国の雑路折り。
医者探しも苦労するとか。
第三次が揚子江を下る。
船底に戦争中敷設の魚雷に接触被害を受けたが、
被害者無く、
全員裸で租界に帰る。
友達も帰る。
何かを手助けをと思うが動けぬ。
皆の同情を買い、
様々な衣類等の寄付を梱包して、
次の便船で祖国へ。
だが持ち帰る品々に、
何の思い出も無い寂しい荷物。
本当にお気の毒と思う。
別の友達も次の引き揚げ船で祖国に帰る。
皆は祖国に帰る荷造に忙しい。

頭を冷やそうと洗面器を下げて、
二階に降りて水道水で頭を十分に冷やして、
洗面器に水を冷やそうと洗面器を下げて、
二階に降りて、
水道水で頭を十分に冷やして洗面器に水を入れて、
一段一段と昇りつつ頭を冷やす。
昇り詰めると、
洗面器の水から湯気が立ち昇る。
面倒くさくなり二階の水道の前で、
夜明けを迎える。
医者も来ず部屋で何か良い薬でもと思い、
探すと小瓶に入る、
キニネーを見つける。
マラニアの薬。
自棄も手伝い一気に一瓶を飲み下す。
目覚めたが依然として熱は四十度。
寝ても居られず、
帰国の買い物に走る。
高熱に冒されつつどうにか、
梱包をすますと、
あれもこれもと思うが、
思い切って捨てて行こう。
明日は帰国の日本大陸の垢を落とそうと、
風呂に入ると全身鳥肌立つ。
蒲団袋の二十キロ。
大きなリュックは何ダースも使い、
タオルで造った。
帰国してバラすとタオルで使える。
リュックの中には雑多な物が、
押し込められている。
両手に下げる風呂敷包には、
一品でも多くと雑多な物が入る。
首から下げるは、
大き目の洗面器の中には、
日用品を詰め込む。
背中には洋傘を差し込む。
そして連絡の三日間の食料と飲料水を入れる。
嵩張らぬ様に食パンを寝押しして、
何枚も詰め込む。
部屋に残す数々の思い出の洋服、
下着、オーバー。
持ち帰りたいが高熱の体力には限界を感ずる。
何回も何回も残す品物に心は残る。
残る品物持ち帰れない。
残金は全部没収とか。
惨めな思いに深ける。

三月二十九日午前五時指定の集合場所に集まる。
全員の梱包荷物の計量全員パス。
暇な中国兵、
誰彼構わず短銃を胸に突き付けて遊ぶ。
何でも、
さらせと無言で睨み付ける。
全員の持ち帰りの梱包品を米軍のトラックに積み込み、
夜明けの紅口の繁華街をトラックは走る。
海軍の陸戦本部は静かに水兵さんの姿も無し。
右を望むと上海神社が霧の中に心無しか寂しく、
我々を見送る。
再びお参りする事もなかろう。
揺れる梱包に縋り、
手を合わせてお別れをする。

サヨナラ、と。

第75回『物価の高騰』

日本租界に収容され、
日毎に物価高騰する。
喫茶店でコーヒーを飲むと、
一杯七万円。
百万円札の束の帯封が有れば、
少々足りなくても百万円で通用する。
道を歩くと千円札五千円札が風に舞うが、
拾う者なし。

中国政府通貨切り下げに踏み切る。
軍票の一万円札と旧支那紙幣十円との交換する。
ある日、
ここの主人清原サン、
地下室の石炭置場に来てくれと、
共に降りると、
片隅を掘り下げてくれと、
言われるままに掘り下げると、
箱が出てくる。
開けて中身を取り出すと、
包装した包が出てくる。
開封して驚いた。
現在交換の十円札の束が有るは有るは…、
一、二、三と札束が出る。
こうした事も有ろうかと、
隠して置いたと…。
流石は資産家、
我々には思いも寄らず、
この人、
若い頃上海に来て、
悪戦苦闘の末に蓄財したとか。
人生頑張りの一言に尽きる。

何時までも子供を遊ばせても置けぬと、
民家で寺小屋式を開校する。
体操の時間に道路で体操をしていると、
珍しいのか大勢の中国人が見物に来る。
その内、
童子をけしかけて、
体操をする女学生のスカートをめくる。
あわてる様子が面白いと手を叩き繰り返す。
我々は嫌の思いで眺めておった。
ある日、
一人の青年が警備の中国兵の銃を取り上げて、
そいつを人質に立て篭もる。
一視同仁怱ち手に手に何かを下げて、
要所要所に立て篭る。
殆どが除隊兵、
戦闘準備は万全。
上の者達が交渉をしたのであろう。
間もなく、
平穏に終結を見る。
それ以来、
中国人おとなしく見る。
こうした、
いざこざは良く耳にする。

第74回『奥地の引揚者』

世相も何の変化も見られず正月を過ぎる。
一月も半ば冷たい氷雨降る日。
奥地よりの引揚者、
今夜上海駅に着く。
出迎えをしようと多数、
駅構内で待機する中、
屋根の無い貨物列車が滑り込む。
薄暗いプラットに、
薄着も汚れ、
立つ力もひょろひょろと、
人に縋り降りた。
途端に冷たいホームに座り込む。
我々無言で様々に手助けをする。
奥地で汽車に投げ込まれる様に、
貨物列車に乗るが、
止まる駅々で、
持ち出した物は強奪され、
今はご覧の姿です。
と、
涙ながら話す。
突然、
子守唄が弱々しく流れる。
昨夜は南京駅の待避線で、
氷雨降る中、
無蓋の貨物車の中で、
皆は寄り添い一夜を明かす。
そんな折に、
母親が乳児に乳を与えようと、
乳児は既に息絶えておった。
それ以来、
片時も手放さず、
あぁして抱き、
子守唄を唄うのです。
薄汚れた着衣を纏い、
我が乳児を抱きしめて唄う唄声を、
しみじみ聞きつつ、
敗戦の惨めさをつくづく寂しく寂しく、
心に刻む。
国防婦人の人達が、
どうしても手放さぬ乳児を、
風呂に入れると約束して、
乳児を受け取ったとか。
その後の様子は知りません。

皆様を居留民団に収容して、
上海の在住の皆様に衣類の寄付を募ると、
多数の寄付が集まったとか。
その後も、
次々と奥地より悲惨な姿の引揚者、
上海駅に降り立つ。

第73回『千載一遇、のはすが。』

夜長を応接室に集まり、
時間潰しに将棋に麻雀にトランプ、花札にと、
面白く遊ぶが、
何かを賭けようと、
初めは面白半分が日が立つ従い、
昼夜を分かたず丁半に熱中する。
掛け金も大きく破産者も出る。
人数足らぬ時に誘いに来る。
皆は半玄人、
振込み多く取り返しに大きく賭けるが駄目。
ある時、
親をして大きく勝つ。
それを潮に止める。
将棋、花札、麻雀は、
遊び方も対して変わらぬが、
トランプ遊びには、
日本式、米国式、中国式とあるのに、
驚き戸惑った。

邦人達、
生活に追われるのか、
昼夜を分かたず訪問販売をする。
日本で有れば、
一度発令すると厳しく取り締まるが、
中国は、
ままぁふぅふぅ(イイカゲン)で、
取り締まりも無きに等しい。
内地に何時帰れるか、
市街に出ると様々な流言飛語が飛び交う。
どれも信じて良いのやら迷う。
またしても何時帰れるのであろうか。

階下に降りると老人に呼び止められる。
話しは、
何時かこの状態が解ける。
その時にシドニーの支店に来て貰いたい。
否、
私は職人も未熟です。
それに商売は全然知りません。
否、
私が教えます。
是非来て欲しいです。
説得されて契約をする。
後日、
この家の食堂で一席設けます。
その時に出席してください。
当日、
毎日お馴染みの食堂に入ると、
天井には煌煌とシャンデリアの輝きで別天地。
白布の上には、
西洋映画でお馴染みの食器が並ぶ、
そして西洋料理。
招待者であろう人達が十名程並ぶ。
皆は何処かの社長か重役だろう。
一瞬戸惑う。
後ろに正装のボーイが立つ。
社長、
挨拶の折り、
今度ここで私の会社に来て貰う新しい社員です。
宜しくお見知り置きと、
挨拶される。
私は起立して深々と頭を下げて、
宜しくと。
食事が始まるが私は順序をまったく知らぬ。貝
後ろに立つボーイに宜しくと、
頭を下げ助太刀を頼む。
食事は美味しくいただく。
終了直前、
ボーイ長の挨拶を聞いて驚いた、
今を時めく敵将軍、
蒋介石の賄い長。
一介の商人が何処まで、
中国に食い込んでいるのであろうかと驚く。
この社長さん、
ふとした風邪引きが悪化して、
正月を前に死亡する。
葬式に折りに息子さんが、
平時であれば、
数百人の会葬者ありと。
十人にも満たぬ会葬者を寂しく眺める。
焼き場に運ばれる時、
私も小雨降る寒い日、
手車に乗せた死体。
中国兵に人数制限されて、
戸口で見送る。
人生航路は、
様々教えられた私のシドニー行きは、
果敢無い夢に終わる。

第72回『まさに風評被害』

ある夜中に、
けたたましい音。
窓を開けて見ると、
車庫のトタンを盗っている。
日本人に対して、
何をしても良いとの風潮が、
中国人に流れる。
二階の窓を開けて、
男全員でバケツに水を入れて、
リレー式に盗人に水を掛ける。
盗人慌てて逃げ去る。

隣近所の人達とも親しく付き合う。

日が立つが、
我々の処遇は未定。
巷には連日、
日本人に対しての、
朝に夕に様々な流言飛語が流れる。
男性は奥地の開拓に追放。
生きて日本に帰れず。
女性は老人は使い捨てで、
女は売買可能で歓楽街で働かす。
悲観的噂が流れる。

昼は散策も出来るが、
長い夜は時間を持て余す。

十月も半ば、
ぼつぼつ日本人の中から、
生活の貧困者が出始める。
中国人に雇われて行くが、
噂では中国人の賃金よりまだ安いとか。
日本居留民団より寄付を募る。
多額の寄付金が集まったと聞く。
私がお世話になっている、
清原八男様は軍票で、
一億円の寄付をする。

十月も下旬頃、
遊ぶ暇に商売をしようと誘いに来る。
邦人の持て余す様々な物を委託を受けて売り、
手数料で儲けようとの話。
早速同意して品物を集めて、
希望の値段を聞き、
繁華街の道路の片隅で商売をする。
相手は中国人。
最初の値段は口から出任せ。
段々値を下げて売るが、
面白いほど売れる。
商売をしながら、
人間社会に国境は無いとつくづく感じた。
双方笑顔での取引。
値段が合わぬと手を振り別れる。
何をしても順調にはゆかぬ。
値段を聞き、
そのまま持ち逃げをする中国兵。
日毎に多くなる。
中には追うと短銃を突きつける。
黙認にも限度がある。
皆と相談して、
持ち逃げの兵隊が居ると、
我々商売を一時中止して、
大声張り上げて、
日本の言葉で汚い言葉、
例えば、
おのれの根性を叩き直してやろうか。
中国人の恥を知れ、
等々、
思いつくままに叫ぼう。
馬鹿と阿呆は中国人が知るから、
言わぬようにと。
これは効いた。
突然商売を中止して、
大騒ぎする我々を不審に眺め、
我々が指を差す。
持ち逃げの中国兵を振り向いて眺めるが、
騒ぎが大きくなると商売禁止の我々。
連行の憂き目を見ぬ内に止めようと、
商売をやめる。

退屈凌ぎの遊びを中止するが、
街は寒さを増す。

第71回『部屋探し』

今日も部屋探しに当ても無く、
街を彷徨う。
久し振りに知人に会う。
部屋探しを話すと意外や意外、
来るなら来い、
今、
叔父の家で世話になって三階で一人暮らし。
早速帰り、
移転の話をして警備に付き合いを頼むが、
皆は尻込みをする。
邦人の移転を狙って、
昼日中に強盗が出没して、
移転の荷物を奪われ抵抗すると、
袋叩きの目に会うが助ける人は無い。
移転と言っても蒲団袋一つ、
三名程付き添って、
小雨降る中手押し車に、
蒲団袋一つと雨がっぱで、
危険区域に入る。
歩みも緊張する。
横をジープが走る中から、
我々を指差して何かを騒ぐ、
よし、
これを利用しよう、
負けじと、
大声で槍やり返すと、
運チャン減速して振り向き、
何かを叫ぶ。
訳の判らぬ叫びを叫びつつ、
危険区域をあとにする。
ジープの護衛着き。

移転先は邦人の邸宅地帯。
三階に案内されると二十畳程の広さ。
彼は一人で住む。
狭い部屋で暮らした目に、
全く運動場に見える。
主人達に挨拶。
敗戦時までアマ(女中)を五人程使用とか。
家族は夫婦と娘が二十歳十八歳、
奥さん小柄で娘さんも美人。
食事は家族と共にと言われる。
食事の洗い物は私が引き受ける。
買い物何処に行くにも警護を兼ねて、
お供をする。
退屈な時間は消える。
雑用は引き受ける。
臨時の使用人よろしく、
立ち働く、
食費は無料。
奥さんに信用されて、
何処に行くにもお供をする。

この家に避難する人達二十名余、
玄関の小部屋に、
老人と若夫婦と孫が一人と共に、
老人が避難生活をしている。
ふとした切っ掛けで、
暇な折りに親しく話しを老人より聞く。
話し合う程に貿易商の社長と知る。
上海にホンコンに豪州のシドニーに、
支店を持つとか。
私の生い立ち等を聞きつつ日は過ぎる。

第70回『強奪される』

翌日、
早朝激しく戸を叩く。
開けると銃口が胸に。
思わず手を挙げる。
土足で数名無言であがりこみ、
手当たり次第、
家に備え付けの諸々を、
押して来た小車に乗せて持ち去る。
流石は地元、
女に手を出さず、
家具類が目当てとは驚き。
ほっとする間も無く、
次が銃口を向けて、
箪笥は中の入るまま持ち出す。
テレビも消える。
夕方近く、
皆で部屋の掃除をするが、
ここの主人呆然と座り込み、
皆の掃除を眺める。
幾分か広さを感ずる部屋。
どうにか蒲団が敷ける。

散歩に出る。
胸に短銃。
思わず手を挙げる。
腕時計を外される。
靴も脱がされる。
彼らの腰には何足もの靴がぶら下がる。
両腕に腕時計が巻かれる。
文句も言えず、
諦めの一言に尽きる。
数日して彼等の腕に巻かれた時計を見ると、
止まっている。
故障と言って貰い受ける。
彼等はまだ龍頭の巻き方知らぬ。
良い時計を手にする。

一応盗る物を盗り、
暇なのか遊びに来る。
彼等、
上海語が全然通じない。
余程奥地育ちの兵隊か、
日が立つに従い遊びに来る。
ガス、水道が珍しいのか、
水道水を出したり止めたり、
無邪気に良く遊ぶが、
ガスは火も消さず、
そのままで帰る。
油断は出来ぬ…。

第69回『日本租界に抑留されて』

在留邦人に厳しい厳命が、
中国(戦後改名)政府より下される。
夜間の外出は厳禁とする就労は禁止。
外出の折りには、
腕に日本人と書き腕章を巻く事。
狭い家に無理に入り込み、
その夜の食事に一切を借り受けて食事を済ます。
寝ようと床に敷く余裕は無い。
全員蒲団袋に背を持たせて就寝する。
それが毎夜続く。
地獄の毎日。

家を捜しに市街をうろつく。
会う知り人の殆どが部屋を探す。
市街のやや中央に中国兵の歩哨が立つ。
通行の際、
頭を下げぬと歩哨により怒鳴れる。
イマイマシーが、
前を通行の折り目を足先を見る思いで俯く。
これも時世か。
最初の頃は中国人が上位に立つ思い。
日本人は多少遠慮する気分。

裏通り1人で歩くと、
童子が1人遊ぶ。
近くに行くと唾を吐きかける。
辺り人は居らぬ。
怒鳴りつけるか、
チョット頭に触ると、
物陰で潜んで居った、
青年や大人に殴る蹴るの制裁を受ける。
他に我慢成らぬ様々な、
突発事件が山積する。
他国と戦えば、
どんな卑怯な行為をしてでも勝たなければ、
負けると惨めな日々が続く。

中国政府が戦勝記念を決行すると発表する。
その行事を日本租界内で決行。
当日は紅口(ホンキュー)の繁華街の沿道は、
十重二十重の群集で埋まる。
日本人も多数顔が見える。
時間と共に興奮も上昇する。
指揮官、
帽子も服も靴も全部が新調で身を固め、
右手に指揮棒を軍楽に合わせて上下に徒歩で、
その後ろより、
これも新調な軍服で、
最新式の小型の軽い銃を肩に、
それぞれな思いで担いで全員靴を履き、
足並み揃えず笑顔で民衆に手を振り答えつつ、
約百名通過する。
後に続くはお馴染みの、
薄汚れダブダブの軍服に、
担ぐ銃もまちまちで、
全員草履を履く。
笑顔も少なく姿勢も悪く歩む数百名。
その後ろより、
大小の小車を押したり引いたり、
服装もまちまちで全員草履を履く。
その後ろより、
重い荷物を天秤棒で担ぎ、
全員草履を履いて喘ぎ喘ぎ汗を流して、
横を見る事も出来ずに歩く。
全員草履両方で百名余、
総数五〇〇名足らず。
その殆どが草履を履く。
沿道では感動で声を詰まらせて、
涙を流して飛び上がり、
手を振り切れる程に手を振り、
歓迎の渦に巻き込まれ酔う民衆。
夕暮れ近く流石の群集も疎らになる。

第68回『敗戦して』

工場内の中国人従業員の動きが緩慢になる。
戦局は転戦に次ぐ転戦で、
レイテの海戦とミッドウェイの海戦で、
中国人の報告では我が海軍壊滅的打撃を受けたと。
沖縄の死闘の末、
日本が世界に誇る戦艦が、
群がる敵飛行機に沈められたと話す。
希望は急速に後退をする。
長崎に強大な爆弾が投下されて、
一瞬にして全市壊滅したと中国人より聞く。
耳に広島に又しても強大な爆弾が投下される。
新聞紙上はもう信用できぬ。

日本がソ連の仲裁で降伏したらしいとか、
巷の噂しきり。
我々は明日を思わず今日を頑張る。
職場に正午前に事務所に全員集合の伝令が来る。
整列。
時報の余韻続く中に放送が始まる。
防空壕の中なのか、
声が反響してこもり何を言ってるのか意味不明。
負けたらしい。
全員呆然としてたたずむ。
放送を反復するが、
「忍びがたきを忍び…」
後は意味不明が続く。

昭和二十八年八月十五日無条件降伏をする。
負けたと言って落胆する者。
馬鹿を言え、これから戦えと言う者。
様々だが結局敗戦に落ち着く。
直ちに工場は閉鎖する。
中国従業員には三日後に給料は支払う約束して、
門扉を閉める。

数十日を振り返る。
敗戦が日増しに濃厚になるのを裏書するように、
B29の巨大な敵飛行機が低空で去来する。
我が軍の戦闘機が鳩に雀が食い下がるように、
突撃するを眺めて、
落とせ落とせと声援を送る。
上空より現在使用の軍票一万円がばらまかれる。
経済錯乱か。
上空よりビラが撒かれる拾って見れば、
「日本軍全面無条件で連合軍に降伏をする無益な抵抗は即時に停止しろ」
度重なるが警告だったのか…。

敗戦の午後にいたり、
B29が凄い超低空で飛来する。
爆音と家屋を振動させて、
見上げると乗務員の手を振る姿が見えそう。
業者を呼びつけて、
全商品の購買を促進するが、
足下を見て安価に叩く。
彼らにすれば千載一遇の好機。
時間と共に商品も減少する。
残り少なくなった倉庫の残品を眺めて、
敗戦の重圧をひしひしと感ずる。
三日後、
中国従業員の支払いも済ますが、
残るのは我々の支給金。
これが最後の現金受け取り。
給料高で分配する。
日本は負けたのだから頭割りと揉めたが、
結局、頭割りに落ち着く。
一人、平均八百万円。
支給終わると、
早くも所帯持ち、
所帯道具や種々な物を残して、
持参したくも置場所が無い。
妻子を連れて共同租界へと避難して行く。
人間最後の所まで追い詰められと、
その人の心底が判る。
我々独身者だけ残り工場の残務整理に取り掛かる。
広大な敷地。
日本の諺に「立つ鳥跡を汚すさず」
整理整頓に連日に渡り汗を流す。
ああ、
警備のインド人どうしているかと心配になる。
呼びに行くと、
宛がわれた部屋で大人しくしている。
訳を話して賃金を支払い、
売れ残りの残品の中より欲しい物があれば、
持ち帰れと頼む。
10人余り、
得心をして別れに来る。
全員で大門迄見送る。
彼等大地に平伏して、
我々の誠意に感謝の念を表す意味であろう。
アラーの神に捧げる如く礼拝を繰り返し別れを惜しむ。
整理整頓の間、
近くの顔馴染みの喫茶店に行くが、
何時なんどき中国人に襲われるかも知れぬ不安がある。
夏の軽装の腰に日本刀を、
ベルトに吊るすは手榴弾。
店主目を丸くして驚く。
整理整頓終了する。
事務所の壁に委細を書き込み、
壁に貼り付ける。
別れの宴席を張るが、
この間、
独りも重役連姿を見せず。
明日、迎えが来る。

翌朝目覚めて戸外を見ると、
会社の前も後ろも群集で埋まる。
何事?
その内、
フェンスに昇り大門を乗り越えて民衆、
工場になだれ込む。
手当たり次第に取り込む。
我々の一寸先は闇との思いがする。
頼るは腰の日本刀のみ。
中には元従業員の顔も見える。
呼び寄せて倉庫の扉を開き、
「持てるだけ持ち帰れ。」と、
どうせ根こそぎ盗られるであろう、
差し招き早く持ち出せと手伝う。
時間と共に疲れてきたのか、
動きが緩慢になる。
夕暮れ近く一人去り二人去り。
薄暗くなる頃には人影無し。
日も暮れて工場の内は静かになる。
我々、不安を語り合う。
今日来るはずの迎えの車は来たのであろうか…。
心身ともに疲れ果てて言葉も無く、
忘れていた食事をする。
我々全くの孤立の置かれた。
明日はどうなる…。

翌日も来る。
持ち去る物が無くなると、
水道のカランやガスの部品を外す。
我々その穴にぼろを入れたり、
穴塞ぎに懸命になる。
それも無くなると、
我々の宿舎に雪崩れ込まんとする。
入られると我々裸になる。
戸口で頑張る。
二、三メートル前方に群集。
我々に罵声を浴びせて其処退けと叫ぶ。
無意識に手榴弾を持ち、
刀の鯉口を切る。
騒動になれば切り込み、
最後に手榴弾を投げて多数で三途の川を渡る覚悟。
遂にリーダー格が「負けた!」と、
皆を促し連れて帰る後ろ姿を見て、
我々、其処にヘタリ込む。
立って居られない。

その惨劇を詳細に書き記して、
事務所の壁に貼り付ける。
明日は迎えに来るとの連絡がある。
蒲団袋に詰めるだけ詰め込み、
跡は持って行かれぬ品々。
独身ではあるが、
部品、備品が残る。
それら品々には一つ々思い出がある。