自覚できない、強烈な価値観(信念体系)と幼少時
こちらの記事のように、私自身が、「全ての人に好感を持つべきだ」という信念がありました。これが何かというと、自然なこころの働き(ひとには好き嫌いがある)を、理念/理屈でコントロールするものです。 どんな人でもかならず良い面があるという点は真実です。 そこをみてあげられるといいね、そういうアイデアも平和につながります。 しかし、私は好感を持つべきだというのは、別のレベルです。 そのような意味不明な理念をもつようになったことは不思議なことです。 それは、いまここで存在している信念であり、時として自分を非常に苦しめることがあります。 それも自然に生れた理念ではないと思います。 理念というのは、洗脳に近いものがあり。 非常に人を楽にする理念もあれば、苦しめる理念もあります。 不安障害、うつ病になる人は、認知療法的にはたいてい自分を苦しめる理念をもっています。 他人に認められなければならない 業績を上げなければならない いつも完璧でなければならない 愛されなければならない これは、自分が育った環境や、幼少期に近くに存在していた親や、養育者などの影響が強いと思います。 極度な非常識、反社会的、ケチ、独りよがり、あまのじゃく、見栄っ張り、言語能力の低さ、相手を気遣わない物言い、押し付け、圧迫、強制 、無関心、偏屈…。 こういう人間関係に囲まれることは、そういう種が自分の中に入り込む可能性が大きいのです。 これは、過去のことです。 ですから、いまこの環境があったから病気になったというわけではありません。 直接的には、別の原因があると思います。 しかし、いまここで起きている感情が成り立つには・思考・態度・物事への理解の仕方(つまり認知)を引き起こす一定の価値観、価値体系(超自我)に従うという傾向があります。 価値体系+ものごとの捉え方の癖→いまの感情 この超自我、内在的な価値体系を段階的にくり返し見破ることで、非常に強い安堵と開放感が生れました。 それが、手動瞑想をはじめとするマインドフルネスの瞑想のとても大きい効果だと思います。