一般病棟に移っても、様々な検査が続いていました。

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今回の写真も記事とはなんの関係もありません。

超音波検査は毎日の様に検査が続いていました。血液検査、レントゲン、超音波検査、CT。病室で行うものも多いですが、車椅子で検査室に連れて行ってもらうものもたくさんありました。

その中で1番きつかったもの。それは経口超音波検査というものでした。

通常超音波検査は体外から端子を当て、心臓の動きを見ます。でもそれだとどうしても見えない部分が出てしまいます。

そのためこの検査で万全を帰そうとするわけです。

どの様に検査するかというと、

超音波検査の端子を胃カメラの要領で体内に入れて行います。

ちなみに私は大の胃カメラ嫌い。胃カメラを全身麻酔をしてやってもらうほどです。

検査室には車椅子ではなく、ストレッチャーに乗せて運ばれました。検査室に到着して、ベッドに移動。

すぐさま喉へと麻酔となります。程よく麻酔が効き始めた段階でマウスピースを装着。点滴の中に麻酔薬が入れられます。

寝てたまるか、と抵抗したのもつかの間、あっさり意識を失いました。後は検査後に目を覚ますだけです。

ところが

検査中に目覚めてしまいました。当然喉から色々入っていますので、苦しくて仕方がなく。
もがくので男性医師に押さえられ、なんとか検査を終えました。

検査終了後はぐったり。声も出せない状況のまま再びストレッチャーに乗せられ、部屋に戻ってきました。

いやーまじにきつかった。後で主治医に麻酔切れの事を話すと、次回はもう少し増やしますとの回答。

麻酔より何より、またあるのかーと愕然とした瞬間でした。

私が得意とする保険の種類にイベント保険があります。

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例によって写真と記事は関係ありません。

病気をしてから少しご無沙汰はしてしまったのですが、それまでは年間100件を超えるイベント保険を取り扱っていました。

ビックサイトや幕張メッセで行われる博覧会そのもの。各種会議やコンベンション。そんなものから、道端でサンプルを配るものまで様々です。

たまにイベント保険のパンフレットをください、という依頼を受けます。まあ確かに存在はするのですが、おそらくそれを見ても、何もわからない。

それが正直なところではないかと思います。何しろイベント保険のパンフレットにはイベント保険という商品が掲載されているわけではなく、イベントに使う可能性の高い様々な保険が羅列されているだけなのですから。

そう、イベント保険って、実は存在しないのです。

ではイベント保険とは何か。パンフレットもそうであるように、そのイベントのリスクに応じた様々な保険の組み合わせでしかありません。

オーダーメイド。手作りです。そのためモデル保険料というものを出すのもなかなか困難です。

イベント保険のオーダーを受けた時には、そのイベントのある程度詳細な情報を貰い、内容をヒヤリング。

本当に様々なリスクがあります。
ほとんどのクライアントさんの場合、保険にかける予算が決まっています。そのため全部のリスクに備えることができないこともあります。

ではどのリスクを優先して保険でカバーするのかをミーティング。
その上で保険を組み立てます。

保険会社がどこでもいいというわけでもありません。万が一の事故の時の手続きにはどうしても差が出ます。

保険料が安いからだけではなく、事故の後の様々な手続きを想定しながら保険会社を選ぶ。あとあとお客様を困らせないためにはそんなことも必要です。

初めてのイベントをコンサルティングする時に、前回の開催時に付けていた保険の内容を見せて貰います。

するとなんのためにこの保険を選んでいるのだろうと驚かされることがあります。保険についてのベテランの方でも苦労しているようです。

私自身がやっているイベントも含めて、世の中イベントが花盛りです。でも中には花火大会での将棋倒し事故や、発電機の爆発事故の様な万が一ののことが起こり得ます。

そんな時に保険が少しでも生きる様、実のあるイベント保険を選んで欲しいと思っています。



私へのメッセージは、こちらのフォームをご利用ください。


明日2月10日は忘れることが出来ない日です。

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1年前のこの日、ニュースを見た時の衝撃は忘れられません。

頑張っていた、本当に頑張っていた若手ミュージシャンが、大好きだった土地で悲しい事件に巻き込まれ、亡くなりました。

夢や希望に溢れ、目標に向かって一生懸命前に進んでいた彼女がなぜ。

神様は残酷だと思いました。

そして昨日。アイドルグループのメンバーが急な病気で亡くなられたという報道。まだ18歳なのに。一生懸命頑張っていたのに。

日常は突然断ち切られることがある。

私自身病気をした際に、その事を心に刻みました。
でもなんでそんな試練を、頑張っている若い人に与えてしまうのか。

順序が違うよ。

なんかまとまらなくてすいません。
今日はこの辺で。

熱帯ジャズ楽団やピンクボンゴなど、様々なバンドで活躍していた宮本大路さんが亡くなったのは、昨年の10月11日。私が2度目の入院をしたその日でした。

今日は赤坂のライブハウスビーフラットで、宮本大路さんを追悼するライブが開催。行ってきました。

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ステージに置かれた大路さん愛用の白いバリトンサックス。
いるべき人がそこにいない。その寂しさを感じます。

この日は大路さんが中心の3つのバンドが、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。

まずはオープニングアクト。大路さんと親しかったピアニスト平田フミトさんがピアノトリオて2曲演奏します。

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続いてはクロスカウンター。

私はピンクボンゴや熱帯ジャズ楽団の元気な大路さんしか知りません。でもこのバンドの繊細な演奏に驚きました。

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続いてはスーパーマルチーズ。マルチーズを飼っているわけではなく、全員がマルチミュージシャンであることからそう名付けられたバンドです。

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トロンボーン奏者の佐野聡さん。この日はトロンボーンの他にフルート、プルースハープ、リコーダー、パンティエロ、ピアノと様々な楽器を聴かせつくれませた。

そして最後はピンクボンゴ。
私の人生において、本当に大きな存在のバンドです。

このバンドがなければ出会っていなかった友人がどれだけいる事が。

演奏開始前、大路さんが最後にレコーディングしたという音源が紹介されました。

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そしてピンクボンゴのテーマからライブがスタートします。

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本来大路さんが数本のサックスと様々な小道具を置いていたスペースがすっぽり空いていて、寂しさが募ります。

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ゲストミュージシャンが入っての熱い演奏と、ピンクボンゴらしいお笑い。

お客さんたちはヒートアップしていきます。

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最後は出演者全員参加のアンコールで幕を閉じました。

たくさんたくさん涙を流し、たくさんたくさん笑った。そんな夜でした。

きっと大路さんも会場に来て、演奏に参加していたろうと思います。

サックス 宮本大路
ギター 宮崎カポネ信義
ピアノ 中嶋徹
ベース 高橋ゲタ夫
ドラム 加納樹麻

ピンクボンゴの生演奏を聴くのは、これが最後になると思います。
心からの感謝を伝えたいと思います。

ありがとう、ピンクボンゴ!

宮本大路さん、本当に本当にありがとうございました。

またお会いする遠い未来を、楽しみにしています


リハビリから戻ると、病室の移動が待っていました。ナースルームのすぐ近くではありますが、4人部屋の普通の部屋です。

それとともに倒れた時のことを忘れないように、これまでのことをノートに書き始めました。

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この写真は最初に書いた数行。これだけ書くのに、2時間以上かかっています。

倒れた当時に比べれば、右半身は少しずつ動くようになって来ました。でも思うようにはいきません。

走り書きの様なミミズが這った様な字です。でもそれは一生懸命丁寧に丁寧に書いた文字です。

相当のエネルギーを使います。

この日から結構お見舞いの方が来てくれる様になりました。情報を送ってもらうためのメールアドレスを伝えようにも、まともな文字は書けません。

なので口頭で伝えていました。

幸いなことに、病室での携帯電話利用は禁止されていませんでした。

いわゆるフリック入力は、これまでもかなりの率で左手を使っていました。そのためメールが打てる=必要な先に連絡が取れる状況になりました。

何しろこの週も抱えていたイベントは盛りだくさん。でも必要な相手に現在状況を伝える事が出来たので、ホッと一息です。

でもホッとしたのはつかの間でした。差し入れてもらった週刊誌を読んで見たのですが、読めません。

前にも書いた同名半盲の症状です。

週刊誌を読んでいても見える場所と見えない場所があります。

携帯電話で文字を打っていても同様です。打ったはずの文字が見えなかったり。

これになれるために、相当の時間がかかることになりました。