いよいよ週末は・・・
モノポリー日本一を決める全国大会「日本選手権」が行われます。
詳細は
http://monopoly-championship.jp/japan/2010/final.html
出場者リストは
http://monopoly-championship.jp/japan/2010/qualified.html
私の名前もあったでしょ^^
「横浜版モノポリー」発売に合わせて,横浜にて開催です。
横浜版モノポリーは
18日(土)は,16時頃から「赤レンガ倉庫」で大会開始。
翌19日(日)は,マリンタワーで朝から大会です。
見学は自由ですので,お近くの方は是非おこしください。
また,18日(土)には,大さん橋にて
午前~15:00頃まで「横浜モノポリー体験会」
11:30~13:30「世界チャンピオンが教えるモノポリー」
というイベントも行われます。私も何らかの形でお手伝い(+練習)として参加する予定です。
かつて受験時に私からエネルギーをもらった(?)人は,今こそ返済のチャンス(笑)。冷やかしでも応援でもかまわないので,暇なら顔を見せてください。お礼にモノポリーの楽しさを語ってあげます。
ゆとり世代の就活に関する一考察
先日,かつての教え子のお母様より久々に連絡をもらった。
子ども(Aさんとする)はすでに22歳,大学4年だという。
それを聞いて私はハッと思った。現在世間を賑わせている「超就職氷河期」との接点が見つかったからだ。
「Aさんの代がもう大学4年か。だったら内定率が低いのも当然かな」
と。ちょっとその理由を書き連ねておこうと思う。
このAさんたちは2004年春に高校受験をし,順調ならば2007年春から大学生となり,来春卒業する世代だ。
実は私にとって,このAさんの代の生徒たちには思いいれがある。当時私が勤めていた塾で新規開校する校舎があった。場所は開成高校のある西日暮里。塾としても合格実績向上のための核となる存在として期待し,いわゆる大規模校舎として運営しようとしていた。
私は,そこの中学部責任者として,集客から合格実績までの責任を背負う立場だったのだ。
いくら進学塾として名が売れていても,新規開校の校舎にいきなり優秀生が100人も来るはずはない。当然ながら優秀生はほんの数人しか来ない。Aさんは,その数人のうちの1人であり,この校舎の一期生なのだ。
校舎運営上は,人数を集めないと利益がでないのは当然のこと。優秀生を確保するミッションの一方,地元の子どもたち,しかもこれまで塾に通ったことのない層を集めるのも重要な仕事だった(塾に行っている子は,なかなかすぐに転塾しない)。
私がすべての子ども(+親)と面談したこともあり,2003年春の開校と同時に,この地元の子どもたちが集まるクラスでも数学を教えることにした。そうやって評判を高めるしかなかったこともあって。
で,授業をやって驚いたことがあった。それは,
「掲げた目標をクリアしようとする姿勢の欠如と,すぐに出る言い訳の多さ」
だった。「前週の学習内容を翌週テストで確認,不合格は残して再テスト」のルールを設定したのだが,
・不合格でもまったく悪びれる様子がない
・「ダメだったけど,俺(私)なりには頑張ってきたんだよ」という言い訳
これが,特定の子だけでなくほぼ全員から見受けられる。しかも親からも。「そんなに厳しくされたことがないので。あの子なりには頑張っているので」と言ってくる。つまり,これまで学校からも親からも,そんなこと指導されたことのなかった者ばかりが集まってきたのだ。
これが中1ならその通り。でも,残り時間の少ない中3。入塾時にさんざん「大変ですよ」と伝えてあるにもかかわらず。
これがゆとりか・・・
と危機感を募らせたのは当然。これまで自分が見てきた新中3とは,明らかに色が違うのだ。
子どもたちに聞くと,やはり「みんなそうだよ」「学校では『頑張ってきたんだよ』と言えば許してくれる」と,ニコヤカに返してくれた。そして,通知表は絶対評価に変わっている。その子の頑張りを評価に加味してくれるのだ。
こんなに必死になる必要など,彼らの人生においては全くなかったのだ
私は「塾では『結果が出ない努力は何もやっていないのと同じ』。『頑張った』という過程は,ペーパーテストでは考慮してもらえない。だから,結果を出すためにどうすればうまく行くかを必死で考えろ』と,毎週檄を飛ばし続けたのだった。
で,ちょっと恐いことがある。
彼らは,最終的に「入塾時には想像できなかったであろう」高校へ各自進学していった。それだけ変身して偏差値65くらい。つまり,最終的に上位15%くらいの位置にいたことになる。最初塾に来た頃は偏差値50台。
今になって思えば,別に中3のときに「意識改革」をされるほど勉強しなくても,きっと大学生にはなれていただろう。 高校も推薦で,大学も推薦(事実上の無試験含む)でというスタイルならば,中2までの意識のままでも,学校の先生や親が助けがあれば合格できるから。
で,現在,大学進学率が50%を超える時代。上から15%の位置にいた生徒たちの様子を思い返せば,
広い意味での「意識改革」が出来ていないまま,大学4年まで来てしまった
学生の数は,我々の想像をはるかに越えているような気がしてならない。
この意識改革は,本格的に競技をやっていたとか,本当にペーパーテスト一発で決まるシビアな入試を経験したとか,つまり「自分の将来は自分でつかむ以外にない」という追い込みをかけたことがない者には身につかない。就活と一緒で,「頑張ったんだから,褒めて」なんて甘えは全く通用しない世界で培われるものではないか。
ちなみに,
「この子は褒めるとちゃんとやる(伸びる)タイプですから」
と保護者が言い始めたのも,ちょうどこの世代から。
現実は「褒めると伸びるではなくて,褒めないとやらない」まま育ってきているのだから,もしもそのまま大学生になっているとすれば,そんな学生採用されるはずがない。
企業側が「即戦力を採用したい」と言う事情,外国人留学生を採用し始めている事情,そして私の狭い範囲での経験,これが7年の月日を経て,見事に合致してしまったような気がしてならない。
年齢は21や22歳でも,精神面が成長できていない
学生の存在,これは無視できないくらい多いような気がするのだが。
なんか,やな感じ。
私が子どもの頃を思うと,一言で言えば「寛容」の中で生きてこられたと思う。
公園はもちろん,家の前の道路で野球をするのも当たり前。ドラえもんやサザエさんの世界そのままに,近所の庭に入ったボールを取らせてもらうことはしょっちゅう。それどころか,屋根にひっかかったボールをとるために,人の家の屋根に登ることも少なくなかった。
当然近所の皆さんは苦々しく思っていたことだろうが,表面上は好意的に対応してくれていた。
それに比べ,今の子ども達(数年前の自分の子どもを含む)を見ていると,道路はもちろん公園でも球技は禁止。一旦家に戻って学校で遊ぼうと思っても自転車で学校に行くのは禁止。
これじゃあ,野球なんて外でやる人はいない。皆ゲームの世界で対戦するに決まっている。
今の小学生は,我々の時代より「●●してはいけない」「●●でなければならない」という制約が強いのは事実。これを破ると「内申」の名の下に成績に影響したり,近所から強烈なクレームを喰らったりすることを親は知っているから(誤解も含めて),子どもに対して「制約をきちんと守るように」強く迫る(あるいは真逆で放任)。
我々の頃にだって制約はあったが,それらは「子どもとはいえ社会の一員だからルールを守れ」といった大義名分があった(と思う)。だから普段は寛容だったのだろう。
それに対して現在は,内申や苦情に代表されるように,「大人の都合」が先にあって,それをさも大義名分であるかのように誤魔化しているように見えてならない。だからこそ普段からピリピリして生活しなければならなくなる。寛容さがないのだ。
よって,「良い子」の概念も昔と今とでは同じではないと思っている。
昔の「良い子」は大人顔負けの子
今の「良い子」は大人の顔色や状況を察して,大人の都合に合わせて演じられる子
ではないか。
もしもこの仮説が正しいとすれば,「あれしちゃダメ」「これしちゃダメ」「受験で失敗はダメ」「無駄な事はしちゃダメ(ゲーム)」「人に迷惑かけちゃダメ(苦情がくる)」」と,日々否定の中で暮らしている子ども達が,
何も考えない,行動しない
ことこそが正解だと考えるようになったとしても,何らおかしいことはない。
現在よく聞かれる「内向き志向」の原点は,ここにあるような気がしてならない。
だからこそ,自分の数学の授業ではできる限り制約をはずしてあげたいのだ。
* * *
同じ状況は社会全体に拡がっていて,会社でも友人関係でも,日本中どこでも同種のストレスで覆われているのではないだろうか。
だとすれば,学校で起こる陰湿なイジメも,TVで日々報道される「●●バッシング」も,このストレスのはけ口として使われていると理解できる。
より弱い者を,抵抗できない者をターゲットにしてとことん叩く。
なんか,やな感じ。
「いつからこうなってしまったのか」と嘆くつもりはないけれど,「どうすればこの状況が変わるのか」ということは考える。少なくとも自分が関わることのできる生徒については,こうした傾向にストップをかけてあげなければならないと思う。
こんなつまらないストレスに負けない強さ,これを数学を通して身につけて欲しい。
Facebookの謎
Facebookの日本語版が立ち上がったとかで,アカウントだけ取得して放置していた。
今日久々にアクセスしてみたが,当然ながら何も変わっているはずがない。本名で登録こそしているが,プロフィールも何も入力していないのだから。
ところが,
mixiやtwitterにもある「この人お知り合いですか」のところに,何と教え子が。
いったい,どんなマッチング機能を持っていると,こんなことが起こるのだろうか。miixiでもtwitterでも全く接触していないのに。
確かにお知り合いではあるけれど,ちょっと恐い。
九州人限定?学力の地域間格差(続編)
鹿児島の私立中でコンサルをしていたとき,保護者会でこんな資料を使って話をした。
2009年度大学入試センター試験結果(河合塾調べ)
5教科(950点)平均点
1位 東京 676.5
2位 神奈川 673.7
3位 奈良 658.5
26位 福岡 592.2
32位 熊本 583.3
38位 長崎 575.2
39位 佐賀 572.3
40位 大分 572.0
42位 鹿児島 566.4
44位 沖縄 553.0
45位 宮崎 548.9
どうしてこんなに差がつくのか。東京と鹿児島では平均が100点違うわけです。
もちろん,地域の事情は関係あります。私立の選択肢が多い都市圏では,無理して苦手教科を勉強しない「切り捨て」ができます。理数系の受験をしなくても,合格できる大学はたくさんありますから(というより,センターを受けなくても推薦で合格できる)。
に対して,九州では私立大学の選択肢が圧倒的に少ない(福岡を除く)。
よって,大学受験の基準が「国公立に合格できるか否か」しかないので,首都圏であれば当たり前のように理数系を「切り捨て」するレベルの生徒も,頑張って勉強を続ける(→しかし結果は出ない)。
だから,平均点に大きな差がつくのは,ある意味当然なのです。
でも,この差を埋めないと「合格しない」という意識は持ってくださいね。
* * *
ここからは,保護者会では話していないことです。自分が見た狭い範囲の経験のみがソースです。
九州では「先生が生徒を管理する」ことが未だに(30年前はそうだった)行われているのではないか。
例えば「0時間目(朝の補習)」。
これ,別料金を支払って行われる補習ですが,事実上全員強制。これが特定の学校だけでなく,ほぼ全校で行われていた。(今もかな?)
拘束時間が長ければ長いほど,「自学自習」の姿勢は身につかない。しかも,これに大量の宿題が出るわけだ。教科間の調整があるわけでもなく,各先生が自分の都合に合わせて。
これじゃあ,勉強自体「やらされる」ものになってしまう。そして先生側から見ると「やらせる」ものに。
私自身は,こんな補習に意義を感じずサボッたくちだが(定期試験で不利になるし,先生には睨まれるしで,いい事は何もありませんでした),これを「何の疑問も感じずに」真面目に受け続けて,教員養成系の大学に進んだ学生が,教員になって戻ってくるわけで・・・。
教員養成系の大学は各都道府県にあるから,基本的には九州から出る人は少ない。
ということは,「0時間目なんてあり得ない」と言われるカルチャーショックを受けることなく,教師になるわけだから,連鎖は続くことになる。
ちなみに,首都圏であれば,予備校や塾が充実していることを差し引いたとしても,「0時間目」はちょっとあり得ない。実施しているところがあるとすれば,
これから大学合格実績を出したい
という思惑の下に,ガリガリ勉強させるように生徒を管理しようとするところだけ。
例えば,「男女交際禁止」なんてレベルではなく「校内での男女の会話禁止(ホントなのだ!)」のような,いつの時代かと思うような校則があるようなところだけ。
学校側も「管理して,勉強だけやらせても伸びない」ことをわかっているし,他の学校との競争も激しいので,評判のよい学校であればあるほど「統制の効いた自由」「自学自習」をウリにする。
入試問題だって,この10年弱の間に様変わりしていて,単なる「暗記マシーン」では解けない「柔軟な思考」の持ち主を選抜できるように試行錯誤しているわけだ。数学なんて,センターだってその傾向がある(と言われる)。
う~ん,もしも30年前から変わっていないシステムが続いているのだとすれば,
全くの時代遅れ
と言わざるを得ない。
少なくとも,鹿児島の某私立の先生方は,この感覚のズレを理解しておられなかった。「面倒見のよさ」という言葉を,その通り「長時間の拘束でなんとかする」というスタイルに理解していた。
twitterで様々な人の書き込みを読む限り,この傾向はこの学校に限った話ではないようだ。「宮崎・鹿児島」と特定して嘆いておられる塾関係者もいる。
自分がこの世界に入ったとき,かなり早い段階から一定の評価を頂くことができたのは,まさにココだと思っている。
自分が受けてきた教育のスタイルを全否定する
ところからスタートできたことが大きかった。特に「教えることが好き」という人は,自分が受けてきた授業や先生を理想と考える傾向があるので,「それは間違っているよ」というアドバイスを認識できないことが多い。
私は,
管理してやらせる勉強
ではなく,
どうやって自分自身で前に進んでいくかを体感させる勉強
を,数学を通して示してきたのだ。それが結果的に志望校合格につながってくれただけ。
信用しない人は信じてくれなくていい。
でも,「(受験に関して)九州の高校が何かおかしい」ということは,明らかなのだ。
教員が「塾・予備校に行かせたくない」と考える気持ちはわかる。でも,結果的に自分たちが予備校以上に負荷をかけ続けて,生徒の可能性を狭めてはいないだろうか。
「でも合格している生徒はいるし・・・」という反論は想像がつくが,「何人もの生徒の可能性をつぶし,にもかかわらず生き残った者だけが合格した」とは考えられないのだろうか。
福岡を離れて25年。自分なら,今の九州の高校(大半)に子どもを通わせられない。同じように九州から離れ,首都圏で子育てをしておられる方々は,どうお考えなのだろうか。