「勤務先よりわが子の入学式を優先した教師」について
最近,STAP細胞ネタと同じくらい自分の界隈ではけっこうな話題になっているのが「担任がわが子の入学式に出席するため,勤務先の入学式を欠席 」ネタ。
母親であり,同時に新高1生の担任でもある教師が・・・
正式に休暇届をだし受理される→「入学者向けのお詫び文」も事前に作成,入学式当日に配布
ところが・・・
来賓の県会議員がブチ切れ→県教育長が校長会にて『異例の』注意
という流れ。県会議員,県教育局のコメントは以下の通り。
来賓として入学式に出席した江野幸一県議(刷新の会)は『担任の自覚、教師の倫理観が欠如している。欠席理由を聞いた新入生たちの気持ちを考えないのか。校長の管理責任も問われる』と憤慨」し、県教育局も「『教員としての優先順位を考え行動するよう指導する』としているそうです。(埼玉新聞4月11日)
手続き上の不備はなく,校長レベルでは了解が出ていたのだけれど,騒ぎたてる人がいた
ってところです。アホらしい。
まぁ,自身の教師論を語るところまではいいけど,それを他人に押し付けたらダメだ。自分が「子どもの入学式にでない」のは勝手だけど,だからといって「お前たちも出るな」はおかしい。正当な手続きを踏んで「出たい」人を止めることはできないよ。何でもかんでも教師を悪者にすればいいってもんじゃない・・・。
でもね,この教師も校長も「こういう批判の感情を持つ人の存在」を気にしなかったのだろうか。少なくとも無視できるレベルの少数派ではないことくらい予想がつくだろうに。
よって,もしも自分だったら「休まず勤務先の入学式に出る」選択をしたと思う。
その理由は簡単。こうした横やりとか親の視線とかも全部含めて,「自分の子どもの入学式に出るメリットより休んだときのデメリットの方が大きい」と思うから。
入学式の1日でついたマイナス評価・印象なんて,その後の1年間もしくは3年間でいくらでも変えられるはず。この先生だってそう考えたんじゃないかと思う。
でも,これは教師と生徒の間の人間関係の話。
これが教師と親,教師と世間との関係となると,そう簡単に割り切れるものじゃない。色々と面倒くさい・・・。だから,優秀な人が教育現場に入ってこないのさ。
今週から本格稼働
今週から始まる授業がいくつかあり、いよいよ今年度の平常スケジュールが稼働します。
いきなり今日は10:00~15:00、19:30~終了時刻未定 というダブルヘッダーで、中空きの今はコメダで休息中なのです。
上手に時間をやりくりしないと原稿関連の仕事に支障をきたす可能性があり、グダグダしている暇はなさそうです。まぁ、倒れない程度に頑張ります。
【期間限定】拙著のkindle版が安くなっています
- kindle版がキャンペーン中!
- なんと250円になっているじゃないか!
- 仕事の9割は数学思考でうまくいく (あさ出版電子書籍)/株式会社あさ出版
- ¥価格不明
- Amazon.co.jp
やはり・・・
昨日(土曜)は,土曜予備校講座の第1回。
中高一貫の中学3年生に対しての授業。多くの学校がそうであるように,中2までの2年間で「中学3年分の範囲をサラッと演習」してあるので,使用する教材は高1用である。
そして,生徒の演習量から見て「まずは図形分野からがよかろう(これは私の意見と同じ!)」ということなので,様々な点検をしながら授業を進めることができた。
何が違うって・・・,高1用のテキストになると「問題文に図が添付されていない」傾向がいきなり高まるのだ。中学までのテキストだと,問題文の横に図がついているので,問題文に隠された意図を見抜く必要もないし,ノートを使わず図に直接書き込む猛者だっている(不便さを感じないから本人は悪気なくやってしまう)。
ところが今日からは,まず問題文を読んだら図を描かなければならない。そして,最初は「思うように図が描けない」ことを思い知ることになるのだ。
例えばこの問題。
△ABCの辺BCの中点をD,DCの中点をEとする。AD,AEが∠Aを3等分し,BC=4とするとき線分AEの長さを求めよ。
図を描かせてその様子を見ていると,AE⊥BCになっていない生徒が半数以上いる!直角が見つからないと三平方の定理が使えないので,永遠に答えを求めることはできない(^^)。
勝負は作業の第一歩で決まってしまうのだ。
図を描かせてみるだけなら小学生にだって試してみることができる。正しい図が描けないってのは,目に見える危険信号だってことを見逃してはいけない。

