セネガル文化の伝道師、シティ派アフリカンダンサーFATIMATAのブログ -19ページ目

セネガル文化の伝道師、シティ派アフリカンダンサーFATIMATAのブログ

プロダンサーがセネガルから学んだ社会人として大切なこと。ガイドブックにないセネガル案内。

この物語はサバールダンスを日本のダンスシーンに紹介したFATIMATAが、日本でまだサバールという言葉もあまり知られてなかった時代から劇団EXILEで踊られるようになった現在までの、険しい道のりを描いたセネガル体験記です。


●第1話からお読みになりたい方はコチラから

●これがFATIMATAが考えるセネガルツアーの絶対条件だ!⇒第37話




2004年2月


長いと思っていたセネガル滞在も、帰国の日が近づいてくると、少しずつ日本への心配がチラつき始める。


頼まれたお土産をそろそろ買いに行かなきゃ。



ヤマは自分の物のように、私のケータイをずっといじっていた。



1ヶ月前はずっと彼がいじっていた。今はヤマがいじっている。


ケータイをいじるという座をヤマが勝ち取った、という感じにも見えた。


今ではいっちょ前にヤマ宛の電話まで私のケータイにかかってくる。


それをずっと待っているかのように、ヤマは私のケータイをいつも握っていた。


そんなある日の昼下がり、私が居間でテレビを見ていたらベンジーが帰ってきて、私に言った。


「僕の職場、見学に来ないか?」


ベンジーの職場はアパートのすぐ裏にあるラジオ局だった。


その日はたまたま他の従業員がいなかったため、ベンジーはオフィス内を見学をさせてくれた。


ベンジーはマッキントッシュが置いてあるデスクの前に立つと「これが僕のデスク。」と言って
パソコンを立ち上げた。


そしてパソコンが立ち上がると椅子に腰かけ音楽リストを開いて、私に言った。


「どれでも君の好きな曲をプレゼントしてあげるよ。」


いつもコミカルだったベンジーがマッキントッシュを操っているだけで、一瞬ウィルスミスに見えた。


でも私が欲しいと思っているセネガルの音楽はほとんどタイトルが分からなかった。


私はベンジーに自分が欲しい曲を歌って聞かせた。


ベンジーは私の歌を聞くと一緒に鼻歌を乗せながら、リストの中からその曲を探し、私用に作ってくれたフォルダにその曲を移していった。


私はベンジーが腰掛けてる椅子の背もたれに腕を乗せて、ベンジーの後ろからモニターをのぞき込むように、その作業を見ていた。


「他には?」とベンジーが振り返った。


知らない間に私はベンジーとかなり接近していた。 


しかし、お互いがそのことに意識しながらその状況を楽しんでいた。


そして私達は一緒に鼻歌を歌いながら、ゆっくり1枚のCDを作成していった。


CDが焼きあがると、ベンジーはサインペンで私の名前と自分の名前を書いて私にプレゼントしてくれた。


そして、私達はアパートに戻った。


居間ではヤマがまだケータイをいじっていた。


ベンジーは居間のソファーに座りながら私に尋ねた。


「いつ帰るんだっけ?」


「28日の夜。」


「誰が空港に送りに行くの?」


「まだ決まってない。」


もうそろそろ決めなきゃいけなかった。


今までの経験からすると、セネガルでは空港の送り迎えは必ず誰かつける。


ベンジーが真剣な顔で私に話しはじめた。


「今年、君はどうしてセネガルに来たんだい? 誰がここに連れて来たの? 僕がこうして君と出会えたのは誰のおかげ? 君はその張本人にこのまま何も言わずに帰るの?」


一番触れられたくない所だった。


そしてベンジーは続けた。


「嫌な思いをしたのは分かってるよ。でも、彼が君をここに連れて来た。そしたら君が帰る時ぐらい、彼が空港まで送くるのが筋じゃないか?」


確かに、ベンジーは彼のおかげで私を世話をするハメになったのだ。


しかも、彼は行方不明。


本当ならありえない。 


「分かった。」


と、私は彼に再び連絡を取ることを決意した。




第39話へつづく






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第1話からお読みになりたい方はコチラから


2004年2月


私が、自分のダンス仲間や生徒たちをセネガルに連れて来ることが出来れば…。


妄想が広がった。


去年セネガル人主催のセネガルツアーをお手伝いした時に事務的に何をすればよいかはだいたい分かったし、こういうことを企画するのは嫌いじゃないことも分かった。


後はツアーの内容をどうするか。


日本人として、ダンサーとして、女の子として、私が一番参加したいと思うセネガルツアーをもう一度思い描いてみた。



1、現地の人に騙されないこと。


2、海外進出目当てで女子を口説いてくるセネガル人たちをブロックする。


3、1日にレッスンはいくつも詰め込まない。


4、レッスンの内容。


5、絶対にお手伝いさんを雇う。


6、持ち物リストを作ってあげる。


この6項目。


まず、1は読んで字のごとくそのまま。


そして、2の海外進出目当てで女子を口説いてくるセネガル人たちをブロックする。


これはこういうことだ。


私も2000年に参加したセネガルツアーで口説いてくるセネガル人に熱を上げてしまったことがある。

セネガルのことをなにも知らなかった私は日本に行きたいという彼の申し入れにうっかり喜んでしまった。

しかもツアー企画者側がそれを斡旋していたような気がする。



現地で暮らすセネガル人たちは海外に出ることに憧れを持っている。

とくにアーティストなんかは海外に出て仕事すれば、そのお金で家族全員を養うことが出来ると思っている。故郷に錦を飾れると。

現実はそんな簡単じゃないが、誰もが海外に出ればその夢が叶うと信じている。

でも実際、アフリカでは海外に出るためのビザ(査証)を取得することは難しい。しかもエアチケットなんて彼らの収入からは簡単に出せる金額ではない。


彼らにとってビザ(査証)の取得と、エアチケ代を工面する一番手っ取り早い方法としては外国人女性を落とすことだった。


だから、彼らにとって私たち外国人女性は大出世につながる大チャンス。


猫もしゃくしも求婚してくる。


彼らは愛の力は強いことを知っている。


外国人女性が自分に夢中になってくれれば、それに勝る手段はない。


私たちを夢中にさせるために、彼らはどんなことだってする。


一日中お姫様抱っこだってしてくれる。


目を見つめて、髪をなでながら何百回も「愛してる」と言ってくれる。


私たちのことを「マイベイビー」といって世界一美しいと絶賛してくれる。


そして私たちは、帰国後もそんな彼と過ごせたら幸せだろうな。なんて想像してしまう。


そう、バカンスで脳みそが緩んでる私たちは彼らの戦略にいとも簡単に落ちる。


セネガルに行く前に私はそういう事情を、旅の先輩たちから予習していたため、頭では分かっていたつもりだった。


どんなに脳みそが緩んでも、そんなマヤカシには乗るまいと思っていた。


だけど実際に、イケメン顔のセネガル人から口説かれると悪い気はしない。


彼らのストレートな愛のアプローチは日本ではなかなか拝めないし、超スウィートな抱擁は拒むにはもったいない。


ここはセネガル。


ちょっとくらい、いい思いしてもバチは当たらないだろう。


そんな風にどんどんハマっていく。


こんないい思いが嘘だとは思いたくなく、しまいには「この人だけは違う。」なんて都合のいい解釈をしてしまう。



よく、セネガルから帰って来た人で「すごいモテまくってぇ。」とはしゃいでる人を見る。


実際にモテる人とそうでない人と2パターンいるはずなのだ。


そうでない人とはもちろんビザ(査証)目当てでチヤホヤされた人。


できたら、自分はそこは勘違いしたくない。


でも、どうだろう。満天の星空の下でイケメンに本気で愛を語られたら。


判断力は完璧に鈍る。2週間のツアー中に結婚を決めてしまう人だっているだろう。



私は2000年に参加したセネガルツアーで、その悪魔のささやきにハマってしまったひとりだ。


でも、その時、偶然セネガルで出くわした日本人に厳しく忠告され目を覚ました。


「その人は、あなたが好きなんじゃなくて、日本に行きたいだけですよ。」と。


その時はショックと同時に恥ずかしかった。


だけど、その人の忠告を聞き入れてなかったら、今ごろ泥ぬまだったかもしれない。


彼の家族を助けるためにダンサーという夢を捨て自分の人生を捧げてしまうところだった。


危なかった。


もし、自分がセネガルツアーをやったら・・・。


私が連れて行く日本人は絶対に守る。


恋愛は大いに結構だが、冷静な判断ができなくなったら、そこは忠告を入れるべし!!




そして3の1日にレッスンはいくつも詰め込まない。


まず、アフリカツアーしようとしている参加者はツアーを選ぶ時にパンフレットを熟読する。


すごく魅力に感じるパンフレットはレッスンの数が充実している。


レッスンが多ければ多いほどお得に感じるから、ツアーを選ぶ基準はレッスンの多さが決め手になる。


でも、実際、ツアーに参加してみて実感したが、アフリカの地を踏むと、気持ちは変わるのだ。


アフリカには日本では見たことのない、聞いたことのない、触れたことのない、経験したことのない新しい刺激がたくさんある。


ツアーの2週間で日本では味わえない経験をしたいなら、レッスンに丸一日時間を費やすのはもったいない。


ぶっちゃけ、レッスンなんて日本でもできる。


今、ここアフリカでしかできないこと。それは必ずしもレッスンではないことは、アフリカの地を踏んでみないと気づかない。


その土地の人としゃべったり、一人で散歩したり、バスに乗ったり、値段交渉してみたり、自分でお菓子を買ってみたり、子供とあそんだり。洋服を作ったり。


そして本気でダンスの技術を習得したいなら、1日1回のレッスンを復習することに尽きる。


違うプログラムのレッスンを1日に何回やっても、数をこなした充実感だけで、知識は垂れ流しで身につくことは絶対に、ない。


レッスンは1日に1回に尽きる。





そして4のレッスンの内容。


まず先生に、日本人がサバールの音を理解できないことを説明する。


どこをどう教えれば日本人が理解できるかをまず先生たちにこちらからレクチャーする。


日本人の問題点を理解しないまま教えれば、それは本当に無駄な時間になるだけ。


それは、私が今までずっと体験してきたことだからよく分かる。





次ぎに5の絶対にお手伝いさんを雇う。


バケツを使って自分の手で洗濯をするのもアフリカ文化に触れるいい体験かもしれない。


でも、それは一日経験すれば充分。


時間を有効に使うなら、絶対お手伝いさんに洗濯や掃除をお願いした方がよい。


ツアーは2週間だけだから。





最後に6の持ち物リストを作ってあげる。


2000年のツアーで「持ってくればよかった。」と思うものがありすぎた。


逆に持ってこなくても良かったというものもありすぎた。




私がツアーをやるなら、最低でもこの6つの条件は揃えたい。


逆にこんだけの条件がちゃんと揃って入れば、私は絶対に参加する。





そんな妄想をしていた隣では、ヤマが私のケータイでゲームをやっていた。



「ねぇ、このケータイ日本で使えないんでしょ?」

と、ヤマは私に話かけた。


「使えない。」

海外専用で買ったGMSのケータイは日本では使えない。


「ねぇ、このケータイちょうだい!」

と、ヤマが切り出して来た。


「はっ?」

あげるものか!

今回、セネガルで使うために秋葉原で14000円も出して買ったのに。絶対あげられない。


セネガル人は口癖のようにすぐ「ちょうだい。」と言ってくる。


「いいよ。」と口約束だけで実際あげないのが、セネガル人流の断り方のようだが、まだ上手に使いこなせない。


ここはストレートに「イヤだ」と答えてみた。


「じゃあ、来年帰ってくるまで1年貸して。絶対大切に使うから。神に誓います。」


とヤマは空を指さした。


神に誓われても信用できない。


「絶対、絶対、大切に使うから。お願い。」


とヤマが懇願してくる。


「絶対?」シラー


「絶対!」べーっだ!


私はヤマを試すことにしてみた。


ケータイを貸して、ヤマが本当に大切に使い、私が来年セネガルに戻って来たらキレイな状態でケータイが戻ってくるかどうか。


それが出来たら、ヤマの信用度はかなり高くなる。



「いいよ。」



私は答えた。



第38話へつづく



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2004年2月


毎日、サバールのリハーサルを見に行くことによって少しずつ彼の存在が記憶の中から遠くなって行った。


あの盗難の一件以来、誰も彼の姿を見てなかった。


そして、誰も私の前では彼の話はしなかった。



ある日、ベンジーは私に「一番最初にセネガルに来たきっかけは何?」と突然かしこまった質問をしてきた。


そういえば、そういう初歩的な身の上話しをまだしていなかった。


私が最初にセネガルに来たのは4年前、在日セネガル人アーティストが企画したセネガルツアーだった。


私はそれがどんなものだったか説明した。


そしてそれがキッカケでサバールに火が付き、セネガルにひとりで来るようになったこと、そして去年の帰り際に彼と交際が始まったことも話した。


ベンジーはとても興味深そうに聞いていた。


そしていろいろ話した後、やっとベンジーが質問してきた。


「その在日セネガル人が企画するツアーの参加費はいくらなの?」


私は、当時自分が参加費として払った金額を、セネガル通貨に換算して答えた。



「はっ?」えっ


と、ベンジーは一桁間違ってるでしょ、というニュアンスでもう一度私に聞き直した。


「ツアーの参加費だよ?」


その金額はベンジーの想像をはるかに超える程の巨額だった。


2000年、おそらく日本で始めてのセネガル人によるセネガルツアーだったために、確かにものすごく高かった。


その金額がセネガルでは5倍になるわけだから、7人いた参加費をセネガル通貨に換算すると、現地で暮らしてるセネガル人にしてみたら宝くじが当たるぐらいの感覚かもしれない。


「それがツアー参加費でした。」と私は自信をもって答えた。


ベンジーはその金額の大きさに、目を真ん丸くむき出し、口を開いて固まった。


微動だにしなくなったベンジーに対して、呪文を解いてあげるように「ほんとですよ」と口を挟んだ。


そしてベンジーから思いもよらない発言が飛び出して来た。


「どうして、君はツアーをやらないの?」


そんなこと言われても、私に出来るわけがない。

ツアーをやるだけのコネがないし。ましてや、当の本人が思い通りの滞在を果たしてない。
 

そんな無責任なことできるわけがない。


するとベンジーは続けた。


「ゴール島のペンションだって自由に使っていいし、君にはセネガルにダンサーの友達がたくさんいる。」


確かに、そういう意味ではツテはできた。


今まではお勧めしたい先生がいなかったが、今ならビンタがいる。彼女ならいい指導をするかもしれない。


さらに、ベンジーは続けた。


「君は金持ちになれるよ。」



「別にお金はいらない。」

私は即答した。私の興味はそこじゃなかった。


逆にお金の話が出たことがすごく心外だった。


私がセネガルで見たサバールダンス、私がセネガルで知り合った素敵なダンサー、それらを日本のダンサーに見せるチャンスが自分で持てるならすごくやりたい。


そして、私を助けてくれたベンジーやビンタたちに日本人を連れてくることで少しでも恩返しできるなら、これ以上の機会はないかもしれない。


私はセネガルに来る目的が出来たことがすごく嬉しかった。


もう、来年からはセネガルに来ることはないと思っていたから。


ベンジーは私の気持ちを汲み取って付け加えた。 


「ツアーはもっと安くできるよ。宿はタダだし。」


タダで借りようとは思ってないが、そうだとしてもかなり安くできる。


そうすれば、より多くの人をセネガルに連れてくることができる。


とにかく、サバールのかっこよさを多くの日本人のダンサーに知ってもらいたかった。


「私、やってみる。」


私がそうベンジーに断言すると、ベンジーはすごい嬉しそうだった。


「僕でよかったらいくらでも君に協力するよ。それに、また君がセネガルに来てくれると言ってくれて本当に良かった。」


ベンジーが私にそう言うと、近くでそれを聞いていたヤマが口を挟んだ。


「私も手伝うよ!!」




セネガルに来て、やっとセネガル人と絆が深まっていく感じを実感した。



第37話へつづく






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2004年2月


私は時間があれば、ビンタやパムサの練習してる所へ見学しに行った。


いろんなダンサーたちと挨拶を交わした。


ダンサーの何人かは私が去年来たことを覚えてくれていた。


やっと、セネガルにいる興奮を実感している気がした。


これが本来の私がワクワクするセネガル。


ダンサーがいっぱいいて、エネルギーに満ち溢れている。


集まっているダンサーたちはみんな手足が長く、髪型も奇抜で、レッスン着でもオシャレだった。


冗談を言いながら、じゃれ合ってウォーミングアップをしてると、リーダーに注意され、いたずらっ子な顔付きでクスクス笑いながらストレッチをしている。


練習の楽しい空気がこちらにも伝わって来る。


開始の合図が出ると、ドラマーたちの太鼓が鳴り響いた。


さっきまで、ふざけていたダンサーたちも、音にあおられ真剣に踊り出す。


これがリハか?と思うぐらいすごい迫力。


見てるこちらも体を動かしてしまう。


ものすごい。目


私は日本にいるいろんな知り合いの顔が浮かんだ。


これを見て度肝を抜いてる顔を想像した。


日本のみんなにこれを見せたい。


このリハーサルを私だけが見てるのはもったいない。


パムサも去年以上にパワーアップしていた。


普通に立ってると決して大きくは見えないパムサ。


だけど踊り出すとすごく大きく見える。


その動き、身体能力は群を抜いていた。


彼のダンスはアフリカンなのに、泥臭くなく洗練されていた。


力が入りっぱなしのがむしゃらな踊りではなく、抜けた時のしなやかで、そしてムチのようなシャープな動き。

そして動きの中に遊びがあり、見てるこちらを油断させときながら、締めるところでしっかり魅せる。


その駆け引きの利いた動きは、他の者と同じ動きをしてるようには思えなかった。


そしてパムサは自分の見せ方をよく知っていた。


躍動感溢れる獲物を狙うように踊ったかと思えば、甘いマスクを利用しておどけたような無邪気さも見せる。


酸いも甘いも使い分ける。


なんて、にくい奴。ドキドキ


私はパムサの踊りにやられっぱなしだった。


そんな見とれてる私に、パムサはアイコンタクトでとどめを刺した。


エンターテイメントがどんなものか心得てる。


これは世界に通用するパフォーマンスだし、日本でイキがっているビーボーイなんて目じゃない。


アフリカンダンスは実はカッコイイ。


多くのイケてない日本人がダサい印象でアフリカンダンスを伝えているから日本に広まらないだけで、本来なら日本のダンサー界でも流行ってもおかしくない。


この現状を日本で知られてないことがなんだか腹立たしくなってきた。


そして、私は日本のダンス界にこのアフリカンダンス、サバールを見せたいという気持ちに猛烈にがついた。


リハが終わると、パムサが私の所に歩み寄ってきた。


「楽しかった?」とパムサは右手を差し出した。


セネガル人はなんで踊った後の汗も香水と混ざるとイヤじゃないんだろう。


私は「楽しかった」と答えながら、握った手を離さず、五感のほとんどを使ってパムサの余韻を楽しんだ。


「君にダンスレッスンやってあげるよ?」とパムサは言った。


「来年ね。」と私は社交辞令として答えた。


私の本心はこうだった。


こんなにセンスのあるダンサーが、日本人なんかにレッスンできるわけがない。


パムサのダンスはすごいけど、彼から教わるということに関しては前向きになれなかった。


きっと今まで私がセネガルで見てきたような教え方になるだろうし、こんなスペシャルな人が日本人の問題点を理解することはまずないだろう。



私はパムサにずっとそう思っていた。




第36話へつづく





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2004年2月


「いくら盗まれたの?」


ヤマとベンジーが同時に尋ねた。


「1万セファ。」


私は少し言うのが恥ずかしかった。


実際、騒ぎ立てる程の大きな額じゃなかった。


だけど、このアパート内で盗まれたことには変わりない。


私たちの知ってる誰かだとすると、額の問題ではなかった。


「私たちのこと、疑ってる?」


そう、ヤマが尋ねて来た。


「いや。」と私は答えた。


するとベンジーがヤマに早口のウォロフ語で何かしゃべった。


ヤマもちょっと熱くなり、身振り手振りをつけてベンジーに言い返した。


どうやらベンジーがヤマのアリバイを確認し、ヤマは自分の潔白を主張してるような流れだった。


するとベンジーはとてもゆっくりな口調で私に忠告してきた。


「いつでもドアの鍵をかけなさい。そしてもう誰も中に入れないこと。ヤマ、お前も部屋に入っちゃダメだ。」


ベンジーの顔は真剣だった。


「ここで、こんなことが起きることは、僕に取っても許せないし辛い。だけど、誰が犯人かを追求すれば、もっと辛くなるだけだ。言ってることわかるかい?
だからこのことは忘れて、残りの滞在を安全に楽しく過ごして欲しい。」


私の中では犯人と思える人はひとりしかいなかった。


ベンジーたちもそう思ってるかも知れない。


でも、それを追求すること自体が悲しいことだと誰もが思っていた。


犯人を知ったところで誰もハッピーにならない。


私の中で彼は終わった。


もう見たくもないし口も聞きたくない。


ドアを厳重に施錠した。


これで彼がひょっこり現れたとしても、状況は読めるだろう。


とにかく頭を切り替えなければ。


私にはあと1ヶ月弱セネガル滞在が残っている。


とにかく、悔いの残らないセネガルにしないと。


もう、二度と来ることのないセネガルだから。


ようやく目を覚ました私は、しばらく踊っていなかった現実に焦りを感じ出した。



サバールに触れたい。



そう思った私は、パムサやビンタのことを思い出した。


そしてすぐにビンタの家に遊びに行った。


今までの経緯を話して彼と終わったことを告げたかった。


ビンタの家に遊びに行くと、ビンタは大喜びして私を迎え入れてくれた。


毎回会う度にビンタはオシャレな服を着ていた。


そして、ビンタの部屋に入ると、2人でベッドの上でくつろぎながらいろんな会話を始めた。


案の定ビンタから「タバスキはどうだった?」と聞かれ、これまでの出来事をいろいろ説明した。


「もうセネガルの男はダメダメ!」とビンタは励ましてくれた。


それから「日本の男はどうなの?」という話しに発展し、「じゃぁ、あっちは?」という下ネタに至るまで、ガールズトークに花が咲いた。


そして、散々笑った後に、ダンスの話しになった。


そして、ビンタから思いもよらない報告を受けた。


「ねぇ、私言ってなかったよね?!私、セネガルの国立舞踊団に入団したのよ。だから今ではダンスが仕事になったのよ!」


すごく意外な報告だった。


だいたい国立舞踊団のダンサーはタカビシャなイメージがある。


私が踊りを勉強しにセネガル来るとそういうダンサーは私たちに対して上から目線で接する。


もちろんカリスマ性もありカッコイイダンサーが多いが、友達になれる感じではなかった。


でもビンタは違った。


タカビシャではないし、上から目線でもない。


でも、それと同時に私はダンサーとして急に焦りを感じた。


今を輝いている人を目の前にして、自分がすごく恥ずかしくなった。


彼女はどんどんダンスで輝いているのに、私はセネガルに来て何してたんだろう。


彼女は根っからのダンス好きで、ダンスの話しになると身を乗り出して話した。


ビンタは地道に努力して今のポジションを手に入れた。


だからとても謙虚なのか、私に対して見栄を張ることは全くなかった。


サバールダンスの話しも対等に分かりやすく話してくれた。


そういう彼女を見てると、もしかして彼女は指導者向きかも、なんて思ってしまった。


セネガル人の指導に対して絶望感を感じていた私は「もしかしてビンタなら出来るかも」と心が弾んだ。


そしてビンタに訪ねてみた。


「日本人にサバールダンスを教えてみたいと思わない?」


するとビンタは目をまん丸くして


「すごいやりたい!!」と立ち上がった。


そしていきなり「私はこんな風に教えられるわよ!」とデモンストレーションを始めた。


その彼女の誠意とやる気を見て思わず「採用!」と叫んでしまった。


そして、私の中でまた違った新しい興奮が芽生え始めた。


彼女に踊りを習うことができるなら、また何度でもサバールダンスを習いにセネガルに来たい。



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2004年2月


タバスキが終わった。


結局彼は1度も姿を現さなかった。


もうすでに彼のことはどうでも良かった。


ただ、貸したお金のことや、私との約束を破ったことが頭から離れず胸クソ悪い。


私の部屋には彼の私物もいくつか置いてあり、蚊取り線香を見ると、それで焦がしてやりたいと何度も思った。


タバスキから2日くらい過ぎ、ベッドの上でくつろいでいたら、彼がひょっこり帰って来た。


「サヴァ!」


彼は何ごともなかった顔で私に挨拶すると部屋に入りベッドに座った。


あなたがいなかったことでどんだけ辛い思いをしたかという気持ちを涙で見せてやろうと試みたが、こんな時はちっとも涙が出てこない。


「どこに言ってたの?」と私が尋ねると、こともあろうに、彼は「チェス」と答えた。


チェスはユッスーがいるところ。


本来ならば、私も招待されていたはず。


あまりに予期していなかった返答に何から言っていいのかわからなくなった。


とりあえず言いたいことがある意思を伝えようと、「えーっと」と言いながら頭を抱えた。


すぐさま文句を言いのに、ピンポイントの単語が出てこない。


とりあえず「なんで?」と聞いた。


彼は答えを用意していたのか、即答で、お姉さんが病気で、から始まり訳のわからない言い訳を並べ始めた。


そんなことに脳みそを使うのもバカバカしく、耳を傾ける気にもならなかった。


あんなに夢中になっていた彼が、今は黒い固まりにしか見えない。


「ユッスーになんで彼女を連れて来なかったんだと怒られたよ。」


と笑いながら言った。


調子がいい彼が腹立たしくて仕方がなかった。


「最低!」


と私は日本語で吐き捨てた。


もうこの狭い空間に彼といること自体が腹立たしい。


私は、部屋を出た。


とりあえず、気持ちを紛らすために行きつけのシーベルに行き、Yahoo!のメールボックスを開いた。


こんなときに限って、迷惑メールしか来ていない。


「チッ。」


5分くらいでシーベルを出て、それからしばらくアシュラムの街をフラフラ歩いた。


これから残り1ヶ月どうしよう。


怒るのも悲しむのももう疲れた。


しばらく歩いて、またアパートに戻った。


自分の部屋に戻ると彼はいなかった。


さっきは、とても感情的になってしまって、そのまま部屋を飛び出してしまった。


と、その瞬間、「ハッ!」えっと嫌な予感が走った。


私は鍵が開けっ放しになっている自分のスーツケースに駆け寄り、開けて中を確認した。


さっきお財布を一番上にポンと放り投げて、スーツケースをバタっと閉めたまま鍵をかけるのを忘れていた。


すぐにお財布の中を確認した。


「やられた!」ショック!


確実にあるはずのお金がない。


頭の中が真っ白になった。


別のバックの中も確認した。


こちらは貴重品はないはず。


だけど、新品のminiDVのカセット1パックと、お土産用に買った香水がなくなっていた。


どちらも貴重品ではないが売りに出せば金になる。


完璧にやられた。


ここはセネガル。日本じゃない。


ウカツだった。


でも誰が盗ったかの証拠はない。ヤマだって簡単に中に入れる。


あの時、いつものようにスーツケースに鍵をかけとけば・・。


カセットは全部セロファンのパッケージをむき取って、使用済みのようにしておけばよかった。


後悔の念が頭をぐるぐる駆けめぐった。


悔しくて、やりきれない。


日本円にすればたいした被害額ではない。


ただ、自分の気が抜けてたスキを狙われたことと、なによりこの部屋を行き来してる人が犯人だということがショックでならなかった。


そういえば、ヤマが言っていた。


「私は家族でも信用してない。」と。


やっぱり私、この国無理だわ。


私は無気力のまま、居間に行った。


相変わらず、ヤマとベンジーがテレビを見ていた。


その二人に向かって私は報告をした。


「あるはずのお金が私の部屋から無くなりました。」


ベンジーもヤマも驚いた顔をして私を見た。


第34話へつづく



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2004年2月


イェレオロフを着た私と普段着のベンジーがいつもの居間で2人で羊のバーベキューを食べていた。


するとベンジーがポツンとしゃべり出した。


「セネガル、嫌いにならないでね。」


私は羊にかぶりつきながら、溢れ出す涙を止めることが出来ず「あははは」と笑ってごまかしながら肉をほうばり続けた。


「ヤツのやってることは最低だよ。だけど、セネガルは悪いやつばかりじゃないから。」


とベンジーは続け、私の涙を見ないようにテレビに目を反らせた。


そういえばセネガルでは涙を見せちゃいけないんだった。


私は鼻を啜りながら、肉を食べ続けた。


皿の上の肉を全部平らげると、2人はソファーにもたれながらテレビを見た。


このままもう彼が来なければいい。


彼はずっと悪役でいい。


私を欺いた最低なヤツ。そして、そんな最低なヤツに時間とお金を費やしたバカな私。


またベンジーがしゃべりだした。


「でも、ヤツのお陰で俺もヤマも君と出会えた。ヤツがいなかったらこうして一緒に羊は食べれなかったね。」と笑った。


なんか、フッと楽になった。


彼は最低なヤツだけど、私にはセネガルに家族のような仲間ができた。


「ここは自分の家のようにいつでも帰って来ていいから、お金の心配もいらないし。だからセネガルを嫌いにならないで。」


いつものコミカルなベンジーとは打って変わって真剣だった。


ボコっと穴が空いていた気持ちの中に何か温かいものが流れて来るのを感じた。


窓の外を見ると路上を歩く人々の影がだんだん長くなっていた。


もうすぐ夕方。


セネガルは日が長いから夕方になってもすぐにオレンジ色にはならない。


もう、私の気持ちは変わっていた。


もう待たない。


私は化粧を直して、今まで招待してくれたお友達の所へご挨拶巡りに出かけた。


もう夕方だけど、私のタバスキは今からスタート。


そうして、夜遅くまでお友達のお家を訪問して歩いた。


第33話へつづく





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第1話からお読みになりたい方はコチラから



2004年2月


いつも夜遅くまでいるヤマも明日タバスキだからと、早々と帰った。


あと何時間かで、タバスキ。


たくさんの人から招待されたタバスキ。


だけど、一人で迎えようとしている。


灰色の部屋で。


昼寝したせいで、目が冴える。


夜になるとまた涙が出てくる。


今日は泣いちゃダメな日。


明日バッチリ化粧してイェレオロフを着なきゃいけないのに、目が腫れてたらアイプチでもごまかせない。


私は感情を無にする練習をした。


無にすると涙がピタっと止まる。でも3秒後には溢れてくる。


「タバスキなんてクソ喰らえ。」


つい気を抜いてしまったせいでウワっと泣いてしまった。


そういえば、去年もセネガルで泣いた。


すごく信じてた男性が私に嘘をついていた。


その時、傷ついていた私を優しく助けてくれたのが今の彼だった。


今度は今の彼のことで泣いてる。


なんで学習できないんだろう。なんで平気で人を信じるんだろう。


本気で私、バカだ。


大バカ・・・・。


日本人がバカ正直なら、セネガルは大嘘つきの集まりだ。


気が付くと、0時を迎えタバスキの日付に変わっていた。


治まりかけた感情がまた爆発して泣きじゃくった。



セネガルなんて来なきゃ良かった。しょぼん


そのうち、泣き疲れて眠ってしまった。



気がつくと朝を迎えていた。


窓の隙間から一本の光の筋が暗い部屋に差し込んでいた。


こんな日は起きてもしょうがない。


しかしベッドにひいてあるペッタンコのスポンジマットは長時間ゴロゴロするには腰が痛くて寝ていられない。


大きい窓がある部屋に移り、外の景色を眺めた。


いつもいる作業服を着た労働者の姿はなく、外はシーンと静まり返っていた。


今頃、おうちで羊をさばいているのかもしれない。


羊をさばく時は、家の前に大きな穴を掘り、羊の首筋をナイフで一撃し、その血を穴に流す。


私はその瞬間を見たことないが、路上が穴だらけになって、血で埋まっているのを見たことがある。


だからこのお昼の時間はむやみやたらに外には出たくない。


外に出ると目ん玉向きだしの羊の頭と目が合ってしまう。


家で飼育してきた羊を自分たちでさばき、それを戴くわけだから、感謝の念でいっぱいになるんだろうな。


タバスキは犠牲祭と言って、羊を殺す習慣ができたのは、イスラム教の昔話が由来。

昔話によると、イスラム教の預言者ムハンマドがアラー(神)から自分の息子をイケニエにするよう命じられた。

神の存在が絶対であったムハンマドは断腸の思いで息子を殺そうとし、アラーはそれを見て、ムハンマドが本当に敬謙な信者であることを知り、息子を解放し代わりに羊をイケニエにすることを命じた。


その名残が今でもイスラム教の重要なお祭りとして伝わっている。


貧しい家では羊が一頭買うことが出来ず、ご近所同士で一頭買うらしい。


日本にいるセネガル人がこの時期にたくさん仕送りしてるのは、このせい。


日本の正月より金かかるかもしれない。


私の部屋に、ヤマが訪れてきた。


イェレオロフを着てる。


いつものヤマじゃなく、ちょっと照れくさそうにしていた。


ぶっちゃけ、似合うとも言いがたかったが、しおらしい彼女がかわいらしく見えた。


そして、私に「ありがとう」と言いながら両手を広げて、着ているイェレオロフを見せてくれた。


「ナイス!」


と私が親指を立てると、ヤマはうちに来ないか、と誘ってくれた。


私は彼、いや、ユッスーとの約束がまだ終わっていないから、ここにいる、と断った。


ヤマは「OK」と言って出て行った。


私もイェレオロフを着ることにした。


そして、メイクもした。


メイクをすると、イェレオロフが栄える。


小さい手鏡を下から上に動かし、全体を見た。


かわいい。


見せたかった。彼にもユッスーにも。


タバスキは始まったばかり。まだガッツリするのは早いかも。


また窓から表を見た、外にイェレオロフを着た女性や男性たちが、少しずつ姿を見せた。


ご近所の挨拶回りらしい。


本当だったら、私もユッスーの家族に挨拶して回っていた。


また涙が溢れてきた。


アイメイクが崩れないように、すぐさまタオルを目に押し当てた。


お腹が空いても何もする気が起きない。


また、バタっとベッドに仰向けになり、日本の歌を歌った。


コンクリートの部屋は声が反響して大きく響くから少し上手に聞こえる。


普段歌なんて歌わないが、歌うことで気分が紛れた。


そこにベンジーがやって来た。


まず私の格好を見て、片手で口を覆い、驚いた表情を見せた。


「素敵だよ。」と言って、見とれるようなリアクションまで付けてくれた。


そして、「あいつは最低な男だ。有り得ない。」とため息まじりで首を横に振った。


ベンジーは相変わらず、いつもと同じ格好だった。


そして「羊食べる?」と私を誘ってくれた。


お腹ペコペコだった私は「うん」と返事をしながらベッドから飛び降りた。


ベンジーに付いていくと、居間のテーブルの上に炭で香ばしく焼けた羊のバーベキューが置いてあった。


「もらって来たよ。」と、ベンジーは羊の前に座った。


「これ、マスタード。」


いつもの格好のベンジーに言われると、ジャンクフードを食べるような気分になった。


テレビを見ながら、私と一緒に羊を食べてるベンジーは、もしかしてセネガルに家族がいないのかもしれない。


セネガルの場合、一夫多妻だから、腹違いの兄弟がいっぱいいる。


そして特別な日はお母さんの元へ帰る。


だけどベンジーは今ここにいる。


私はここでベンジーと一緒に羊を食べれて良かったのかもしれない。


私とベンジーは手をギトギトにしながら羊のバーベキューを夢中になって食べた。



第32話へつづく



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2004年2月


夜中になっても彼はまだ帰って来なかった。


騒がしかった居間も、暗がりでテレビを見ているベンジーだけになっていた。


私が居間を覗くと、ベンジーは私の様子を察して、肩をすくめて横に首を振った。


時刻ではもう翌日になっていた。


でもまだ大丈夫。


タバスキまではあと23時間もあるから。


私はそう自分に言い聞かせ部屋に戻りベッドに横になった。


目を閉じるといろんな不安が込み上げ、涙が溢れてきた。


残りの1ヶ月間もこんなに不安な生活を送らないといけないのか。


日本に帰ったら仕事探さなきゃだよな。


新しい仕事に慣れるまでまた大変だよな。


私、なんでセネガルにいるんだろう。


鼻が詰まって息苦しい。


真っ暗な部屋の中、手探りでティッシュを探し、ブーンと鼻をかんだ。


明日になれば何かが変わってるかもしれない。


そして眠りについた。


いろんな夢を見た。彼と一緒にチェスに向かう途中いろんな忘れ物をする。


焦って目を覚ました。


すぐ隣を見たがやはり彼の姿はなかった。


暗い部屋の中には窓の隙間から一本の光が差し込んでいた。


どうやら朝が来たらしい。


台所から卵が焼けるいいの匂いがする。


ベンジーの妹のカディが朝食にスクランブルエッグを作っていた。


カディはこれから仕事に行くといった装いで、しっかりメイクもして長いブレーズを後ろで結わいていた。


彼女はベンジーと違ってとてもクールだった。


私は彼女に挨拶をすると、わざと元気の無い顔を見せた。


強い女性からのエールが欲しかったから。


カディはコロコロに焼き上がったスクランブルエッグをお皿に分けながら言った。


「セネガルでは涙を人に見せることは恥ずかしいことだからね。」


まるで私はカディに渇を入れられたようだった。


恋に盲目になった日本人が勝手に転がり込んできて、ただでさえ彼らに迷惑をかけてるのに、傷心を慰めてもらおうなんて虫のいい話かもしれない。


ここは我慢しないといけない。


涙は見せちゃいけない。


そんな私の気持ちとは打って変わって、明日のタバスキでセネガルは浮かれモードになっていた。


ニュースでもその話題で持ち切りになっている。


刻一刻とタバスキが近づいてくる。


でもまだ午前中。彼が今から駆け込んで帰って来ても、急いでチェスに向かえばタバスキには間に合う時間。


セネガル人は散々待たせておいて人をせかす所があり、たまにそれにイラっとすることがある。


彼もきっとそのパターンだ。


散々待たせて、「行くぞ!」と言いながら帰ってくるかも。


私はお泊りセットとイェレオロフをバッグに詰めた。


そして彼が来るまでの間、近所をグルーっと散歩することにした。


彼はその辺にいるかもしれない。


外を歩いていると名前の知らない顔見知りのご近所さんたちが、次々に声をかけてくる。


そのたびに立ち止まっておしゃべりした。


きっと今ごろ彼があわててアパートに戻って来て、私が外出していることにヤキモキしているかもしれない。


そんなことを期待しながら立ち話を楽しんだ。


ゴミ処理屋のおっちゃんも、自動車整備工場のお兄さんもみんないつものように私を引き止める。


仕事中なのか休憩中なのか、いつ見ても分からない。


そうやっていつものご近所ツアーが終わり、アパートに戻った。


すこし期待をしながらドアを開けた。


やっぱり彼は戻ってなかった。


もうすぐ午前中が終わってしまう。


私はため息をついてバタっとベッドに横になった。



何時間経っただろう、気が付いたら眠ってしまっていた。


お腹が空いている。


気づくと太陽の光が斜めに射していた。


一体、彼とユッスーの約束はどうなってるんだ。


もしかして、チェスってすごい近いのかな。


そこへヤマが私の部屋に入って来た。


「金はないよ。」と私が先に言うと、


「そんなことで来たんじゃないよ。」とヤマは舌打ちしてベッドに横になった。


そして私の電子辞書を手に取り遊び出した。


今日ばかりは、ヤマの存在がやけにありがたい。


私はヤマに小銭を渡し「2人分のサンドイッチを買ってきて」とお願いした。


「誰と誰の分?」とヤマが聞いてきた。


私は自分とヤマを指さすと、ヤマはニコっと笑って走ってサンドイッチを買いに行った。




第31話へつづく




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2004年2月


彼は昼過ぎになっても姿を見せなかった。


ベンジーやヤマに聞いても見てないと言う。


私はタバスキのことで彼と話をしたかった。


いつの何時に出発するのか、何泊するのか、ユッスーの家族には土産は必要なのか、車で何時間かかるのか。


タバスキは明後日に控えていた。


もし、ユッスーがいるチェスでタバスキの朝を迎えるなら明日には出発しないとまずいだろう。



と、その時携帯にビンタからの着信。 音譜



私のイェレオロフが出来た、との知らせだった。


私は胸を踊らせビンタの家の近くのテーラーまでイェレオロフを取りに行った。 


そこにはビンタも待っていた。


私にとって初めてのイェレオロフ。


ビンタは私の反応を心配そうに見ていた。


私は畳んであったイェレオロフを一つずつ広げてみた。


袖が広がったAラインの上着に腰巻きスカート、頭に巻くターバン。


私は待ちきれず、ジーパンの上からそれを試着した。


それに合わせてビンタがターバンを巻いてくれた。


セネガル人気分になった私は調子に乗ってその場でサバールダンスを軽く踊って見せた。


するとビンタもテーラーも笑って手拍子しながら「エイワーイ!」と合いの手を入れて盛り上げた。


私たちのその騒ぎに外を歩いていた人たちも足を止めて窓から中を覗いて一緒になって手を叩き始めた。

マンガみたいな光景だが、セネガルではよくある話だ。


私が踊り終えると見物人のみんなは口ぐちに話しかけてきた。


「いやぁ、驚いた。」


「この娘は韓国人かい?それとも中国人かい?」


「まるでセネガル人みたいだね。」


「誰からダンスを習ったの?」


いろんな人の質問が一気に飛び交った。


セネガル人たちからしたら、アジア人がイェレオロフを着てサバールダンスを踊ることなんて珍しくて仕方ないのだろう。


ビンタは得意気になって、私のことを説明し始めた。


セネガルでは、ひとつの用事を済ますまでにいろんな人とのコミュニケーションが加わる。


用事だけ済まして帰る、という機械的な行動は起こり得ない。



これでお気に入りのイェレオロフが揃い、チェスでのタバスキがより一層楽しみになった。


私はビンタと別れ、足速にアパートに戻った。


居間を覗くとベンジーとヤマとベンジーの友達が数名座っておしゃべりしていた。


私はみんなに彼を見かけたか聞くと、みんなは口を揃えて見てないと答えた。


部屋に戻っても、自分が出る前のままの状態で、誰かが入った形跡は何もなかった。


もう日が暮れようとしているのに、まだ彼の姿を見た人は誰もいなかった。


これではタバスキまでの予定が立てられない。


最低でも明日には出発しないといけないのに、何の準備も出来てない。


彼はケータイを持ってなかった。


とりあえず私は何の準備もできないまま、彼の帰りをひたすら待つしかなかった。



第30話へつづく



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