セネガル文化の伝道師、シティ派アフリカンダンサーFATIMATAのブログ -20ページ目

セネガル文化の伝道師、シティ派アフリカンダンサーFATIMATAのブログ

プロダンサーがセネガルから学んだ社会人として大切なこと。ガイドブックにないセネガル案内。

この物語はサバールダンスを日本のダンスシーンに紹介したFATIMATAが、日本でまだサバールという言葉もあまり知られてなかった時代から劇団EXILEで踊られるようになった現在までの、険しい道のりを描いたセネガル体験記です。


第1話からお読みになりたい方はコチラから



2004年1月末


私はいつものように、夜になると居間へ行きソファーに座ってテレビを見ていた。


ベンジーはいつもの定位置で仕事の疲れをビールで癒している。


今日はめずらしくベンジーと私だけだった。


ベンジーはたまにテンションが低い時がある。


そういう時は無駄な動きが少ない。


ベンジーがポツンとしゃべった。


「淋しくなるなぁ。」


それに対して私が「ん?」という顔をすると、ベンジーはさらに続けた。


「なんで君はタバスキを過ごさないで日本に帰っちゃうの?」


ベンジーはいきなりわけの分からない質問をしてきた。


「私、タバスキはセネガルで過ごすけど。」


そう答えるとベンジーは不思議そうな顔をして、固まった。


「え? セネガルの滞在を延期したの?」


いやいやいや、延長も何も私は泣いても笑ってもあと1ヶ月残っている。


私は最初から2ヶ月滞在の予定だし、安いチケットだから、そんな簡単には変更できない。


「私、2月の終わりまでいますけど。」


ベンジーはビックリして答えた。


「1月の終わりに帰ると聞かされていたよ。」


それには私もビックリした。


それと同時に、私はこれからもここにいてもいいのか不安になった。


そして私は尋ねた。


「もしかして1ヶ月分の部屋代しか払ってない?」


「誰から?」


私たちは見つめ合ったまましばらく固まった。


まさかとは思っていたが、もう一度確認した。


「私たちの部屋代は誰からももらってないですか?」


「もらってないよ。」


耳を疑うような返答だった。


そしてベンジーは続けた。


「この国はテランガの国だよ。泊まる所がなくて困っている人がいれば、喜んで部屋を貸すさ。ただ、君の滞在は1ヶ月だけと聞いていたから。」


腑に落ちない私は本当のことを彼に打ち明けた。


「私は日本から彼に40万近く送金したから、そこから部屋代は支払われてると思っていたんだけど。」


ベンジーは深いため息をつきながら首を横に振って答えた。


「俺は、ヤツからは一銭ももらってない。」


頭が真っ白になった。


じゃあ、私が送ったお金は?


そしてベンジーが口を開いた。


「あと1ヶ月、泊まるところないんでしょ? 俺が今使っている小さい部屋なら使っていいよ。悪いが、1ヶ月だけだと思っていたから、今君たちが使ってる部屋は返してね。」


ベンジーに一銭も払われてないなんて知らなかった。


ベンジーは突然来た見ず知らずの外国人に無償であんなに親切にしてくれてたんだ。


しかも、また追加で1ヶ月部屋を貸してくれようとしている。


こんなにいい人、日本でもなかなかいないかもしれない。


それと同時に今ここにいない彼への不信感が募った。


まずは、ベンジーに今使ってる部屋を返さなきゃ。




私は早速、自分たちが使っていた広い部屋を明け渡し、ベンジーが使っていた小さな部屋へ荷物を運んだ。


その部屋は小さい小窓がひとつ高い位置にあったが、隣接したビルがピッタリ密接し外の景色は窓の3分の1しか見えなかった。


新しい小さい部屋でひとりポツンと彼が帰って来るのを待った。


私たちにはもっと深いコミュニケーションが必要だと思った。


今度の部屋は鏡台もクローゼットもない。


コンクリートの壁に囲まれた四角い部屋の中にベッドがあるだけだった。


この暗い灰色の空間は、彼を待ってる時間をより長く感じさせた。


横になって彼が帰るのをずっと待っていたが、なかなか帰って来ない。


私は知らない間に眠ってしまっていた。




朝、外のスピーカーから鳴り響く礼拝を促す呼びかけとニワトリの声で目を覚ますと、いつも横にいるはずの彼の姿はなかった。


そして薄暗い部屋に小窓の隙間から射す一筋の光がものすごい孤独感を感じさせた。



第29話へつづく



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2004年1月

アシュラム市場で買った布をビンタが紹介してくれたテーラーに持って行った。


私は市場の帰りにすれ違った素敵なイェレオロフを着ていた人をずっと脳裏に焼き付けていた。

それと同じデザインを紙に書いた。


あまり上手に書けなかったが、とにかくかわいくしてくださいと、テーラーに強く伝えた。


楽しみでしょうがなかった。


世界で一着しかない私だけのイェレオロフ。


私はビンタにお礼を言ってアパートに戻った。



部屋に入るとユッスーが遊びに来ていた。


やったぁ、ユッスーだ。ニコニコ


私は彼が大好きだった。


ユッスーは私の彼とベッドに座って話しこんでいた。


私が近づくと、ユッスーは両手を大きく開いて「おぉ、会いたかったよぉ」と私の手を握った。


彼はいつも私を自分の妹のようにとても優しく接してくれる。


そして、ユッスーからとてもうれしい申し入れがあった。


「タバスキにコイツと二人でチェスに遊びに来ないか?二人が遊びに来たら、俺の家族もみんな喜ぶよ。」


超うれしい!ラブラブ!


私は飛び上がって「行く!行く!」と答え、横に座ってる彼を見た。


彼は笑って「いいね」と答えた。


私は我慢仕切れずについイェレオロフを作っていることを暴露してしまった。


「君はもうセネガル人だね。」とユッスーが笑ってくれた。


ひょんなキッカケでタバスキが彼との初旅行になった。


そしたら彼としっかり向き合って話す時間もたくさんできる。


たいへんだ、セネガルのマナーを勉強しなきゃ。


勝手に、新郎の親戚のところへお泊りに行く感覚になっていた。。




ユッスーが「そろそろ帰るわ」、と立ち上がった。


それを引き止めるように彼が「もうちょっといろよ」と立ち上がった。


ここまでが、セネガルの別れる時の定番の挨拶。


もうちょっといろよ、といいながらも二人で玄関へ向かってる。


このセネガル特有の建前的な別れの挨拶が私はいまだにマスターできない。


「もうちょっといろよ。」と言われると、たいてい私は「あ、じゃぁ」と居座ってしまう。




彼らが表に出るとヤマが大きなあくびをしながら部屋に入って来た。


私たちは挨拶と共に、それに伴う軽いどうでもいい世間話を交わした。


その後、ヤマが言いづらそうに私に小声で言った。


「私、タバスキで着る服がないの。」


ヤマもイェレオロフ着るんだ! えっ


私はその意外性に驚いた。


不良娘だから「タバスキがなんだよ」とタバコでも吸っているもんだと思っていた。


「で?」


私はとぼけた。



「服を買うお金がない。」



「だから?」



いじわるかもしれないが、意味の分からないフリをした。


「お金貸して。」


たいてい、セネガル人の「貸して」は返って来ない。


そろそろガイドブックにそう書いて欲しい。


さっきまで上がっていたテンションが急に下がった。


なんか急にムナクソ悪い感情が沸き上がって来た。


日本人が金持ちだと思ったら大間違いだよ。

こちらはセネガル来るために飛行機代という大金をはたいている。

現在セネガルに滞在してる間は仕事してないから収入ないし、帰ったらここより5倍も高い物価で東京砂漠を生きていかなきゃいけない。

君達は仕事もしないで遊んでばかりで「ちょうだい、ちょうだい」ばかり言ってる。


だから、セネガルは途上国なんだよ!グーグーグー


これをウォロフ語で言えるのなら、ヤマに浴びせてやりたかった。


私は言いたい言葉が出て来ず、出てくる単語がお粗末すぎて自分にイライラした。


もう、面倒くさい。


私は超ぶっちょう面で1万セファをヤマに投げた。


ヤマはそれを受け取ると満面の笑みで私に何回も「ありがとう」と言って来た。


そんなに笑顔を出されると、私がまるで小さい人間のように思えて、さらに落ち込む。


どうすれば、早くセネガル文化に馴染めるんだろう。


ヤマは「タバスキはうちへ来てね、招待するから」と言って、部屋を出て行った。


なんだ、、ヤマは招待できるような素敵な家があるんじゃん。


なんだか私は急に寂しくなった。


日本が恋しい。


日本語が恋しい。


そして、私はインターネットをやりに彼のいないシーベルへ向かった。


第28話へつづく




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2004年1月

翌朝、目を覚ますと彼がいつもの様に横で寝ていた。


いつ帰って来たんだろう。


私は彼を見ながら、ユッスーの言葉やテラスにいた時の彼の表情、昨日の言動などを思い起こした。


どれが本当なんだろう。


考えすぎるとため息ばかりでてしまう。


私は気晴らしに去年お世話になった人たちへお土産を渡しに行くことにした。


去年住んでいたアパートの隣人の人々、レッスンに行く途中のジューススタンドのお姉さん、売店のおじさん、バス乗り場のお兄さん、それにビンタやパムサにも久しく会ってない。


みんな元気かな。


私はお土産用に100均で買ったMADE IN JAPANと書いてあるグッズをたくさんバッグに詰めて出かけた。


1年ぶりに会う友達たち。


私を見るとみんな驚いてこれ以上ないほどの表情で大喜びして迎えてくれた。



セネガルではもうすぐタバスキという行事が控えてていた。


タバスキはイスラム暦でお正月、年に1度各家庭で羊を1頭殺し、その肉をバーベキューにして食べて祝う。


その日ためにみんな新しい服を仕立てて着飾る。


セネガルはアフリカの中でも1番オシャレな国と言われてるぐらいだから、新しく新調する服への気合いは半端ない。


懐かしいみんなにお土産を持って訪問すると、かならずタバスキの話しになった。


「今年のタバスキはどうやって過ごすの?」


何も予定してない私は「うーん」と首を傾げて「別にぃ」と答えた。


すると、ほとんどの人が「招待するからうちに来なさい!」と言ってくれた。


彼達は、この特別の日に何も予定がない私を可愛そうだと思ったのかもしれない。


セネガルにはテランガという助け合いの精神が根付いていて、困った人を見れば、例えその人が裕福な身分でも助ける習慣がある。


その代表的な例が食事をもてなすことだった。


彼らのお誘いはとても嬉しかった。だけど、どのお誘いにもハッキリOKができなかった。


私はまだ肝心な人から誘われていない。


私はみんなの訪問の最後に、ビンタに会いに行った。


ビンタも私との再会にものすごく喜んでくれた。


私たちは、いろんなおしゃべりをした。歳もそんなに離れてないし、同じダンサー仲間として話しが弾んだ。


文化や習慣が違っても女子として共感できる話題がたくさんあった。


これぞ異文化交流。にひひ


そしてビンタも私にタバスキはどう過ごすのか尋ね来た。


ビンタにだけは正直なことを話した。


一番一緒に過ごしたい彼からのお誘いを待ってるのだ、と。


ビンタは「そのうち言って来るわよ。」と私を励ましてくれた。


そして、「イェレオロフはあるの?」と尋ねてきた。


イェレオロフとは、セネガルの民族衣装。


今ではゴージャスな刺繍やラメやスパンコールがあしらわれてるものもあり、極めようと思えば電飾はないにしても小林幸子レベルまで出来る。


私はイェレオロフは持ってなかった。


というより、飾り気のないヤマと普段一緒にいるせいか、セネガル人女性のオシャレ情報に乏しかった。


私はオシャレなビンタにショッピングを付き合ってもらいたい、とお願いした。


ビンタは喜んで引き受けてくれた。


「彼と一緒にタバスキを過ごすなら、とっておきのイェレオロフを作らなきゃね。」とビンタ。


やっぱり持つべきものは、女友達。グッド!


ビンタとショッピング行けることを考えたら昨日のストレスも一気に吹っ飛んだ。


早速私たちは、イェレオロフを仕立てるための布を探しにアシュラム市場に出発した。




アシュラム市場はタバスキ前のセールで賑わっていた。


布も普段より安い価格で叩き売りしている。


「荷物をしっかり持つのよ。」と、ビンタは険しい顔になり、私を人目から守るように歩いた。


やっぱりスリや引ったくりが多いんだ。


それでも、あまりの布の多さに次から次と目移りしてしまう。


外国人である私を見かけると商人たちは、「マダム、マダム」と寄って来る。


私はそんなブラジャーやバスタオルを買いに来たんじゃない!むっ


どんなに断っても、いらないものを次から次へと広げて後ろを付きまとう。


ちょっとでも「おっ?」という興味の顔を見せると、「はい、お買い上げぇ~」と言わんばかりに私の懐に押し付ける。


ハチの群れに襲われながら買い物をしてるようだ。


まさに襲撃である。


ビンタは「欲しいの?欲しくないの?」と私に聞き、私が「欲しくない」と答えると、彼達をすごい剣幕で見事に追っ払ってくれる。


セネガル人の女は強い。


そんな道中、次から次と目に入る色鮮やかなセネガルの布は、もうひとつに絞ることが困難だった。


とっておきの1枚を選ぶのに、行ったりまた戻ったり。


店の店主も「また来たの」という呆れ顔をした。


セネガル人はこんな時迷わないんだろうか。


ビンタもそろそろ疲れを見せていたが、私が「疲れた?」と聞くと、「まさか」と笑ってくれた。


いい加減ここで決着しなきゃ。


いろいろ迷ったが、私は白地にオレンジの刺繍が入ってる布を選んだ。


それを、テーラーに持って行き、形にしてもらう。


女性が通り過ぎる度に彼女たちが着ている服に目が行った。


私は待ちきれず、袋から布を出すと自分の胸元から下へ垂らし、足をぴょこっと蹴ってイェレオロフを着てる自分をイメージした。


ビンタが「似合ってるよ」と言ってくれた。


これを着たら彼ビックリするかな?かお


彼が私を見て、ヒューと口笛を吹いて見とれてる姿をイメージして、ちょっと笑った。にひひ



第27話へつづく





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2004年1月


再会を果たした日の夜のことを思い出した。


また彼の腕の中にいる。


この瞬間をいつも待ち望んでいた。


私は全体重を彼に預けた。


でも、そんな時間もつかの間、ベンジーが階段を駆け上がる音が聞こえた。


私は、サッと起き上がり、元の椅子にすばやく戻った。


「お待たせぇぇぇ」


ベンジーは息を切らして、私たちにビールを差し出してくれた。





私は帰って来てからもしばらくゴール島の余韻に浸っていた。


最近の私と彼は順調にみえる。


少し気持ちが大きくなってた私は、去年のようにまたクラブに一緒に行きたいと彼におねだりしてみた。

ゴール島のあんなハプニングの後だし、きっといい返事が返って来ると期待した。


しかし彼の答えは前と変わりなくぶっきらぼうに「金がない」だった。


そして彼は続けた。


「カフェドロムっていう高級なクラブがある、そこは綺麗だし最高に楽しい。君と一緒に行きたいけど、金がない。」



「いくらかかるの?」と私は聞き返した。



「2~3万くらいかな。」


今回ばかりは、私が出しますからさぁ行きましょうという訳には行かない。


彼からお金を返してもらうまでは、お金に困ってるフリをしなきゃいけないし、生活の負担は彼がするって言ってたのに、負担らしい負担をまだ見てない。


そんな素敵なクラブ、まだお披露目してない勝負服だってあるし、すごい彼と行きたいけど、絶対に絶対に我慢しなきゃダメ、と自分に言い聞かせた。


「そんなに高いの? 私もお金ないよ。」と言い返した。


「高くないよ、おまえ日本人だろ。金あるだろ。」


何それ!  むっ


そこで国籍だされるとは心外だった。


「だって、あなたがお金返してくれないから、無いのよ。」私は頑張って言い返した。


「俺なら金はあるよ。ただ、今ここに無い。クラブ行きたいなら貸してよ。ちゃんと返すから。」


「いくら貸して欲しいの?」


「3万。」



3万はかなり高い。日本でクラブへ行くのに「3万円貸して」と言ってるのと同じだ。


3万くらいは当然持っているが、ここで簡単に貸したらいつでも金を貸せる女だと思われてしまう。


「クラブがそんな高いわけないし、そんなに貸せないよ。」と私は言った。


「いくらなら貸せるの?」


でた! むっ セネガル人のファイナル交渉術。『必殺!いくらなら出すの』だ。


きっと1万って言ったら、1万でも充分遊べるはずなんだ。


「1万。」


「じゃ、1万貸して。」と彼は手を差し出した。


私は「んもぅ」という顔で渋々スーツケースから1万を取り出し、彼に渡した。


「これは俺のエントランスな、おまえのは自分で出せな。」


やられたっ! ショック!


ここで抜けぬけと「はい、分かりました。」と自分の分のお金を持ち出したら、今までの頑張りが水の泡だ。


私は心を鬼にした。「お金ないから、私は行けないよ。」と言ってみた。


私がこう言って、彼はどう出るだろう。


彼は、1万を握り絞めて立ち上がった。


「じゃあ、俺だけ行って来る。」


あまりの衝撃的な返答に、何も答えられなかった。


彼は大きく伸びをすると、部屋を出て行ってしまった。


もういい加減ジェットコースターの様に浮き沈みする自分の気持ちにうんざりしてきた。


この気持ち、一体誰にぶつければいいんだろう。


日本だったら真っ先に女友達に電話して、すぐにでも彼氏の悪口を言ってスッキリできるのに。


そして「そんな奴やめちゃいなよ。」って言ってもらえる。


でもここでは愚痴を聞いてくれる友達はいない。


私はテレビの音がする居間へ行った。


そこでヤマはテレビを見ていた。


19歳のセネガル人に私の気持ち分かるかな。


私はヤマと挨拶を交わし、頭の中でなんて言おうかウォロフ語を整理した。


するとヤマはそんな気持ちをよそに「お腹空いた。500セファくれない?」と私に言った。


たかが500セファかもしれないが、タイミングがタイミングすぎる。


第一簡単に金くれって言われるたびにイラっとくる。


「どいつもこいつも二言目には金くれかよ!」


日本語で言い放ってやった。


言葉は通じなくても拒否反応のオーラは出ているだろう。


そもそも感情的になった時はいちいちウォロフ語を使わなくても感情は伝わる。


不満をひとりで抱え、もがき苦しみ、それでも誰も助けてくれない。


しょうがないよね、私、日本人だから。 シラー


こんなところ早く帰りたい。



最悪な国だ。セネガル・・・。



第26話へつづく










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2004年1月


日曜日、ベンジーと彼と3人でゴール島へ行く日が来た。


ベンジーの仕事の関係で日帰りで行くことになった。


いつも昼過ぎに起きる彼もこの日は少し早く起きた。


ベンジーは朝からテンションが高く、私と目が合うと顔の前に人差し指を立て「ゴール島の夜は寒くなるからね」と言い、再びバタバタと準備を始めた。


ベンジーを見てると笑いが出てしまう。


彼は時よりピタっと止まってはあごに手を当て考えごとを始めたと思ったら、「アッ」とまた人差し指を立ててバタバタ動き出した。


ベンジーの落ち着きない行動が、ゴール島へのワクワク感をいっそう掻き立ててくれた。


それとは対称的に私の彼はソファーに座り、ベンジーの準備が終わるのをのんびりタバコを吸って待っていた。



「ニュデム!(行きましょう)」


私たちはベンジーの車に乗ってゴール島の船乗り場まで向かった。


ベンジーのアパートから3、40分の海岸沿いに到着した。


ゴール島は代表的な観光名所のゴレ島とは違いこじんまりとした小さな島だった。


海岸から島まで移動するのに、大きいフェリーをイメージしていたが、用意されていたのは定員10名くらいのボートだった。


私達は救命用のベストを着せられボートに乗った。


ボートに足を一歩踏み入れると、ボートがグラッと揺れ、船頭さんがすかさず手を差し出してくれた。


みんなボートに乗り出すと子どものようにはしゃぎ出した。


そうこうしているうちに、ゴール島まであっという間に到着した。



ゴレ島より観光客が少ないせいか、しつこい物売りやお土産屋の客引きもいない。


ところどころにポツンポツンとお土産屋さんや、白人用にお酒が飲めるバーがあった。


私達はビールを買って飲みながらビーチを歩いた。


ベンチに横になっていたお土産屋の店主が私たちに気づくと、上半身だけ起こして「いらっしゃい」と声をかけてくる。


私たちは「後でねぇ」と手を振りながら目的地へ向かってとぼとぼ歩き続けた。



しばらく歩くとペンションに到着した。古びてはいるが3階建てで大きかった。


ベンジーはたくさん鍵が付いているキーホルダーをポケットから取り出し、ジャラジャラと門の鍵を探し出し開けた。


「さあ、どうぞ」


誰もいない建物は閑散としていた。


「夏の時期はたくさんの観光客で賑わうんだ。」


そう言いながらベンジーは部屋をひとつひとつ開けて中を見せてくれた。


セミダブルのベッドと天井からぶら下がった蚊帳だけのシンプルな部屋。


「来年ここに日本人をたくさん連れて来たらどうだい?この時期だったらフリーで使っていいよ」と部屋を見せながらベンジーが私に言った。


そんなこと言われたらステキすぎて妄想が膨らむ。


日本の仲間を引き連れて、昼はテラスでバーベキュー、夜は浜辺でキャンプファイヤー。でも、繁華街までショッピングに行くのに毎回あのボートに乗らなきゃいけないのは不便だなぁ。


なんて、まだ叶ってもいないのに贅沢な悩みまで膨らんだ。



そしてちょうどセネガルツアーをやっているセネガル人の友達を思い出した。


あのツアーの参加者たちは無事セネガルに着いて、今ごろ楽しんでいるかな?


私もいつか、たくさんの日本人にセネガルを案内してあげたいなぁ。


このペンションでみんなが楽しんでいるところを想像した。



私たちはテラスに移動した。


私はゆったり座れる大きい椅子にサンダルを脱いで膝を立てて座り、彼はサマーベッドに横になった。


ベンジーは私達の空になりそうなビール瓶を見ると、ビールを買いに外に出て行ってしまった。


テラスには私と彼が二人きりになった。


いつもしゃべっていたベンジーがいなくなると波の音と風に揺れる葉っぱの音だけになった。


いつもと違うシチュエーションに少し緊張してしまう。


頭の後ろに手を組んで寝そべっていた彼が、こちらを見た。



すると、彼は自分が寝ているサマーベッドの空いてるスペースを手の平でトントンと叩いた。


急に心臓がバクバク高鳴りはじめた。


私はサンダルを履いて、彼のサマーベッドの所ろまで移動し、彼の横にちょこんと座り直した。


突然、彼は私の腕をグイっと引っ張り、自分の方へ引き寄せた。


目


彼はビールで気持ちよくなっていた。


いきなりの展開に驚いた。


しかもベンジーも一緒なのに有り得ない。えっ



私は「ベンジーが帰って来ちゃうよ。」と彼を叱ってみせた。



彼は何も言わなかった。


彼の「お構いなし」といった表情があまりにもセクシーすぎて、もう自制心が利かなかった。



私は、「しばらく帰って来ないで下さい」とベンジーに念力送り、自分を支えていた腕の力をうっかり抜いてしまった。





第25話へつづく



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2004年1月

彼には昔からの大親友がいた。

名前はユッスー。

ダカールから東へ40キロ離れたチェスというところに住んでいて、去年からメッセンジャーでの会話でも頻繁に彼の名前が出てきた。


そのユッスーが仕事の関係でダカールに来た。



彼はユッスーを私たちの部屋に連れて来た。


ユッスーは私を見ると「君かぁ!」と手を出して歩み寄って来た。


「君の話しは前からよく聞かされてたよ。コイツが日本人の彼女が出来たと嬉しそうに連絡して来た時は俺も本当に嬉しかった。コイツ、すごい不器用だけど、よろしく頼むな!」


と、握ったままだった私の手を上下にブンブン振った。


それからユッスーはゴソゴソとかばんの中に手を突っ込み何かを探しだした。


そして、「サイズが合うかな」とおもむろに私の手首に取り出した物を装着しだした。


それはシルバーのブレスレットだった。


驚くことに私の名前が掘ってあった。


「プレゼント」と、ユッスーが笑った。


セネガルではよく自分のお下がりを「カド(プレゼント)」と言ってプレゼント交換することはあったが、ここまで高価な物をしかも新品の状態でもらうのは初めてだった。

ユッスーからもらったブレスレットは不器用な私の彼からのメッセージのようにも思えた。



ユッスーの言う通り彼はほんとうに不器用なだけなのかも・・・えっ



彼はユッスーの前では、子供のように私にチョッカイを出した。


頭をこついたり、肩に手を回して来た。


久しぶりに見た無邪気な彼の様子が急に愛おしくてしょうがなかった。


彼はユッスーには本音でなんでもしゃべる。


だから私もユッスーには心を開いた。


ユッスーに話すことは彼に伝わると思い込んだ。


そのつもりで自分の悩みをユッスーに打ち明け、私が彼のことをどんなに好きか伝えた。


ユッスーはとても優しく対応してくれた。


そしてユッスーの口から出て来る言葉をまるで彼からの伝言かのように錯覚してしまっている自分がいた。


「コイツはね、ほんとは君のことが好きでしょうがないんだよ。」




第24話へつづく



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2004年1月

彼への不安な気持ちが回復しても、彼の生活パターンは変わらなかった。

午後3時ころ起きて来て、フラッとひとりで外出するか、居間でゲームかテレビを見ている。

その生活パターンはサラリーマンのベンジーも呆れていた。


私は頭を切り替え、朝9時に起きて、屋上にあるフィットネスジムで毎朝トレーニングを始めた。

この建物はベンジーのお父さんの持ち物でフィットネスジムはベンジーの好意で無料で利用させてくれた。

だいたい2時間のトレーニングをして部屋に戻ると、ちょうどお昼の休憩を取りにベンジーがラジオ局から帰ってくる。

ベンジーはヤマにお金を渡してお昼ごはんを買いに行かせた。

ヤマは洗面器ほどの大きなステンレスのお皿を持って、だいたい3人分くらいの昼ごはんを近くの食堂まで買いに行った。

セネガルの昼ごはんは、ライスの上にソースがかかっている物が多かった。

人数分を大皿に盛ってくれる。

どんなに安い食堂の食事でもセネガル料理はとてもおいしい。

ヤマが居間のテーブルに買ってきた食事をドンと置くと、ベンジーは私を誘ってくれた。

そして3人で大皿にスプーンを突っ込んで食べた。

私は毎日のようにベンジーが誘ってくれるご飯を食べていた。

次第にこのお誘いにこのまま毎日甘えていいのか、という不安を抱きながら食べるようになっていた。

去年の話しでは私の彼の家へお昼を食べに行く事になっていたが、彼は一回も誘ってくれたことがない。

きっと、私が彼に送ったお金はベンジーに支払われ、借りてる部屋以外にお昼ごはんもそこから賄われてるに違いない。


・・・・・でも、ほんとかな?


いい加減、私の彼ともお金の話をしなければいけない。

私が送金したお金はあくまでも彼に貸したお金。

彼は奨学金を貰ったら私に返すと言っていた。

彼はいつもの調子で3時ごろ起きて来た。


「ねぇ、話しがあるんだけど。」 

私は勇気を出してその話しに踏み込んだ。


「お金、いつ返してくれるの?」


彼は伸びをしながら、「奨学金はあるよ。すぐ返すよ。」と言ってそのままシャワーを浴びに言ってしまった。

話し合いはそっけなく終わった。。


私はその日もなんとなく腑に落ちない感じで、彼と一緒にソファーに座ってテレビを見ていた。

テレビを見ている彼の横顔を見ても、彼はその視線を気にする事なくずっとテレビに向かっていた。

ベンジーは私が元気がないことに気付くと、私を笑わそうと何か話すたびに大げさなアクションを付けたり、目をグルっと回したりした。

ベンジーはとても優しかった。


ベンジーが私達の冷めた空気を盛り上げようと、次の休みにゴール島に遊びに行くことを提案してくれた。

ゴール島にはベンジーのお父さんが持ってるペンションがあり、7月、8月だと観光客で賑わうが、1月の時期はお客さんが少ないので、閉めてると言う。

今だったらお客さんがいないのでタダで泊まれる、との提案だった。


私は大賛成した。セネガルに来てからまだどこにも遊びに行ってない。

私は彼の同意を求めた。

彼もそれには賛成してくれた。

満場一致で次の日曜日、私達はゴール島へ遊びに行くことになった。


第23話へつづく




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この物語はサバールダンスを日本のダンスシーンに紹介したFATIMATAが、日本でまだサバールという言葉もあまり知られてなかった時代から劇団EXILEで踊られるようになった現在までの、険しい道のりを描いたセネガル体験記です。


第1話からお読みになりたい方はコチラから


2004年1月


彼はシーベルの仕事を辞めていた。

私と一緒にバカンスを過ごすために辞めたのだと。


ケータイを持っていた彼の手が突然ビクっと動き、舌打ちをした。


待ってました。GAME OVER べーっだ!

彼はケータイをテーブルの上に置き、ソファーにもたれながらこっちを見た。


やっと私を見てくれた。かお

私も彼の方に向きかえった。
     
そして彼は「サヴァ?」と一声掛け、今度はテレビを見始めた。

むっ



彼はほとんどの時間、居間のソファーに座ってテレビを見るか、私のケータイでゲームをしていた。

そして夜中になるとベンジーとビールを飲み出す。

ベンジーが睡魔に勝てず部屋に戻っても、彼はひとり居間に残っていつまでもビールを飲みながらテレビを見ていた。


私はそんな彼の生活パターンに最初は付き合っていたが、だんだん付いていけず、私が先に部屋に戻って寝てしまうことが多かった。


毎朝、目を覚ますと彼は決まって私の隣で上半身裸でうつぶせになって寝ていた。


彼がこんなに近くにいるのに、なんとなく気持ちがスッキリしない。


私たちが去年日本とセネガルでメッセンジャーでしゃべっていた時は、彼はバスケットボールの練習に頻繁に行っていた。

そして私がセネガルに来たらバスケの試合に連れて行くと張り切っていた。

私は彼の仲間たちに紹介さたり、試合中ベンチで応援することを妄想しては楽しみにしてた。


だけど、セネガルに来てからバスケの練習に行っている様子もないし、それらしき話題にも触れてない。

いつも彼が夢中になってるのは、ケータイのゲームかテレビだった。



私は彼がテレビに飽きて次のアクションを起こすのを待った。


聞きたいことがある。



私は恋愛の駆け引きにおいて言ってはならない減点ワードを言わずにいられない状況だった。



彼が立ち上がって、シャワーを浴びに行こうとしたところを引き止めた。



「ねぇ、私のこと好き?」 かお



聞かないで後悔するより聞いて後悔する方がよい。


泣いても笑っても私はここに2ヶ月しか滞在できない。



彼はクスっと笑って大きな手で私の頭を自分の胸にグイっと引き寄せた。





「当たり前だろ」


    恋の矢




それまでの心の不安がぶっ飛んだ。


その言葉と白いシャツに似つかわしくない胸元の香水の香りが、再び私の気持ちを燃え上がらせてしまった。



第22話へつづく








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2004年1月

セネガル翌日。

外がやかましくて目を覚ました。

羊やニワトリの鳴き声、子供たちが遊ぶ声、コンクリートの建物の中では廊下の話し声も響いて聞こえる。

時差ぼけで全く寝付けなかった。


隣には上半身裸の彼がうつ伏せになって寝ている。

紛れもなく隣にいる。


カ・ン・ゲ・キ アップ


しばらく彼を見つめた。  


黒く光った引き締まった背中。

背骨の溝から肩甲骨にかけて盛り上がった筋肉。キュッと細くなったウエストからプリっと突き出たお尻。

その曲線はなめらかで全くムダがない。

お土産屋さんに売ってる黒く磨かれた木彫りの彫刻とおんなじ。

彼の肩の辺りに自分のコメカミをちょこんと乗っけて、彼の背中を見つめながらその曲線美を手の平でなぞった。



なんて美しい キスマーク

 

私がどんなに触ろうと、彼は全く起きる気配はなかった。


しばらして、私はベッドを降り窓を開けて外の景色を見た。

真っ青の空の下、四角いコンクリートの家が並ぶ簡素な町並みに洗濯ロープに干してある色とりどりのセネガルクローズがとても華やかだった。

路上では、子供たちがボールを蹴って遊んでる。


なんてのどかな町。


私は顔を洗い、人の話し声がする居間の方へ行ってみた。

そこにはベンジーの他に2人の女性がいた。

「おはよう。よく眠れたかい?」とベンジーが立ち上がり、2人の女性を紹介してくれた。

ひとりはベンジーの妹のカディ。このアパートの屋上にあるフィットネススペースの事務をやっている。

もうひとりはヤマ。19歳の女の子だった。

「この家の中で何か困ったことがあればヤマに言ってくれ」とベンジーはヤマの肩をポンポンと叩いた。

ヤマはウィンクをして親指を立てた。グッド!

ヤマは男勝りで短いブレーズの先にビーズを付け、いつもジーパン姿だった。

昼になるとベンジーの家に現れ、タバコを吸っている不良少女。

昼も夜もベンジーの家でご飯を食べ、タバコをもらうかわりにベンジーのパシリをしていた。

その日もベンジーからお金を預かると、空のナップサックをしょって出かけて行った。

しばらくするとナップサックをパンパンにして帰って来て、中からたくさんのアルコール類を取り出した。

彼女は一体ベンジーのなんなんだろう。

だけど、そんな不審さも感じさせないほどヤマはとても正義感が強く、ベンジーのパシリ以外の時は私の用心棒のようにいつでも私のそばにいるようになった。

ヤマは一見クールに見えたが、とても人なつっこく、私のスーツケースの中の物を勝手にひっぱり出しては「これは何?」といちいち質問してくるような子だった。


お昼を過ぎて、ようやく彼が起きて来た。

彼は居間へ入ってくると、軽く挨拶をして、たばこを吸いながら私のケータイをいじり出し、ゲームを始めた。

私は彼の横に座り、ゲームに夢中になってる彼に「シーベルは?」と聞いた。


彼はタバコをくわえながら一言「やめた」と答えた。



第21話へつづく



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2004年1月


彼が連れて来た場所は、彼の友達、ベンジーが住んでるのアパートだった。

有無も言わせず今日から彼と一緒にホームステイが始まった。


ベンジーはラジオ局で働くサラリーマン。

アパートにはベンジーの他にアブライという男性が居候していた。

アパートと言っても4つ部屋があり、ひとつはテレビが置いてある共有スペース。あとの3つがプライベートの部屋になっていた。


アパートの主であるベンジーは自分が利用していた一番広い部屋を私たちのために空けてくれた。

私たちはそこへ案内されたのだ。

しかし、大きなクローゼットやベッド、鏡台などはベンジーが使用してる物がそのまま置いてあった。

扉を開けるとベンジーの私物が入っていた。

私たちが滞在してる間、ベンジーはとなりの小さな空き部屋で寝ることになった。


私がずっと想像していた愛の巣が、大幅に食い違ってる。

とりあえず、私はセネガルに着いた興奮と彼に再会できた喜びを台無しにしないよう、余計な事は考えないようにした。


ベンジーは冷蔵庫から人数分のビールを取り出し、詮を抜いて私たちに差し出した。

セネガル人からビールをもてなされたのは始めてだった。

しかも敬謙なムスリムだと思っていた私の彼がビールを手に取った事にビックリした。


「チンチーン!」


セネガル人は乾杯するときに「チンチーン」とよく言う。

お酒を飲む習慣のないセネガルに乾杯なんてあるのか。


そして私の彼は「内緒だよ!」とウィンクして、ビールを飲んだ。


突然、「ここはフリーだ!」とベンジーはまた両手を横に大きく開いて笑った。

そして早々とビールを飲み干し、「どうぞごゆっくり」と私たちに手の平を差し出して部屋を出て行った。


残された私たちはビールを片手にベッドに腰掛け、空白だった時間を少しずつ取り戻すようにお互いの話しを始めた。


第20話へつづく




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