この物語はサバールダンスを日本のダンスシーンに紹介したFATIMATAが、日本でまだサバールという言葉もあまり知られてなかった時代から劇団EXILEで踊られるようになった現在までの、険しい道のりを描いたセネガル体験記です。
●第1話からお読みになりたい方はコチラから
●これがFATIMATAが考えるセネガルツアーの絶対条件だ!⇒第37話
2005年
納得行かない請求が続いた。
日本人たちが借りるからという理由でこの家の細かい修理代まで払わせられた。
しかも、主人のベンジーはそういう時には姿を出さない。
ウミは毎回、申し訳なさそうな暗い顔をして私に請求してきた。
もうこれ以上、ツアーのための経費に手を付けるのも辛い。
私は思い切ってベンジーの部屋へ押しかけた。
ドアを開けた途端マリファナの臭いが漂った。
ベンジーはウツロの目でこちらを見ると。
「ヘーイ。」とヘラヘラ笑いながら両手を開いた。
笑ってごまかしても無駄。私は請求が納得できないと迫った。
ベンジーは「違う、違う」と両手をブンブン振って弁解してきた。
「誰も君のお金を使おうなんて思ってない。借りただけだよ。給料が入ったら返そうと思ってたんだ。」
あまりの調子が良さに次の言葉が出なかった。
ベンジーは心配いらないからと私をなだめ、話し合いを終わらせた。
これ以上立ち合ってもらえない私はしぶしぶ部屋に戻るしかなかった。
私が部屋にいると、ヤマが深刻な顔して部屋に入り、私の前に座った。
「私、妊娠した。」
「ハッ?」
私は面食らった。次は何なんだ。
「私、産みたくない。」
そう言われても私は何も答えられない。
私は次のヤマの言葉を待った。
「病院で中絶手術がしたいの。お願い、お金貸して。」
私は思考が止まった。
それを信じるべきなのか。
「絶対に返すから貸して。」
もう判断が出来なかった。私がすべき人道的行動は何なのか。
ヤマは続けた。
「私のお兄さんに事情説明したら、お金を送ってくれることになったんだけど、病院の先生は明日じゃないと手術出来ないと言ってるの。本当に今お金が必要なの。お願い、助けて。」
これが嘘なら巧妙な手口だ。でも本当の話しなら一大事だ。
もしここでお金を渡したら。
話しが嘘なら、私はバカな日本人。
話しが本当なら、私は親身な日本人。
どちらだろう。
どちらにしても、このお金が返ってこない割り切りは必要。
ここはセネガル。
私は断ることは出来なかった。
だけど、ナメられたくなかったため、それが不本意であることを態度で示した。
「チッ」
大きな舌打ちをして投げるようにお金を渡した。
「ありがとう。」
ヤマはそのお金をポケットにしまい、部屋を出て行った。
自分が取った行動が果たして正しかったのか。しばらくモヤモヤした感じが続いた。
私はワークショップの準備を進めるべく、ビンタと打ち合わせのために、練習会場に行かなければならなかった。
このところ続いたストレスも、太鼓の音や彼女たちのダンスを見ることで癒されるだろう。
私がセネガルへ来た本当の目的は、セネガルの素晴らしい音楽やダンスを日本人に生で見せること。
私は練習場へ行き、ビンタやパムサたちに会った。
そこはまるで別世界。一気にテンションが上がった。
私はツアーに対してのモチベーションを取り直し、彼達を見ながらワークショップの構想を練った。
みんなのダンスは去年よりますますパワーアップしていた。
やはり、私の1番のファンであるパムサはその中でも飛び抜けていた。
まるで空中を浮いているように踊り、手足の動きは早過ぎて見えないくらいだった。
すごいエネルギー溢れる爆発的な動きなのに、頭の位置は全くぶれない。
まさに長年かけてダンサーが憧れ、追求する動きだ。
そして、トンと床を蹴って、軽々しくクルっと空中回転をした。
そこまで来るともう追い付くレベルではない。
彼の動きはまるでおしゃべりしてるようにリズミカル。
毎度ながらにため息が出る。
そして練習の区切りがよいところで、ビンタと会話をした。
ビンタはワークショップの指導は今回初めてなので、指導に慣れているパムサと一緒にやりたい、と申し出て来た。
パムサが指導に慣れているとは知らなかった。
願ってもないことだった。
ビンタとパムサの合同ワークショップが受けれるなんて。
ビンタは軽くパムサに説明すると、パムサは私の肩を抱いて「問題ないよ」と囁いた。
パムサは私よりずっと年下なのに、その一言には自信に満ちた深みがありとても信頼感があった。
宿も、お手伝いさんも、素晴らしい先生も確保できた。
これでワークショップが出来る。
あとは、平和であることを望むだけ。
だけど、私はなんとなくベンジーの家に帰るのが気が重たかった。
第49話へつづく
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2005年
ベンジーと真剣に話していたウミは私の姿を見ると、顔をしかめて「ベンジーはうるさい」という表情をして見せた。
ウミが「OK分かったわ。」と言って、ベンジーが部屋に戻るのを見届けると、私の方へ振り返り肩をすくめて笑った。
私は2人の中で何の話が交わされていたか分からないが、ベンジーは私に聞かれてはマズイ話しをしていたように思われた。
ウミにコッソリ聞いても、「ベンジーは頭がおかしいから。」という答えだけでその内容は教えてくれなかった。
ウミは私が不快な思いをしないよう、いつもケアをしてくれた。
掃除の時も食事を作っている時も楽しそうに歌を歌い、私の姿を見かけると下手くそなダンスを踊っては照れ笑いをした。
ベンジーは相変わらず部屋にこもってばかりいたが、私はウミのおかげでこの家の生活がとても楽しかった。
ヤマはいつでもマイペースだった。去年と変わらずマットの上でケータイをいじっている。
ヤマが買ってきたケータイは私が所持することなく、ずっとヤマが持っていた。
「約束が違う。」と取り上げてもヤマ宛の着信が多く、ヤマにケータイを渡すとそのまま通話をしながらどっかに行ってしまうパターンが多かった。
セネガルで使っていたケータイはGSM方式といって、日本のように通信会社に契約して基本料金を払うのではなく、SIMカードを差し込んで、通話したい場合はその都度プリベードカードを購入し、そのカードの番号を入力すれば買った金額分だけ通話ができるものだった。
そのプリベードカードのことをセネガルではクレディと呼んでいた。
クレディの残高がなければ通話を受けることはできても、こちらからかけることはできない。
私がクレディを買っても、ほとんどヤマが使ってしまい私がかけたい時には残高がなくなっていることが多かった。
毎回そのことにむかついていたが、それに対して「クレディ終わったからお金ちょうだい。」と平気な顔で言ってくるヤマにさらにむかついていた。
ヤマは本当に遠慮がない。ケータイは緊急事態の時にすぐにつかえないと意味がない。しかもクレディを売ってる売店は23時ころには閉まってしまう。
そのことをヤマに説明してクレディを無駄遣いしないように説得したかったが、「緊急」というウォロフ語が分からなく、言いたいことが伝わらずじまいだった。
私はケータイを使うのはもうやめて、あえて公衆電話を使うようにした。
私が公衆電話を使っていれば、クレディなんていらない。
不便だけどむかつくよりいい。
そんなこんなで、結局ケータイはいつもヤマのポケットの中にあり、私が使うことはほとんどなくなっていた。
ワークショップの準備のために3週間のゆとりを持ってセネガルに来ても、なんの交渉も出来ないまま1週間が過ぎようとしていた。
ヤマとは毎日一緒だったが、いつも悪ふざけのケンカばかりで事務的な真面目な話しになりにくかった。
宿のことで改めてヤマと話したかった。
金額の交渉をしないと準備に取り掛かれない。
ゴール島の宿について。
マットの上でケータイをいじっているヤマの隣に座り、宿のことで話しかけた。
ヤマは小声で宿の金額を提示してきた。
その金額を聞いて耳を疑った。
それは、想像を超える程の金額だった。
参加費として集めた経費では到底払い切れない。
去年の別れ際では、ベンジーは宿についてはお金はいらないと言っていた。それが莫大な金額に膨れ上がっている。
「やっぱり・・・。」
所詮ここはセネガル。全く予期してなかったけわけではないが、それでも、想像以上に金額が大きかったことに落胆した。
「そんなの払えない。」
私はゴール島の宿を当てにしてツアーを考えていたため、そこがどうにかならないとアウトである。
私はその金額の10分の1ほどの金額をヤマにお願いした。
セネガルの値段交渉の鉄則である10分の1の金額。
「それは無理だよ。」とヤマ。
「私も無理。」と私。
それを受けて、ヤマの打開策はこうだった。
「この部屋に泊まるんじゃダメなの?」
予定と大幅に変わるけど、宿がないよりまだマシだった。
この家ならウミもいるし、お手伝いさんをウミにお願いできれば楽しいかもしれない。
そして、ここの部屋がいくらで借りれるのか聞いた。
ヤマはベンジーに聞いて来る、とその場を離れた。
ヤマを待ってる間、怖かった。
宿代をゼロで済ませようなんてさらさら思ってないが、ベンジーの言っていることが去年と違うことに不信な気持ちにさせられた。
何て言われるか。
ヤマがベンジーの元から戻って来て、提示してきたこの部屋の金額も決して安くなかった。
私は仕方なく了承し、ヤマにその金額を渡した。
予定以上の出費に少々腑に落ちなかったが、とりあえず宿は確保できたのでその安堵感はあった。
それから、お手伝いさんをウミにお願いすることにした。
ウミはとても喜んでいたが、「ベンジーに聞いてからじゃないと引き受けられない。」と少し顔を曇らせた。
ウミはすぐに自らベンジーに聞きに言った。その返答はOKだったが、早急にそのお給料を支払うことが条件だった。
そして、条件どおり私はウミの分のお給料を支払った。
私はすでにここで大きなミスを犯していた。
セネガルでは物や仕事に対する対価の支払いを先に全額支払うことはまずしない。
先に半額、そして最後に残りの半額というやり方がほとんど。それだけ両者間の信用度が低いってことだろう。
日本で平和に暮らしてる私はそんなことすっかり忘れて、先に全部支払ってしまった。
それが引き金になってか、冷蔵庫が壊れたり、蛍光灯が切れたりといったちょっとしたことでも、ウミやヤマを通して、ベンジーからの請求が横行するようになった。
第48話へつづく
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ベンジーと真剣に話していたウミは私の姿を見ると、顔をしかめて「ベンジーはうるさい」という表情をして見せた。
ウミが「OK分かったわ。」と言って、ベンジーが部屋に戻るのを見届けると、私の方へ振り返り肩をすくめて笑った。
私は2人の中で何の話が交わされていたか分からないが、ベンジーは私に聞かれてはマズイ話しをしていたように思われた。
ウミにコッソリ聞いても、「ベンジーは頭がおかしいから。」という答えだけでその内容は教えてくれなかった。
ウミは私が不快な思いをしないよう、いつもケアをしてくれた。
掃除の時も食事を作っている時も楽しそうに歌を歌い、私の姿を見かけると下手くそなダンスを踊っては照れ笑いをした。
ベンジーは相変わらず部屋にこもってばかりいたが、私はウミのおかげでこの家の生活がとても楽しかった。
ヤマはいつでもマイペースだった。去年と変わらずマットの上でケータイをいじっている。
ヤマが買ってきたケータイは私が所持することなく、ずっとヤマが持っていた。
「約束が違う。」と取り上げてもヤマ宛の着信が多く、ヤマにケータイを渡すとそのまま通話をしながらどっかに行ってしまうパターンが多かった。
セネガルで使っていたケータイはGSM方式といって、日本のように通信会社に契約して基本料金を払うのではなく、SIMカードを差し込んで、通話したい場合はその都度プリベードカードを購入し、そのカードの番号を入力すれば買った金額分だけ通話ができるものだった。
そのプリベードカードのことをセネガルではクレディと呼んでいた。
クレディの残高がなければ通話を受けることはできても、こちらからかけることはできない。
私がクレディを買っても、ほとんどヤマが使ってしまい私がかけたい時には残高がなくなっていることが多かった。
毎回そのことにむかついていたが、それに対して「クレディ終わったからお金ちょうだい。」と平気な顔で言ってくるヤマにさらにむかついていた。
ヤマは本当に遠慮がない。ケータイは緊急事態の時にすぐにつかえないと意味がない。しかもクレディを売ってる売店は23時ころには閉まってしまう。
そのことをヤマに説明してクレディを無駄遣いしないように説得したかったが、「緊急」というウォロフ語が分からなく、言いたいことが伝わらずじまいだった。
私はケータイを使うのはもうやめて、あえて公衆電話を使うようにした。
私が公衆電話を使っていれば、クレディなんていらない。
不便だけどむかつくよりいい。
そんなこんなで、結局ケータイはいつもヤマのポケットの中にあり、私が使うことはほとんどなくなっていた。
ワークショップの準備のために3週間のゆとりを持ってセネガルに来ても、なんの交渉も出来ないまま1週間が過ぎようとしていた。
ヤマとは毎日一緒だったが、いつも悪ふざけのケンカばかりで事務的な真面目な話しになりにくかった。
宿のことで改めてヤマと話したかった。
金額の交渉をしないと準備に取り掛かれない。
ゴール島の宿について。
マットの上でケータイをいじっているヤマの隣に座り、宿のことで話しかけた。
ヤマは小声で宿の金額を提示してきた。
その金額を聞いて耳を疑った。
それは、想像を超える程の金額だった。
参加費として集めた経費では到底払い切れない。
去年の別れ際では、ベンジーは宿についてはお金はいらないと言っていた。それが莫大な金額に膨れ上がっている。
「やっぱり・・・。」
所詮ここはセネガル。全く予期してなかったけわけではないが、それでも、想像以上に金額が大きかったことに落胆した。
「そんなの払えない。」
私はゴール島の宿を当てにしてツアーを考えていたため、そこがどうにかならないとアウトである。
私はその金額の10分の1ほどの金額をヤマにお願いした。
セネガルの値段交渉の鉄則である10分の1の金額。
「それは無理だよ。」とヤマ。
「私も無理。」と私。
それを受けて、ヤマの打開策はこうだった。
「この部屋に泊まるんじゃダメなの?」
予定と大幅に変わるけど、宿がないよりまだマシだった。
この家ならウミもいるし、お手伝いさんをウミにお願いできれば楽しいかもしれない。
そして、ここの部屋がいくらで借りれるのか聞いた。
ヤマはベンジーに聞いて来る、とその場を離れた。
ヤマを待ってる間、怖かった。
宿代をゼロで済ませようなんてさらさら思ってないが、ベンジーの言っていることが去年と違うことに不信な気持ちにさせられた。
何て言われるか。
ヤマがベンジーの元から戻って来て、提示してきたこの部屋の金額も決して安くなかった。
私は仕方なく了承し、ヤマにその金額を渡した。
予定以上の出費に少々腑に落ちなかったが、とりあえず宿は確保できたのでその安堵感はあった。
それから、お手伝いさんをウミにお願いすることにした。
ウミはとても喜んでいたが、「ベンジーに聞いてからじゃないと引き受けられない。」と少し顔を曇らせた。
ウミはすぐに自らベンジーに聞きに言った。その返答はOKだったが、早急にそのお給料を支払うことが条件だった。
そして、条件どおり私はウミの分のお給料を支払った。
私はすでにここで大きなミスを犯していた。
セネガルでは物や仕事に対する対価の支払いを先に全額支払うことはまずしない。
先に半額、そして最後に残りの半額というやり方がほとんど。それだけ両者間の信用度が低いってことだろう。
日本で平和に暮らしてる私はそんなことすっかり忘れて、先に全部支払ってしまった。
それが引き金になってか、冷蔵庫が壊れたり、蛍光灯が切れたりといったちょっとしたことでも、ウミやヤマを通して、ベンジーからの請求が横行するようになった。
第48話へつづく
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2005年
私は落ち着いたら、ベンジーとツアーの相談がしたかった。
去年、ゴール島のペンションを自由に使っていいと言われていた。
そのことについてベンジーに早いところ確認しないと落ち着かない。
去年はタダで、と言っていたが、それがタテマエだってことくらい想像できている。
いくらぐらいで借りれるのか、そもそも本当に借りれるのか、それが決まってからじゃないと先に進まない。
私は、ベンジーの部屋へ行き、ベンジーに尋ねることにした。
私はドアをノックして中へ入ると、ベンジーはベッドの上で横になっていた体を起こして、いつもの調子で両手を広げて招いてくれた。
私はベンジーの横に座ると、ちょっと深呼吸をしてペンションの話を切り出した。
ベンジーはこれから私が何を言おうとしているのかすぐ分かったらしく、私の話を遮って言った。
「そういうことは全部ヤマと話してくれ。ヤマが全部決める。ヤマの言うことは全部僕の言う事と一緒だ。」と立ち上がって部屋を出て行った。
値段交渉をあまりすることのない日本人にとって、ベンジーの部屋に行くだけでも勇気がいったのに、話すらまともにできなかった。
セネガル人は交渉ごとは日常茶飯事のはずなのに、ベンジーが私と面と向かってお金の話をしたがらない理由ってなんだろう。
私がベンジーの部屋を出ると、ウミが台所からお玉を持ちながら顔を出し、私に手招きした。
台所へ行くと、さっき作っていたスープの味見をさせてくれ、私が親指を立てて「おいしい!」と言うと、ウミは満足そうに笑い、そして言った。
「もうちょっと煮込めば出来上がり。それまであなたの部屋でおしゃべりしましょ!」
ウミは私の部屋に入ると、私が日本から持ってきた大きな鏡を手に取って、それを見ながら自分の髪の毛を整え始めた。
「この鏡ステキね。」
私はここで、セネガル人定番の「ちょうだい」攻撃が来るのかとちょっと構えていたが、ウミはその鏡を元の場所に置いて、マットの上に座っていいか断ってきた。
まず、セネガル人から許可を求められたことに驚いた。図々しいのが国民性だと思っていたが例外もいる。しかも鏡を褒めて元の場所に置いた。
私はウミがますます好きになった。こんな女性になりたい。
ウミはマットの上に寝そべった。私もその隣に寝そべった。
ヤマとはまた違う感覚。修学旅行のガールズトークの体勢だ。
案の定、お互いの好みのタイプや現在彼氏がいるのかと言った会話になった。
ちょうど、話が盛り上がっている時にベンジーがウミを呼んでる声が聞こえた。
ウミは「んもうっ」っと言った感じで立ち上がり、「続きはまたこんどね。」と部屋を出て行った。
その時、ウミと入れ替わるようにして、ちょうどヤマが帰って来た。
ヤマは私を見ると、得意げな顔でケータイをチラつかせた。
そして一言「疲れたぁぁ」と伸びをして、私にタバコを吸うジェスチャーをしてベンジーの部屋へ入って行った。
私はベンジーが去年と変わった気がした。
ヤマがちょっと触れていたベンジーが仕事を失くしたという話、そこから何かが変わったのかもしれない。
私が居間の方へ出ると、ベンジーがウミに何か熱く話しながら部屋から出てきた。
ベンジーが私の姿に気が付くと、ウォロフ語からフランス語に切り替えた。
私は気が付かない振りをしたが、フランス語が全く分からない私にはベンジーのその行為がどんなことかはすぐ察しがついた。
ベンジーは私に聞こえちゃまずいことを話しているようだった。
第47話へつづく
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2005年
私は落ち着いたら、ベンジーとツアーの相談がしたかった。
去年、ゴール島のペンションを自由に使っていいと言われていた。
そのことについてベンジーに早いところ確認しないと落ち着かない。
去年はタダで、と言っていたが、それがタテマエだってことくらい想像できている。
いくらぐらいで借りれるのか、そもそも本当に借りれるのか、それが決まってからじゃないと先に進まない。
私は、ベンジーの部屋へ行き、ベンジーに尋ねることにした。
私はドアをノックして中へ入ると、ベンジーはベッドの上で横になっていた体を起こして、いつもの調子で両手を広げて招いてくれた。
私はベンジーの横に座ると、ちょっと深呼吸をしてペンションの話を切り出した。
ベンジーはこれから私が何を言おうとしているのかすぐ分かったらしく、私の話を遮って言った。
「そういうことは全部ヤマと話してくれ。ヤマが全部決める。ヤマの言うことは全部僕の言う事と一緒だ。」と立ち上がって部屋を出て行った。
値段交渉をあまりすることのない日本人にとって、ベンジーの部屋に行くだけでも勇気がいったのに、話すらまともにできなかった。
セネガル人は交渉ごとは日常茶飯事のはずなのに、ベンジーが私と面と向かってお金の話をしたがらない理由ってなんだろう。
私がベンジーの部屋を出ると、ウミが台所からお玉を持ちながら顔を出し、私に手招きした。
台所へ行くと、さっき作っていたスープの味見をさせてくれ、私が親指を立てて「おいしい!」と言うと、ウミは満足そうに笑い、そして言った。
「もうちょっと煮込めば出来上がり。それまであなたの部屋でおしゃべりしましょ!」
ウミは私の部屋に入ると、私が日本から持ってきた大きな鏡を手に取って、それを見ながら自分の髪の毛を整え始めた。
「この鏡ステキね。」
私はここで、セネガル人定番の「ちょうだい」攻撃が来るのかとちょっと構えていたが、ウミはその鏡を元の場所に置いて、マットの上に座っていいか断ってきた。
まず、セネガル人から許可を求められたことに驚いた。図々しいのが国民性だと思っていたが例外もいる。しかも鏡を褒めて元の場所に置いた。
私はウミがますます好きになった。こんな女性になりたい。
ウミはマットの上に寝そべった。私もその隣に寝そべった。
ヤマとはまた違う感覚。修学旅行のガールズトークの体勢だ。
案の定、お互いの好みのタイプや現在彼氏がいるのかと言った会話になった。
ちょうど、話が盛り上がっている時にベンジーがウミを呼んでる声が聞こえた。
ウミは「んもうっ」っと言った感じで立ち上がり、「続きはまたこんどね。」と部屋を出て行った。
その時、ウミと入れ替わるようにして、ちょうどヤマが帰って来た。
ヤマは私を見ると、得意げな顔でケータイをチラつかせた。
そして一言「疲れたぁぁ」と伸びをして、私にタバコを吸うジェスチャーをしてベンジーの部屋へ入って行った。
私はベンジーが去年と変わった気がした。
ヤマがちょっと触れていたベンジーが仕事を失くしたという話、そこから何かが変わったのかもしれない。
私が居間の方へ出ると、ベンジーがウミに何か熱く話しながら部屋から出てきた。
ベンジーが私の姿に気が付くと、ウォロフ語からフランス語に切り替えた。
私は気が付かない振りをしたが、フランス語が全く分からない私にはベンジーのその行為がどんなことかはすぐ察しがついた。
ベンジーは私に聞こえちゃまずいことを話しているようだった。
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2005年
羊やニワトリの声で目が覚めた。まだ時差ぼけのせいで、スッキリしない。
隣にはヤマが寝ている。
1年前の出来事が昨日のように思い出された。
セネガル初日の朝は必ず誰かが隣で寝ている。
私は部屋を出て、物音のする台所の方にのぞきに行ってみた。
そこでは、台所の床をタワシで磨いているウミがいた。
後ろで結わいてあった髪がほどけて顔にかかっていても、お構いなしで掃除していた。
ウミは私が覗いていることに気がついてなかった。
「サラマレクム(おはよ)」
私が小声で声をかけると、ウミはビックリして顔を上げた。
私の顔を見るとニコっと笑った。
「マレクムサラム(おはよ)」
掃除しているウミは化粧っ気もなく、くたびれた感じの普段着を着ていたが、目鼻立ちの美しい顔立ちがミスマッチで生活感を感じさせなかった。
さらに性格の良さが滲み出ていて、まさに一般男性が抱く理想的な女性という感じだった。
ウミのような清潔で掃除好きな女性がこの家にいることで、私はゴキブリの恐怖感から開放された。
去年のアパートは男性ばかりで台所は食べ残しの食器の山だったため、電気をパチっと付けた瞬間、ゴキブリがパーっと散って行く姿をよく見ていた。
しかも、日本に帰国した時にその台所にいたゴキブリがスーツケースから出てきた時は血の気が引くほどゾっとした。
もう、そんな心配はいらない。
ウミは台所の掃除が終わると、今度はトイレの掃除を始めた。
便器の中まで手を突っ込んで綺麗に磨いていた。
今年のセネガルは汚物がこびり付いているようなトイレに遭遇することはもうないだろう。
こびり付いてるだけならまだいい。
セネガルは水洗トイレも多いがそのほとんどがタンクに水が溜まってからじゃないと流れないため、「小」なら流さないという暗黙のルールみたいなものがある。
タイミングが悪いと「大」も放置する奴は多い。
各家庭でルールは違うと思うが、アフリカでは何人かの物が重なった後に一気に流すというエコ的なルールが普通に行われているような気がする。
手持ち無沙汰だった私はウミに「手伝いましょうか?」と声かけてみた。
すると、ウミは断るわけでもなく、キョロキョロと周りを見渡し、雑巾を見つけて私に差し出してまたニコっと笑った。
私とウミで掃除をしているところをベンジーが通りかかった。
ベンジーは私たちの姿を見ると、「すっかり仲良しになったなぁ」と嬉しそうにしていた。
ウミは口数が少なかったが私に興味があるのは見て分かった。
何度となくこちらを見てはニコっと笑っていた。
掃除が終わり、すかすがしい感じで部屋に戻るとまだヤマは寝ていた。
やっぱりこのシチュエーションに少々イラっとさせられる。
私はヤマを起こし、ちょっと意地悪な質問をした。
「私のケータイは?すぐにないと困るんですけど。」
ヤマはボサボサの髪の毛を整えながら「買って来るからタクシー代ちょうだい。」と言った。
また、始まった。
去年より慎重になっている私は、すぐに疑うクセが付いていた。
渡したお金を本当にタクシー代として使うだろうか。
買いに行った振りして「行ったけど店が閉まってた」などウソをついてタクシー代をちょろまかすかもしれない。
私が疑いの目でヤマを見ていると、
「ケータイ、いらないなら行かないよ。」と言って、あくびしてまたゴロっと横になった。
悔しいけど、私の負けだ。
「タクシー代いくら?」と聞いて、私は言われただけの金額をヤマに渡した。
ヤマは顔を洗うと、すぐにケータイを買いに出かけて行った。
私が部屋を出ると、居間にはウミがゴザの上に座ってラジオを聞いていた。
今年は居間と言ってもテーブルもソファーもテレビもなく、ゴザとラジオだけだった。
ウミは私を見るとまたニコっと笑って、床をポンポンと叩いて私を隣に座らせるようなジェスチャーをした。
私はウミの隣に座り、長い間いろんな話をした。
ウミは美人だし、図々しくないし、一緒にいて心地よかった。ウミも私の話に興味を示し目を輝かせて聞いていた。
ウミは「お昼ご飯を作らなきゃ」と立ち上がったが、私にも一緒に台所に来て欲しいと誘ってきた。
私たちは2日目にしてすごい打ち解けてしまった。
その間ベンジーは、一歩も外に出ることなくずっと自分の部屋にこもっていた。
この家になってからベンジーは部屋にこもっていることが多かった。
そして、ベンジーが部屋から出てくるたびに、マリファナの臭いがフワっと漂った。
第46話へつづく
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2005年
羊やニワトリの声で目が覚めた。まだ時差ぼけのせいで、スッキリしない。
隣にはヤマが寝ている。
1年前の出来事が昨日のように思い出された。
セネガル初日の朝は必ず誰かが隣で寝ている。
私は部屋を出て、物音のする台所の方にのぞきに行ってみた。
そこでは、台所の床をタワシで磨いているウミがいた。
後ろで結わいてあった髪がほどけて顔にかかっていても、お構いなしで掃除していた。
ウミは私が覗いていることに気がついてなかった。
「サラマレクム(おはよ)」
私が小声で声をかけると、ウミはビックリして顔を上げた。
私の顔を見るとニコっと笑った。
「マレクムサラム(おはよ)」
掃除しているウミは化粧っ気もなく、くたびれた感じの普段着を着ていたが、目鼻立ちの美しい顔立ちがミスマッチで生活感を感じさせなかった。
さらに性格の良さが滲み出ていて、まさに一般男性が抱く理想的な女性という感じだった。
ウミのような清潔で掃除好きな女性がこの家にいることで、私はゴキブリの恐怖感から開放された。
去年のアパートは男性ばかりで台所は食べ残しの食器の山だったため、電気をパチっと付けた瞬間、ゴキブリがパーっと散って行く姿をよく見ていた。
しかも、日本に帰国した時にその台所にいたゴキブリがスーツケースから出てきた時は血の気が引くほどゾっとした。
もう、そんな心配はいらない。
ウミは台所の掃除が終わると、今度はトイレの掃除を始めた。
便器の中まで手を突っ込んで綺麗に磨いていた。
今年のセネガルは汚物がこびり付いているようなトイレに遭遇することはもうないだろう。
こびり付いてるだけならまだいい。
セネガルは水洗トイレも多いがそのほとんどがタンクに水が溜まってからじゃないと流れないため、「小」なら流さないという暗黙のルールみたいなものがある。
タイミングが悪いと「大」も放置する奴は多い。
各家庭でルールは違うと思うが、アフリカでは何人かの物が重なった後に一気に流すというエコ的なルールが普通に行われているような気がする。
手持ち無沙汰だった私はウミに「手伝いましょうか?」と声かけてみた。
すると、ウミは断るわけでもなく、キョロキョロと周りを見渡し、雑巾を見つけて私に差し出してまたニコっと笑った。
私とウミで掃除をしているところをベンジーが通りかかった。
ベンジーは私たちの姿を見ると、「すっかり仲良しになったなぁ」と嬉しそうにしていた。
ウミは口数が少なかったが私に興味があるのは見て分かった。
何度となくこちらを見てはニコっと笑っていた。
掃除が終わり、すかすがしい感じで部屋に戻るとまだヤマは寝ていた。
やっぱりこのシチュエーションに少々イラっとさせられる。
私はヤマを起こし、ちょっと意地悪な質問をした。
「私のケータイは?すぐにないと困るんですけど。」
ヤマはボサボサの髪の毛を整えながら「買って来るからタクシー代ちょうだい。」と言った。
また、始まった。
去年より慎重になっている私は、すぐに疑うクセが付いていた。
渡したお金を本当にタクシー代として使うだろうか。
買いに行った振りして「行ったけど店が閉まってた」などウソをついてタクシー代をちょろまかすかもしれない。
私が疑いの目でヤマを見ていると、
「ケータイ、いらないなら行かないよ。」と言って、あくびしてまたゴロっと横になった。
悔しいけど、私の負けだ。
「タクシー代いくら?」と聞いて、私は言われただけの金額をヤマに渡した。
ヤマは顔を洗うと、すぐにケータイを買いに出かけて行った。
私が部屋を出ると、居間にはウミがゴザの上に座ってラジオを聞いていた。
今年は居間と言ってもテーブルもソファーもテレビもなく、ゴザとラジオだけだった。
ウミは私を見るとまたニコっと笑って、床をポンポンと叩いて私を隣に座らせるようなジェスチャーをした。
私はウミの隣に座り、長い間いろんな話をした。
ウミは美人だし、図々しくないし、一緒にいて心地よかった。ウミも私の話に興味を示し目を輝かせて聞いていた。
ウミは「お昼ご飯を作らなきゃ」と立ち上がったが、私にも一緒に台所に来て欲しいと誘ってきた。
私たちは2日目にしてすごい打ち解けてしまった。
その間ベンジーは、一歩も外に出ることなくずっと自分の部屋にこもっていた。
この家になってからベンジーは部屋にこもっていることが多かった。
そして、ベンジーが部屋から出てくるたびに、マリファナの臭いがフワっと漂った。
第46話へつづく
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この物語はサバールダンスを日本のダンスシーンに紹介したFATIMATAが、日本でまだサバールという言葉もあまり知られてなかった時代から劇団EXILEで踊られるようになった現在までの、険しい道のりを描いたセネガル体験記です。
●第1話からお読みになりたい方はコチラから
●これがセネガルツアーの絶対条件だ!⇒第37話
2005年
ベンジーはメルモズというところに引っ越していた。
私たちの再会にベンジーは両手を開いて叫んだ。
「君が、セネガルにいる。僕の目の前にいる。こんなこと信じられるかい?」
ベンジーのオーバーすぎるほどの歓喜ぶりがおかしく、長旅の疲れを一気に忘れさせてくれた。
その騒ぎに、奥の部屋から女の人が寝ぼけ眼で出て来た。
その人はとても容姿がよくかわいらしい女性だった。
ベンジーが彼女の肩を引き寄せ私に紹介した。
「フィアンセのウミだ。今、一緒に暮らしている。」
私はその彼女と握手を交わし、改めてお互いの自己紹介をしあった。
ウミは笑顔がかわいく、清楚で礼儀正しい印象だった。
日本人のことが珍しいのか、私のことを好奇心の眼差しでジっと見ていた。
ベンジーは私が寝泊まりする部屋を案内してくれた。
そこは、ガランとしていて大きめのマットがひとつ置いてあった。
新しい家は部屋が2つと居間と台所、トイレは台所の横にひとつ、ベンジーの部屋にひとつ。
ウミとベンジーはベンジーの部屋でひとつのベッドに寝ていた。
ヤマの家はメルモズから少し離れているので、その日はヤマは私の部屋に泊まることになった。
ベンジーは明日仕事だから、と私に合掌して深く頭を下げた。
私も同じように合掌して頭を下げた。
不思議そうに見てるウミにベンジーは「ジャパニーズスタイル」と説明しながら、2人は部屋に戻って行った。
ヤマと私が部屋にふたりきりになると、ヤマはねっころがりながら私に言った。
「私、用心棒としてこれからもずっとここに寝泊まりするから。その方が安全だから。」
去年あんなに一緒にいたのに、そういえばヤマは私と同じ部屋に泊まることは今までなかった。
隣でヤマが寝ているのを見ると、なんだか不思議な感じがした。
いくらヤマでもずっと一緒の部屋で過ごすことが果たして100%安全なんだろうか?
主人はベンジーだし、フィアンセもいい人そうだし、この家で危険なことはなにもないはず。
ヤマが同じ部屋にずっといる方が逆に心配だった。
そこで私は質問した。
「私のケータイ、どうしたの?」
ヤマは座り直して説明した。
「ケータイは大事に使ってたよ。だけどベンジーが仕事がなくなって、お金がどうしても必要になった時にそのケータイ売っちゃったんだ。」
「それ、本当?ベンジーに聞いてもいい?」
疑い深い私はそう尋ねてみた。
すると、ヤマは強い口調で言い返した。
「ベンジーから新しいケータイを買うようにお金預かっているから、そんなこと聞かないで。明日ケータイ買いに行くから。」
なんともよく分からない話しだったが、もし本当にベンジーが困っていたとしたとして、約束通りケータイが戻るなら、とりあえずケータイの件は許すことにした。
ヤマが用心棒としてこの部屋に寝泊まりすることは多少不安だったが、断る理由もなく、とりあえずOKした。
私たちは寝そべりながら会話をし、知らない間に眠りについた。
第45話へつづく
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2005年
ベンジーはメルモズというところに引っ越していた。
私たちの再会にベンジーは両手を開いて叫んだ。
「君が、セネガルにいる。僕の目の前にいる。こんなこと信じられるかい?」
ベンジーのオーバーすぎるほどの歓喜ぶりがおかしく、長旅の疲れを一気に忘れさせてくれた。
その騒ぎに、奥の部屋から女の人が寝ぼけ眼で出て来た。
その人はとても容姿がよくかわいらしい女性だった。
ベンジーが彼女の肩を引き寄せ私に紹介した。
「フィアンセのウミだ。今、一緒に暮らしている。」
私はその彼女と握手を交わし、改めてお互いの自己紹介をしあった。
ウミは笑顔がかわいく、清楚で礼儀正しい印象だった。
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ヤマの家はメルモズから少し離れているので、その日はヤマは私の部屋に泊まることになった。
ベンジーは明日仕事だから、と私に合掌して深く頭を下げた。
私も同じように合掌して頭を下げた。
不思議そうに見てるウミにベンジーは「ジャパニーズスタイル」と説明しながら、2人は部屋に戻って行った。
ヤマと私が部屋にふたりきりになると、ヤマはねっころがりながら私に言った。
「私、用心棒としてこれからもずっとここに寝泊まりするから。その方が安全だから。」
去年あんなに一緒にいたのに、そういえばヤマは私と同じ部屋に泊まることは今までなかった。
隣でヤマが寝ているのを見ると、なんだか不思議な感じがした。
いくらヤマでもずっと一緒の部屋で過ごすことが果たして100%安全なんだろうか?
主人はベンジーだし、フィアンセもいい人そうだし、この家で危険なことはなにもないはず。
ヤマが同じ部屋にずっといる方が逆に心配だった。
そこで私は質問した。
「私のケータイ、どうしたの?」
ヤマは座り直して説明した。
「ケータイは大事に使ってたよ。だけどベンジーが仕事がなくなって、お金がどうしても必要になった時にそのケータイ売っちゃったんだ。」
「それ、本当?ベンジーに聞いてもいい?」
疑い深い私はそう尋ねてみた。
すると、ヤマは強い口調で言い返した。
「ベンジーから新しいケータイを買うようにお金預かっているから、そんなこと聞かないで。明日ケータイ買いに行くから。」
なんともよく分からない話しだったが、もし本当にベンジーが困っていたとしたとして、約束通りケータイが戻るなら、とりあえずケータイの件は許すことにした。
ヤマが用心棒としてこの部屋に寝泊まりすることは多少不安だったが、断る理由もなく、とりあえずOKした。
私たちは寝そべりながら会話をし、知らない間に眠りについた。
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●セネガルツアーの絶対条件!⇒第37話
2005年 1月
私は年が明けすぐの便を手配した。
参加者たちがセネガルに後乗りするのは私の3週間後。
日本から参加するツアーメンバーは企画者の私と参加者3人で、全部で4人。
とりあえず私は先にセネガルに行って、宿泊先を整え、ビンタとダンスクラスの打ち合わせやお手伝いさんの手配をしないといけない。
初めてのことで、3週間の準備期間があっても緊張していた。
今回はベンジーやヤマ、ビンタがいるから心配はないだろう。そんな気持ちで成田を出発した。
5回目のセネガル渡航だったが、やはり成田空港の空気はいろんな意味で落ち着かなくなる。
不安もいっぱいだったが、楽しみすぎてこれからの渡航の20時間がとても長く感じた。
去年のことを思い出した。
あの時よりはちょっとは強くなっている。
そう思うだけで、姿勢がキリっとした。
スキがなければセネガルに着いても私を観光客だとバカにする人はもういないだろう。
私は飛行機に乗ると映画を見た。
機内で見れる映画のほとんどがこれから日本で上映される新しいものばかりだから、1年分の映画を見る心構えで片っ端から見た。
気圧のせいなのか、上空は涙もろくなる。
ひとり旅は隣の席が知らない人なので、号泣したいのを噛み殺しながら見ないといけない。
そんなこんなで、トランジットのイタリアまではわりとあっという間で到着してしまった。
イタリアからダカールの便は、周りがセネガル人だらけになり、それはそれでテンションが上がり楽しい空の旅が送れた。
ダカールに到着し、一歩外気に触れると、その懐かしい匂いに急にいろんな記憶が蘇った。
私はやっぱり、セネガルが好きみたい。
迎えに来ているヤマの顔を早く見て安心したかった。
ベルトコンベアから流れてくるスーツケースを受け取ると、一切キョロキョロせず、足速に出口に向かった。
相変わらず外には黒人の人だかり。
その中からヤマを探した。
女の子は髪型で印象が変わる。
分からなかったらどうしよう。
そんな心配をよそに人込みから軽く手を振ってるヤマをすぐに発見した。
ヤマの方まで歩いて行くと、ヤマは軽く挨拶して私のスーツケースを引っ張りながらタクシー乗り場へ移動した。
まるで昨日も会っていたかのように私たちの再開は当たり前のように流れた。
私はヤマに1番気になっていることを話しかけた。
「私のケータイは?」
ヤマはしばらく黙ってから答えた。
「ないよ。」
ない、と言われても困る。
あるものと思って、私はケータイは用意して来なかった。
あれだけ約束したのに、出だしから出鼻をくじかれた感じだった。
セネガルに来て第一回目のイラつきがこんなに早く来るとは。
ヤマは私のムっとした顔に気づき「あとで説明するから。」とフォローをした。
しばらくすると、タクシーが見知らぬ場所で止まった。
「着いたよ。」とヤマはタクシーを降り、私の荷物を建物の中に運び出した。
ヤマがドアを開けると、そこにはベンジーが両手を広げて立っていた。
「ようこそ!セネガルへ」
そのオーバーアクションでコミカルな様子は去年と相変わらずいつものベンジーだった。
だけどベンジーは去年よりげっそり痩せていた。
第44話へつづく
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2005年 1月
私は年が明けすぐの便を手配した。
参加者たちがセネガルに後乗りするのは私の3週間後。
日本から参加するツアーメンバーは企画者の私と参加者3人で、全部で4人。
とりあえず私は先にセネガルに行って、宿泊先を整え、ビンタとダンスクラスの打ち合わせやお手伝いさんの手配をしないといけない。
初めてのことで、3週間の準備期間があっても緊張していた。
今回はベンジーやヤマ、ビンタがいるから心配はないだろう。そんな気持ちで成田を出発した。
5回目のセネガル渡航だったが、やはり成田空港の空気はいろんな意味で落ち着かなくなる。
不安もいっぱいだったが、楽しみすぎてこれからの渡航の20時間がとても長く感じた。
去年のことを思い出した。
あの時よりはちょっとは強くなっている。
そう思うだけで、姿勢がキリっとした。
スキがなければセネガルに着いても私を観光客だとバカにする人はもういないだろう。
私は飛行機に乗ると映画を見た。
機内で見れる映画のほとんどがこれから日本で上映される新しいものばかりだから、1年分の映画を見る心構えで片っ端から見た。
気圧のせいなのか、上空は涙もろくなる。
ひとり旅は隣の席が知らない人なので、号泣したいのを噛み殺しながら見ないといけない。
そんなこんなで、トランジットのイタリアまではわりとあっという間で到着してしまった。
イタリアからダカールの便は、周りがセネガル人だらけになり、それはそれでテンションが上がり楽しい空の旅が送れた。
ダカールに到着し、一歩外気に触れると、その懐かしい匂いに急にいろんな記憶が蘇った。
私はやっぱり、セネガルが好きみたい。
迎えに来ているヤマの顔を早く見て安心したかった。
ベルトコンベアから流れてくるスーツケースを受け取ると、一切キョロキョロせず、足速に出口に向かった。
相変わらず外には黒人の人だかり。
その中からヤマを探した。
女の子は髪型で印象が変わる。
分からなかったらどうしよう。
そんな心配をよそに人込みから軽く手を振ってるヤマをすぐに発見した。
ヤマの方まで歩いて行くと、ヤマは軽く挨拶して私のスーツケースを引っ張りながらタクシー乗り場へ移動した。
まるで昨日も会っていたかのように私たちの再開は当たり前のように流れた。
私はヤマに1番気になっていることを話しかけた。
「私のケータイは?」
ヤマはしばらく黙ってから答えた。
「ないよ。」
ない、と言われても困る。
あるものと思って、私はケータイは用意して来なかった。
あれだけ約束したのに、出だしから出鼻をくじかれた感じだった。
セネガルに来て第一回目のイラつきがこんなに早く来るとは。
ヤマは私のムっとした顔に気づき「あとで説明するから。」とフォローをした。
しばらくすると、タクシーが見知らぬ場所で止まった。
「着いたよ。」とヤマはタクシーを降り、私の荷物を建物の中に運び出した。
ヤマがドアを開けると、そこにはベンジーが両手を広げて立っていた。
「ようこそ!セネガルへ」
そのオーバーアクションでコミカルな様子は去年と相変わらずいつものベンジーだった。
だけどベンジーは去年よりげっそり痩せていた。
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●セネガルツアーの絶対条件⇒第37話
2004年
セネガルから帰国しても、ベンジーやヤマから頻繁にメールが来た。
ヤマのメールはもっぱら「genki? 」といった覚えた日本語を並べただけのメールだった。
来年は仲間たちを連れてセネガルへ行く。
それが次回またセネガルに行きたい新しい目標になった。
私は母親を心配させないように、3つ仕事を掛け持ちしてとにかくお金を貯めた。
私は当時一緒に踊っていた仲間に手伝ってもらいながら、セネガルツアーの企画を立てた。
2003年に手伝ったセネガル人のツアーの経験や、セネガルで出来た人脈など、ツアーをやるための土台はある。
あとは日本人として、ダンサーとして、女子として、この3つのニーズに合ったプログラムを整えればかなり値段を落としても充実したツアーが出来るはず。
私はツアーの要項を組み立て簡単なチラシを作り参加者の募集をかけた。
その記念すべき第一回のツアーには3人のダンサーの女の子が集まった。
そのうちのひとりが現在タンガナジェルで活躍中ののんちゃんである。
ツアーは、私が先にセネガルに入り、現地で準備を整えてから、参加者を迎い入れる。
そのツアーのスタイルは昔も今も変わっていない。
第一回目のツアーで緊張していた私は準備期間として3週間前にセネガル入りをすることにした。
自分の行く日取りが決まると、ヤマにメールをして到着の便と時間を伝えた。
ヤマは自分が空港まで迎えに行く、と返事をくれた。
でも、ひとつ気になったことがあった。
ヤマに預けた私のケータイが、ある日を境に突然繋がらなくなった。
第43話つづく
セネガルを疑似体験しませんか?
ダイアリーを読みながら、セネガルの写真や動画に触れてみよう。
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●セネガルツアーの絶対条件⇒第37話
2004年
セネガルから帰国しても、ベンジーやヤマから頻繁にメールが来た。
ヤマのメールはもっぱら「genki? 」といった覚えた日本語を並べただけのメールだった。
来年は仲間たちを連れてセネガルへ行く。
それが次回またセネガルに行きたい新しい目標になった。
私は母親を心配させないように、3つ仕事を掛け持ちしてとにかくお金を貯めた。
私は当時一緒に踊っていた仲間に手伝ってもらいながら、セネガルツアーの企画を立てた。
2003年に手伝ったセネガル人のツアーの経験や、セネガルで出来た人脈など、ツアーをやるための土台はある。
あとは日本人として、ダンサーとして、女子として、この3つのニーズに合ったプログラムを整えればかなり値段を落としても充実したツアーが出来るはず。
私はツアーの要項を組み立て簡単なチラシを作り参加者の募集をかけた。
その記念すべき第一回のツアーには3人のダンサーの女の子が集まった。
そのうちのひとりが現在タンガナジェルで活躍中ののんちゃんである。
ツアーは、私が先にセネガルに入り、現地で準備を整えてから、参加者を迎い入れる。
そのツアーのスタイルは昔も今も変わっていない。
第一回目のツアーで緊張していた私は準備期間として3週間前にセネガル入りをすることにした。
自分の行く日取りが決まると、ヤマにメールをして到着の便と時間を伝えた。
ヤマは自分が空港まで迎えに行く、と返事をくれた。
でも、ひとつ気になったことがあった。
ヤマに預けた私のケータイが、ある日を境に突然繋がらなくなった。
第43話つづく
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●セネガルツアーの絶対条件⇒第27話
2004年 2月末
ヤマが家に帰った後、私は徹夜をする勢いでパッキングのつづきを始めた。
すると誰かが部屋をノックした。
ドアを開けると、そこにはビールを2本持ったベンジーが立っていた。
「飲まないか?」
最近、心配顔のベンジーしか見てなかったが、今日は初めて会った時のように笑っていた。
私も笑って大きくうなずいた。
2人で居間に移り、いつもの定位置に座った。
私はタバスキのことを思い出した。
ベンジーはビールの詮を抜くと、片言で「カンパイ」と言って瓶を持ち上げた。
「かんぱい!」
久々のビール。
セネガルへ来たころはよく私の彼も含め3人でビールを飲んでいた。私はいつも全部飲みきれなくて、彼に飲んでもらっていた。
でも今夜は全部飲むぞ。
「来年まで遠いな。」
ベンジーがつぶやいた。
「あっと言うまだよ。」
と、答えると、ベンジーは腰を浮かせて、ポケットに手を入れて何かを取り出した。
すると私の腕を引っ張り、手首にビーズのブレスレットをつけてくれた。
「プレゼント。」
日焼けした自分の腕にカラフルなビーズがとてもカワイく、腕の角度を何度も何度も変えて眺めた。
「ありがとう。嬉しい!」
と私は笑ってベンジーの顔を見た。
「その顔が見れて僕の方がもっと嬉しいよ。」
とベンジーも笑った。
「君はリラックスして笑っている方が似合う。」
そう言って、ベンジーはいつものコミカルな表情を作った。
笑ってばかりじゃない旅だったからこそ、今の時間がとても幸せに感じた。
私たちは明け方まで語り続けた。
翌日、私はお昼過ごろまで寝てしまっていた。
ベンジーを探してみたが、彼ははすでに仕事に出かけていた。
私はパッキングのつづきを始めた。
今日の夜、日本へ帰る。
一通りパッキングが落ち着き、私は近所に別れの挨拶を言いに出かけた。
シーベルにいつも来ていた人たちや門番のおっちゃん、自動車整備場のお兄さん、ジューススタンドのお姉さん、売店のおっちゃん、テーラーのおばさん、そしてビンタの家。
みんな笑顔で「また帰って来てね。」と言って別れを惜しんでくれた。
今となっては、帰るのが寂しい。
暗くなってきたのでアパートに戻ると、入口で偶然ヤマと出くわした。
ヤマは私と適当に挨拶を交わすと「ケータイは?」と手を出した。
残り少ないセネガルに感慨深くなっていたのに、いつもヤマはぶち壊す。
「これはあなたのじゃなく、私の物。貸すだけだから。」
と私は強く念を押してケータイを渡した。
ヤマはケータイを受け取ると、居間に入り操作をしながらソファーに寝っころがった。
そこにベンジーも帰って来た。
「何時にここを出るの?」
「11時」
「あいつはここに迎えに来るんだよね?」
「うん」
出発まではまだ少し時間があった。
私は自分の部屋に戻ってベンジーに手紙を書いた。
そして手元に残ってる現地のお金を包んで手紙の中に入れ、いつでも渡せるようにポケットにその手紙をしのばせた。
あと数時間。
もう一度パスポートとチケットを確認して、居間に戻った。
私達はテレビを見ながら彼が来るのを待った。
家を出る時刻が刻々と近づいているのに、彼はなかなか現れない。
セネガル人のことだから、きっと11時を回ったくらいに現れるに違いない。
飛行機の出発に限ってはセネガルタイムは通用しないのに。
だんだん落ち着いてテレビを見てられなくなってきた。
みんなも口には出さなかったが彼が来ないことを気にしているようだった。
ベンジーは先ほどからチラチラ時計を見ていた。
「もうそろそろ行かなきゃ、乗り遅れるよ。」
とベンジーが立ち上がった。
もう家を出なきゃいけない時間を微妙に過ぎている。
「ヤマ、タクシーを呼んで来い。」
ベンジーがヤマに指示をすると、ヤマが部屋を出て行った。
私はヤマがいつ戻って来てもいいように、スーツケースを廊下に出した。
ベンジーも私の荷物を部屋から出すのを手伝った。
「ニュデム(行こう)。」
タクシーをつかまえたヤマが外から戻ってきて、私のスーツケースを持ち上げ、よろつきながら階段を下りた。
ヤマのジーパンの後ろポケットにはしっかり私のケータイが納まっていた。
タクシーに荷物を乗せ、私たちは路地先の曲がり角を見つめた。
彼がひょっこり現れるかもしれない。
しばらく待っていたが、彼は現れなかった。
「もう時間だよ。」とベンジーはタクシーの後ろ扉を開いてくれた。
ベンジーは私がシートに座るのを見届けると、ドアを閉めてベンジーは助手席に乗った。
すると、ヤマも慌ててタクシーに乗り込んで来た。
結局、私たちは3人で空港に向かった。
あの盗難以来、結局私は彼と顔を会わすことなく帰国を迎えてしまった。
ダカールの空港。
私達はタクシーを降り、スーツケースを引きずりながら空港の入り口まで移動した。
お見送りの人はここまで、というゲートにたどり着くと私達は改めて別れの挨拶を告げてハグをしあった。
私はポケットにしまってあった手紙をベンジーに渡すと、ベンジーはそれを受け取り、左手を差し出した。
「左手の握手はまた再会できることを意味する。」
そして、私達は左手で握手をした。
「じゃあ、行くね。」
と、私はベンジーたちに背中を向けて、スーツケースを押した。
私は入り口の職員にパスポートを見せ、空港内に入った。
自分のパスポートをかばんにしまって、しばらく歩いてから振り返って空港の外を見てみると、外にはベンジーとヤマがまだこちらを見て立っていた。
私が手を振ると、2人も手を振った。
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●セネガルツアーの絶対条件⇒第27話
2004年 2月末
ヤマが家に帰った後、私は徹夜をする勢いでパッキングのつづきを始めた。
すると誰かが部屋をノックした。
ドアを開けると、そこにはビールを2本持ったベンジーが立っていた。
「飲まないか?」
最近、心配顔のベンジーしか見てなかったが、今日は初めて会った時のように笑っていた。
私も笑って大きくうなずいた。
2人で居間に移り、いつもの定位置に座った。
私はタバスキのことを思い出した。
ベンジーはビールの詮を抜くと、片言で「カンパイ」と言って瓶を持ち上げた。
「かんぱい!」
久々のビール。
セネガルへ来たころはよく私の彼も含め3人でビールを飲んでいた。私はいつも全部飲みきれなくて、彼に飲んでもらっていた。
でも今夜は全部飲むぞ。
「来年まで遠いな。」
ベンジーがつぶやいた。
「あっと言うまだよ。」
と、答えると、ベンジーは腰を浮かせて、ポケットに手を入れて何かを取り出した。
すると私の腕を引っ張り、手首にビーズのブレスレットをつけてくれた。
「プレゼント。」
日焼けした自分の腕にカラフルなビーズがとてもカワイく、腕の角度を何度も何度も変えて眺めた。
「ありがとう。嬉しい!」
と私は笑ってベンジーの顔を見た。
「その顔が見れて僕の方がもっと嬉しいよ。」
とベンジーも笑った。
「君はリラックスして笑っている方が似合う。」
そう言って、ベンジーはいつものコミカルな表情を作った。
笑ってばかりじゃない旅だったからこそ、今の時間がとても幸せに感じた。
私たちは明け方まで語り続けた。
翌日、私はお昼過ごろまで寝てしまっていた。
ベンジーを探してみたが、彼ははすでに仕事に出かけていた。
私はパッキングのつづきを始めた。
今日の夜、日本へ帰る。
一通りパッキングが落ち着き、私は近所に別れの挨拶を言いに出かけた。
シーベルにいつも来ていた人たちや門番のおっちゃん、自動車整備場のお兄さん、ジューススタンドのお姉さん、売店のおっちゃん、テーラーのおばさん、そしてビンタの家。
みんな笑顔で「また帰って来てね。」と言って別れを惜しんでくれた。
今となっては、帰るのが寂しい。
暗くなってきたのでアパートに戻ると、入口で偶然ヤマと出くわした。
ヤマは私と適当に挨拶を交わすと「ケータイは?」と手を出した。
残り少ないセネガルに感慨深くなっていたのに、いつもヤマはぶち壊す。
「これはあなたのじゃなく、私の物。貸すだけだから。」
と私は強く念を押してケータイを渡した。
ヤマはケータイを受け取ると、居間に入り操作をしながらソファーに寝っころがった。
そこにベンジーも帰って来た。
「何時にここを出るの?」
「11時」
「あいつはここに迎えに来るんだよね?」
「うん」
出発まではまだ少し時間があった。
私は自分の部屋に戻ってベンジーに手紙を書いた。
そして手元に残ってる現地のお金を包んで手紙の中に入れ、いつでも渡せるようにポケットにその手紙をしのばせた。
あと数時間。
もう一度パスポートとチケットを確認して、居間に戻った。
私達はテレビを見ながら彼が来るのを待った。
家を出る時刻が刻々と近づいているのに、彼はなかなか現れない。
セネガル人のことだから、きっと11時を回ったくらいに現れるに違いない。
飛行機の出発に限ってはセネガルタイムは通用しないのに。
だんだん落ち着いてテレビを見てられなくなってきた。
みんなも口には出さなかったが彼が来ないことを気にしているようだった。
ベンジーは先ほどからチラチラ時計を見ていた。
「もうそろそろ行かなきゃ、乗り遅れるよ。」
とベンジーが立ち上がった。
もう家を出なきゃいけない時間を微妙に過ぎている。
「ヤマ、タクシーを呼んで来い。」
ベンジーがヤマに指示をすると、ヤマが部屋を出て行った。
私はヤマがいつ戻って来てもいいように、スーツケースを廊下に出した。
ベンジーも私の荷物を部屋から出すのを手伝った。
「ニュデム(行こう)。」
タクシーをつかまえたヤマが外から戻ってきて、私のスーツケースを持ち上げ、よろつきながら階段を下りた。
ヤマのジーパンの後ろポケットにはしっかり私のケータイが納まっていた。
タクシーに荷物を乗せ、私たちは路地先の曲がり角を見つめた。
彼がひょっこり現れるかもしれない。
しばらく待っていたが、彼は現れなかった。
「もう時間だよ。」とベンジーはタクシーの後ろ扉を開いてくれた。
ベンジーは私がシートに座るのを見届けると、ドアを閉めてベンジーは助手席に乗った。
すると、ヤマも慌ててタクシーに乗り込んで来た。
結局、私たちは3人で空港に向かった。
あの盗難以来、結局私は彼と顔を会わすことなく帰国を迎えてしまった。
ダカールの空港。
私達はタクシーを降り、スーツケースを引きずりながら空港の入り口まで移動した。
お見送りの人はここまで、というゲートにたどり着くと私達は改めて別れの挨拶を告げてハグをしあった。
私はポケットにしまってあった手紙をベンジーに渡すと、ベンジーはそれを受け取り、左手を差し出した。
「左手の握手はまた再会できることを意味する。」
そして、私達は左手で握手をした。
「じゃあ、行くね。」
と、私はベンジーたちに背中を向けて、スーツケースを押した。
私は入り口の職員にパスポートを見せ、空港内に入った。
自分のパスポートをかばんにしまって、しばらく歩いてから振り返って空港の外を見てみると、外にはベンジーとヤマがまだこちらを見て立っていた。
私が手を振ると、2人も手を振った。
第42話へつづく
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この物語はサバールダンスを日本のダンスシーンに紹介したFATIMATAが、日本でまだサバールという言葉もあまり知られてなかった時代から劇団EXILEで踊られるようになった現在までの、険しい道のりを描いたセネガル体験記です。
●第1話からお読みになりたい方はコチラから
●これがFATIMATAが考えるセネガルツアーの絶対条件だ!⇒第37話
2004年2月
もうすぐ帰国する日が近づいて来た。
たくさん泣いた灰色の部屋も、誰もいない部屋になると思うとちょっと寂しかった。
私は少しずつパッキングを始めた。
私のパッキングは時間がかかる。
細かいお土産は小さい袋に詰め、それらをまた袋に詰める。
スーツケースの中でぐちゃぐちゃにならないように、はじからパズルを埋めるように収納する。
私はパズルのように計算して収納するのが苦手だから、入れては出しの繰り返しになり、やたら時間がかかる。
よりにもよってそんな時にヤマが部屋に入って来た。
来るやいなや「これ日本の?」
とヤマがスーツケースの中から香水を取り出した。
隠していたのに見つかってしまった。
私は日本で買った香水は見えない所に保管し、セネガルで買った安い香水を貸し出し専用として見える所に置いていた。
ヤマはおもむろにフタを外し、自分の首や脇の下にシュカシュカ噴射した。
私は彼女たちのこういう遠慮のないところにいつもイライラさせられる。
ヤマは香水の噴射口を皮膚に密着させて噴射させるため、必ず香水が液体になって垂れる。
この使い方はヤマに限らず、今まで見て来たセネガル人、特に断りなしで勝手に香水を借りていく人たちはみんな共通して同じだった。
垂れた香水はローションのように両手で伸ばして皮膚になじませる。
使い方がハンパないため、使用後の量の減り方が一目瞭然だった。
こんな使い方をするためセネガル人はみんな香水の香りが強い。
それが気候のせいなのか、日本のように人の迷惑にはならないのが不思議だ。
それが体臭と混ざり、フェロモン効果を成しているような気もする。
セネガルは大家族が多く、みんなで分かち合う習慣があるため、平気で我が物顔で人の物を使う。
東京にひとりっ子で育った私は、勝手に私物を使われることが受け入れ難かった。
ヤマの前でパッキングは危険と悟った私は一度中断して、出かけることにした。
ヤマを部屋から追い出し、ビンタの家へ遊びに行った。
ビンタの家に行くと、表で遊んでいた子供たちが私の姿を見て「ビンター!」と叫びながら家に入って行った。
私は「サラマレクム(こんにちは)」と言いながら家の中に入ると、いつもの顔ぶれのマダムたちが、私を歓迎して迎い入れてくれた。
ビンタはいつも、その奥の階段を上がった2階にいる。
階段を上がると、さっきビンタを呼びに行った子供たちがビンタに「ほらね」というアプローチをしてまた外に出て行った。
私とビンタは挨拶を交わすと、いつものようにベッドの上に2人で座って世間話から始まった。
そして、私は彼に空港まで送ってもらうことを話した。
ビンタもそのことには強く賛同していた。
セネガルに来てよく感じるのは、こちらの人は出会いのキッカケをすごく大事にする。
例えばすごく仲良くなった者同士がいたとする。その2人は彼らが出会うキッカケになった人物をものすごく大事にする。
どうして私がセネガルに来たのか、どうしてベンジーやヤマたちと知り合いになったのか。
出会わせてくれた人がどんな人であろうと、そのキッカケを作ってくれた人はとても尊い人物なのだ。
ここの人たちはそれをすごく尊重する。
人の香水を勝手に使う人が多いわりには、そういうところは意外に神経質な人種だ。
その夜はビンタの家で夕飯をご馳走になった。
その日のメニューは川えびのから揚げだった。
セネガルでは初めての献立だった。
私は日本の居酒屋を思い出した。こんな時にビールが飲めないなんて辛い。
ここの人たちは、川えびはお酒のおつまみではなく、フランスパンのお供なのだ。
そして、私がえびを丸ごと口に放り込んでボリボリ食べていたら、みんな驚いた顔をしてこちらを凝視した。
こちらの人たちは川えびのから揚げをいちいち皮を剥いて食べる。
私が食べる3倍の時間をかけて食べている。
そんな時に、「サラマレクム。」とヤマが現れた。
ヤマとビンタは面識はない。セネガルでは知らない人が居間まで入ってくることは普通にあり得る。
しかも「どちら様ですか?」とは聞かず、知らない人でも「どうぞ、どうぞ、一緒に夕飯を食べましょう。」とみんなが手招きして誘う。
これがセネガルのカルチャー「テランガ」だ。助け合いの精神。
別にヤマは食べ物に困って入って来たわけではないが、食事時に食べてない人が目に入ったら、誘うのがセネガルの礼儀なのだ。
そして、ヤマはなぜここに来たかというと、私の帰りが遅いことを心配して、近くまで探しに来たのだ。
そして近所の人たちが、ここまでヤマを案内してくれたらしい。
ヤマはビンタたちの夕飯のお誘いを丁重に断り、私に「帰るよ」と言ってきた。
タイミングが悪すぎる。しかも、セネガルで食べたこと無いえびを食してる真っ最中なのに。
私は仕方なく、「ご馳走様です。」とその場を立った。
ヤマのふて腐れた態度を気にして周りのみんなは私を止めなかった。
ヤマと二人でビンタの家を出ると、ヤマはボソっと「お腹すいたよ。」とつぶやいた。
さっきまで、ヤマのタイミングの悪さにムカついていたが、私の自己中ぶりにも少し反省した。
自分だけいい思いをしようとして申し訳なかった。
私とヤマはいつものサンドイッチ屋でサンドイッチを買って、アパートに戻った。
第41話へつづく
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2004年2月
もうすぐ帰国する日が近づいて来た。
たくさん泣いた灰色の部屋も、誰もいない部屋になると思うとちょっと寂しかった。
私は少しずつパッキングを始めた。
私のパッキングは時間がかかる。
細かいお土産は小さい袋に詰め、それらをまた袋に詰める。
スーツケースの中でぐちゃぐちゃにならないように、はじからパズルを埋めるように収納する。
私はパズルのように計算して収納するのが苦手だから、入れては出しの繰り返しになり、やたら時間がかかる。
よりにもよってそんな時にヤマが部屋に入って来た。
来るやいなや「これ日本の?」
とヤマがスーツケースの中から香水を取り出した。
隠していたのに見つかってしまった。
私は日本で買った香水は見えない所に保管し、セネガルで買った安い香水を貸し出し専用として見える所に置いていた。
ヤマはおもむろにフタを外し、自分の首や脇の下にシュカシュカ噴射した。
私は彼女たちのこういう遠慮のないところにいつもイライラさせられる。
ヤマは香水の噴射口を皮膚に密着させて噴射させるため、必ず香水が液体になって垂れる。
この使い方はヤマに限らず、今まで見て来たセネガル人、特に断りなしで勝手に香水を借りていく人たちはみんな共通して同じだった。
垂れた香水はローションのように両手で伸ばして皮膚になじませる。
使い方がハンパないため、使用後の量の減り方が一目瞭然だった。
こんな使い方をするためセネガル人はみんな香水の香りが強い。
それが気候のせいなのか、日本のように人の迷惑にはならないのが不思議だ。
それが体臭と混ざり、フェロモン効果を成しているような気もする。
セネガルは大家族が多く、みんなで分かち合う習慣があるため、平気で我が物顔で人の物を使う。
東京にひとりっ子で育った私は、勝手に私物を使われることが受け入れ難かった。
ヤマの前でパッキングは危険と悟った私は一度中断して、出かけることにした。
ヤマを部屋から追い出し、ビンタの家へ遊びに行った。
ビンタの家に行くと、表で遊んでいた子供たちが私の姿を見て「ビンター!」と叫びながら家に入って行った。
私は「サラマレクム(こんにちは)」と言いながら家の中に入ると、いつもの顔ぶれのマダムたちが、私を歓迎して迎い入れてくれた。
ビンタはいつも、その奥の階段を上がった2階にいる。
階段を上がると、さっきビンタを呼びに行った子供たちがビンタに「ほらね」というアプローチをしてまた外に出て行った。
私とビンタは挨拶を交わすと、いつものようにベッドの上に2人で座って世間話から始まった。
そして、私は彼に空港まで送ってもらうことを話した。
ビンタもそのことには強く賛同していた。
セネガルに来てよく感じるのは、こちらの人は出会いのキッカケをすごく大事にする。
例えばすごく仲良くなった者同士がいたとする。その2人は彼らが出会うキッカケになった人物をものすごく大事にする。
どうして私がセネガルに来たのか、どうしてベンジーやヤマたちと知り合いになったのか。
出会わせてくれた人がどんな人であろうと、そのキッカケを作ってくれた人はとても尊い人物なのだ。
ここの人たちはそれをすごく尊重する。
人の香水を勝手に使う人が多いわりには、そういうところは意外に神経質な人種だ。
その夜はビンタの家で夕飯をご馳走になった。
その日のメニューは川えびのから揚げだった。
セネガルでは初めての献立だった。
私は日本の居酒屋を思い出した。こんな時にビールが飲めないなんて辛い。
ここの人たちは、川えびはお酒のおつまみではなく、フランスパンのお供なのだ。
そして、私がえびを丸ごと口に放り込んでボリボリ食べていたら、みんな驚いた顔をしてこちらを凝視した。
こちらの人たちは川えびのから揚げをいちいち皮を剥いて食べる。
私が食べる3倍の時間をかけて食べている。
そんな時に、「サラマレクム。」とヤマが現れた。
ヤマとビンタは面識はない。セネガルでは知らない人が居間まで入ってくることは普通にあり得る。
しかも「どちら様ですか?」とは聞かず、知らない人でも「どうぞ、どうぞ、一緒に夕飯を食べましょう。」とみんなが手招きして誘う。
これがセネガルのカルチャー「テランガ」だ。助け合いの精神。
別にヤマは食べ物に困って入って来たわけではないが、食事時に食べてない人が目に入ったら、誘うのがセネガルの礼儀なのだ。
そして、ヤマはなぜここに来たかというと、私の帰りが遅いことを心配して、近くまで探しに来たのだ。
そして近所の人たちが、ここまでヤマを案内してくれたらしい。
ヤマはビンタたちの夕飯のお誘いを丁重に断り、私に「帰るよ」と言ってきた。
タイミングが悪すぎる。しかも、セネガルで食べたこと無いえびを食してる真っ最中なのに。
私は仕方なく、「ご馳走様です。」とその場を立った。
ヤマのふて腐れた態度を気にして周りのみんなは私を止めなかった。
ヤマと二人でビンタの家を出ると、ヤマはボソっと「お腹すいたよ。」とつぶやいた。
さっきまで、ヤマのタイミングの悪さにムカついていたが、私の自己中ぶりにも少し反省した。
自分だけいい思いをしようとして申し訳なかった。
私とヤマはいつものサンドイッチ屋でサンドイッチを買って、アパートに戻った。
第41話へつづく
セネガルを疑似体験しませんか?
ダイアリーを読みながら、セネガルの写真や動画に触れてみよう。
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●これがFATIMATAが考えるセネガルツアーの絶対条件だ!⇒第37話
2004年2月
ベンジーから言われるまで、考えてもいなかった。
今回の旅をちゃんと彼で締めくくる。
彼に空港まで送ってもらうことで、いろんな面でけじめがつくだろう。
私と彼の関係や私たちが巻き込んだ人たち対しても。
セネガルに来て、いろんなカルチャーショックがあるが、たまにベンジーのように意味のわかる常識的なことを言われると見透かされた気がして恥ずかしかった。
私は進まない気持ちを押し切って、彼の家に電話をした。
知らない誰かがでた。
自分の名前を名乗っても聞き慣れないせいか、何度も聞き返される。
やっとの思いで彼につないで欲しい旨を伝えたが彼はいなかった。
後日電話をかけ直して、また何度も名前を聞かれるところのからのやり直しだと思うと気が重かった。
でも、もう一度彼と話あったら、友達の関係くらいには修復するかもしれない。
そんな期待もちょっとはあった。
その後、ベンジーと顔を会わすと「どうだった?」と聞かれる。
私は後回しにするのをやめて、ベンジーの前でもう一度彼にかけてみた。
いつも思っていたが、この国の電話、呼び出し音が鳴るまでの無音が長い。
かかるの?かからないの?といったこの空白の時間がさらに緊張感に拍車をかける。
誰かが出た。
今度はすぐに私の名前が伝わった。そして彼に替わって欲しい旨を伝えた。
「ちょっと待ってね。」とその人が受話器を置いて、彼の名を叫んだ。
私はベンジーの方を見て、うなずいて合図をした。
ベンジーも身を乗り出して私を見守り始めた。
受話器の向こうで「日本人からだよぉ」と言っている。
サンダルを引きずって遠くから歩いてくる音がかすかに聞こえた。
彼だ。
ガチャガチャっと受話器を持ち上げた。
「アロ?」
「あ、あろ」
久々に受話器から聞いた彼の声は、日本でよく聞いていた時とは明らかにテンションが変わっていた。
トーンの低い声を聞いて、さらにハードルが上がった。
私が話しを切り出すまで、沈黙が続く。
何から言い出していいかわからない。
無言が続くほど、息継ぎがうまくできなくなり、鼻息が荒くなる。
「えーっと」
昔は私の「えーっと」を彼はよく真似してくれた。
でも、今ではただの独り言。
「もうすぐ帰るんだけど、空港まで送ってくれないかな?」
前置きもなく、単刀直入に話した。
というか、気の利いた前置きなんてウォロフ語じゃ話せない。
「いつ?何時?」
ぶっきらぼうに彼が答えた。
そのテンションの低さに、続きを言うのも辛かった。
こんなこと、私から言うのも腑に落ちないが、もう一度確認した。
「来てくれるの?」
すると彼はあっさり
「OK。」
なんだか複雑だった。
彼と私が空港へ向かう所をうまく想像できない。
「ありがとう。」
そんな言葉、彼にはもったいないが、それしかとっさに出なかった。
私はベンジーの方を見て、反対側の手でOKサインを出して見せた。
ベンジーは、安心したような笑みを浮かべてソファーにもたれかかった。
第40話へつづく
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2004年2月
ベンジーから言われるまで、考えてもいなかった。
今回の旅をちゃんと彼で締めくくる。
彼に空港まで送ってもらうことで、いろんな面でけじめがつくだろう。
私と彼の関係や私たちが巻き込んだ人たち対しても。
セネガルに来て、いろんなカルチャーショックがあるが、たまにベンジーのように意味のわかる常識的なことを言われると見透かされた気がして恥ずかしかった。
私は進まない気持ちを押し切って、彼の家に電話をした。
知らない誰かがでた。
自分の名前を名乗っても聞き慣れないせいか、何度も聞き返される。
やっとの思いで彼につないで欲しい旨を伝えたが彼はいなかった。
後日電話をかけ直して、また何度も名前を聞かれるところのからのやり直しだと思うと気が重かった。
でも、もう一度彼と話あったら、友達の関係くらいには修復するかもしれない。
そんな期待もちょっとはあった。
その後、ベンジーと顔を会わすと「どうだった?」と聞かれる。
私は後回しにするのをやめて、ベンジーの前でもう一度彼にかけてみた。
いつも思っていたが、この国の電話、呼び出し音が鳴るまでの無音が長い。
かかるの?かからないの?といったこの空白の時間がさらに緊張感に拍車をかける。
誰かが出た。
今度はすぐに私の名前が伝わった。そして彼に替わって欲しい旨を伝えた。
「ちょっと待ってね。」とその人が受話器を置いて、彼の名を叫んだ。
私はベンジーの方を見て、うなずいて合図をした。
ベンジーも身を乗り出して私を見守り始めた。
受話器の向こうで「日本人からだよぉ」と言っている。
サンダルを引きずって遠くから歩いてくる音がかすかに聞こえた。
彼だ。
ガチャガチャっと受話器を持ち上げた。
「アロ?」
「あ、あろ」
久々に受話器から聞いた彼の声は、日本でよく聞いていた時とは明らかにテンションが変わっていた。
トーンの低い声を聞いて、さらにハードルが上がった。
私が話しを切り出すまで、沈黙が続く。
何から言い出していいかわからない。
無言が続くほど、息継ぎがうまくできなくなり、鼻息が荒くなる。
「えーっと」
昔は私の「えーっと」を彼はよく真似してくれた。
でも、今ではただの独り言。
「もうすぐ帰るんだけど、空港まで送ってくれないかな?」
前置きもなく、単刀直入に話した。
というか、気の利いた前置きなんてウォロフ語じゃ話せない。
「いつ?何時?」
ぶっきらぼうに彼が答えた。
そのテンションの低さに、続きを言うのも辛かった。
こんなこと、私から言うのも腑に落ちないが、もう一度確認した。
「来てくれるの?」
すると彼はあっさり
「OK。」
なんだか複雑だった。
彼と私が空港へ向かう所をうまく想像できない。
「ありがとう。」
そんな言葉、彼にはもったいないが、それしかとっさに出なかった。
私はベンジーの方を見て、反対側の手でOKサインを出して見せた。
ベンジーは、安心したような笑みを浮かべてソファーにもたれかかった。
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