闘病と呼ばない
仕事の合間にMRI撮影へ行った。職場から病院へは徒歩20分くらいの距離。この頃も、職場では毎日、毎日、怒りに燃え滾っていた。(後述する予定)秋が深まる街並みをトコトコと一人で歩いて病院に向かいながら、すれ違う人が皆、幸せに見えたまるで、自分の目の前にある世界は作り物の世界で、いつでも取り外してしまえる映画のセット。その中を一人で歩いているような、そんな感覚。私は、どうなるんだろう。毎日、毎分、そう思っていた。同時に「私は超初期がん」だと勝手に決めてもいた。私の細胞が私を痛めつけるはずがない。そうも思った。ムリをして、ストレスまみれになって、疲れ果ててなんだ、こりゃ?思い返せば自分の人生にとって「大して意義のないこと」に大量のエネルギーを使っていた日々。あんたこのままじゃ予定より早く死ぬわよそう注意喚起するために、カラダが警鐘を鳴らしている。そんな気がした。がんは身体を温めることが大切。そんな記事を読んで、湯船に浸かるようになった。マグネシウムフレークを入れて、ぽーっと浸かる。アタマから病状のことは離れないものの、少しだけ、心が柔らかくなる気がする今までは、ご飯を食べるのもバタバタ。本やメールを見ながら「ついで」みたいな食事。呼吸はいつも浅かったお風呂に浸かる時間があれば、眠りたかった。けれども、ベッドに入ると、あれやこれやが頭を駆け巡って、眠れない。疲労だけが蓄積する毎日。毎日、苛立っていた。垂れ流し文句と悪口が耳から入ってくる日々。なぜ、あんな、どうでもいい事に力を費やしていたのだろう。なぜ、あんな、どうでもいい事に思考を奪われていたのだろう。アフォくさ。自分にとって大切なことを大切にする。自分にとって大切なことに時間と心を使う。なぜか、こんなにシンプルなことができなくなっていた自分いいや。過ぎた時間を悔やむまいこれは私の人生。これは私の世界。これからは、私が「好きだった自分」に戻る選択をしていこう改めて決意した。自己チュー、上等時間の使い方=人生My life,My art「がん」の情報を得ようとすればするほど「闘病」という言葉に出会う。それは違う、と感じていた私は、今の自分の生き方に警鐘を鳴らしてくれる自分の身体とは闘わないむしろ、十分に慈しみ、労わる毎日、湯船でお腹に手を当てて、心で思った。教えてくれて、ありがとうもう、分かったから。これ以上は、必要ないよ。安心して