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ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

         ↑写真は本文とは関係有りません(笑)。


Robertoは敬虔なクリスチャンだ。
私と違って低俗な音楽も聴かないし
いつもイエスさまのお陰だと口から出る。
最近は私をクリスチャン化しようとはしなくなったが、
クリスマス前後は随分強烈だった。
どうも彼の頭の中には、
「良い人は全てクリスチャン」→「falsoは良い人」→
「falsoはクリスチャン或いはクリスチャンになれる」
と言う公式が成り立っていたらしい(笑)
HNが‘faslo’だって知っていたら
そんな事もなかっただろうにね(笑)。

基本的に私はどの宗教にも属さないスタンスを貫いている。
日本的な形式としての宗教儀式には参加もするが、
宗教が目的のものには参加しないことにしている。
色々な国の人と友達になり
それぞれの立場を聞く事が有ると
どうしても宗教には否定的に成らざるおえない。
集団としての宗教は、
差別と策略と摂取の歴史そのものなのだ。

私と付き合いが長い連中は誰もが、
国や人種、宗教での差別的な話をしなくなる。
始めは皆、私の事を気に入り仲間として意識し、
外部に敵を作る事によって親密になれると思うようだ。
この方法は長い間、色々な国や団体が行ってきた、
現代でも極めて効果的な方法だ。
私には閉鎖的な社会の中での安心感を売り物にする
宗教の何処を信じれば良いのかわからないのだ。

個人個人の精神的な支柱として語られる宗教は、
また別の意味合いと側面を持つ。
だから私の回りでは全ての国と人種と宗教の存在を
肯定的に扱う事になる。
各々の存在を否定しかねない方法はとらない。

それぞれの存在を現実として捉え、
言える範囲での会話を通してでも
親しくなることが出来れば必ず、
それぞれの存在を肯定的に受け止める事が
必ず出来るはずだ。
しかし残念ながら現実には宗教が
その気持ちを阻害してしまっているのも事実だ。

VOL.3 / Lee Morgan

Lee Morgan, tp; Gigi Gryce, as, fl; Benny Golson, ts;
Wynton Kelly, p; Paul Chambers, b; Charlie Persip, ds;

1.Domingo (Golson) 2.Hasaan's Dream (Golson)
3.I Remember Clifford (Golson)
4.Mesabi Chant (Golson) 5.Tip Toeing (Golson)

Recorded at the New Jersey
on March 24, 1957
Blue Note 1557


JAZZは色々と研究され発掘される事の多いジャンルだ。
最近は他のジャンルでも同じ傾向がみられ
ボーダーレスは訳のわからないジャンル分けだけでなく、
その扱われ方にも表れている。
とても良い傾向ではないかと思うが、
実際には新録音に人を惹き付ける魅力が無くなっていると言う
現実をつき付けられている事を忘れてはいけないとも思う。

あまりにも研究されたが上に弊害も多いのが事実だ。
音楽自体よりも文章で書かれた物を信じる輩が多過ぎる。
お陰で「マイルスの方が偉大だ」だとか、
「テクニックではブラウニーが一番」だとか言う事に
夢中になっている連中が多過ぎるために
音楽として純粋に楽しもうと思う人を拒絶する傾向にある。
他の人を否定する事が
自分の存在をアピールする事になる社会傾向は、
全くつまらない世の中だとしか言えない。



Lee MorganのBlue Noteでの3作目は、
ブラウニーの親友でありモーガンとも旧知の仲だったゴルソンが、
音楽総監督として前作以上に全面的に手をつけている為に
特別な意味を感じてしまうのは私だけではない筈だ。

5曲のうち2曲にHasaan’s Dream, Domingo,と付けられている事から
推測出来るようにこの頃のゴルソンは異文化への興味が有ったようだ。
彼が自分を置いた位置が音楽監督であり前作では演奏をせず、
このアルバムでもライオンの要請から演奏したのではと考えると
全5曲を自作だけにした事は、
Morganが18歳と言う若さだったと言うことだけではなく、
I Remember Cliffordの初演を録音する事に特別な感情が有り
普通のアルバムに終わらせたくなかったという気持ちが、
このアルバムの製作時に働いたのではないかと邪推してしまう。
そして、その気持ちに応え様としたMorganが、
この名演を生み出したと勝手に推測をしてしまう。

I Remember Cliffordだけでなく
5曲全てが楽しめるアルバムに仕上がっているが、
ゴルソンの異国趣味は、彼らの心のこもった名演の為に
逆にテーマとして扱われているだけの気もする。
他の演奏家にはそれ程の異国趣味はなかったのだろう。
ただ、その温度差がここでは良い形に表れている。
新鮮なテーマが彼らに普段の慣れ親しんだ
手先でのプレー以上のものを発揮させているように感じる。
本当に気持ちの良い演奏の詰まったアルバムだ。

このアルバムも安い価格の物が日本盤で出ています。
これくらいの価格なら十二分に満足出来る演奏です。


アーティスト: リー・モーガン, ベニー・ゴルソン, ジジ・グライス, ウィントン・ケリー, ポール・チェンバース, チャーリー・パーシップ
タイトル: リー・モーガン(3)

Bass On Top / Paul Chambers Quartet

Paul Chambers, b; Kenny Burrell, g; Hank Jones, p; Art Taylor, ds;

1.Yesterdays (Kern-Harbach) 2.You'd Be So Nice to Come Home To (C.Porter)
3.Chasin' the Bird (C.Parker) 4.Dear old Stockholm (Trad.)
5.The Theme (Miles Davis) 6.Confessin' (Daugherty-Reynolds-Neiburg)

Recorded at the New on July 14, 1957
BN 1569


ベース・プレイヤーが自分名義で作ったアルバムは、
ほとんどが縁の下の力持ち的な部分を強調した、
極めてコンポーザー的なアルバムが多いのですが、
このアルバムはベーシストがベースの演奏を聴かせる為に
作られたと言う感じの有りそうで中々無いタイプのものです。

収録曲に特徴が感じられます。
自作の曲は一曲も無く全てがスタンダードなどの
他のJAZZプレイヤーの録音の有るものばかりです。
演奏自体に集中する為なのか作曲をする時間が無かったのか、
実際の原因はわかりませんが少々気になることが有ります。

他で言われないので私の勘繰りかもしれませんが、
マイルスの演奏したものが多く収録されているのです。
6曲中4曲は私はMilesの演奏も確実に聴いたことが有ります。
他の2曲ももしかしてMilesの演奏が有るかもしれません。
Blue NoteとMilesの関係は有名ですし一枚かんでいるのかもしれません。

感傷的な気持ちに流されてしまいそうな選曲をしながら
どこかしら醒めたChambersの演奏は、
それぞれの単音をメインにしたソロとともに
全体的に重くなり易いタイプの構成を
あまり軽々しくせずに聴き易いものにしてくれています。

今までに有りそうで無かったタイプのアルバムを
Milesに縁の有る人がMilesと縁の深いBlue Noteに
Milesの演奏した事の有る楽曲を
ベーシストの演奏の深さを示すアルバムとして出したと考えるのも
何かしか有りそうで楽しいと思いませんか。


国内盤が安く出ています。
もしかしたらそちらのライナーに詳しく書いてあるかも知れません。

アーティスト: ポール・チェンバース, ケニー・バレル, ハンク・ジョーンズ, アート・テイラー
タイトル: ベース・オン・トップ


会話は主従関係の中で行われる事が多い。
どちらかが主になり、どちらかが従となって、
行為の補足として会話が成り立っている場合が多い。
『言霊』と言う言葉は最近生まれたものではない。
だとすれば、道具としての会話だけではなく、
会話自体にお互いの気持ちを乗せる事は出来たはずだ。

時間的余裕が無く、直接的な金額に踊らされ
人と人を比べ一方的な価値観を押し付け、
キリキリと頭の芯が痛むような生活をしながら
肉体的寿命だけが年々と延びて行く。
あかの他人が立ち止まる事さえ許せないほど、
心が病みながら年老いていく。

何の楽しみも無いと言う大量生産された老人は、
無理矢理に押し付けられた運動や娯楽で一日が終わる。
自分を不幸の主人公にする事で、
何とか精神を安定させようと努力をし過ぎる為に
余計に体はこわばり呼吸さえも辛くなってしまう。
何度も何度も同じ事の繰り返しが快楽なのだ。

偏った知識と捻じ曲がったプライドは麻薬の様だ。
自分自身に酔いしれていく快感は、
恐怖から逃げ出す為に外側へ脅迫として放たれる。
周囲を巻き込んだ形で自分の嗜好を強要し
悲壮感さえも利用した醜い共有間は、
自分の安楽を求める者に共感を与えもする。

水に押し流され崩れる砂の城の様に
恐怖で強引に作られた共有感は、
跡形も無くなるのが運命だとしても
幾つかの道筋の向こう側に光が無ければ、
今更立ち向かう勇気さえ必要とせず
暗闇でただ時間の過ぎるのを待つだけの人生。
Isopor / Pato Fu

01- Made In Japan
02- Isopor
03- Depois
04- Um Ponto Oito
05- Imperfeito
06- Morto
07- O Filho Predileto do Rajneesh
08- Perdendo Dentes
09- Saudade
10- O Prato do Dia
11 - Quase

1999年 Brasil



BrasilのPop BandのPato Fuのアルバムです。
ボーカリストが日系だと言う事で、
日本でもある程度は有名かもしれませんが、
それはBrasilの音楽を聞いている人達と言う
狭い範囲での事だと思います。

全体的に聴きやすいPopなRockと言うイメージで、
それほど深くBrasilを感じる部分は有りませんし
特別強烈にアピールする音楽性は無いと思ってよいでしょう。

ただこのアルバムの1曲目に関しては、
日本語の理解力が或るレベルまで達している人ならば、
ちょっと考えさせられる部分が有るかも知れません。

そして何よりもBrasil国内がメインのシュアであるバンドが、
日本語で歌ったと言う事実がBrasil国内での
日本や日系に対しての意識の変化を考えさせられると思います。

何よりもその歌詞を読んでもらえれば、
Brasilの一部分の人達でしょうが、
日本やアメリカに対しての意識を彷彿とさせてもらえます。

Ningemwa imamade osoroshimeni attekita
Atsui genbakuo hitoride uketa Nippon
Yokute yasukute kireina shouhinwo Sekaini utteiru,
Genbaku no adao kaeshiteiru
Honmonono amerikaseino ampu Akete bikkuri,
Hotondono buhinwa nihonsei
Watashi wa omotta no aa shikataganai
Made In Japan! Doo-doo-doo-doo-doo...
Made In Japan! Doo-doo-doo-doo...
Made In Japan! Doo-doo-doo-doo-doo,Doo-doo-doo, doo-doo-doo,
Doo-doo-doo-doo-doo-doo-doo-doooooo-doo!
Projekuto-niwa himitsuga-aru
Korewa nasa-ga kaiketsu-suru
Korede watashiwa anshinda,
Nasa-wa itsumo watashitati-no yokoni tsuiteiru


読み難いので、ひらがなにしてみましょう(笑)。

人間は 今まで 恐ろしい目に あってきた。
熱い 原爆を 一人で うけた 日本
良くて 安くて 綺麗な 商品を 世界に 売っている
原爆 の 仇を 返している
本物の アメリカ製の アンプ 開けて ビックリ、
ほとんどの 部品は 日本製
わたし は 思った の あぁ 仕方が無い
日本製! ドゥー ドゥー ドゥー(×3)
ドゥー ドゥー ドゥー ~
プロジェクトには 秘密が有る
これは ナサが 解決する
これで 私は 安心だ
ナサは いつも 私たちの 横に 付いている


・・・何となく言いたい事が分かる気になります(笑)。
誰が日本語にしたのかわかりませんが、
『私』と言う発言の対象者が、
何となく途中で変化している気もしたりするし
日本人がこんな文章で歌詞を作ったら
商品にはならないと思いますが、
その内容の強烈さはPopsバンドとしては、
特筆すべき内容だと思います。

言い回しがストレートなのは、
きっと日本人ではないからでしょうね。
ただ、こんな事をテーマにしたのは、
ボーカリストの彼女が自分のルーツに日本が有る事を
決して忘れずに自覚しているからだと思います。

多額の負債をかかえ沈没寸前ともとれるBrasilに対して
世界の経済界が将来の展望として高い評価を与える理由は、
こう言うわがままで身勝手ながらストレートに考える
彼らの性格にも大きな要因が有ると思います。

Pato Fu HP
http://www.patofu.com.br/frameset.html


アーティスト: Pato Fu
タイトル: Isopor