私は必要としていない。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

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ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。



会話は主従関係の中で行われる事が多い。
どちらかが主になり、どちらかが従となって、
行為の補足として会話が成り立っている場合が多い。
『言霊』と言う言葉は最近生まれたものではない。
だとすれば、道具としての会話だけではなく、
会話自体にお互いの気持ちを乗せる事は出来たはずだ。

時間的余裕が無く、直接的な金額に踊らされ
人と人を比べ一方的な価値観を押し付け、
キリキリと頭の芯が痛むような生活をしながら
肉体的寿命だけが年々と延びて行く。
あかの他人が立ち止まる事さえ許せないほど、
心が病みながら年老いていく。

何の楽しみも無いと言う大量生産された老人は、
無理矢理に押し付けられた運動や娯楽で一日が終わる。
自分を不幸の主人公にする事で、
何とか精神を安定させようと努力をし過ぎる為に
余計に体はこわばり呼吸さえも辛くなってしまう。
何度も何度も同じ事の繰り返しが快楽なのだ。

偏った知識と捻じ曲がったプライドは麻薬の様だ。
自分自身に酔いしれていく快感は、
恐怖から逃げ出す為に外側へ脅迫として放たれる。
周囲を巻き込んだ形で自分の嗜好を強要し
悲壮感さえも利用した醜い共有間は、
自分の安楽を求める者に共感を与えもする。

水に押し流され崩れる砂の城の様に
恐怖で強引に作られた共有感は、
跡形も無くなるのが運命だとしても
幾つかの道筋の向こう側に光が無ければ、
今更立ち向かう勇気さえ必要とせず
暗闇でただ時間の過ぎるのを待つだけの人生。