日本人的感覚での友好手段は有ると思う。 | ここから見に来て。[旧Quem tudo quer, tudo perde.]

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ここは音楽のBlogでした。実際には節操無く何でも有りましたが、アメブロと相性が悪いようなので、他に書く事にしました。出来ればそちらを、よろしくお願いします。

         ↑写真は本文とは関係有りません(笑)。


Robertoは敬虔なクリスチャンだ。
私と違って低俗な音楽も聴かないし
いつもイエスさまのお陰だと口から出る。
最近は私をクリスチャン化しようとはしなくなったが、
クリスマス前後は随分強烈だった。
どうも彼の頭の中には、
「良い人は全てクリスチャン」→「falsoは良い人」→
「falsoはクリスチャン或いはクリスチャンになれる」
と言う公式が成り立っていたらしい(笑)
HNが‘faslo’だって知っていたら
そんな事もなかっただろうにね(笑)。

基本的に私はどの宗教にも属さないスタンスを貫いている。
日本的な形式としての宗教儀式には参加もするが、
宗教が目的のものには参加しないことにしている。
色々な国の人と友達になり
それぞれの立場を聞く事が有ると
どうしても宗教には否定的に成らざるおえない。
集団としての宗教は、
差別と策略と摂取の歴史そのものなのだ。

私と付き合いが長い連中は誰もが、
国や人種、宗教での差別的な話をしなくなる。
始めは皆、私の事を気に入り仲間として意識し、
外部に敵を作る事によって親密になれると思うようだ。
この方法は長い間、色々な国や団体が行ってきた、
現代でも極めて効果的な方法だ。
私には閉鎖的な社会の中での安心感を売り物にする
宗教の何処を信じれば良いのかわからないのだ。

個人個人の精神的な支柱として語られる宗教は、
また別の意味合いと側面を持つ。
だから私の回りでは全ての国と人種と宗教の存在を
肯定的に扱う事になる。
各々の存在を否定しかねない方法はとらない。

それぞれの存在を現実として捉え、
言える範囲での会話を通してでも
親しくなることが出来れば必ず、
それぞれの存在を肯定的に受け止める事が
必ず出来るはずだ。
しかし残念ながら現実には宗教が
その気持ちを阻害してしまっているのも事実だ。