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落下の王国のすべてThe Fallmania

ターセムが紡ぐ現代人のための癒しの千夜一夜物語
2008年日本公開された「落下の王国」について語るブログです
ミュージックビデオを撮るようなシックな監督ですが…
やっぱりインド人
歌って踊るシーン・・・1か所あります

インド、ラジャスタン州、アーバーネリーの階段池
ジャイプールから車で約2時間

9世紀以降に作られた貯水池。


水税を徴収するため、貯水量がわかりやすいように階段ラインがはっきりしている。

一辺が35メートルで三方に階段が作られている。
残りの一方(ダーウィンのいるところ)には何層にも部屋が作られている。

階段は地下七層で、深さは20メートル以上ある。
イスラム建築のようだが、様式はヒンドゥ。

  インド建築案内より by .神谷武夫先生

 

ターセムは”stepwell=井戸”とはゆうてはおるが・・・

ターセムの言によれば、このアーバーネリーの階段井戸というものは

 

水税の徴収の計算のためにある

 

とのことなので、
日本人が考えるような”井戸”というものとは本来別物であるようだ。

生活用水としてでなく、どれだけ雨が降って水が貯まったかを計測するために作られたものは
”井戸”ではなく”池”と呼ぶべきかもしれない。

通常の”階段井戸”は多層構造になっていて涼むこともできたり、
水を汲みに下まで降りたりするようだが、これは降った雨水を貯めることが主目的なので、とにかく間口が広く逆ピラミッド型になっている。

降った雨は1滴も漏らさずに貯めて、水面と階段位置でもって税額を決める役割を担っている。
 

ジャパンタイムズでのターセムインタビューによると


<階段井戸について>
エッシャーのコピーと思われるかもしれないが、
これはエッシャーより300年前に作られている。

この井戸は、水の面がどのぐらい高いかを見て水税を徴収するときの計算に使われた。

通常、階段は水の下に沈んでいる。
(階段を撮りたかったターセムはロケハンしたスタッフに)

「旱魃があったら階段はどうなる?」
と聞くと
「階段はどこまでも続いていますよ」
と答えたので、


「じゃ旱魃になったら呼んでくれ!」


と言いつけた、ってターセムは鬼…

 

ダーウィンの代わりにスタントマンを落とした。
 

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●ノーラン監督バットマン「ダークナイトライジング」にアーバーネリーの階段池を模したセットが出てくる。ロケハンには来たようだが、撮影は階段池っぽいセットで撮っている。

 

●「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」はインド、ジャイプールで撮影された。ホテルを経営する若者はスラムドックミリオネアのあの男の子です。
彼は自由恋愛で結婚したいと思っているものの、母親はデリーでお見合いさせようとしている。
彼の愛する女の子とのデート場所は<アーバーネリーの階段池>だ。もちろん現地で撮影。


 

 

この場面で6人はオウディアスへの復讐を誓うわけだが、なぜか突然フランス語になってしまう。


5人は不明瞭に叫ぶ!


「はい!隊長! (ウィ、モア、キャピタ〜ン〜!)」

ここはフランス語とは聞かずに、

”We want more capita〜l〜!(もっと資金が欲し〜い〜!)”

つまり、それがターセム流ユーモア。

日本語字幕で読んでしまうからこの場面で笑う日本人は皆無。


ここはダークな笑いが欲しい。

 

ターセムってそういうヒト。

ターセムはこの映画製作のために全財産をはたいた


ターセムの弟が金策したわけだが、資金が欲しいというのは本音だっただろう。

落下の王国には誰一人として有名俳優は出演していない。


ターセムがこの映画を自分で作る、と決めてから、

 

撮影が長くなるとわかっていたから、

 

ギャラが高くて拘束もできない有名俳優は使えなかった。

スタッフも俳優もファーストクラスに乗ることなく、

 

平等主義のコミュニスト大集団があちこちへと撮影に飛ぶ。

スペインのシーンを撮るときは、

 

ターセムはベッカムの出るCMを撮るついでに落下の王国も撮ろうとして、

 

リー・ペイスをスペインに呼んだ。

出資して貰うチャンスはあった。

大手スタジオに「年齢制限のつかない子供向け作品なら買う」と持ちかけられたとき、

 

ターセムはこのままインディーズで作り続けると腹をくくった。

 

 

ターセムは、脚本ヴァレリ・ペトロフ、監督ザコ・ヘスキジャ

のブルガリア映画『Yo Ho Ho』(1981年)から想を得て「落下の王国」を製作した。

 

ブルガリア映画YoHoHo ↑

海賊の掛け声を表現するYoHoHo


ターセムはこの映画が気に入って、

 

お金が貯まったら権利を買おうと思っていて、そして買った。

「落下の王国」はYoHoHoのストーリーが元になっている。

美しい船を作るために製作予算の大半を注ぎ込んでしまった(だから映画は、船以外はショボイ)

海賊・・・?海賊版・・・?


I don't like Pirate

でもって山賊の話に・・・

 

「落下の王国」に出てくるキャラクターはだいたい二つの意味を持つ。

 

猿は

①ダーウィンの友人ウォレス

②YOHOHOに出てくるこの猿

 

 

 

 

グラディエーター風のコスチュームをつけたデビッド・ベッカム。

2003年7月、ターセムは、マドリッドから北東に行った古い町Medinaceli で、ペプシのCMを撮る。


出演は他に、ロベルト・カルロス、ラウル・ゴンザレス、フランチェスコ・トッティ、ロナウジーニョなど。

「落下の王国」のラストシーン、スペインの村のロケ地は長らく謎だったが、「ベッカムのCMを撮るついでに、スペインまでリーを呼び寄せて撮った」とターセムが言っているのでたぶんここがロケ地だろう、


スペインMedinaceli メディナセリ

 

 

 

本当のOta Benga(1881−1916)の物語
動物園で見世物にされたピグミー
二つの世界に引き裂かれた魂

ピグミーのオタ・ベンガはベトワ族としてベルギー領コンゴのカサイ川近くに住んでいたが、

 

ベルギー軍に妻と子供を殺され、奴隷となる。

ワールドフェアでピグミーを展示したいと思ったアメリカ人のフィリップ・ベルマーが奴隷商人からオタ・ベンガを買い取り、

 

他の8人のピグミーとともにNYに連れて行きブロンクス動物園に置いた。

差別論者や優性論者、教会や、自然科学者たちからの擁護や反論が起こり、

 

結局オタ・ベンガは動物園から出され、

 

みよりのない者の施設に預けられ、

 

学校にも行かされるが、

 

決してアメリカ社会になじむことはできなかった。

1916年3月20日、32歳のオタ・ベンガは、

 

火を焚こし、ギザギザの歯を隠していた入れ歯を取り去り、

 

部族の踊りを踊って、盗んだピストルで自らを撃ち死んだ。

アメリカ自然史博物館にあるオタ・ベンガから取った鋳型にはただ”ピグミー”とのみ記されている。

***********
 

ということで、ここでもロイとアレキサンドリアのインフォメーションギャップが起きている。

アレキサンドリアはヨーロッパからの移民であるのでネイティブのアフリカ人を見たことがない。

ロイのオタ・ベンガのイメージは、小柄で華奢で繊細な身長150センチのアフリカ人で、

 

一方アレキサンドリアは病院に来る仲良しの氷売りのブラックアメリカンをイメージしている。

オタ・ベンガのこの事件は当時センセーショナルに報じられたもの。


だからこの映画の時代設定はベンガの自殺した1916年以降だと考えられる。

 

 

 

ロサンゼルスで2000年8月17日に行われた”セル”のプレミアでの
ターセムと元彼女。


映画の完成&こんなに綺麗な人といっしょでターセムは誇らしげ。

ターセムはこの彼女のために、わざわざロンドンに居を構えていた。

二人は家族(つまり子供)を持とうと真剣に考えていた(はずだった・・・)。だが、

 

彼女はターセムを捨て、他の男性の赤ちゃん(babies)を生んだ。

それでターセムは家庭を持つ代わりに、この映画を作った。

ターセムは”失恋した”という言い方をしているが、実際はターセムは彼女に捨てられたようだ。

おかげで「落下の王国」にそのエピソードが投影されることになる。

 

Movie Walkerのインタビューでターセムは語る。

 

「元彼女に膨大な慰謝料を払うぐらいなら、

 

(お金は)自分の愛するベイビー(この映画のこと)に全部注ぎ込もうと思い、走り出したわけです」


つまり、金を持っていると元彼女に持っていかれてしまうから、


全部使ってしまえ、ということ。

去って行った女に金はやらん!って、ターセム…

 

この映画を4年間撮り続けて、

 

ターセムも癒され、

 

昇華したと思う

 

元カノに感謝

 

 

パラジャーノフ「ザクロの色」↑

 

売れないままに「落下の王国」は映画祭に出て行く。

第40回(2007年10月)スペイン、カタルニアでの
シッチェス・カタロニア映画祭で、
この作品はグランプリを取る。

いままで受賞した監督は以下のとおり。
****************
クエンティン・タランティーノ
ジャン=ピエール・ジュネ
セルゲイ・パラジャーノフ
デビッド・クローネンバーグ
デビッド・リンチ
ピーター・グリーナウェイ
ポール・バーホーベン
マルク・キャロ
ラース・フォン・トリアー
リュック・ベッソン
************

どれもこれも一癖ある監督ばかり。

特にこのセルゲイ・パラジャーノフ はターセムが影響を受けたと言われる監督。

「ザクロの色」が有名だけれども、まるで紙芝居みたいで、動きが少ないへんな映画。


このほかに影響があるとして
タルコフスキーとパゾリーニの名前があがることがある。

 

 

シッチェス・カタロニア映画祭の前に
「落下の王国」は
ベルリン映画祭青少年映画部門(Kinderfilmfest) でグランプリを取る。

この賞は2部門あって、
1)Generation Kplus   
4歳以上対象で、11人の子供の審査員によって最優秀賞が選ばれる。
2)Generation 14plus  
14歳以上が対象で、7人の子供の審査員によって最優秀賞が選ばれる。

この映画が取ったのは 
第57回(2007年2月)ベルリン国際映画祭
クリスタルベアー特別賞(青少年部門
[Generation 14plus]最優秀長編映画賞)

つまり、14歳以上の7人の子供審査員によってグランプリに推された。

ドイツでの「落下の王国」の本上映は2009年3月5日から。

日本より遅い。

ドイツではまだDVDすら発売されておらず(予定2009年10月)
amazon deでのDVD UK importの論評ももの凄く良い。


この映画はドイツ人受けする内容だと思う。

 

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と期待していたんだが、やっぱりドイツ人は全吹き替えでドイツ語にして公開。

 

落下の王国はインフォメーションギャップを楽しむものなので、

ドイツ語吹き替えは許せない。

 

 

パンズ・ラビリンスと「落下の王国」は同じ時期に
トロント国際映画祭で上映されている。

パンズ・ラビリンスは2006年9月10日、
「落下の王国」は2006年9月9日、一日違い。

パンズ・ラビリンスもアメリカでは黙殺されたといってもいいほど冷淡な扱いをされる。
フィルムフェスティバルに出されてそのあとは限定公開だけ。

落下の王国のプロデューサーであるデビッド・フィンチャーは言う。


「バイヤーたちは、誰が観るかを念頭において買い付ける。
しかし、パンズ・ラビリンスの観客はこういう人たちだ、
って誰がそんなことが言える?いまの観客たちはよく判っている」

つまり・・・
パンズ・ラビリンスはファンタジーの形式をとった反戦映画だが、
ちょっと見は子供向け映画のようにも見える。

 

しかし、ファンタジーでもターゲットは子供だけが観るというわけでもない。

だいたい「パンズ・ラビリンス」見せたら、普通の子供は泣くでしょ。
むしろ見せちゃダメ。


「落下の王国」のターゲットも子供ではない。

*********

「落下の王国」の”王国”という邦題は・・・
パンズ・ラビリンスを意識してつけられたのではないだろうか・・・

落下の”王国”は
パンズ・ラビリンスでオフェリアがたどり着いた”王国”の
もうひとつの形態の表現ではないだろうか?

 

The FALLという原題に「王国」を入れ込んだ日本の配給会社ムービーアイの素晴らしいセンス。

トロント国際映画祭で、この2作を立て続けに観たバイヤーたちは、シンクロする2作にさぞや驚いたに違いない。

オフェリアの意識的なサクリファイスは「落下の王国」では、
アレキサンドリアの"無意識のサクリファイス"として昇華され、
ロイの心を動かし現実的な解決がなされる。

生と死、悲観と楽観、ドメスティックとグローバル、社会と個人、重厚さと軽快さ、現実社会と空想世界・・・

この二つの作品はまるで姉妹のようだ。


月のように静かで楚々とした可憐な姉オフェリア、
太陽のように明るく、くったくのない生命力に溢れた妹アレキサンドリア。


おそらく・・・
バイヤーたちは、姉の成功を見て、妹もいけるかもしれない、
と考えたのではないだろうか。


だから、映画祭公開から2年もたってようやく上映できることになったのだろう(2008年 日本公開)

買い付けや公開もまたオフェリアのサクリファイスかもしれない。

 

 

↑  ジョードプルでのターセム

 

ターセムはヒマラヤの寄宿学校”Bishop Cotton School”で学んだ。
1859年設立、日本で言えば江戸時代。
由緒あるキリスト教系寄宿学校。
ターセムはこの学校に弟とともに入っていた。


父親がエアインディアのエンジニアでテヘランに行っていたため、ここに入れられた。
(ターセム自身もテヘランにいたことがある。ペルシャ語がわからないままテレビを見て楽しんだという。)

イラン革命で父親が帰国したため、ターセムもデリーに戻った。
子供のころからずっと映画が好きで、映画の勉強をしたいと思っていたが、あるとき、アメリカの映画学校のパンフレットを見て、アメリカに行こうと決意する。

父親にはハーバードビジネススクールに入ると嘘をつき、24歳(だから強いインド訛りの英語〜)で渡米。
アメリカから父親に電話したところ、

「OK そんな奴はいないと思うことにする」

と絶縁される。

偽IDで、LAのCity Collegeに入り、中古車のセールスなどしながら苦学して勉強。
ショートフィルムで認められ奨学金を得てパサデナのアートカレッジに入学する。
クラスメートには”トランスフォーマー”のマイケル・ベイがいた。

 

カレッジを卒業し、その後R.E.Mのミュージックビデオ”Losing My Religion”を撮り、シックなアートディレクターとして有名になる。

 

ターセムの弟も渡米してターセムを助けるため、掃除の仕事をしてターセムを養っていた。

 

ターセムが成功してのち、弟も学業を全うし、ターセムの仕事を助けることになる。

 

弟は「落下の王国」の製作費用を工面し、最後は車や自宅を売る話も出ていたが、ようやく映画が完成したため、売らずにすんだ。