無限において、自然数と偶数は同じ数であるという話を聞いたことがないでしょうか
難しく説明しているところが多いですが、簡単に説明しましょう
f(x):xは自然数 で表すことの出来る全てのf(x)は自然数と同じ数だけあります
なぜならどんな関数であれ、関数を列挙するのであれば
全てのf(x)は引数xが自然数個であるので、 {f(0), f(1), f(2), f(3), f(4), ...}であり、それは自然数個です
偶数はf(x)であらわすことが可能ですし、整数も分数も可能です
ランダムな実数をf(x)であらわせばそれは自然数個ですし、πの各桁の数をf(x)であらわすならそれも自然数個です
あくまで「関数の個数」に注目すれば、どんな関数f(x)だって自然数個になります
関数f(x)の中身の法則なんてなんだっていいんです
入力するxの候補が自然数個なんだから、f(x)の個数が自然数個になるのは当たり前です
入力値であるxの範囲を制限したり、解の重複要素を除外したりといった特殊な操作をすれば
自然数個ではなくなりますが、そういった特殊なことをしなければ、どんな関数でも自然数個になります
関数の個数が自然数個になることのほうが普通であって、そうでないのが特殊なことをしているんです
それでは実例で示してみましょう
関数であらわすバージョン
①自然数:{0*1,1*1,2*1,3*1,4*1,....}
②偶数 :{0*2,1*2,2*2,3*2,4*2,....}
値であらわすバージョン
③自然数:{0,1,2,3,4,....}
④偶数 :{0,2,4,6,8,....}
①と②が同じ個数なのはもはや自明です
関数の個数を比較しており、引数が自然数個なので、どちらも自然数個なのは当たり前です
③と④は、③のほうが大きいです
④は③から奇数を除外したものですので、自然数>偶数となるのが当たり前です
無限集合の特徴は,それと同等な真部分集合を含むことであるなんていわれたりします
実際には関数の個数が同じ(①=②)で、解が真部分集合である(③>④)といえます。
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∀xの有効範囲を公理系(A,B)内、ヨxの有効範囲を公理系(A)内とします

無限公理について考察します
無限公理とは、数学において無限性を保証するもので、
ざっくりいうと、「0を含み、全てのxについて(x+1)が存在する」という公理です。
どんな数字でも+1すればそれより大きな数字が作れるなら、
数字は無限に大きく作れそうな感じがしますよね
論理式だとこんな感じの記述になります
∃A[(φ∈A)∧∀x∈A(x∪{x}∈A))]
しかし、自然数は10個しかなく、全ての自然数は10より小さいわけです。
一見すると矛盾するような話ですが、∀xの有効範囲を公理系内、ヨxの有効範囲を全ての公理内として
考えて見ましょう。
ポイントは∀xの扱いです。
Aが公理系(A)と同じサイズを持ち、公理系(A,B)より大きい場合、∀xは公理系(A,B)と同じサイズまで縮小します。
公理系(A,B)内の全て(∀x)の数字は、x+1すると公理系A内のどこか(∃A)に存在します

一目でわかるくらい当たり前の話しです。
最大の数Mに1を足すと、公理系の範囲を飛び出してしまうので、
M+1は解のない式となります。
ヨxは式が存在するかどうか、∀xは解が存在するかを判定するので、
あくまで式が存在するかどうかを議題とする無限公理は解の存在を無視します
∀xの有効範囲を公理系内、ヨxの有効範囲を全ての公理内とした場合、
(無限である証明ではないですが)、無限公理が成立するという説明でした。
公理はそれ単独で空間を作ることができ、
公理系とはそれぞれの公理の積空間であるとします

この条件で、全称記号、存在記号について考えてみます
Aの全て:∀x∈A、任意のA:ヨx∈Aは、それぞれ2種類の意味を持つことがわかるでしょうか
公理系(A,B)を扱う人は、公理系(A), 公理系(B)も扱うことが可能なのでこれら4種類の範囲を扱うことが可能です
①②③④

例えば公理系(A,B)をはみ出してしまうような集合Eを考えてみましょう
ざっくり公理系(式,解)とおきます
∀x∈Eは、外延公理で使用されることを筆頭に、存在するものしか対象にしませんので
常に公理系(式,解)内のもののみ列挙されます
つまり∀記号は公理系外のものを含む集合の大きさを変化させます

ヨx∈Eを考えるにあたって、「解のない式」とは何かを明確にしましょう
公理系(式,解)の中にあるのか外にあるのか。存在するのかしないのか
私の中での正解は、「解のない式」は公理系(式,解)の外にあり、式としては存在するが解は存在しませんが、扱うことが可能であるべきです
つまり式としては存在しなければいけません
そのためにはヨx∈Eは公理系(式)の範囲を対象とするべきだと考えます
つまりヨ記号は公理系外のオブジェクトを対象とします

最初にあげた①②③④のうち、∀xは①、ヨxは④を採用するというのが私の考えた新しい理論となります
公理はそれ単独で空間を作ることができ、
公理系とはそれぞれの公理の積空間であるとします

外延と内包を考えてみます
外延とは、集合の元を列挙していくというものです
だから集合の元ではないものは絶対に含まないのです。
そもそも列挙の候補としてあがりません
また存在しないものは絶対に含めることが出来ません
公理系(A,B)に関していうと、【全ての「公理Aを満たすもの」】は実際の対象は公理系(A,B)という集合自体をさします。
いいかえれば「公理Aを満たすもの」を参照しているにもかかわらず、公理Bも満たしている必要があります。
なぜなら公理Bを満たすことは「存在している」ための条件であり、外延という性質上存在しないものは絶対に含めることが出来ないため、公理Bも満たしている必要があります
つまり、【全ての「公理Aを満たすもの」】は実質【全ての「公理A、Bを満たすもの」】なので
【全ての「公理A、Bを満たすもの」】を列挙する限り、
外延という方式では、【(公理系(A,B)に存在する)全ての「公理Aを満たすもの」】は公理系(A,B)でも公理系(A)でも同じものを指します
(公理系Aでも公理系A,BでもA&Bの積空間のみが列挙される)
内包とは、ある性質を満たしているかどうかに注視するものです
特に範囲に規定がなければ、最も大きい範囲、つまり公理系の大きさに範囲が依存します
内包では【全ての「公理Aを満たすもの」】は、公理系(A,B)では公理系(A,B)と同じ大きさになり、
公理系(A)では公理系(A)と同じ大きさになります
つまり内包という方式では、【全ての「公理Aを満たすもの」】は公理系(A,B)と公理系(A)では異なるものになります
(公理系A,Bでは積空間のみが列挙される)
公理はそれ単独で空間を作ることができ、
公理系とはそれぞれの公理の積空間であるとします

ここで重要なのは、公理系(A,B)を扱うことが出来る人は、
Aのみで構成された公理系(A)も同時に扱うことが出来るということです

公理系(A,B)において、「公理Aを満たすもの」を列挙します
当然公理系(A,B)内の全てが列挙されます

しかし公理系(A,B)を扱うことが出来る人は、Aのみで構成された公理系(A)も同時に扱うことが出来ます
つまり、「公理Aを満たすもの」を列挙した場合、
公理系(A)内の全てを列挙することも可能です

【全ての「公理Aを満たすもの」】は、2種類の意味を持つことを理解いただけたでしょうか
もちろんこれは公理系(A,B)の話なので、範囲が公理系(A,B)内に限定されるのは自明であり、注釈がなければ【全ての「公理Aを満たすもの」】は公理系(A,B)と同等です。
ここまでいろいろ語ってきましたが、どうでしょうか。
まずはじめは、「10とは無限である」という主張をしました。
もちろんある前提の元でです。
それは、自然数とは全て10未満の数、すなわち「単桁」であるという前提です。
もし全ての自然数が「単桁」であるならば、「多桁」である10は自然数ではなく自然数の公理系内には含まれない数となります。
その前提であれば、10は全ての自然数より大きく、「10とは無限である」という主張は誰しも納得する結論かと思います。
では自然数がなぜ「多桁」ではいけないのか。
それは、「多桁」は式だからです。
多桁をサポートする体系の場合、 例えば10進法では1,2,3,4,5,6,7,8,9ときたら、9の次は10でなければいけません。
9の次は20ではいけないのです。
自然数の公理にそんなルールはありません。
自然数の公理ではある数の次は任意の数(符号)となっています。
9の次が10となるのは、10が"1"と"0"の2つの符号に分離して計算が可能な「式」だからです。
自然数を外延的に列挙する場合、式は含むべきではないのです。
あくまで一つの値を含むべきです。
なぜなら式は解のないものの可能性があるからです。どうしても式で示したいなら解の存在する有効範囲を規定すべきです。
自然数は多桁を想定していませんので、解の存在する有効範囲は規定されていませんし必要ありません。
しかし、多桁の符号表を採用するのであれば、有効範囲を規定すべきです。
10が式として存在する場合、式の空間、解の空間という2種類の空間を同時に扱う必要があります。
また「比較」についても検討を行いました
比較というのはある2つのオブジェクトを「同じ」そして「異なる」と矛盾するような判定が同時に成り立つものです
これは「同じ」と判定する基準、「異なる」と判定する基準2種類の判断基準、2種類の空間の存在を示すものです
無効な式は存在するか?
というテーマも扱いました
解の無い式は存在します
式は「存在」し、解は「存在しない」ことをあらわします
これは、2種類の基準があり「存在する」/「存在しない」の2種類の基準を同時に扱っていることを表しています
今までのすべてはある新しい概念のもと、導き出されたものです
次回、結論というか本命のテーマを出します
対角線論法についてわからない人は適用にググってください
0より大きく1より小さい小数を全て並べきれると仮定すると
対角線にある数値を別の数値(例えば0だったら9にする)で構成された小数を作成すると、リストに含むべきリストにない小数が作れてしまう
これは矛盾するので仮定自体が間違いだったとするものです
でもここで私はある事実に気が付きました
対角線にあたるところがたまたま全部0だったとします。
0.[0]415926...
0.7[0]20508...
0.50[0]0000...
0.324[0]195...
0.6180[0]39...
0.71828[0]8...
対角線の値がもし0だったら9にします。
そうすると、新しい数は0.999999....となります。
..アレ?
0.999999...って=1じゃないですか?
確かに数字の並びとしてはリストにないものなのですが、
元々のリストは1未満なので、新しい数として1がでても それはリストに含まれていなくて当然ですよね。
同じという概念は非常に面白いものです。
同じかどうかを判定するためには2項が必要です。
比較というのは、2項を調べる2項演算子なんですよ。
2項あるということは、それらが「違う」ものであると認識済みであるということです。
同じものには、必ず違う部分があります。
比較可能なものは必ず2つ以上の要素を持ちます。
2つ以上の要素がなければ比較することが出来ません。
私はそれに名前をつけました。
それは、「値」と、「識別子」です。
比較可能な全てのオブジェクトは、値と識別子を持ちます。
Object{
値
識別子
}
オブジェクトa,bがあるとき、識別子が異なり値が同じものが「同じオブジェクト」です。
オブジェクトa,bがあるとき、識別子が異なり値が異なるものが「異なるオブジェクト」です。
Object a b;
((a.値 == b.値) && (a.識別子 != b.識別子))//同じ
((a.値 != b.値) && (a.識別子 != b.識別子))//異なる
あなたが何かを比較し、同じものだと思った場合、必ず同じ部分と違う部分があります。
数学でももちろんそうですよ。
通常の数学では、値は数値、識別子は場所です。
例えば次の式では左辺の識別子は1文字目、右辺の識別子は3文字目です。
5=5
数学では一見値だけを扱っているように見えて、隠しパラメータとして位置情報という識別子も使っているんですよ。
通常、数学において識別子は大して意味を持ちません。
ただの構文のルールです。
しかし、無限を考えるとき。特に無限の比較を考えるとき識別子は無視できないと思うんですよね。
もし識別子の数が有限だった場合、値の範囲が無限であったとしても
はたして値の数が無限であることを示せるのでしょうか?
自然数は比較が可能なオブジェクトです。
よって値と識別子を持ちます。
自然数の数を数えるときは、値の範囲だけではなく、識別子の範囲をみて個数を決めるべきではないでしょうか?
自然数の定義について疑問があります。
ある何かがあるとき、それが自然数か自然数でないかを判別するとします。
自然数は次の「数」が存在するものと規定しましょう。
判定する条件として、次の「数」の定義として次の2つの解釈のどちらを採用すればよいでしょうか。
#1.その何かが自然数であり、その何かの次が存在する。(次は自然数でなくてもかまわない)
#2.その何かが自然数であり、その何かの次も”自然数”である
#1の解釈を取るなら、例えば2の次に3があることを示せば、
3はともかく2は自然数であるといえます
#2の解釈を取ると、例えば2の次に3があることを示しても
その時点では3が自然数かどうか不明なので2も不明のままです。
当然、3の次の4を示したとしても同様に、2が自然数かどうか不明です
数をどれだけ数え上げても(全てを数え上げれば別ですが)、2が自然数かどうかはわかりません
私が1,2,3...と数えて、9まできたところで寿命で死んでしまったとします
結果的に私にとって9の次の数は存在しないため、私にとって10は自然数にならないのではと思います
#1の解釈をとれば、1~8は私にとって自然数ですが
#2の解釈を取れば、9は自然数でなく、8も9が自然数でないため自然数ではなく、
7も6も全て同様に、1以外の全ての数は自然数ではなくなります
この場合、私にとっては9まででしたが、大なり小なり人には上限があり
また人全体で考えても上限があります
つまり、#1の解釈が正しければ私たち人間は自然数の2を正しく認識できます。
しかし#2の解釈が正しければ、私たち人間が自然数の2だと思っているものは正確には自然数ではありません。
自然数もどきです。
私たち人間は、自然数の2を見つけることが出来るのでしょうか。
