アフリカから国費留学をしてきた友人と出会ったのは

僕が通っていた大学のキャンパス。

彼の名誉があるんで国名は言わないんですけど

僕は、彼から意思を持つ大切さを学びました

彼から見せてもらった彼の故郷の写真は

まるで絵に描いたような建物が並び、綺麗の一言。

僕は、その絵を見た途端、どうしてもその国に行きたくなっちゃって

本国に貴省するとき連れてってくれ、って彼にお願いしてみたんです。

すると、彼はOKと即答。

宿泊先は彼の実家、エアチケットもリザーブし、教授には、おばあちゃんが
亡くなったとウソをつき休講許可も取り、準備万端いざアフリカにフライト。

彼の実家に到着した僕は、長旅ですごく疲れてるハズなのに、テンション

は上りっぱなし。そこの彼の実家のファミリーが大歓迎してくれて、僕の

テンションはマックス。

旅すがら見た風景は、写真の通り美しく、僕の胸にキューンて何か例え

られないような感動をしてたなかでの、マックスになったテンションと彼の

ファミリーの歓迎に、僕は極上の幸せを感じていました。

でも、翌日事態が一変しちゃうんです。

翌朝早く、僕は彼と一緒に、彼に国費留学のサポートをしている役所に

向かったんですね。正直、遠い道のりだったけど、車窓から見える大自然

の景色を見ていると、大地に抱きしめられているようで、迂闊にも自然に

涙だでてきてしまいました。

目的地に到着した僕たちの目の前に建っていたのは、本当にここは国の

機関なの?って思えるような小さなビル。

そのビルの中に入っていった僕たちは、さらに小さな小部屋に通されたんです

暫くして、ドアをノックして入ってきたのは、半そでシャツに短パンを履いたおじさん一人。

ホントに、この人がお役人さんなの?って感じのおじさんなんですけど

明るくてノリが良くて、フレンドリーな親近感がもてるお役人さんなんですね

友達は、僕にお役人さんを紹介すると、そうか、そうかと言わんばかりに、

一時間以上世間話しに花が咲き、仕事そっちのけで盛り上がって

しまったんです。

挙句の果てに、三人でランチに出かけ、そのおじさん、街の観光まで

案内してくれちゃって、気がつくと夕方になっていました。

友達がすべきキョウの用事は、書面にサインするだけだったんですけど

丸一日、三人で遊んでしまいました。楽しかったですけどね。

帰り道、友人は僕に、突然人生のk決意表明をはじめちゃったんです。

彼曰く、大学を辞めて写真家になると決めたこと。そのことを彼の

ファミリーにはナイショにしてほしいとのこと。てことだったんですけど

そんなことして、国費留学の資金を停められたらどうするんだ

と心配する僕に、

彼は、構わない、今日は今日、明日は明日で何とかなる

なんて無計画で無謀な返事をするだけだったんです。

旅行からアメリカに帰国後、彼は本当に大学を辞めてしまい

とある写真家のもとに入門してしまいました。

国費留学の資金をとめられ、学生ビザも失い、身寄りもない

ニューヨークで、全てを投げ捨ててしまった彼は

一年後、個展を開くという結果を出したんですね

その後、彼はプロの写真家として、アメリカではそこそこ有名

になり、若くして成功のプロセスをふんでいったのですが

何故、そんな無謀なことをしたのか、何故、君は成功したのか

彼の答えは、こうでした。

うまくいくと信じて努力していれば、必ず欲しいモノは手に入る。

俺に必要だったのは、やる気だけだった

彼のくだした、人生を変えるという決断は、やるという信念があったから

彼の起こした行動も、やるという信念があったからこそ

うまくいったんだと思うんです。

信念は人生の目標を達成する最大の武器になる

ということを彼から学びました

このブログに一日一万PVという目標も

僕の信念次第

頑張ります

また遊びにきてくださいね




911ニューヨーク同時多発テロ事件のとき

リーダーシップを発揮したジュリアーニ元市長。

彼は、もともと検事をしたいたときのノウハウを活かし

新しいニューヨーク市警察の長官を就任させたり、

鉄道警察と一般の警察の組織を併合して、ニューヨークの治安を回復

させた実績をもっています。何よりものすごい数の警察官を増員させた

のも彼の業績なんです。

ジュリアーニ氏が、市長に就任して初の予算編成を、僕はニューヨーク

タイムスで読んだんですけど、文化に関係する予算に30パーセントも

割り当てているんですね。

このとき僕は、さすがニューヨーク、さすがジュリアーニって思いました

この予算編成は、ニューヨークは文化の街、だから文化を大事にする

んですよ、ということをハッキリ表明したからなんですね

文化を大事にすることで都市は繁栄するんじゃないでしょうか

文化を大切にする教育方針は、子供たちの心を育み豊かにする

ジュリアーニ氏の功績は、警察組織を強固にすることだけじゃ

なかったんです。犯罪に手を染めることがないように、子供たちや

若者に教育をしていくことなんですけど、そこに大きな貢献を果たして

くれたのが、文化なんですね。

文化はアート、絵画に音楽にスポーツにと色々ありますよね

文化の繁栄は、人類の繁栄だと、僕は信じています



僕が18歳のときの話しです。

新しい学生生活がスタートした時期に偶然見た

テレビのアメリカ移民特番に影響されてしまい

どうしても、不法移民がアメリカに上陸して、はじめて泊まるホテルを

みたくなり、いろんな方に会い、情報を集めながら、

やっと見つけた、そのホテルに潜入したときの話しです

ホテルの前に到着すると、目の前に建っているのは、

いわゆる普通のホテルでした。看板は小さくて全然目立たないのですが

駅前にある日本のビジネスホテルのような外観ですね。

中に入ると、檻とガラスで覆われたフロントがあって、まずはチェックイン

宿泊費は、当時のレートで一泊1500円くらい

チェックインしたいというボクに、フロントにいるおじさんが、不思議そうに

僕を眺め、ID(身分証)を見せろというんですね

僕は少し躊躇しながら大学の学生カードを見せたところ、

学割がきくらしく一泊800円という価格までホテル代が安くなりました。

800円払うと、フロントのおじさんが僕に渡してくれたキーに書かれた

階にエレベーターで直行しました。エレベーターがその階に到着し、ドア

が開くと、僕の目の前に広がった風景は、全フロアーが木の板で仕切られた

小部屋(畳1枚半か2枚位)が並び、トイレとシャワーは共同といった、避難所

のような光景だったんです。

一瞬、帰ろうかな、キャンセルしょようかな、と思ったんですけど、左側から

一人のお爺さんが僕に声をかけててきたんです。

ここ初めてかい?ぼうやいくつ?なんて感じでフレンドリーなお爺さんとの会話

が、このホテル?の最初の出来事でした。

このお爺さん、聞くところによると、ココに長いこと滞在しているんだそうで、シャワー

の使い方やら何やらココに滞在するためのノウハウを僕に教えてくれたんですね

僕は、すっかりお爺さんと打ち解けてしまい、二人で話し込んでいると、一人、二人

とココに滞在している人たちが戻ってきて、お爺さんは彼らに僕を紹介してくれた

んですね。

このフロアに滞在している人は60人位なんですけど、何でも本物の日本国籍

とグリンカードとパスポートを持った人が泊まるのは、ここが開業してから初めて

なんだそうで不法移民じゃない僕のことが珍しかったらしく、他の階から人が

集まって来て、いつのまにか宴会が始まってしまったんです。

僕は、どんな人がいるんだろうって、ココに来るまで不安だったんですけど

僕のイメージとはかけはなれたフレンドリーな人たちで、其々自己紹介したり、

お酒が飲めない僕に、彼らが働いているレストランから持ってきたコーラを

僕にくれ乾杯したりと、話しがダンダンと盛り上がり、何年も付き合っている

友達同士のような打ち解けた雰囲気になっていったんです

ある一人の初老の男性が僕に、アメリカには何に乗ってきたんだいと

尋ねたんです。

僕は正直に飛行機で来たことを話すと、みんな驚いていました。

アメリカには、みなさん密輸船か国境を歩いたり走ったりして入国したそうで

飛行機で正々堂々と入国した僕は、雲の上の人なんだそうで、雲の上の人

という意味のウイザードというニックネームをいただき、みんなからウイザー

と呼ばれるようになったんです。

僕は、宴会が楽しくて、みんなと話すのが楽しくて、一晩の予定を変更し

三日ほど滞在したんですね

三日目の夜、チェックアウトした僕は、みんなと涙涙のお別れをしました。

大学は三日ほどお休みしましたけど、このブログでは書けないような

彼らの凄まじい体験を聞くことができ、大学では学ぶことのできない

貴重な体験をしたと思います。

彼らは、確かに不法移民ではありますが、それはあくまで移民法に

抵触しているだけのことであって、彼らの人格や人生を否定することは

誰にもできません。むしろ、安い労働力を提供しアメリカ経済に貢献

している彼らこそ、俺はアメリカ人なんだと胸を張っていえるんではない

かと僕は感じたんですね。

GOOD  LUCK




ニューヨークのキャナルストレートを中心に

広がっているチャイナタウンには、たくさんの

お土産屋さんが軒を連ねています

平日でも旅行者の多いニューヨークでは、多くの観光者が

チャイナタウンに訪れ、連日大賑わいしています。

ちなみに、ここはスリのメッカみたいなトコロなんですけど

それだけ多くの人でごった返している証

このチャイナタウンにあるお土産屋さんのなかには

ブランドものの時計やバックのコピーがひっそり売られていて

時々、警察のガサ入れが入るんですね

私服警官が、お客さんのフリをしてお土産屋さんに

やって来る。

私服警官が「ヴィトンのバックある?」と店の人に聞き

店の人が、コピーの商品を出してきた途端、

物凄い数の私服警官と制服警官が銃を持って

集まってきて、店主や店員さんを逮捕して

コピー商品を没収すると

連行しちゃうんです。

そんなガサ入れの現場に自らやってきて、

やってもいない罪をかぶり、

俺がやりましたから逮捕してください

っていう人たちがたくさんいるんです

何故、彼らがそんなことをするのかというと

まず、彼らは密輸船でやってきた人たち

いわゆる不法移民なんです

不法移民のほとんどは英語が話せません

しかし、英語スクール行くお金もない

だから、彼らが考えたのは、

刑務所に入って、英語を学ぶという発想なんです

刑務所ならば、学費はタダ、家賃もタダで

三食昼寝付き

食事代もタダ、アジアの刑務所と違って、

彼らが御馳走と考えるサンドイッチがタダで食べられる

最高の場所なんだそうです

その刑務所で英語を身につけてしまえば

アメリカにはビジネスの世界でたくさんのチャンスがあるから

金持ちになれる、と彼らは考えているんだそうで、

世に中には、それぞれ価値観を持っているわけですが

彼らの価値観や発想に

僕は衝撃を受けました

そのお蔭で、大学の単位の悩みなんか、

どっかにすっ飛んでしまったんですね

悩みって、自分ひとりで考えていると、凄く大事のように感じますが

価値観の違う人たちの考え方を知ることによって

悩みが軽減されるということを学びました

人間て本当に強いんですね

彼らから、生きる力を学びました

世の中に存在する人は全員、世の中のためになっているんですね

英語の発音を綺麗にするには、どういう方法が

ありますかってよく質問されるので、お答えしますね

方法は、たった一つだけなんです

それは、AからZまでのアルファベットを、一つずつ正しく発音

するトレーニングをすればいいだけなんです

ブログでは、発音を伝えるのは難しいのですが

正しい発音のトレーニング方法を

知っているのと、いないのでは出せる結果に

違いがでてしまうでしょう

トレーニングの方向性間違わないでくださいね
学生のたまり場のようなニューヨークにある小さな

レストランは、量が多くて安い、日本の学生食堂のような

存在で、ぼくはよくここに通っていました。

ここのママさんは、僕たち学生一人ひとりの顔と名前、

食事の好みを把握しているんです。店に入ると必ず

そのママさんとハグするっていうのが、この店のルール。

ハグしたときに、僕たちの健康状態や悩みの有無などを

見抜いてしまう、いわば僕たちのお母さん的存在でした。

僕はよく、大学をサボって世界旅行にでかけていることを

このママさんに報告したり、お土産を持って行ったりしてました。

あるとき、サボってばかりいる僕に業を煮やした教授から、

目をつけられてしまい、単位をあげないと脅され困っている

とき、ママさんに相談したことがあるんです。

その時、ママさんが一人のホームレスのおじさんを

僕に紹介してくれたんです。このホームレスのおじさんは

とある場所でホームレスをしているんですけど、

そのおじさんに、僕が旅行に行くとき、僕の学生カード

(これを持っていると、学内のオートロックのドアを開けて
なかに入れたり、そのレコードが残って僕がその部屋にいた
ことを後から証明できるんです)

を渡しておき、毎日そのおじさんにカードを使って、

レコードを残し、アリバイをつくってしまえ、というのが

ママさんのアイデアでした。

日本でいうところの大返?のよなシステムかと思います

そのアイデアは、結果的にうまくいき、事なきを得ること

ができたんですね。

そのことが、きっかけになり、おじさんが業としている

ニューヨークのホームレスの世界をしることに

なったんです。

おじさん曰く、ニューヨークのホームレスには2タイプあって

一つは、完全な職業ホームレス。このタイプのホームレスの

年収は、当時のレートでも1千万円をくだらないそうです

もう一方は、完全なホームレス。家や財産を失い

本当の意味でのホームレスで、ホームレスで、ホームレス

を職業としていない人達ですね

僕が、ママさんに紹介されたのは職業ホームレス、いわば

ホームレスのプロだったんです

おじさんに食事を御馳走になったことがあるんですが

確かに高級な料理とケーキを買ってもらい

一緒に公園で食べた経験がありますから、まんざら嘘では

ないんですね

だは、何故彼がホームレスになったのかというと

本人曰く、もともと人付き合いが苦手で、会社に勤めたときも

学校でも、プライベートでも誰かと話しをしたり、コミュニケーション

をすることができなくなってしまい、結果、うつ病を発症気味になった

ことが、きっかけで人とせっしなくてもいいホームレス業に転じた

んだそうです。

僕は、このとき、資本主義社会が生み出した格差によって誕生した

ホームレスの存在はないほうがいいと思っていたんですけど、それよりも

どのような階級であっても、資本主義社会には、必ずチャンスがあるもん

なんだということを学んだんです。

二人のホームレスがいて、一人は高額なお金を集め、もう一人は全く

稼げない、という現実に、格差というものは捉え方によってチャンスに

変えることができるということを、このおじさんから学んだわけです

僕は、おじさんから「アメリカしか知らない俺よりも、世界を巡り、いくつ

もの言語を話す君のほうが、将来金持ちになるよ」と言われ、

その気になってしまいましたが、

現実は、まだ日本でブログ書いてるだけなんですけどね

ピンチはチャンス、おじさんのことを思いだすと勇気が湧いてきます

世の中、悲運が巡ってきても、捉え方によっては

チャンスが訪れると思いませんか

人生は一度きり、泣いても暮らすも一生、笑って暮らすも一生ならば

笑い飛ばしたほうが得ですよね




僕が大学生のとき、

事情があって自主退学しなきゃならい友人のために

仲間30人位で、送別会を開いたときのことです。

僕はお酒が飲めません。

でも暫く会えなくなる酒飲みの友人に

ワインをお酌、ご返杯を欲しくなってしまい

飲めないお酒に手をだしたことが失敗の始まりだったんですね

普段やらないことはやるもんじゃない、って肝に銘じましたけどね

そのワイン、仲間みんなでお金を出し合って買った

イタリアの赤ワイン、バローロっていう年代物なんです

これ凄くおいいしいから、あなたも是非飲んでみてください

もし、あなたがお酒が好きならですけど

そのバローロを飲んだ後、僕は何か心がウキウキしちゃいまして

その後、どんな行動をとったか覚えてないんですね

未だに思い出せないんです

お別れパーティだっていうのに

僕の心はウキウキして

毎日会っているハズの、離れ離れになる友人と

積る話しに花が咲き

っていうあたりは、何となく覚えてるんですけど

その後どなってたんだか解んないんです

僕とその友人の二人は、気がつくと飛行機の中にいたんですね

飛行機の中で寝ていて起きない僕たちを起こしたのは

ドイツ人の移民警官らしき数人のグループでした

制服の胸のワッペンみたいなとこに

ドイツ名が刻印されていたし、飛行機の窓から見える風景は

確かにドイツと言われればドイツなのかも、なんて思ったんです

いきなり、警官みたいな人に「ドイツ語話せるか?それとも英語?」

なんて聞かれちゃって、

隣にいた友人が「英語で」なんて答えちゃうもんだから

僕たち二人は、イミグレーションの取り調べ室に連行されちゃった

んですね

こういうときは、黙秘権てのがあるはずなのに、返答しちゃった友人

は、正直な奴なんだなって関心してしまいました

取調室の個室のなかで、僕たち二人は、まるで犯人扱いでもされる

ように、「なぜドイツに来たのか」と執拗に聞かれ、ポケットの中身

を全部だすように強制されたんです。

少々、頭にきた僕は「何もわるいことはしていない。何故あなたたちは

僕たちに尋問をするのか?失礼だ」と抗議をすると

「不法入国の疑いです」とあっさり即答されました

確かに、僕たち二人はパスポートも持たず、昨夜のことも

思いだせないまま、今ドイツにいるという事実を突きつけられ

酔った勢いで空港に行き、機械でエアチケットえを買い、

出国時はチェックをしないアメリカを出国したに違いないこと

思いだせないけど、そいうことなんだろうと推測しました

それから数時間の取り調べを受けるハメに

かろうじて財布のなかに入っていた、クレジットカードと

免許証から僕がアメリカ永住者であることが証明できた

んですけど、昨夜から今にいたるまでの経緯を僕たちが

説明すると、制服グループのうち二人が大爆笑してたの

を今でも忘れません。

結局、僕たちは強制送還用の飛行機に乗れることになり

(タイミングが良かったんでしょうね、きっと)

アメリカに返ってきましたが、帰り際ドイツのイミグレーション

の人たちが「こんど必ず正規にドイツにいらっしゃい。そんときは

ドイツビールで乾杯しよう。GOOD LUCK」って言ってくれたのが

凄い粋で印象的でした。

いい人達なんだなって感じました

強制送還用の飛行機は、創造と違って、いわゆるエコノミー

僕たちは人間扱いされているっていうのを感じたんですね

その日から、僕はエコノミークラスが好きになってしまいました

人間には、いろんな失敗や挫折がありますが

お酒の失敗もふくめて

失敗しても、再度チャレンジできる社会が形成されなきゃいけない

っていうことを肝に銘じるようにしています

その後、僕はドイツに行きましたが、イミグレーションで引っかからなかった

のは、あの時、ドイツイミグレーションの彼らが僕たちのことレコードしなかった

おかげです。彼らには会えなかったけど、感謝しています。

今、一緒にドイツに行った友人はアメリカの州政府のお役人になり、

刑務所を出所した人たちの社会復帰のための政策をすすめる仕事

をしています。頑張ってほしいな。

もう一人のほうは、日本でブログ書いています






日本は6334 6332 6336と小中高、短大、大学、と各級の学校の

年限が決まっていますが、

アメリカの私立校では、小学校3年生のみの学校とか、高校一年生のみ

とか、通信教育もあればカトリックの学校もあり、飛び級もありと

バラエティにとんでいるんです。

個を大事にするお国柄が教育にも現れているのかなと思います。

価値観は人それぞれ違うわけですから、教育環境も違ったっていいと

僕は考えます。

皆が皆、同じである必要ないですよね

それに価値観は多様化しています

ビル・ゲイツ氏はハーバードを辞めてしまったし、松下幸之助氏

も学校にはいっていないのに、世界に貢献する企業をつくりあ

げています。

教育が必要ないというわけではなく、もっと多様化したほうが

いいということです

日本の公立の中学校を民間委託するくらいの発想があっても

いいと思うのです

学校というところは、生徒のためにあるのです

お役所や教職員のために存在する学校などあるわけないの

ですから、もっと生徒の成長を中心に据えた、新しい発想で

学校運営してみたらどうかと感じます






宜しく言って下さいということだとおもうんですけど

この場合は

SAY HALLO

の二語で通じます

PLEASEつけてもいいですね

英語は数少ない単語でも充分通じますから

習うより慣れろの発想でいってください


織田信長が、火縄銃と出会い天下統一を確信できたのは、

常に天下を取るためには、どうしたらいいかという問題意識

を持っていたから、火縄銃とであった瞬間に、ヒントに気付き

その問題意識の解決策につなげられたんだと思うんです。

21世紀の私たちにとって、パソコンが現代版火縄銃になる

のでは、と僕は感じています。


ネットの世界は、一瞬にして人と人、情報と情報を結びつけ

てしまう、まるで四次元の世界のようです。

火縄銃もパソコンもネットの世界も人間がつくったものでは

ありますが、その発想がどこから来たのか不思議なんですね

まるで、どっかから舞い降りてきたような感覚になることがあります

プロセスはどうであれ、いま目の前にあるパソコンとネットの世界

の力を借りて、ブログを成長させることに集中してみようと思います