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人は何故、映像作品に心動かされるのか。
それが知りたくてアニメを観ています。
一行でも自分なりの解釈が書ければ本望です。




この記事の続きです。

 

 



 

悲劇は技術進歩と共にやってくる

新技術が抱える本来の危険性とは急速なモラル変革

この作品の主要人物は佐久間を除いて一様にテクノロジーへの疑念を持っていると書きました。では、テクノロジーの本来の危険性はどこにあるのかを考えてみましょう。

テクノロジーの本来の危険性とはモラル(道徳・倫理)が急速に変わってしまうことです。新たなテクノロジーが世に出ると提供者とその利用者のコモンセンス(常識)が変わります。

例えばIT技術。携帯端末が普及すると、それを用いた交流が当たり前というコモンセンスに染まります。そういったコモンセンスからは携帯端末を前提とした仕組みが構築され、他の手段は徐々に排除されます。

携帯端末を利用しない、またはあまり積極的ではいと、非協力的で時代遅れな人だと認識されモラルを疑われる。今やスマートフォンが無ければ社会生活で不具合が出るところまできています。

異世界に必要なものとしてスマートフォンを真っ先に挙げる『異世界はスマートフォンとともに。』の望月冬夜君みたいな人間もいるくらいですから。




急速なモラル変革とも言える状況におかれた社会は不安定であり、それに伴い危険性も増します。交通事故で突然人生が終わるケースは未だに無くなりませんし、パチンコで破産したり子供を放置して死なせたりするケースも少なくありません。ドローンによる事件もありましたが、今後もっと増えていくでしょう。

私は黒電話、プッシュ式電話、ポケベル、通話のみの携帯電話、メール送受信可能な携帯電話とPHS、スマートフォンまで経験してきましたが、全てで失敗しています。テクノロジーに振り回わされてばかりでした。

まだ携帯電話が完全に普及していない頃、恋人に所有を強要したのを深く反省しています。今から思えばあれは全く不要なアイテムでした。それどころかトラブルの種にしかならなかったという記憶が強く残っています。

メルカリのようなフリーマーケットアプリでもコモンセンスとモラルがマグマのようにドロドロになっているため、未だにトラブルが絶えません。テクノロジーに安易に手を出すと人は精神をすり減らしかねないのです。

この作品では、マックがリュウの選手生命を奪うほどの殺人的パフォーマンスを無自覚に発現させ、その事実にマック自身が狼狽えてしまいます。この悲劇の原因は佐久間のモラルにあるのは間違いありません。



 

社会は一度獲得した技術を手放せなくなる

モラル変革という危険性があるならば技術を手放せば解決すると考えがちです。ジャン=ジャック・ルソーさながらに。しかし、一度技術を手にした社会がそれを捨てることはほぼ不可能。

ライト兄弟は飛行機によって戦争が無くなると想像したそうです。上空から敵軍の配置が丸見えになり勝負にならないからと。しかし、実際はそうなりませんでした。

テクノロジーによりコモンセンスが変わり、仕組みが変わり、モラルが変わった社会がどれだけ歪んでいるとしても、その歪みを抱えながら生きていくしかありません。

だからテクノロジーは恐ろしいのです。

 

テクノロジーには「前に5後ろに5」で対峙する

この作品の主要人物は奇跡的なくらいテクノロジーと距離を保っています。

前作で南部がアラガキとジョーに「前に5、後ろに5」としつこく言っていたことが、テクノロジーとの向き合い方と重なって見えます。




飲まれてしまうでもなく拒否するでもなく距離を保つ。新技術に浮かれがちになる人間にとって大切な感覚です。

マック一家はBESに起因するバイオレンスに怯えながらも既に身体の構成要素になってしまったBESを受け入れ、マックは最終的に「マックタイム」というテクノロジーの反乱を封じ込めてジョーとの試合に勝利しました。




チーフのギアは彼の息子との絆であり、帰る場所を守るための鎧。それを引き継いだジョーは「家族」を取り戻し、マックもチーフの想いを受け継いだことでしょう。




ゆき子は「BES」のライセンスを開放し危険性を排除する方向に舵を切りました。そして、朝本に社長の席を譲り引責辞任をします。




衰退へ向かう世界にささやかな希望、灯火があるとするならば、それはテクノロジーではなく主要人物が「前に5後ろに5」の感覚を持っていること。福田恆存で言うところの「平衡感覚」。

この「前に5後ろに5」こそ僅かな希望であり、作品における数少ない「ファンタジー」だと思います。

状況の渦中にいる人間が「平衡感覚」を見出すのは非常に困難です。ところが、ゆき子はシリーズ通してギリギリのところで平衡感覚を失いません。

ゆき子はこの作品におけるファンタジー要素を象徴するような人物と言えるでしょう。よって、この作品における最もファンタジックなキャラクターがゆき子だと私は思います。

 

テクノロジーに打ちのめされダウンを取られても立ち上がる

長々と書いてきましたが、テクノロジーに翻弄されながらもしっかりと距離を保とうとする姿勢がこの作品における要点だというのが私の見立てです。

別の表現をすれば、コモンセンスとモラルを見誤らない生き方とは何かというのがこの作品のポイント。そのポイントに、この作品におけるファンタジー要素があるということです。

「テクノロジーを凌駕するファンタジー」が『ソードアート・オンライン』シリーズであるならば、




『メガロボクス』シリーズは「テクノロジーに打ちのめされダウンを取られても立ち上がるファンタジー」であると言えます。

この、打ちのめされダウンを取られても立ち上がる姿。それは小さな街を守りぬいたチーフであり、「チーム番外地」を再建したジョーでもある。




彼らは故郷を作りたかったのです。これこそ作品から得られる学びだと思ったので「故郷を作る物語」という記事タイトルにしました。


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