「処女信仰」叩き宮台真司の愚と稚【1.】「処女信仰」という前提の間違い | pure fabrication -ANIMATION BLOG-
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人は何故、映像作品に心動かされるのか。
それが知りたくてアニメを観ています。
一行でも自分なりの解釈が書ければ本望です。


【投稿日 :2020-02-21】 【最終更新日 :2020-03-21】




宮台真司が「処女信仰」している人達をこき下ろしていたらしい。
彼らは「処女厨」とも揶揄されるとのことだが
それが如何に的外れでバカバカしいかを述べたい。

「らしい」としたのは
グーグルの検索結果のタイトルと日付を見ただけだからだ。
二年前くらいの記事だったかな、程度のものだ。

その程度で何を語れるのかと言われそうだが
タイトルに問題の全てが含まれているため内容を知る必要がないのだ。

うーん効率的。

ただ、タイトルには書いていないが、宮台は「童貞」を攻撃したいようなので
「処女信仰」かつ「童貞」の人に絞って話を進める。
ついでに言えば「童貞」を否定語として遣う竹中平蔵も許し難い。




「処女信仰」という誤った「名札」


ではタイトルのどこに問題が含まれているのか。
ズバリ「処女信仰」だ。

私はそもそも「処女信仰」という「名札」が間違っているのではないかと疑いを持った。
彼らは「処女信仰」というよりも「貞操重視」ではないだろうかという考えだ。
「信仰」という表現がそもそも奇妙だ。処女を強調したければ「信仰」ではなく「欲求」のほうがしっくりくる。

「処女信仰」なる名札を用いたとたん
大問題化され、深刻化され、分析され、尤もらしい結論を出されてしまう。

こういうときに宮台のような卑しい人間が首を突っ込んでくる。
「社会学者」の出番だとばかりに。そして、彼らは叩きのめされてしまう。

「社会学」の実態が何かは知らないし、誰が「処女信仰」と言い出したかも知らない。
しかし宮台が「処女信仰」という名札を用いたのは誤りだと断言する。

定義や前提を見誤っているのに正しい結論に至るわけがない。
また、結論に至る必要がそもそもない。

何故なら外野が彼らの発言に深刻さをもってこねくり回し
「世間の前に引きずり出す」ものではないと思うからだ。
それについては他の記事で述べる。




「説教」よりも「礼賛」を選んだ宮台のスケベ戦略


宮台は風俗嬢や買春少女に説教するオヤジについて
学術的な視座で語っている「らしい」が大袈裟である。
(大凡またコケにしているだけだろうが)

私が思うに「男の精神というものはクルクル回転する運動体」。
単にそれだけだ。


例えば射精前後のホルモン分泌の違いを見れば明確。
欲を経ないと理が来ない。理を経るとまた欲が来る。
クルクルクルクルそれは回り続ける。

欲の中には性快感だけではなく食や趣味なども含まれるが
この記事でそこを掘り下げる意味はないので省く。

極限まで単純化すれば「性欲(風俗に行く)」と「理性(説教する)」は
ホルモンによるスイッチのオンオフである。

ただ、スイッチのオンオフに継続性があるので
クルクル回転する運動体と形容する方が好ましい。

『メガネブ!』における主人公たちの目標「スケスケメガネ」。
主人公たちが失敗にめげず完成を目指すことができるのは、
「性欲(女性の裸を見たい)」と「理性(主人公の弟にクリアな世界を見せてあげたい)」が絶えず回転してるからだと私は考える。


そこを踏まえた上で、男は「性欲」と「理性」という回転運動に対し
どう向き合うのか考えると、各々それなりに答えが出るはずだ。

宮台は春を鬻ぐ(ひさぐ)彼女たちを「説教」の代わりに「礼賛」していた。
「礼賛」したほうが、今後の「性欲」処理が有利になると考えたからだろう。

宮台は射精後説教オヤジよりも高回転型の精神運動体に過ぎない。
そういった意味では射精後説教オヤジのほうが可愛げがある。

高回転は5バルブ4A-Gを11000まできっちり回す
藤原拓海くんに任せておきたまえ。

宮台の「論」は「呆れるほどの与太話」と捉えたほうが精神衛生上良いと思う。
「らしい」で十分。

社会学や心理学にろくすっぽ触れたことがない私でも
前提のおかしさがわかるのだから宮台の存在意義は無きに等しい。

滝昇先生に笑顔で言われるぞ。
「なんですか、これ」と。