「処女信仰」叩き宮台真司の愚と稚【2.】「処女」と「貞操観念」はイコールではない | pure fabrication -ANIMATION BLOG-
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人は何故、映像作品に心動かされるのか。
それが知りたくてアニメを観ています。
一行でも自分なりの解釈が書ければ本望です。


【投稿日 :2020-02-28】 【最終更新日 :2020-03-21】




「処女信仰」という名札から連想するのは
処女としか恋人あるいは夫婦になりたくない人達という認識だ。

ところが、念願叶い処女と恋人や夫婦になったことで
新たな悩みが生まれる恐れが出てくるのだ。

彼らが仮に処女と交際あるいは結婚したとしよう。
だが、彼らは嫉妬心と独占欲に苛まれやすくなる。
側にいることで、ますます心に余裕が持てなくなるからだ。

大切な女性だから失いたくない。
だから、ちょっと男性と会話しても気になる。
恋人や妻がどこに外出するかも気になる。
嫉妬心と独占欲が先鋭化すると相手の行動を制限するようなる。

『AMNESIA』のトーマのように、檻に閉じ込めるほどではなくとも
相手の行動を制限した自分を責めてしまうかも知れない。

これらを前提とすると彼らが本来求めていたのは、
高確率で「操(みさお)」「貞操観念」という結論にたどり着く。

いや、それはおかしい。「処女」と「貞操観念」は間違いなくイコールだ。
そう思う人はもう少し考えて欲しい。

「処女」と「貞操観念」の度合いは比例しない。
「非処女」にはレイプされた女性もいるからだ。


つまり「非処女」に「貞操観念がない」とは言い切れなくなる。
(ライダイハンで検索されたい)

レイプされたと彼らが知った場合、二通りの思考展開が予想される。
1.同情を寄せて傷みを感じ反省する
2.レイプされるやつが悪いと批判する(例:どうせガードが緩かったんだろう)

1.の場合は「貞操重視」
2.の場合はまさしく「処女信仰」と言えるだろう。
しかし、これはもう歪んだ思考であり「処女信仰」ではなく「女性不信」だ。

「処女信仰」ならば悲しくもレイプされた女性さえも否定しなければならない。
なぜって「処女信仰」だから。だがそれは「女性不信」の領域に踏み込んでいるので
やはり「処女信仰」という名札が怪しいという結論になる。