唐突だが、千葉県の館山に「かにた婦人の村」という長期婦人保養施設がある。
この施設は、売春防止法に基づく婦人保護事業として活動しているものであり、知的障害、精神障害、身体障害を抱えた社会復帰困難な女性たちのコロニーである。
運営主体は社会福祉法人「ベテスダ奉仕女母の家」、初代施設長は牧師の深津文雄である。
そのコロニーの中に、「かにた教会」という教会がある。
納骨堂があったり少し小さめのパイプオルガンが設置されていたりと、聖堂・礼拝堂にあればいいなあ、と思うものが全部備えられている建物を持つ教会である。
この教会には、深津が逝去してから10年以上主任牧師がいない。牧師なしで活動している教会なのである。
では、どのようにして日曜日の礼拝を執り行っているのだろうか、と思うところである。
5年以上前、研修旅行でこのコロニーと教会を見学したことがあるが、説教台を見たら、教会暦の順序に合わせて1年分配列されている深津の説教集がどーんと置いてあったのであった。
つまり、その説教集を司式者が朗読する形で礼拝が執り行われている、と推察できるのである。
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以前、「目ざめよ!」の「世界展望」欄で、キリスト教世界には説教のアンチョコがあることを取り上げてこき下ろす記事が掲載されたことがある。
説教のアンチョコというのは、実際に存在する。
それは、教会暦に基づく主日聖書日課のメディタチオン集であったり、誰か高名な説教者の説教集に収録されている説教を参考に見る、というものであるが。
私自身も、この手の参考書は結構参考にし、助けられている。それは、自分が聖書を読んで導き出した黙想がそんなに大きく外れていないことを確認したり、また、信徒としても教職としても経験年数が浅いだけ蓄積も多くないことから、先達の知見より学ぶために用いている、ということである。
もちろん、このアンチョコがあらゆる所でそっくりそのまま使える、ということではない。それぞれの教会が置かれている地域やメンバーによって、使信の内容やポイントは少しずつ変わるのであるから。
私はまだまだ、「この地域の人のために!」という説教ができるまで到達出来ていないけれども。
説教のアンチョコをこき下ろしているJWには公開講演の筋書きなるものが存在するのであるが、指定通りの順序と内容と教理を時間配分に従って語るよう求める筋書きの方が、アンチョコ中のアンチョコであると思うのであるが、如何であろうか。
先週の日曜から今週の火曜にかけて、研修で長距離の外泊をしたり、戻ってすぐ葬儀を準備し執り行ったり、葬儀が終わったらすぐ日曜日の礼拝があったり、それからまた日帰り出張だったり調べ物で長距離の外泊があったりしたため、ついに風邪をひいてしまいました。
まだ風邪は治っていませんが、日曜日がすぐ控えていますので、何とか体を動かして仕事を片付けている次第です。
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とあるブログで、幸福の科学の総裁夫人だった方がカトリックに改宗していたということが書いてあって驚愕したんでありますが。
しかも、カトリックの洗礼を受ける前後から独自の宗教活動(http://lifeandtruth.net/index.html)を展開しているようで。宗教多元主義的な思想に基づいているのか、万人救済主義的な思想に基づいているのか、彼女の行っている活動はよく理解できません。風邪で私の頭が回っていないというのもあったりしますが。
私が思うところとしては、彼女が今すべきことは信徒団体を立ち上げることではないということ。信徒団体を立ち上げるとしても、それはカトリックの公教要理をしっかりマスターした上でないと、カトリック教会から遊離した「独自」の活動になってしまう危険性があります。
カルトのマインドコントロールから完全に脱出するには、入信した年数分時間がかかると言われています。彼女の場合は20数年総裁夫人であったわけですから、なおさらです。
まさか、幸福の科学に対抗して自分を中心にした宗教集団を形成しようとしているのではないと思いますが、総裁夫人であった頃のマインドがまだ解け切っていない状態であろうことは確かですから、「大丈夫か?」と正直思ってしまいます。
兎にも角も、彼女が最優先とすべきことは、徹底的に一カトリック信徒として地道に教会生活を営むことです。独自の信徒活動を始めることではありません。
まだ風邪は治っていませんが、日曜日がすぐ控えていますので、何とか体を動かして仕事を片付けている次第です。
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とあるブログで、幸福の科学の総裁夫人だった方がカトリックに改宗していたということが書いてあって驚愕したんでありますが。
しかも、カトリックの洗礼を受ける前後から独自の宗教活動(http://lifeandtruth.net/index.html)を展開しているようで。宗教多元主義的な思想に基づいているのか、万人救済主義的な思想に基づいているのか、彼女の行っている活動はよく理解できません。風邪で私の頭が回っていないというのもあったりしますが。
私が思うところとしては、彼女が今すべきことは信徒団体を立ち上げることではないということ。信徒団体を立ち上げるとしても、それはカトリックの公教要理をしっかりマスターした上でないと、カトリック教会から遊離した「独自」の活動になってしまう危険性があります。
カルトのマインドコントロールから完全に脱出するには、入信した年数分時間がかかると言われています。彼女の場合は20数年総裁夫人であったわけですから、なおさらです。
まさか、幸福の科学に対抗して自分を中心にした宗教集団を形成しようとしているのではないと思いますが、総裁夫人であった頃のマインドがまだ解け切っていない状態であろうことは確かですから、「大丈夫か?」と正直思ってしまいます。
兎にも角も、彼女が最優先とすべきことは、徹底的に一カトリック信徒として地道に教会生活を営むことです。独自の信徒活動を始めることではありません。
出張で遠出していましたが、教会の方が亡くなられたため、途中で切り上げて受け持っている教会に戻り、そのまま亡くなられた方のご自宅に伺って打ち合わせをして参りました。
週末にかけて、葬儀準備(業者打ち合わせ・諸連絡手配・式次第準備・葬儀説教2本)と日曜の準備(週報準備・主日礼拝説教準備)が重なり、かなり立て込んだ状態になります。
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離脱するずっと前の小学生の時に1回、離脱後に1回、エホバの証人のお葬式に参列したことがあります。
1980年代から90年代は中年層がメンバーの多数を占めていたため、葬儀なるものが行われることはめったにありませんでした。
高齢化社会の今は、エホバの証人でもお葬式を行う頻度は上がっているのでしょうか。
たった2回しかない葬儀参列経験の記憶をたぐり寄せてみても、思い出すのは
・最初に歌
・祈り
・長老の話
・遺族代表挨拶
・歌
・祈り
この順序だけ。
どのような話をしていたのかどうか、ほぼまったく覚えていません。
楽園での復活の希望は話していた記憶はうっすらとありますけど。
出棺のセレモニーがあったかどうかは全く記憶にありません。何もなかったような気が。
一番強烈に覚えているのは、小学生の時に参列したお葬式で、真っ白な服を着て参列していた姉妹がいたことでした。
ほとんどの参列者が喪服だったので、かなり浮いていました。
小学生ながら「こりゃないっしょ」と思いました。
週末にかけて、葬儀準備(業者打ち合わせ・諸連絡手配・式次第準備・葬儀説教2本)と日曜の準備(週報準備・主日礼拝説教準備)が重なり、かなり立て込んだ状態になります。
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離脱するずっと前の小学生の時に1回、離脱後に1回、エホバの証人のお葬式に参列したことがあります。
1980年代から90年代は中年層がメンバーの多数を占めていたため、葬儀なるものが行われることはめったにありませんでした。
高齢化社会の今は、エホバの証人でもお葬式を行う頻度は上がっているのでしょうか。
たった2回しかない葬儀参列経験の記憶をたぐり寄せてみても、思い出すのは
・最初に歌
・祈り
・長老の話
・遺族代表挨拶
・歌
・祈り
この順序だけ。
どのような話をしていたのかどうか、ほぼまったく覚えていません。
楽園での復活の希望は話していた記憶はうっすらとありますけど。
出棺のセレモニーがあったかどうかは全く記憶にありません。何もなかったような気が。
一番強烈に覚えているのは、小学生の時に参列したお葬式で、真っ白な服を着て参列していた姉妹がいたことでした。
ほとんどの参列者が喪服だったので、かなり浮いていました。
小学生ながら「こりゃないっしょ」と思いました。
私がいた会衆には何人か同学年の2世がいました。
小さい頃からずっと、という人が2人くらい、転勤族で入れ替わり立ち替わり、という人が2、3人だったでしょうか。
こんな風に同学年の2世が固まっていると、進歩の速さ遅さというものを気にしてしまうものであるわけでして。
神権宣教学校、伝道者、バプテスマ、etc。
特に小さい頃からずっと一緒だった同学年の場合、尚更気にしてしまうものであります。
私は同学年の2世の中で一番遅い方でした。
神権宣教学校に入ったのが小学校6年、バプテスマを受けていない伝道者は中学校1年の終わりに1回スベって2年になってからという有様。
中学1、2年の時の標準ステージがバプテスマを受けていない伝道者あたりでしたから、取り残されたくない思いで一杯でしたねえ。あの頃は。
その後、高校受験で長期休業後、オウム事件が起きてしばらく経った時に、地下街の中にあった大規模書店の宗教書コーナーで、あのヴァジラヤーナ・サッチャと一緒に陳列してあったJW批判本で覚醒し最終解脱、じゃなくて離脱。水中クンバカ、じゃなくてバプテスマを受けることなくドロップアウトしたのでありました。
あれから20年近く経った今。
同学年に限らず、同年代の進歩的であったかなり多くの2世は、良くも悪くも離脱しました。
悪くも、というのは、離脱前後に望まない妊娠(犯罪によるものではない)で子どもを産み、シングルマザーになったことで人生設計を完全に狂わせたケースも数例ある、ということです。
小さい頃からずっと、という人が2人くらい、転勤族で入れ替わり立ち替わり、という人が2、3人だったでしょうか。
こんな風に同学年の2世が固まっていると、進歩の速さ遅さというものを気にしてしまうものであるわけでして。
神権宣教学校、伝道者、バプテスマ、etc。
特に小さい頃からずっと一緒だった同学年の場合、尚更気にしてしまうものであります。
私は同学年の2世の中で一番遅い方でした。
神権宣教学校に入ったのが小学校6年、バプテスマを受けていない伝道者は中学校1年の終わりに1回スベって2年になってからという有様。
中学1、2年の時の標準ステージがバプテスマを受けていない伝道者あたりでしたから、取り残されたくない思いで一杯でしたねえ。あの頃は。
その後、高校受験で長期休業後、オウム事件が起きてしばらく経った時に、地下街の中にあった大規模書店の宗教書コーナーで、あのヴァジラヤーナ・サッチャと一緒に陳列してあったJW批判本で覚醒し最終解脱、じゃなくて離脱。水中クンバカ、じゃなくてバプテスマを受けることなくドロップアウトしたのでありました。
あれから20年近く経った今。
同学年に限らず、同年代の進歩的であったかなり多くの2世は、良くも悪くも離脱しました。
悪くも、というのは、離脱前後に望まない妊娠(犯罪によるものではない)で子どもを産み、シングルマザーになったことで人生設計を完全に狂わせたケースも数例ある、ということです。
昨日、特別集会で流されたと思われる、賛美の歌の合唱のカセットテープの記事を書いて、この合唱曲のリンクを貼り付けたところで思い出したことですが。
▲合唱曲の大人気曲「時の旅人」
エホバの証人の2世が学校生活を送る際、国歌や校歌を歌えないとか、武道や騎馬戦ができないとか、端午の節句や七夕などの行事に参加できないとか、生徒会の選挙に参加できないとか、いろいろと制限ごとがあるものでございます。
しかし、まだありました。意外なところに。
合唱コンクールです。
もちろん、合唱コンクールの参加そのものがダメ、ということではありません。 ある特定の曲の場合NG、ということであります。 その曲がこちら。
大地讃頌です。カンタータ「土の歌」の終曲であります。
なぜNGなのか、その理由はポケモン禁止令並みに下らないものであります。
そのままズバリ、「エホバならぬ土を讃美する歌だから」。
杓子定規もいいところです。
で、グーグル先生に「大地讃頌 エホバ」と聞いてみたら出るわ出るわ。
生徒に「歌えない」と言われて困り果てている学校の先生の相談とか。
ちなみに私は大地讃頌を歌うことがありませんでした。なぜなら、学級会で「モルダウ」を歌うとすぐ決まってしまったからです。
しかし、あの壮大な歌を歌ってみたかったなー、と思っています。
<追記>
youtubeでさらに検索をかけたら、さらに壮大な大地讃頌の合唱を見つけました。
全日本合唱連盟理事長の浅井敬壹氏が指揮する大地讃頌。浅井氏の、感情を激しくぶつける指揮の気迫がものすごい。圧倒される合唱で鳥肌が立ちました。
▲合唱曲の大人気曲「時の旅人」
エホバの証人の2世が学校生活を送る際、国歌や校歌を歌えないとか、武道や騎馬戦ができないとか、端午の節句や七夕などの行事に参加できないとか、生徒会の選挙に参加できないとか、いろいろと制限ごとがあるものでございます。
しかし、まだありました。意外なところに。
合唱コンクールです。
もちろん、合唱コンクールの参加そのものがダメ、ということではありません。 ある特定の曲の場合NG、ということであります。 その曲がこちら。
大地讃頌です。カンタータ「土の歌」の終曲であります。
なぜNGなのか、その理由はポケモン禁止令並みに下らないものであります。
そのままズバリ、「エホバならぬ土を讃美する歌だから」。
杓子定規もいいところです。
で、グーグル先生に「大地讃頌 エホバ」と聞いてみたら出るわ出るわ。
生徒に「歌えない」と言われて困り果てている学校の先生の相談とか。
ちなみに私は大地讃頌を歌うことがありませんでした。なぜなら、学級会で「モルダウ」を歌うとすぐ決まってしまったからです。
しかし、あの壮大な歌を歌ってみたかったなー、と思っています。
<追記>
youtubeでさらに検索をかけたら、さらに壮大な大地讃頌の合唱を見つけました。
全日本合唱連盟理事長の浅井敬壹氏が指揮する大地讃頌。浅井氏の、感情を激しくぶつける指揮の気迫がものすごい。圧倒される合唱で鳥肌が立ちました。
昔、特別集会や地域大会の会場では、いわゆる「難視聴世帯」対策かどうかわかりませんが、FMの電波が飛ばされていて、FMラジオを通して音声が聞けるようになっていました。
それを利用して、会場にラジカセを持参して大会のプログラムを全部カセットテープに録音した方々も多くいらっしゃいました。
私の家にもその類のテープが残っておりまして。
そのテープというのが、賛美の歌の合唱が数曲入っているというものでありました。
カセットテープのラベルに手書きで書いてあった文言から類推するに、1984年に新しい歌の本が出る時期に行われた特別集会で流されたものであると思われます。たぶん月寒の産業共進会場。
で、あるだけの配線を駆使して一部をMP3に変換(PC再生可、iPhone再生不可 訂正。再生可能でした)してみました。音源が海老名に残っているかどうかは知りません。残っていなかったら骨董品級だと思います。
・・・・・
はい。例のエホコンチャートNo.1(と言われている)ソングでありました。
大抵、合唱では女声が男声に負けることが多いのですが、この曲ではものの見事逆転しております。
しかし久しぶりに聴いてみると、ご近所の国の偉大なる同士を讃える史上最強のK-POPと何となく似ていると感じるのは私だけでしょうか。
それを利用して、会場にラジカセを持参して大会のプログラムを全部カセットテープに録音した方々も多くいらっしゃいました。
私の家にもその類のテープが残っておりまして。
そのテープというのが、賛美の歌の合唱が数曲入っているというものでありました。
カセットテープのラベルに手書きで書いてあった文言から類推するに、1984年に新しい歌の本が出る時期に行われた特別集会で流されたものであると思われます。たぶん月寒の産業共進会場。
で、あるだけの配線を駆使して一部をMP3に変換(PC再生可、iPhone再生不可 訂正。再生可能でした)してみました。音源が海老名に残っているかどうかは知りません。残っていなかったら骨董品級だと思います。
・・・・・
はい。例のエホコンチャートNo.1(と言われている)ソングでありました。
大抵、合唱では女声が男声に負けることが多いのですが、この曲ではものの見事逆転しております。
しかし久しぶりに聴いてみると、ご近所の国の偉大なる同士を讃える史上最強のK-POPと何となく似ていると感じるのは私だけでしょうか。
私の教会では、いつも水曜日は朝と夜に「聖書研究・祈祷会」なる集会が行われるのですが、今朝は台風の影響で欠席の連絡が続々。
結果、出席者は私一人となり、ちゃっちゃと10分で終了いたしました。
(左側の機械は讃美歌自動演奏機 お値段24万円)
で、一服した後呑気にブログを書いている次第です。
-----
今日扱うことになっていた聖書の箇所はネヘミヤ記の6章でありました。
城壁の修復工事をしていたネヘミヤに対して、あらゆる策略によって何としてでも工事を阻止しようとするサマリアの総督たちの企てをことごとくはねのけ、城壁修復を完成させた、というお話であります。
私は、
神から示された御心に忠実であり、妨げの中にあっても誠実に城壁修復の務めに取り組み実行したネヘミヤの姿勢に倣い、主から示された課題に忠実かつ誠実に取り組む信仰者としての我々でありたい。
という風にレジュメをシメたのでありました。
しかしまあ、この箇所だけでも何とでもメディタチオン(黙想)できるものでありまして。
神の御心に対する忠実さ・誠実さという切り口にしても、やろうと思えば
「唯一の経路である組織の意向に何が何でもつき従え」
と言うこともできるわけでありますし、
わざわざ「ものみの塔オンライン・ライブラリー」で検索かけてみたら、
反対者による攻撃という切り口から、
わたしたちもネヘミヤのように,偽りの友,偽りの非難をする者,偽兄弟といった反対者たちに直面するかもしれません。ある人たちは,いわば道の中間地点で会いたい,という誘いをかけてくるかもしれません。また,もしエホバに仕える熱意を少し抑えれば,世俗的な目標を追い求めることもできる,と思わせようとするかもしれません。しかしわたしたちは,生活の中で神の王国を第一にしているので,妥協することはしません。(マタイ 6:33。ルカ 9:57‐62)反対者たちが証人たちに対する偽りの非難を広めることもあります。幾つかの国や地域では,ちょうどネヘミヤが王に反逆しているとして非難されたように,国家を脅かす存在だとして非難されています。裁判になって証人たちが勝訴した例もありますが,個々の状況がどんな結果になるとしても,わたしたちはエホバがご意志どおりに物事を導いてくださるよう,確信をもって祈り求めます。(フィリピ 1:7)エホバに仕えているふりをする者たちから反対されることもあるでしょう。ネヘミヤに対して仲間のユダヤ人が,命を救うため神の律法を破るよう説き付けたように,かつてエホバの証人だった背教者たちは,何かの点でわたしたちを妥協させようと画策するかもしれません。それでもわたしたちは,命が救われるためには神の律法を破るのではなく守る必要があることを知っているので,背教者を退けます。(ヨハネ第一 4:1)そうです,エホバの助けがあれば,どんな悪をも征服できるのです。
さらには、
「業は完了したとエホバが言われる時まで」
↑それって永遠に終わらないってことじゃねえか
布教活動を続けていくことで悪の力を征服していくのだ、
というオチつき。大変恐れ入りました。
牽強付会に聖書を読むとヘンテコリンなことになるということを改めて自覚させられた一件です。
結果、出席者は私一人となり、ちゃっちゃと10分で終了いたしました。
(左側の機械は讃美歌自動演奏機 お値段24万円)
で、一服した後呑気にブログを書いている次第です。
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今日扱うことになっていた聖書の箇所はネヘミヤ記の6章でありました。
城壁の修復工事をしていたネヘミヤに対して、あらゆる策略によって何としてでも工事を阻止しようとするサマリアの総督たちの企てをことごとくはねのけ、城壁修復を完成させた、というお話であります。
私は、
神から示された御心に忠実であり、妨げの中にあっても誠実に城壁修復の務めに取り組み実行したネヘミヤの姿勢に倣い、主から示された課題に忠実かつ誠実に取り組む信仰者としての我々でありたい。
という風にレジュメをシメたのでありました。
しかしまあ、この箇所だけでも何とでもメディタチオン(黙想)できるものでありまして。
神の御心に対する忠実さ・誠実さという切り口にしても、やろうと思えば
「唯一の経路である組織の意向に何が何でもつき従え」
と言うこともできるわけでありますし、
わざわざ「ものみの塔オンライン・ライブラリー」で検索かけてみたら、
反対者による攻撃という切り口から、
わたしたちもネヘミヤのように,偽りの友,偽りの非難をする者,偽兄弟といった反対者たちに直面するかもしれません。ある人たちは,いわば道の中間地点で会いたい,という誘いをかけてくるかもしれません。また,もしエホバに仕える熱意を少し抑えれば,世俗的な目標を追い求めることもできる,と思わせようとするかもしれません。しかしわたしたちは,生活の中で神の王国を第一にしているので,妥協することはしません。(マタイ 6:33。ルカ 9:57‐62)反対者たちが証人たちに対する偽りの非難を広めることもあります。幾つかの国や地域では,ちょうどネヘミヤが王に反逆しているとして非難されたように,国家を脅かす存在だとして非難されています。裁判になって証人たちが勝訴した例もありますが,個々の状況がどんな結果になるとしても,わたしたちはエホバがご意志どおりに物事を導いてくださるよう,確信をもって祈り求めます。(フィリピ 1:7)エホバに仕えているふりをする者たちから反対されることもあるでしょう。ネヘミヤに対して仲間のユダヤ人が,命を救うため神の律法を破るよう説き付けたように,かつてエホバの証人だった背教者たちは,何かの点でわたしたちを妥協させようと画策するかもしれません。それでもわたしたちは,命が救われるためには神の律法を破るのではなく守る必要があることを知っているので,背教者を退けます。(ヨハネ第一 4:1)そうです,エホバの助けがあれば,どんな悪をも征服できるのです。
(「善をもって悪を征服してゆきなさい」『ものみの塔』2007年7月1日)
なんて風に書いてありまして、「一切妥協しないで邁進せよ」、「国家による弾圧があっても導きを祈り求めよ」、「背教者を退けよ」と、こちらから見れば「え~」とのけ反ってしまう形に結論を導き出すこともできるわけですな。さらには、
「業は完了したとエホバが言われる時まで」
↑それって永遠に終わらないってことじゃねえか
布教活動を続けていくことで悪の力を征服していくのだ、
というオチつき。大変恐れ入りました。
牽強付会に聖書を読むとヘンテコリンなことになるということを改めて自覚させられた一件です。
10年以上前、エホバの証人が「スタンドファーム実行委員会」なる団体を立ち上げて、各地で「ホロコースト展」を開催した時、ちょっと一暴れして抗議活動をしたことがあります。
抗議活動といっても、ただ単に後援している地方自治体や官公署、マスコミ、団体に対して後援を取り下げるよう申し入れるだけのことでありますが。
あの時、あちこち訪問しましたが、よくそんな度胸があったなあ、と今さらながら思っております。
自分が在学している大学も後援に入っていたというオチまでありました。総務の職員とちょっとしたつながりがあったので、その方を通して申し入れをしましたけど。
まあ、どこも取り下げがないまま展示会は行われましたが。展示会を偵察しましたが、はっきり言って大したことなく脱力しました。大学祭とかで某学会系のサークルがやる展示会レベル。
人はちょこちょこ入っていましたね。たぶんサクラだけど。
においには鈍感ですが、エホバの証人臭をプンプン感じました。
今思い返せば、大人の対応で無視すればよかったのかな、と思う次第です。
というか、終戦50年の節目を過ぎて5年以上経っていましたから、第二次大戦をネタにして人を集めようとするには「何で今さら」と宣伝訴求力は既に低下していたわけですよね。
そう、さらなるオチは、自分が入っていたサークルの顧問(すなわち大学教員)がバリバリの姉妹で、サークルの連絡帳に展示会の宣伝をして下さったことでありました。
抗議活動といっても、ただ単に後援している地方自治体や官公署、マスコミ、団体に対して後援を取り下げるよう申し入れるだけのことでありますが。
あの時、あちこち訪問しましたが、よくそんな度胸があったなあ、と今さらながら思っております。
自分が在学している大学も後援に入っていたというオチまでありました。総務の職員とちょっとしたつながりがあったので、その方を通して申し入れをしましたけど。
まあ、どこも取り下げがないまま展示会は行われましたが。展示会を偵察しましたが、はっきり言って大したことなく脱力しました。大学祭とかで某学会系のサークルがやる展示会レベル。
人はちょこちょこ入っていましたね。たぶんサクラだけど。
においには鈍感ですが、エホバの証人臭をプンプン感じました。
今思い返せば、大人の対応で無視すればよかったのかな、と思う次第です。
というか、終戦50年の節目を過ぎて5年以上経っていましたから、第二次大戦をネタにして人を集めようとするには「何で今さら」と宣伝訴求力は既に低下していたわけですよね。
そう、さらなるオチは、自分が入っていたサークルの顧問(すなわち大学教員)がバリバリの姉妹で、サークルの連絡帳に展示会の宣伝をして下さったことでありました。
ここ1か月間、三連休が続いたり、町内会の避難訓練や清掃行事などがあったり、家庭の事情があったりして教会の礼拝に欠席する人が多いです。
私は2つの教会を掛け持ちで受け持っているのですが、今日は本務教会は16人、兼務教会は3人でした(私含め)。通常平均は本務教会が20人前後、兼務教会が6人前後です。
特に、このところはご本人が病気を抱えていたり、ご家族が病気を抱えたり怪我をしたりして看病しなければならないというケースが多いです。また、50歳代後半から60歳代の方が多いですので、お孫さんの出産前後の世話や親御さんの介護で欠席するというケースが多くなっています。
こういったことは、人生のライフステージで必然的に起こることでありますので、「ご家族に精一杯奉仕して下さい」と言って送り出すことにしています。
エホバの証人ではどうでしょうかね。
またも20年近く前の昔話になりますが、「何が何でも集会を支持しなさい」みたいなことが言われていた記憶があります。
槍が降ろうが何が起ころうが、万難を一切排してどころかことごとくぶち破って、5つの集会にはしっかり出席しなさい、と。
で、何らかの理由で集会の欠席が多くなると、「あの姉妹は霊性が下がっている」、「不活発になっている」などと評価される始末。
冷静に考えればとてもおかしい話です。
家族とかをほったらかして集会に出たり伝道活動に出る方が、霊性云々以前に人間としていかがなものか、ということですよね。
ちなみに、私の母は記念式に出席するために、上司から休みを許されなかったのを強行突破して仕事をばっくれたという実績があります。職場の人間関係の破壊行為を働くトンデモかーちゃんでしたね。よくクビにならなかったもんだ。
そうそう、私がいた札幌のど真ん中の会衆では、年末年始や夏休みで帰省などでその会衆の集会を休む人があるというのを除き、集会の出席人数はそう極端に変動することはありませんでしたね。
田舎町と違って町内会のしがらみがそんなに強くなかったであろうということや、30代から50代の成員が多数を占めていたので、親の介護などといったものがまだ全然なかったというのが、変動の幅が小さかった要因であるかもしれません。高齢化大絶賛進行中の今はどうなんだか。
私は2つの教会を掛け持ちで受け持っているのですが、今日は本務教会は16人、兼務教会は3人でした(私含め)。通常平均は本務教会が20人前後、兼務教会が6人前後です。
特に、このところはご本人が病気を抱えていたり、ご家族が病気を抱えたり怪我をしたりして看病しなければならないというケースが多いです。また、50歳代後半から60歳代の方が多いですので、お孫さんの出産前後の世話や親御さんの介護で欠席するというケースが多くなっています。
こういったことは、人生のライフステージで必然的に起こることでありますので、「ご家族に精一杯奉仕して下さい」と言って送り出すことにしています。
エホバの証人ではどうでしょうかね。
またも20年近く前の昔話になりますが、「何が何でも集会を支持しなさい」みたいなことが言われていた記憶があります。
槍が降ろうが何が起ころうが、万難を一切排してどころかことごとくぶち破って、5つの集会にはしっかり出席しなさい、と。
で、何らかの理由で集会の欠席が多くなると、「あの姉妹は霊性が下がっている」、「不活発になっている」などと評価される始末。
冷静に考えればとてもおかしい話です。
家族とかをほったらかして集会に出たり伝道活動に出る方が、霊性云々以前に人間としていかがなものか、ということですよね。
ちなみに、私の母は記念式に出席するために、上司から休みを許されなかったのを強行突破して仕事をばっくれたという実績があります。職場の人間関係の破壊行為を働くトンデモかーちゃんでしたね。よくクビにならなかったもんだ。
そうそう、私がいた札幌のど真ん中の会衆では、年末年始や夏休みで帰省などでその会衆の集会を休む人があるというのを除き、集会の出席人数はそう極端に変動することはありませんでしたね。
田舎町と違って町内会のしがらみがそんなに強くなかったであろうということや、30代から50代の成員が多数を占めていたので、親の介護などといったものがまだ全然なかったというのが、変動の幅が小さかった要因であるかもしれません。高齢化大絶賛進行中の今はどうなんだか。
親戚が亡くなりました。田舎のお寺で葬儀が執り行われます。
さあ、あなたはどうしますか。
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今から20年前、伯父が病死し、田舎の禅寺で葬儀が執り行われました。
当時母はバリバリの現役、私ら子っこはバプテスマを受けていない伝道者でした。
葬儀の時、親族であるので前の席に家族3人で座っていました。
お坊さんの1時間以上の読経と弔辞が終わり、焼香の段に入りました。
焼香は喪主を最初にして後は順次、という形ではなくて、参列者リストに沿って名前がアナウンスされ焼香する、というものでした。
家族3人の名前がアナウンスされました。
母も私ら子どもも、席に座ったままでした。
周りの参列者から「いいのか?」と言われたのですが、母は「いいんです!」と宣言。
強行突破みたいな形で焼香しなかったのでありました。
今では葬儀で焼香しなかったことを激しく後悔しています。
そう多く機会はないのですが、祖父母の家を訪れる度に、お詫びのつもりで仏壇の前に座り線香を焚くことにしています。それは牧師になった今でも変わりません。
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仏式の葬儀で焼香することを拒否するのはエホバの証人だけではありません。
福音派と呼ばれている保守派キリスト教の信者も焼香しません。祭壇の前で手を組んで祈ることはするにしても。
本人は「そうしなければ自分の信仰を守ったことにならない」だとか、「そうしなければ自分の信仰を証ししたことにならない」だとか言うのですが、はっきり言って、それはただの自分勝手な自己満足に過ぎない。エホバの証人だろうが福音派だろうが。
王国会館や教会での葬儀の時、列席者全員に讃美歌を歌っていただいていますでしょう。讃美歌を歌うというのは参列者による祈祷行為にあたるものです。
自分たちが焼香しないということを押し通すのなら、讃美歌を歌わない権利を認めるべきです。「歌いたくなければそれでいいです」と。
また、焼香を拒否しなければ自分の信仰を守れないって、自分の信仰を証しできないって、それは自分が信じている神がそうしなければ守れないほどちっぽけな存在であるというのを言っているようなものですよ。証しになるどころか、ちっとも証しになっていないんですよ。
私の場合は、「歌いたくなければそれでいいです」とまでは言っていません。魂を売り渡さなければ焼香して構わない、という立場であるからです。
以前、仏式の法事の是非に関して相談を受けたことがありますが、その類の相談を受けた際にはエリシャとナアマンの物語をもって答えとすることにしています。
ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。
「安心して行きなさい」。これがすべての答えです。
私を含め、この言葉で救われた人がどれだけ多くいることか。
さあ、あなたはどうしますか。
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今から20年前、伯父が病死し、田舎の禅寺で葬儀が執り行われました。
当時母はバリバリの現役、私ら子っこはバプテスマを受けていない伝道者でした。
葬儀の時、親族であるので前の席に家族3人で座っていました。
お坊さんの1時間以上の読経と弔辞が終わり、焼香の段に入りました。
焼香は喪主を最初にして後は順次、という形ではなくて、参列者リストに沿って名前がアナウンスされ焼香する、というものでした。
家族3人の名前がアナウンスされました。
母も私ら子どもも、席に座ったままでした。
周りの参列者から「いいのか?」と言われたのですが、母は「いいんです!」と宣言。
強行突破みたいな形で焼香しなかったのでありました。
今では葬儀で焼香しなかったことを激しく後悔しています。
そう多く機会はないのですが、祖父母の家を訪れる度に、お詫びのつもりで仏壇の前に座り線香を焚くことにしています。それは牧師になった今でも変わりません。
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仏式の葬儀で焼香することを拒否するのはエホバの証人だけではありません。
福音派と呼ばれている保守派キリスト教の信者も焼香しません。祭壇の前で手を組んで祈ることはするにしても。
本人は「そうしなければ自分の信仰を守ったことにならない」だとか、「そうしなければ自分の信仰を証ししたことにならない」だとか言うのですが、はっきり言って、それはただの自分勝手な自己満足に過ぎない。エホバの証人だろうが福音派だろうが。
王国会館や教会での葬儀の時、列席者全員に讃美歌を歌っていただいていますでしょう。讃美歌を歌うというのは参列者による祈祷行為にあたるものです。
自分たちが焼香しないということを押し通すのなら、讃美歌を歌わない権利を認めるべきです。「歌いたくなければそれでいいです」と。
また、焼香を拒否しなければ自分の信仰を守れないって、自分の信仰を証しできないって、それは自分が信じている神がそうしなければ守れないほどちっぽけな存在であるというのを言っているようなものですよ。証しになるどころか、ちっとも証しになっていないんですよ。
私の場合は、「歌いたくなければそれでいいです」とまでは言っていません。魂を売り渡さなければ焼香して構わない、という立場であるからです。
以前、仏式の法事の是非に関して相談を受けたことがありますが、その類の相談を受けた際にはエリシャとナアマンの物語をもって答えとすることにしています。
ナアマンは言った。「それなら、らば二頭に負わせることができるほどの土をこの僕にください。僕は今後、主以外の他の神々に焼き尽くす献げ物やその他のいけにえをささげることはしません。ただし、この事については主が僕を赦してくださいますように。わたしの主君がリモンの神殿に行ってひれ伏すとき、わたしは介添えをさせられます。そのとき、わたしもリモンの神殿でひれ伏さねばなりません。わたしがリモンの神殿でひれ伏すとき、主がその事についてこの僕を赦してくださいますように。」エリシャは彼に、「安心して行きなさい」と言った。
(列王記下 5章17~19節 新共同訳)
「安心して行きなさい」。これがすべての答えです。
私を含め、この言葉で救われた人がどれだけ多くいることか。
