エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz -6ページ目

エホバの証人 新潟県元2世会衆 jw.org→jw.orz

jw.orgにいた2世がjw.orzになり、やがてとあるプロテスタント教会のしがない牧師にと流れ着いたある男の徒然草。
新潟県のエホバの証人元2世の戦友が出会えるきっかけの場になればいいかなー

母がエホバのバプテスマを受けた5歳くらいの時、誰かの家に同年代の2世の子どもと親がわんさか集まってお茶を飲んだり遊んだりする機会がちょこちょこありました。
ある時、ホストとなった家の姉妹が「じゃあ、これからゲームしようか」と言ってでかい模造紙を出して床に広げました。一緒に色々な色のクリップやサイコロを取り出して。

双六である。

と言っても、ただの双六ゲームなのではなく、天地創造がスタートで楽園がゴールというエホバの証人的救済史に則って作った姉妹お手製の双六なのでありました。しかも聖書物語の本チックなイラスト付き。
マスの中には「善悪の知識の木を食べて1回休み」とか「ソロモンが神殿を建てて3つ進む」とか「エルサレム滅亡で4回休み」とか「最後の裁きのマスでサイコロが4出たら滅びのマスに進んで2回休み」みたいなものがあったりしました。
まだまだ世界も何にも知らないガキンチョでしたので、結構楽しんでやったのを覚えています。

さて、約30年後の現代。
今やITの時代です。一人に1台PSP。
今の時代にマッチしたゲームは何でしょう。

で、実に極めてくだらない妄想してみました。

ゲーム名は「ときめき☆エホリアル」
父親の転勤で新しい会衆に移った詩織とその会衆にいる好雄の出会いと「霊的進歩」と2人のこれからのシミュレーションゲーム。
途中で「入学式で校歌歌っているのがばれてムチ100回」とか「グループ交際していないのがばれて長老から助言」とか「審理委員会にかけられて排斥」というワナもあり。
順調にクリアしていけばめでたく王国会館で結婚式というお花畑満開で終了。
と思ったら甘く、子どもが生まれて思春期になってから反乱を起こすとか、ねたまれて足元すくわれるとか、ハルマゲドンが無期延期になって失望したり老後金欠になるとかして、最後はさばき切れなかった雑誌の山に囲まれ死んでいく。
まさしく「エホ」「リアル」です。幸せな結末で終了できる人は誰もいません。

全然ときめかないゲームですね。たけしの挑戦状以下。
でも、実際に誰かプログラミングしてくれたら現役2世たちにぜひプレイしていただきたいものではあります。
「ずっとエホバやってもお前らの人生はバラ色じゃねーぞ」
という注意喚起として。

ちなみに、私はときメモやったことがありません。ルールもなーんにも知りません。登場人物名はウィキペディアから拾いました。
この記事は法律の話ですのでとても眠くなります。
さっさと眠りたいという方は羊を数える代わりにこの記事を読んで下さい。
きっと、全部読み終わらないうちに心地よい眠りへと誘(いざな)われることでしょう。逆にイライラして眠れなくなっても責任は一切負いませんよ。

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少し前に、「合併に次ぐ合併で不要になった王国会館はどうなるのか?」という話が別のブログで取り上げられていました。
そのブログでは、売却代金の行方に限定して取り上げられていました。
この記事では、宗教法人法に基づいて、法人格を持っている会衆が王国会館(境内建物)と土地(境内地)を処分する場合について取り扱いたく思います。

宗教法人を設立する際、法人規則を作成して所轄庁(事務所所在地の都道府県知事)の認証を受けなければなりません(宗教法人法12条)。
法人規則に記載すべき組織、管理運営に関する事項はいろいろありますが、ここで問題にしたいのは(条文そのまま書きますので長ったらしいですよ)
宗教法人法第12条(一部抜粋・漢数字は号)
 代表役員、責任役員、代務者、仮代表役員及び仮責任役員の呼称、資格及び任免並びに代表役員についてはその任期及び職務権限、責任役員についてはその員数、任期及び職務権限、代務者についてはその職務権限に関する事項
 前号に掲げるものの外、議決、諮問、監査その他の機関がある場合には、その機関に関する事項
 基本財産、宝物その他の財産の設定、管理及び処分(第二十三条但書の規定の適用を受ける場合に関する事項を定めた場合には、その事項を含む。)、予算、決算及び会計その他の財務に関する事項
 解散の事由、清算人の選任及び残余財産の帰属に関する事項を定めた場合には、その事項

の4点です。

まず問題にしたいのは、責任役員についてです。
宗教法人は、3人以上の責任役員を置き、そのうちの1人を代表役員を置くことになっています(宗教法人法18条1項)。
さて、誰が責任役員に就任するのでしょう?
長老が3人以上いる場合は長老の互選で決めるのかしら。2人以下だったら奉仕の僕からも引っ張り出すのかしら。
こればかりは法人規則を見なければわかりません。会衆の成員が閲覧を願い出ても難癖つけて見せないでしょうけど。でもそれは宗教法人法違反です(宗教法人法25条3項)。

第2に、議決・諮問機関についてです。
議決・諮問機関とは、信者総会とか門徒総代会とかと呼ばれるものです。
これは宗教法人法上必ず置かなければならない機関ではありませんが、法人の円滑な運営を図るために設置されるのが望ましいとされています。
果たして、王国会館の建物と土地を処分する際に総会なるものが招集されるのかどうか? そもそも議決・諮問機関は存在するのかどうか?
これも法人規則を見なければわかりません。

ここまでが前提です。

第3に、財産処分についてです。第4点目の解散も含めます。
王国会館の境内建物及び境内地を処分する場合、差し当たり5つのケースが想定されます。

(1)法人格を持たない会衆と法人格を持つ会衆が合併し、法人格を持たない会衆が長老か誰かの個人名義で所有する(即ち賃貸物件ではない)王国会館の境内建物・境内地を使用し、法人格を持つ会衆が所有する境内建物・境内地を処分する場合
(2)法人格を持たない会衆と法人格を持つ会衆が合併し、法人格を持つ会衆が所有する王国会館の境内建物・境内地を使用し、法人格を持たない会衆の境内建物・境内地を処分する場合
(3)法人格を持つ会衆同士が合併し、どちらかの会衆の境内建物・境内地を処分する場合
(4)法人格を持つ会衆同士が合併し、双方の会衆の境内建物・境内地を処分した上新たに境内建物・境内地を取得する場合
(5)法人格を持つ会衆が解散する場合


法人の合併手続きなどについては省略します。
(5)を除き、境内建物・境内地を取得したり売却する場合、責任役員会及び議決・諮問機関の議決を受け、宗教法人法23条に基づき取得ないし売却する1か月前までに信者及び利害関係者に公告した上で実行することができます。
特に売却に関しては、責任役員会及び議決・諮問機関に諮る際、売却物件の表示の他に売却先、売却代金及び使途について議案説明しなければなりません。
その際に、使途を、(4)の場合は新築費用に充てるだとか、その他の場合は諸費用除いてものみの塔協会に対する残債の返済に充てるだとか、諸費用除いてものみの塔協会に全額寄付するだとかと書くことになるんでしょうね。
会衆に議決・諮問機関を置くことを仮に定めていたとしても、お花畑満開の現役様は諸手を挙げてものみの塔協会行きに賛成するんでしょうな。それはもうご勝手に。覆したら逆に称賛に値します。
責任役員会はショッカー集団ですから「ものみの塔協会に全額寄付することを提案します」という提案に対して「イー!」しか言いません。ほぼ確実に。

問題は(5)の解散の場合です。
法人規則には、残余財産の処分方法を規定することができます。それを「ものみの塔聖書冊子協会に帰属する」なんて規定してしまえば、ものみの塔協会が残余財産を受け取ることになります。規定がなくても、解散決定時の責任役員会でものみの塔協会に残余財産を処分することを決めてしまえばものみの塔協会行きになります。何も決めなければお国のものになります(宗教法人法50条)。
これも実際どう決められているのかは法人規則を見ないとわかりません。
ただ、今は法人格をとるのに3年はかかりますので、簡単に解散しないで法人格を持っていない会衆を法人格を持つ会衆の中に組み込む形で法人格を持ち続けることが圧倒的に多いと思いますけどね。(5)はレアケースだと思って下さい。
でも、法人規則に残余財産の処分先が明確に規定されているとするならば、各会衆が王国会館の財産を最終的にどこに帰属しているものと考えているのかを推察することができるでしょうね。

まあ、誰にも文句を言われないであろう一番上手な売却益の利用法は、引き続き使用することになる安普請の王国会館をがっつり補修したり設備更新する費用に全部回すことなんだと思いますけどね。
本来用いられるべき「神の宮」のために清く正しく有効活用するわけですから、誰も文句言っちゃいけないでしょ。手羽先が好物らしい上の連中は軽く憤慨するでしょうけど。

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はい、いい加減眠くなりましたでしょう。おやすみなさい。

こちらは法人代表役員として久々に法人実務のお勉強をさせていただきました。財産処分なんて滅多にありませんし。
たまたまYahoo!ニュースで「エホバ」と検索したら、スポンサードサーチに「エホバの証人/ヤフオク」と出てきたのでクリックしてみました。
そうしたら合本やら年鑑やら年代物の出版物が出るわ出るわ。

ヤフオクJW

一番下を見たら、こんなものもありました。

ヤフオクJW腕章

ナチスドイツの強制収容所で使われていたユダヤ人かつパープルトライアングルの腕章。
レプリカらしいが。こんなのよく持っていたもんだ。

先月の初め、ものみの塔研究で終わりの日に関して取り扱われたようですが。
どんなことが書いてあるのかなー、と思い、インターネットで『ものみの塔』2013年7月15日号を入手。
昔は1日号も15日号にも研究記事が載っていたんですが、今は15日号に研究記事が掲載され、なおかつ信者限定で配布されているそうで。伝道活動によって一般人が入手できないにもかかわらず、インターネットの公式サイト(http://www.jw.org/ja/)でPDFデータで落とせるというザルっぷり。信者限定の意味がまったくありません。

で、ダウンロードして閲覧。
読むのがしんどくなったので、わざわざプリントアウトして製本してしまいました。

も20130715-01

しかし、独特の回りくどすぎる言い回しにくたびれてしまい3分で投げ出してしまいました。

も20130715-02


脱塔して18年、完全に世の人になってしまった証拠ですね(笑)
カール・バルトの『教会教義学』の邦訳を読むよりもしんどい。まことに苦行であります。

というわけで、誠に勝手ながら、shou-tanさんがブログに載せた極めて単純明快な要約に依存することにします。これはとてもわかりやすい。
要は、大患難の無期限延期ということなんですね。

終わりの日が何年あたりに来る、と予測を立てようとするのは、それが近いうちに来る、と待望しているからこそするものであると思います。
エホバの証人では、これまでに何度も終わりの日に関する予言なるものをしてことごとく外しているんでありますが、そもそも、
日時を算定しようとすることなど全く無意味
なんですよね。

というのも、ヨハネの黙示録(ヨハネの啓示)に限って言えば、そもそもはローマ帝国の実態を批判するために書かれたものであって、終わりの日の年代算定の用に供するために書かれたもんじゃないんですから。
「今はブイブイ言わせてやりたい放題やっているローマ帝国はやがて滅亡する」。「驕る平家は久しからず」というもんですな。

長くなっちゃってますけど、もうちょっと続けさせて下さいな。

ごくごく最初期のキリスト教でも、
そろそろ終わりの日が来てもいいはずだけどなかなか来ないよ。
目の黒いうちに来るはずなのに死ぬ人も出てきてるし。もうあきらーめた。

という問題があったと言われています。いわゆる「終末遅延」の問題です。
で、それに対する神学的解決を企てようとしたのがルカ文書と呼ばれている、ルカによる福音書と使徒言行録であるんです。

ルカ文書では、救済史を
(1)神の人間に対する救いと待望の時である「イスラエルの時」
(2)イエスの宣教開始の時からユダの裏切りの時までの「イエスの時」
(3)イエスの時からはるか終わりの時に至るまで継続的に展開する「宣教の時」である「教会の時」
の3つに区分。
現在は「教会の時」であり、イエスの出来事は「教会の時」から明確に区別された過去のものとして位置づけられると同時に、終わりの日・キリスト再臨の時は「教会の時」のはるか彼方に移されることになる。しかもルカ福音書においてイエスは「世の終わりはすぐには来ない」とまでキッパリ言ってしまっている。
じゃあ、終末というのは一体なんじゃ、ということになるんであるが、ルカ文書においては神の国・神の支配の実現のことを指す。その端的なしるしは、サタンの力の無力化であると。それは、荒野の誘惑を終えた後にサタンがイエスから離れたこと(イスカリオテのユダにサタンが入り込むまで)、「サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた」というイエスの発言においても示される。
まあつまり、神の支配というものはイエスの生前既に、先取り的に実現された、ということである。この神の支配が先取り的に実現された「イエスの時」こそ、終末を待ち望む根拠となる。だから諦める必要はない、というのがルカ文書の主張。

まあ、わざわざたらたらとこんなことを書いて言いたいことは、
終わりの日がすぐ来る来ないというのは2000年くらい前とっくのとうに解決済みなんだよ、なんで今も目の黒いうちに来るって考えて年代計算しようとするわけ?
ということだけなんですが。

終末云々よりも大切なことは「今、神と人に対してどう誠実に生きるか」(えらい抽象的だけど)ということなんだと思うんですがねえ。

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ちなみに私の専門は典礼学・礼拝学であって聖書学の知識はとても貧しいです。
今回の記事で参考にした本:
笠原義久『新約聖書入門』新教出版社、2000年
田川建三『キリスト教思想への招待』勁草書房、2004年

「好きです。付き合って下さい」
この言葉はJWの世界ではなぜか求婚を意味する。

ずっと昔のおバカでほろにがーい思い出話であるんですが。

私がいた会衆には、たまたま同学年の2世が4、5人いました。
大手企業や元公社の社宅が点在していた土地柄、転勤族のメンバーがいる会衆でしたが、何だかんだとその人数はキープしていました。

私は高校入学と同時に自然消滅したんですが、高校3年の頃にちょこっと集会に顔を出した時期がありました。
ある木曜日の夜、集会に行くと、同学年の2世は幼なじみの姉妹1人しか残っていませんでした。親が離れた後にバプテスマ受けたから、正しくは1.5世になるのかな。
集会が終わった後、その姉妹と歓談し、帰る方向が同じ方面だったので一緒に帰り道を歩いていました。
「この子いいかなあー」と思っていた私は、意を決して別れ際に「好きだ」とその姉妹に言ってしまいました。

しばらくして集会に言ったら、幼なじみの姉妹は私に近づきもしませんでした。
「あ、終わった」と思い、私は退散。

後々、別の人づてで、「好きだ」と言われた後真剣に悩んでしまい、私を避けていたとの由。同時に、「好きだ」のエホバの証人の中での意味を初めて知ったのでありました。それが冒頭の定義。

エホバの証人のことばが「この世のものではない」ことを実感した出来事でありました。

と同時に、私が「世の人」に更生しつつあることを実感したのでありました。

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ちなみに、幼なじみの姉妹とは成人式で再会し、わだかまりなく「交わり」をもちましたとさ。
それから一度も会っていないけど、今もマイコンかかったまんまなのかねー。
目ざめよ!
私が現役2世だった20年ほど前、『ものみの塔』などでは既存のキリスト教会を批判する記事や挿絵が載せられていた記憶があります。特にその矛先はカトリック教会に向けられていましたですね。

批判の内容は教皇をトップとする組織体制だったりするわけですが、献金も批判のネタにされていた記憶があります。「キリスト教世界ではミサや礼拝中に皿を回して金を集めている」とか、「何かの名目で信者から金をかき集めている」といった具合に。

しかしまあ、近年の覚醒組の方々のブログを拝見すると、つい最近、日本支部あたりから日本全国に10棟ある大会ホールの維持のためにひとり頭800円寄付してちょうだいね、という手紙が各会衆に送られメンバーに告知されたそうで。

なんだよ、自分たちがぎゃーぎゃー批判していることを自分たちがやってるんじゃないか。

これだけで終わったらキリスト教会側からのいちゃもんで終わってしまうのでもうちょっと話を続けます。

キリスト教会でミサや礼拝中に皿を回して献金を集めているというのは事実です。典礼論・礼拝論的に言えば、献金は献身の象徴として行われるもので、自分自身を献げることを表すものとしてお金を献げるというものです。ただし、最低金額いくらというように規定しているわけではありません。阿漕な教会でない限り。

また、何かの名目で信者から献金を集めているのも事実です。それも大抵箱モノ関係です。クリスマスやイースターのお祝いごとの時にも献金を献げていただきますが、それは別に考えて下さい。

日本の教会に限って言いますと、都会のほんの一握りの大きな教会を除く大多数の教会は財政基盤が脆弱です。年間予算が350~500万円でそれなりぎりぎりやっているというところでしょうか。牧師謝儀(いわゆる給料、支出の比率にすると5割を超えることがしばしば)、水道光熱費や日常活動の費用、教区や教団に納める分担金で何とか、という教会が多いです。建物や備品の減価償却まで回すことがなかなかできません。ある程度、将来の大規模修繕や建て替えのために積み立てしているにしても。で、箱モノのために献金をお願いするということになるわけで。

それでもまあ、目標額を設定するにしてもひとり頭いくら、という風には言いませんね。自由に使える金がそんなに多くない主婦や年金生活者が多くを占める教会のメンバーに対して、「これだけのものをもっと献げろ」なんて口が裂けても言えんよ。

エホバの証人の箱モノのために寄付お願いね、の話に戻しますが、寄付を集める前に財務諸表をしっかり開示しろ、ということなんですけどね。寄付を集める妥当性を判断できる材料がないのと寄付の使途をチェックできないのが一番の問題です。常識的に考えたら、そんなんで「組織」の「取り決め」を「支持」なんかできるわけないんですけど、みんな支持しちゃうんですねえ、「信仰」篤い方々は。

ちなみに、信仰篤い(ただし有効期限10年)母親の子であった私がした寄付は、子供銀行券か自分で作ったおもちゃの1000円札くらいでした。子どものくせに組織に嫌がらせ働いてたんですねぇ。
交流の場です。ネチケット守ってくださいね。罵詈雑言、思想信条の押し付けは禁止。
※これは以前管理していた「北海道のエホバの証人2世のホーム・ページ」の一コンテンツをそのまま貼り付けたものです。情報が2001年現在であるので、12年後の現状と一致していない項目が多数あります。あくまでもアーカイブものであることをご承知おきください。

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ア行

歌の本
JWの賛美歌集『エホバに向かって賛美を歌う』の俗称。225曲から成る。作詞・作曲者名は記載されていない。四声体だが、ギターコードが付いている。日常の集会ではピアノ伴奏のテープによって歌うが、大会ではオーケストラ演奏のテープの伴奏で歌う。キリスト教会のようにオルガンで歌うことはない。1984年発行。(キリスト教界では讃美歌集の改訂が20年から25年ごとなのだが――とは言えども1954年版の『讃美歌』から『讃美歌21』に改訂されるまで43年かかっているが、これは例外――、JWはどうなのだろうか? そろそろ新しい歌集が出るのだろうか?)

王国会館
JWの集会場。雰囲気は所によってまちまちだが、基本的には大きな会議室の奥にステージと講壇を据え付けたものと考えれば良いだろう。またJWの書籍が大量に保管してあり、伝道用や個人用に信者に頒布する。以前はビルの一室やJW信者が提供した家屋を改造したものが多かったが、近年は独立した建物が多くなっている。会衆席も以前はパイプ椅子が主流だったが、現在は劇場にあるような座面が跳ね上がる仕組みの椅子を置く所が出ている。キリスト教会のようにオルガンやピアノといった楽器はない。1つの王国会館を複数の会衆が共同で使用する場合がある。この場合はそれぞれの会衆の集会の曜日や時間が重ならないようにずらす。

海老名ベテル
日本におけるJW教団の本部。正式名称は「ものみの塔聖書冊子協会」。アメリカ・ニューヨーク州ブルックリンにあるJWの本部に対して「日本支部」と呼ぶこともある。本部の指令を全国各地の会衆に伝達したりする支部機能のほか、各種JW出版物の印刷業務を行なっている。日本のJW信者にとってそこで働くことは「特権」とされる。そこのメンバーは相部屋で共同生活を送る。給料は信じられないほど安いらしい。

「永遠に生きる」の本
正式名称は「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」。いかにハルマゲドンを乗り越え地上の楽園に入れるようにするかが説かれている。1990年代半ばにハルマゲドンが起こる時期の見解を変更したため、それ以前の見解に基づいて書かれたこの本は用いられなくなった。

大いなるバビロン
巷にあるキリスト教会を指す。牧師や神父は「大いなるバビロンの頭」と呼ばれる。

『王国の調べ』
J.S.バッハがコラールに基づいてオルガンによる衆讃前奏曲を作ったように、JWの讃美歌をもとにオーケストラ演奏の讃美歌メドレーを作り録音したテープ。会衆によっては集会前にかけている。小学校時代、JW2世であろう児童が給食時間の校内放送でかけていた記憶がある・・・。勇気あるなぁ。

RBC
正式名称は「地区建設委員会」。王国会館を短期間で建設する組織。全国1万人以上の設計、土木などの有資格エンジニア集団。王国会館を建設する際、資材をすべて一括購入し、一般市価の値段で各会衆に売るボッタクリ集団でもある。しかし、RBCと会衆の建設奉仕者は無報酬である。すると、その利ざやは協会に行っているのだろうか?

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カ行

「感謝します」
一般の言葉に変換すると「ありがとうございます」。

「クリスチャン愛と挨拶を贈るのはいかがでしょうか」
JWが他会衆の集会に出席した際、講壇の司会者がその人を紹介する際に使う言葉。

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サ行

「好きです。付き合って下さい」
この言葉はJWの世界ではなぜか求婚を意味する。

事物の体制
平たく言えばこの一般社会すべて。

姉妹
女性JW信者を呼ぶときに付ける呼称。例:「山田姉妹」。血縁上の姉妹ではない。

神権宣教学校
布教活動でJWに引き込むために勧誘技術を磨くプログラム。しかし、一般社会ではまったく役に立たないものである。

サタン
文字通り悪魔のこと。JW反対者に対する蔑称としても用いられる。例えば、JWに反対する家族に対して「あなたはサタンよ!」という具合に使う。

集会
王国会館と呼ばれる集会場や信者の家で行われるJWの集まり。非常に重視されている。日曜日には「公開講演」と「『ものみの塔』研究」、概ね火曜日に「書籍研究」、概ね木曜日に「神権宣教学校」と「奉仕会」が行われ、これらをまとめて「5つの集会」という。

書籍研究
毎週火曜日くらいに、「群れ」と呼ばれる小単位で信者の家ないし王国会館に集まり、教団で出版している本を使って教義を学ぶ勉強会。司会者が本に書かれている質問を信者に問いかけ、信者は本の中に書かれている答えを述べる形式で行われる。教義書を用いて信仰問答を行うと考えればよい。

葬式
JWの葬式は至って簡素で、遺影も飾らない。式は最初にJWの賛美歌を歌い、祈り、長老(牧師に相当する)の話の後に遺族が挨拶し、最後に賛美歌を歌い(たいてい「しーもーかなしみもなーぁし」という歌詞がある歌が使われる)、祈りで終わる。

世俗の仕事 【みみこさんより】
食べて行くお金を得るために何らかの仕事に従事すること、また、その仕事のこと。マジメにこなすべきだが、熱心に働くことは良しとされない。集会があるので、残業はしない。日曜出勤もしない。そのため、20代で早々と窓際族であったりする。例:「兄弟は、世俗の仕事は何をされていらっしゃるのですか?」

神権家族
家族全員がJW信者である家族のこと。キリスト教徒で言うところの「クリスチャンホーム」。

自発奉仕
大会で弁当係や清掃係などをボランティアで行うこと。大抵、大会前に王国会館で申し込みをする。

証言
公に自らの信仰・信条を告白すること。狭義では武道の授業や国歌・校歌を歌うことが出来ないことなどを教師やクラスメイトに話すこと。

主の記念式
ユダヤ暦でニサン14日に行う式。イエスの受難前にパンとぶどう酒を弟子に分け与えたことに起源する。キリスト教会におけるミサ・聖餐式・主の晩餐式。ただし、JWの教義ではこれらに与れるのが14万4千人のうち地上に生存している者とされているので、ほぼすべてのJWはこれらを食べることが許されず、ただまわして見るだけである。

14万4千人【『エホバの証人への伝道ハンドブック』ウィリアム・ウッド、いのちのことば社 より】
イエス・キリストの指揮下にあって、王、また祭司として奉仕するために天に行く人々。天のいのちを受けるのは彼らだけである。

組織
JWの幹部の通称。

『組織』の本
正式名称は『わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織』。JWには成文化された教憲・教規がないが、規則を平易に解説した本である。この本の最後にはバプテスマを受ける際に受けなければならない試問会に用いられる信仰問答が載っている。

新世界訳聖書
JWが作ったJWのための聖書。JWではこの聖書以外の聖書を使わない。この聖書は、原語から直接訳さず、英語から訳した重訳であるほか、JWの教理に合わせて語句を改竄している欠陥聖書である。また字義直訳であるため不自然な言葉が多い。
例えば、哀歌3章48-49節は新共同訳の場合、
「わたしの民の娘は打ち砕かれ
わたしの目は滝のように涙を流す。
私の目は休むことなく涙を流し続ける。」
とあるのが、新世界訳になると、
「わたしの民の娘の崩壊ゆえに、わたしの目からは水の流れが下って行く。わたしの目は注ぎ出されて、とどまることがない。そのために休みがない。」(-_-#
というように、非常に不可解な訳文になっている。

『聖書物語』の本
正式名称は『わたしの聖書物語の本』。ワ行参照。

主宰監督
会衆を統率する長老をこう呼ぶ。日本基督教団でいうところの「主任担任教師」。

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タ行

男女交際
1対1の交際は基本的に望まれていないので、グループ交際する。やむなく2人でデートする時も間違いを犯さないように美術館やカフェなど2人きりにならないような場所に行く。セックスはおろか、キスも許されない。

伝道
文字通り布教活動のこと。基本的にJWの雑誌や本を無償頒布する。すべての信者が参加するよう義務づけられている。

断絶
自分からJWを脱退すること。しかし、離れると信者との関係は完全に切断され、会話すら一切できなくなる。

長老
教会の牧師や寺の住職のような人。会衆では髪型から夫婦の寝室まで信者の生活をすべてコントロールできるほどの絶大的な権力を持つ。しかし巡回監督や地域監督といったさらに上の地位にある人の前では異常なほどヘコヘコする。

地域監督
全国を「地域区」と呼ばれる10ほどのブロックに分け、それぞれのブロックを監督する人。

統治体
JWの最高幹部。1914年以前に生まれた爺さんが多い。が、それ以降に生まれた人も徐々に入ってきた。時に「新しい光」と称して天声会議まがいの会議で決まった新しい教義を「ものみの塔」などの出版物で目立たないように発表する。

大会
年3回行われる大規模な集会。毎年8月頃に「地域大会」と呼ばれる県単位クラスの大会が3日間、競技場などを借りて行われ、また毎年4月頃には10ほどの会衆が集まった「巡回大会」が2日間、毎年11月頃に「特別一日大会」が「大会ホール」や市民会館で行われ、朝から夕方まで講演が行われる。「地域大会」の3日目には聖書劇が行われるが、セリフはすべてテープで流すので口パクである。ただし衣装は非常に凝っている。洗礼式(全浸礼)もこれらの大会で執り行われる。以前、地域大会は会場に大きな看板を立てて周辺に宣伝していたが、現在は看板を派手に立てなくなり(注:1999年に偵察した時はなかったが、2000年は小さい横長の看板が掛かっていた)、名札がなければ入場できないほど閉鎖的になっているようだ。

特権
JWの高い地位。信者が少しでも高いステータスに上がると「特権をとらえた」という。逆の場合は「特権を失った」という。男性の場合は無限に登りつめることができるが、女性は奉仕の僕などの指導的階級になることはできない。

対処しにくい危機の時代
JWは、この社会はサタンの影響の下にあるが故に堕落していると考えているので、社会一般をこのように表現する。

注解
「ものみの塔」研究や群れの書籍研究などで、司会者の発する質問(大抵書籍の下部に質問が書かれている)に口頭で答えること。

電話回線
ホスト会場と全国の会場を電話回線で結び、ホスト会場の講演者の音声を同時中継すること。または、この方式で行われる特別集会をこう呼ぶ。

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ナ行

なぜ~しないのですか?【melonさんより】
1970年代初頭までのJW出版物によく見られる表現。恐らく英語の Why don't you~? の直訳で、現在は「あなたはこの提案を受け入れてみてはいかがでしょうか?」のような訳になっているようだ。ただし、古くからのJWにはこの言い回しが色濃く残っていると思われる。例:なぜあなたは友人のためにもう一部求めようとしないのでしょうか? なぜあなたはこの提案を受け入れようとしないのでしょうか?

ナジル人
「聖別する」・「分離する」という意味のヘブライ語の動詞「ナーザル」から出た言葉で、「捧げられた者」・「聖別された者」の意味。献身したナジル人の規定は民数記6章1-21節を参照。JWは彼らを手本として生きる。しかし、神に仕えることを「奉仕(布教)する」ことと安直に結びつけるのは誤りと思われる。

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ハ行

排斥
JWから除名されること。断絶同様、信者全員と一言も会話できなくなる。

発表
JWの活動を進める上での案内をすること。キリスト教会でいうところの「報告」。

背教
JWの教義を否定し正統キリスト教や他宗教に転向すること。

背教者
JWの教義を否定して離れた元信者の蔑称。

奉仕
伝道活動のこと。

奉仕報告
伝道者・バプテスマを受けていない伝道者・補助開拓者・正規開拓者・特別開拓者らが毎月提出することが義務づけられている報告。布教活動に費やした時間や書籍類の配布実績などを記入し提出する。

奉仕会
伝道活動の現場でいかに一般の家の人を勧誘するかを探るのが主要目的の集会。月ごとに配布文書が決められているが、これをいかに巧みな話術で家の人に渡すかを、信者のみに配布される「わたしたちの王国宣教」という冊子に載せられている実例を用いて学んでいく。ただし、成功率は低い。しかし、営業マン顔負けの話術が巧みな人はどんどん家の人に配布しているらしい。

バアル
カナンの豊穣神。転じて、エホバ以外の神々(三位一体を含む)のこと。

不活発
集会や伝道活動に参加しなくなること。ちなみに宮内は「バプテスマを受けていない伝道者」で脱退届を出していないので、会衆では現在「不活発」扱いであると思われる。

不道徳
婚前交渉や不倫、同性愛など、性的に淫らな行い。アダルト雑誌や「トゥナイト2」を見ることもこれに含まれる。排斥の対象になる。

奉仕の僕
長老と一般信者の間に位置する役職。日曜日の公開講演で話をすることができる(滅多にまわってこないが)。キリスト教会でいうところの伝道師または役員か。

励まし
文字通りJW信者同士で精を出すように声を掛け合うこと。しかし、時にこれは脅迫になる。

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マ行

交わり
信者との交友のこと。夫婦を除き決してセックスのことを指すのではない。この言葉はJWのみならずキリスト教会でも用いられる。例:「伊藤さんと交わっちゃだめよ!あの子は大いなるバビロン(JWで「キリスト教世界」と呼ばれる一般のキリスト教会のこと)なんだからね!」

『ものみの塔』研究
日曜日の集会で、「公開講演」の後に行われる勉強会。「ものみの塔」という雑誌にある「研究記事」と呼ばれる記事を用い、司会者の質問(記事の下部に書かれている)に信者が答える形式で行われる。

もてなし
年に2回会衆を訪問する巡回監督や、日曜日の公開講演に他会衆から出張して講壇に立つ講演者(大抵はその会衆の長老)を手厚く食事に招待し接待すること。

「皆さんのご協力に感謝します」
集会や大会で、申し合わせ事項を伝える際や会計報告が行われる際に必ず言われる言葉。会計報告の場合、表向きは感謝なのだが、暗にさらなる寄付を求めている。恐らく英語の Thank you. の直訳なのだろうが…。

群れ
会衆を地区別にさらに分割したグループ。このグループごとに書籍研究や伝道活動が行われる。

『ものみの塔』
毎月1日・15日に発行される雑誌。どちらかと言えば信者向けである。主に教義的内容を扱う。

『目ざめよ!』
毎月8日・22日に発行される雑誌。社会的現象とJWの神学を直結させている。主に未信者向け。

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ヤ行

野外奉仕
街頭で道行く人々に布教活動すること。

野外集会
日曜日に公園など王国会館以外の場所で行う集会。大抵、朗読抜きの「ものみの塔研究」で済ませる。その後、バーベキューなどで昼食をとり、野球やバレーボールなどのレクレーションを行う。最近は上層部の指導により行われなくなった。

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ラ行

『論じる』の本
正式名称は『聖書から論じる』。三位一体やキリストの神性などを、JWの神学によって聖書を駆使し論駁するための手引き書。

『楽園』の本
『永遠に生きる』の本と同じ。

楽園
JWの説く不老不死のユートピア。病気にもならず死なないだけでなく、猛獣とも仲良くなれる。楽園が始まってしばらくは子供を産むことができるが、人口が飽和状態になると産めなくなるという。(じゃあ夫婦生活はどうなるのか?)JWの神学をしっかり体得し、律法を守り、愛の業に真剣に励み、徹底的にJWに従順であることが楽園に入るための条件である。しかし、真の永遠の命を得るためには、ハルマゲドンとそれから1000年後に行われる2つの試験にパスしなければならない。

霊的食物
JWの発行する書籍のことをいう。

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ワ行

『私の聖書物語の本』の本
JWの幼児教育のための絵本。絵本の割には字数が多く、漢字も多い。挿し絵が大きく、4色カラーで印刷されている。構成は天地創造から旧約時代の歴史、イエスの生涯、使徒の働き、ハルマゲドンと楽園といった流れになっている。イエスの受難の話の挿し絵は、JWは十字架刑を否定しているため、まっすぐな杭に架かって悶え苦しむイエスの姿が描かれている。ある人曰く「あの絵(ハルマゲドンの絵)は子供に悪いわ」。
はじめまして。宮内健次と申します。
本名ではありません。

「この名前、どこかで見たことがあるよなあ」と思ったあなた、間違いではありません。
2000年頃、「北海道のエホバの証人2世のホーム・ページ」の管理人をしておりました。一時期ネット環境がなかったり、度重なる引っ越しでパスワードを書いた紙を失くしてしまったりしまったため、管理不能になり放置してしまっていますが。

さて、ごく簡単に自己紹介。略歴ともいいます。
北海道札幌市生まれ。
3歳の時、父が三年目の浮気を地でいき四年目の破局を実行する。同時並行で、母がエホバにのめり込む。
5歳の時、母がエホバのバプテスマを受ける。札幌の電車通りの内側にある会衆にいた。
11歳の時、神権宣教学校入学。小学生の分際で講釈を垂れる。
13歳の時、バプテスマを受けていない伝道者になる。時間も配布部数も最低レベル。
15歳の時、オウム事件と共に自然消滅。めでたく高校生活を謳歌。
行き当たりばったりに生きてきたあげく、新潟県の西の端っこにあるプロテスタント教会の牧師になってしまっている。しかし頭でっかちなプロテスタントを心底嫌っている。
これでいいのか?自分。多分これでいいのだ。